引っ越し期
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
つぶらやは一人暮らしを始めて、どれくらいになる? 俺は学生時代から続けているから、だいぶ長いな。おかげで実家にいるよりも、借りた部屋にいる方が、気持ちが落ち着いちまうくらいだ。ややもすると、実家に帰るのが面倒になる。「顔を出せ」と周りの人は言ってくるが、どうにもエンジンがかからないとなあ。
ところで、つぶらやが住んでいるところって、築何年か気にしているか? 引っ越しの予定は? もし古い建物だったりしたら、地震対策が十分じゃないかもしれんぞ。倒壊して一息に、楽になれたらいいが、中途半端に生き埋め状態とかになったら悲惨だろう?
俺はもう5回くらい、引っ越しを経験したっけなあ。新しい方へ、新しい方へと移り住んでいる感じだ。今は去年できたばかりの、駅前マンションの一室に住んでいる。お前も機があったら、住処を変えることを検討してみろよ。
――と、ただ説教じみたことを言っても、納得はしないだろう。お前の好きそうな、俺の体験談とやらもつけようか。
あれは俺が初めて引っ越す、少し前の話だ。
俺は築数十年という、古めのアパートに住んでいた。バカでかいUHFアンテナとVHFアンテナを頭にくっつけていたな。
この頃の俺は何につけても無精者で、学生時代に貯めたお金と、あとは必要最低限の生活費をかせぐバイトをしながら、だらだらと過ごしていた。
ようやく、うっとおしい学校のしがらみから解放されたんだ。それがすぐにフレッシュマンになって社畜一直線とか、もったいないことこの上ない、と考え始めたんだ。特に燃える目標もなかったし、フリーター生活の何が悪いんだ、と思っていた。
そんな息子の生活を心配したんだろうな。ある日、両親が俺の部屋に行くから空いている日を教えろ、と連絡してきたんだ。
俺の部屋はアパートの二階の六号室。人格をそのまま反映したかのような、「汚屋敷」状態だ。
これで会話しているのが、付き合っている彼女とかだったら、掃除をするのもやぶさかじゃあない。
しかし相手は、俺の生まれたままの姿さえ存分にご覧になったうえ、消せない関係で結ばれた血縁。俺の習性も重々承知しているはずだ。
――ま、放っておいてもどうにかしてくれるべえ。
甘えというにはあまりにもあまり。俺は開き直って、まったく掃除をせずに当日を迎えたんだ。
その日。部屋の様子を何も告げられていないはずの両親が、マイカーでアパート前のスペースに乗り付け、掃除道具一式を手に訪ねてきた。いかに我が家が強いきずなで結ばれているか、再確認できちまったね。
「ものをどかすのはお前がやれ。勝手に動かして、あとで『あれがない〜』とか文句つけられても困る」
ごもっともだった。俺がせっせとものをどかす間に、サンやサッシのほこりを落としたり、掃除機をかけたりする両親。見る間に、かつての快適さを取り戻していくお部屋。こんなにスペースがあったんだと、いつも暮らしている主の方が、感心する始末だった。
執拗に、部屋の四隅や水回りに手を入れていく両親。やがて「お前の家は汚いわりに、ゴキブリとかシロアリとかが、全然いないねえ」などとつぶやいてきた。
見損なうな、と返したいが、去年の今頃は、前者を大規模に狩り出していた時期。偉そうなことは言えず、黙っていた。
すると、両親は俺についてくるように促してくる。マイカーの後ろのドアを開けると、ど真ん中に、土の入っていない10号程度の植木鉢。その中に納まるサイズの、白いカブらしきものが隣にちょこんと、たたずんでいる。
鉢底石と培養土が入った袋も、用意してあった。石を鉢底に詰めると、カブを入れながらそれを土にうずめていく両親。俺はぽかんとしながら見守っていたけれど、俺の部屋のベランダに鉢を置きながら、両親は告げた。
「こいつは庭先に置いたままにしておけ。なあに、水をやるなどの世話をしなくても構わん。だが、できれば毎日」
母は土に埋もれながらも、ピンと天に向かって伸びた、カブの葉っぱを指さして続ける。
「こいつを土から引っこ抜いて、根っこの様子を見ろ。大きさも測ればなおよし。こいつが小さくなり始めたら、契約期間中だろうと関係ない。早く引っ越しな」
傲然とした物言いに、さすがの俺もむっとした。
「面倒くさがりな俺が、そんなことをすると思う?」
「やらないなら、やらないでいい。もしそうなら、息子など、最初からおらんかったと割り切るわ」
両親はさっさと帰り支度をして、十数分後には車を走らせて去って行ってしまったよ。
一体、なにが両親をそこまでいらだたせるのか。俺はカブの苗を二、三回、ぴしぴしと指ではじくと、部屋の中に引っ込んで布団を敷く。ひと眠りしたい気分だった。
それからしばらくは、親の言う通り、毎日、カブを引っこ抜いて様子を見たのさ。白い球体の表面はとてもきれいで、土を払って露になる肌には、傷一つない。弾力という点では、人間様には及ばなかったけどな。
最初のうちは物珍しさもあって観察していたが、そこは三日坊主の代名詞たる俺のこと。一週間も経てば、件のカブは鉢植えごと、ベランダに「いるだけ」のマスコットと化し、俺はまたシフトのまま、バイトに日々を費やしていた。
帰ってくるのは、たいてい日が沈んでから。スーパーはちょうど半額セールをやり始めるんで、めぼしい総菜を手にして部屋で晩酌するのが、一人で過ごす夜の楽しみだったねえ。
給料を受けとってほくほくしていたこともあるんだろう。普段、気にしていないアパートのベランダたちをぼんやり見上げながら、俺はふと目を止めたんだ。
俺の部屋の両隣も、ベランダに両親が用意したものと、そっくりの鉢植えを用意している。カブの葉っぱまで同じに見えた。いつから置いていたのか、今となっては分からない。
園芸ブームなのか。いや、そうだとしても、こんなにいっぺんに来るものなのだろうか。
部屋に戻って明かりをつけた俺。久しぶりにベランダのカブを堀り出してみる。気持ち、小さくなっているように見えた。
静かに時間が流れていく。いや、あまりに静かすぎだった。
両隣の住人の習性は、知っている。左隣は音量最大で洋楽を聞く日々だし、右隣は外国人なのか二週間に一度は、自嘲しない大声と共に聞いたことのない言語が耳を打つ夜がある。
それが、ここ数カ月の間、ぱたりと止んでいた。騒音に悩まされずになったのはいいが、今まで干していたはずの洗濯物がなくなり、カーテンも取り外されている。部屋を引き払ったのだろう。
引っ越しのトラックも、最近よくアパートの近くに停まっているのを見かけるようになった。以前は休みの日になると、俺の部屋の前を、バタバタと横切る子供の足音がしたもんだが、今となっては懐かしささえ覚えるほどだ。
もう、アパートには俺しかいないのではないか。そう思うほどになったけど、俺はむしろ、耳に優しくていい、とのんびりしていた。
カブを置いて以降、実家から何度かケータイに着信があったが、ちょうど手が離せなかった時間帯だし、あんなきついことも言われたし、でかけ直す気は起きなかったな。
留守電のメッセージは要約すると、一様に「最近、忙しくてそちらに向かえない。カブは平気か。ゴキブリとかは部屋に出ていないか。何かあったらすぐに引っ越せ」とのことだった。
相変わらず、害虫たちは姿を見せず、例のカブはもう、ピンポン玉みたいに小さくなってしまっていたよ。
数日後。俺は久々にバイトの入っていない連休ということで、ちょっと遠出をしていた。キャスターのついた旅行カバンを手に、最寄り駅に帰ってきた時には、もう真夜中だったんだ。
くたくたに疲れて、部屋までの十数分の移動さえかったるいと思っちまうくらい。部屋でゆっくり寝るかなあ、と下ろしたカバンをコロコロと転がし始めた時だった。
ふと見上げた空の向こう。大きな影が浮かんでいた。あいにくの天気で影しか見えないが、かなり大きい。だが、てっぺんについている一対のアンテナが、雲の間から伸びる太い綱のようなものに掴まれているのを見て、俺ははっと我に返って、駆けだしていたよ。
疲れた体にムチを打つが、それ以上の速さで、綱と影はどんどん上へと昇っていく。俺が目的の場所に着いた時、あいつらはもう夜空へ溶け込んで見えなくなってしまったけど、自分の不安が当たっていたのだけは、分かった。
アパートは姿を消していた。屋根のかけら一つ残さず、すっぱりと。土台とおぼしき色が変わった地面は、まわりよりも数十センチ下がるくらい、きれいに掘りぬかれていたんだ。
その後の手続きは、今でも思い出したくないくらい複雑なものだったよ。新居が決まるまでの間、実家に居候させてもらったわけだが、両親曰く、「沈む船からはネズミが逃げ出す」とのことだった。
生き物の気配が屋内から失せると、それが兆しとなる。あのカブはどれだけ迫っているかの指標。この地域で「あれ」を知る者なら、誰でも手にできるように、しかるべき場所で用意されているらしい。
俺たちが、まいた種から作物を収穫するように、あの綱のような影も、まいた種から住宅を収穫している。もしくは住宅を餌に釣りをしているんじゃないか、と話していたな。




