オオカミが来た
太陽が血を流しながら沈んでゆく。
反対側から、薄蒼い月がおぼろげに顔を見せている。
満月だ。
満月を見ると、若い頃の事を思い出す。
思えば俺も、ずいぶんと歳を取ったものだ。あの屈辱の日々、そして戦い……
いや、戦いは今でも続いている。しかし、それもだいぶん下火になってきてはいるのだ。少々昔の事を思い出し、追憶に浸ってもいいだろう?
夕日と入り混じって不思議な色をみせる美しい月を眺めながら、俺は思い出に沈んでゆく……
伏線は完璧だった。
俺は長いこと嘘の情報を流しつづけ、村にはもう、誰ひとり俺の言葉を信じる者はいない。俺は完全に村八分だった。
獣人の中でも野良「犬人」は特に嫌われるが、俺はその上に嘘つきなのだ。嘘つきで迷惑な落ちこぼれの野良犬。それが俺の村での位置だった。
しかし、それでいい。
そのためにこそ、屈辱の日々を耐えてきたのだから。
俺が嘘をつくたびに、村の人間や「犬人」は総出になる。狼人、俗に言うオオカミ対策のために総動員で戦闘の準備をするのだ。
もちろんその間、人々の仕事は放っておかれる。
だから、それが空振りに終わるたびに、俺は袋叩きにされ罵声を浴びせられた。
それでも俺は嘘をつきつづけ、ようやく誰にも信用されなくなった。
何度も緊張と弛緩を繰り返すうちに、村の人間の心労は気付かぬ間に増大している。
今や、オオカミ襲来といういちばんのスクランブルに対して、現実感をもてなくなっている。防災訓練のような弛緩した雰囲気で、のろのろと集まるだけなのだ。
村の警戒網は、完全に死んだ。
ヤツラには、決して想像もつかないだろう。ヤツラごときに「嘘つき」呼ばわりされた俺の屈辱が。だが、それももう終わる。どちらが最低の生物か、身を持って知るがいい。
俺は胸いっぱいに空気を吸い込むと、いつも言いつづけ、俺が村八分になる原因になった言葉を、いつもの屈辱ではなくあふれんばかりの歓喜と共に叫んだ。待ちに待っていた瞬間だ。
「オオカミが来たぞぉっ!逃げろぉ!オオカミが来たぞぉ!」
もちろん誰ひとりとして、俺の叫びに耳を貸すものはいない。
ましてや今日は、ヤツラ……人間とその奴隷である犬人どもが、一年でいちばん待ち焦がれていた祭りの日だ。いつもなら怒って追いかけてくるはずの正義感気取りのバカどもも、今日ばかりは俺を相手にしないだろう。
合図とともに俺の本当の仲間である狼人の群れが、祭りで呆けている人間と犬人に敢然と襲い掛かった。俺たちのねぐらを奪ったヤツラに、復讐の牙をむき出したのだ。
先に住んでいたのは俺たちだ。後から来たのはヤツラだ。
そしてヤツラは俺たちを力で追い出した。それは構わない。弱いものは駆逐される。
あたりまえのことだ。
俺たちオオカミは自分のねぐらが欲しい。そこにはヤツラがいる。だから、同じように俺たちも力で奪い取る。ただ、それだけのこと。森の中で何千年も繰り広げられてきたことと本質的に何の違いもない。
戦いはあっけなく終わった。俺たちの完全勝利で。
村は全滅し、俺たちがヤツラに取って代わる。この村にやってくるのは、定期便のお役所連中だけだ。連中には、俺たちとヤツラの区別はつかない。だいたい獣人と人間の区別がつくかだって怪しいものだ。
都会にすんでいる人間は、獣人を見る機会が少ないのだ。獣人は大抵、過酷な肉体労働に従事させられるから。
だからプライドの高い人間は、獣人とも、それを使役する人間とも、積極的にかかわることをしない。
当然、役所の連中も、村のヤツラとは必要最低限の付き合いしかない。担当が代わったと言われれば納得して、今まで通り必要物資を置いて帰ってゆくだろう。
俺はそう言うもろもろの事情を探り、襲撃に有利なタイミングを見定めるために、クソいまいましい犬人のフリをして、ずっとこの村にもぐりこんでいたのだ。耐え難きを耐え忍び難きを忍んで、俺は機会をうかがい、ひたすらに待ちつづけた。
ねぐらを取り戻すために。
ヤツラの真似をしなければならないのは、今だけだ。やがて仲間も増える。全国から噂を聞いて駆けつけてくる仲間、これから生まれてくる仲間、一致団結してヤツラを滅ぼしてやる。
あの、クソいまいましい人間と犬っころどもを。
俺たちの結束は、ヤツラとは違う。
ヤツラのように強力な武器は持っていないが、俺たちにはこの強い絆、団結する力がある。
自分だけよければいいというヤツラとは、初手からモノが違うのだ。姿かたちの大して違わない獣人を、あたりまえのように使役している人間や、人間に飼われその後ろ盾で威張りくさっているような、クズとはな。
俺たちは人間や犬人どもには気付かれずに、仲間をたくさん集めた。何年もかかって策を練り、ついにそれを決行する。
そして、そんな努力の甲斐があって、勝負はあっけないほど簡単についた、と言うわけだ。
己の利害のみに明け暮れていたクズどもは、かつて駆逐した我々の姿を見て怒りをあらわにするどころか、我先にと逃げ出した 。長い安寧の日々は、ヤツラから牙を抜き去っていた。
団結、知恵、勇気。
人間も犬人も、俺達に対抗するための武器を完全に失っていたのだ。いくら強力な武器があろうとも心の弱いものに、俺たちを倒すことは出来ない。 戦い始めたときにはすでに勝っていたと言ってもよかっただろう。
しかし、一度苦い思いをしている俺たちは、決して油断しない。
俺たちは、徹底的に犬と人間を狩った。
ヤツラを生かしておけば、また俺達が駆逐されてしまう危険があるからだ。俺たちはすべての犬と人間を、今度は追い払うのではなく殺した。ほとんどが殺され、勝利は確実となる。
俺たちは歓喜の叫びを上げ、凱旋の美酒に酔いしれた。
孫の声で、俺は我に返る。
「じいちゃん、紹介するよ。俺の彼女」
「はじめまして」
「おぉ、よく来たね。どうか孫と仲良くしてやっておくれ」
「ははは。じいちゃん、なに言ってるんだよ。仲がいいから、こうやって紹介するんじゃねえか」
「うむ。それもそうか……ははは」
笑いながら、孫達は家に入ってゆく。
俺は安楽イスにもたれると、月を眺めながらため息をついた。
「なあ?じいちゃんだって、君が犬人だってコトに気付かなかっただろう?四つ足の頃じゃあるまいし、見た目で狼人と犬人なんて区別できるわけないのさ」
「おじいさま、あの戦争に参加していたんでしょう?そのひとが気付かないなら、大丈夫そうね?」
「ああ、心配ないさ。じいちゃん達は頑固だから理解しないだろうけど、もう、時代が違うんだよ。あんなに便利な人間ってヤツを殺しちまうなんて、もったいないったらないぜ。昔は人間に犬人が支配されていたなんて言うけど、そんなこと今の世の中で起きるわけがないもんな?」
「うん、人間なんて牙も爪もないのに、犬人が負けるわけないもんね。それにさ、私のところでも飼ってるんだけど、人間っていいよぉ?何でも出来ちゃうから、生活がとっても便利になるんだ。それにね、人間がいると、余計なことを考えないでも生きていけるから、すごく楽なんだよね」
「だろ?いいよなぁ…じいちゃんが死んだら、俺も親父を説得して一匹買ってもらうんだ。非合法だけど、本当は親父だって欲しがってるんだから。とにかく、あのじいちゃんが生きてるうちは………………じ、じいいちゃん?!」
孫は驚愕に目を見開いたまま、固まっている。
俺は無言で孫に近寄っていくと、問答無用でのど笛を噛み切った。
孫は断末魔の叫びさえ上げられずに、のどから血をふき出してぶっ倒れる。ひくひくとうごめきながら、信じられないといった表情で俺を見ていた。
俺はやりきれない思いで目をそらす。
泣きたくなったが、その代わりに牙をむき出して遠吠えをあげ、襲ってくる悲しみに耐えた。
そうして、孫が息を引き取ったのを確認すると、今度は小便を漏らして震えているメス犬に近づく。あまりの恐怖に、メス犬は気を失った。
メス犬を縛り上げると、俺は仲間に連絡を取る。こいつには仲間の居場所と、裏で人間を売っているヤツラの居場所を聞き出さなければならない。そいつが犬だろうが人間だろうが、裏切り者のオオカミだろうが関係ない。
すべて殺す。
しかし、まったくやりきれない話だ。まさか俺が生きているうちに、こんな甘い考えが蔓延するとは思わなかった。
犬人の娘を俺の前に連れてくる孫も、それにノコノコついて来る犬人も、俺に言わせれば信じられない甘さだ。危機感と言うものを感じる能力が、まるっきり欠如しているとしか言いようがない。まさに、時代は変わったということか。
便利な生活、快適な生活、大いに結構。
しかし、安寧に飲み込まれて、最大の敵を見分けられないモノは、孫だろうと許すわけにはいかない。かつてそれで、犬人どもは人間の奴隷に成り下がったのだから。
昔を思い出し、追憶に浸りたいなどと言うのは甘かったようだ。まさか、身内に裏切り者がいるとは……
この分じゃ、もっと規制を強化しなくてはならないな。それに、もっと徹底的な人間狩りと犬狩りが必要だ。犬人……ひいては人間に尻尾を振る、馬鹿なオオカミがこれ以上あらわれないように。
だが、決して俺は戦いを放棄しない。
牙を失ったら、俺達に明日はないのだ。




