栗宮梓の場合
雨が降り続くなか、私は駅のホームで千怜が来るのを待っていた。
彼女が、死ぬ瞬間を。
そんなことを待っているなんて異常者極まりないが、仕方がない。
私は、彼女の協力者だから。
今日彼女は駅に飛び降りて死ぬ。
そこで私は、彼女がいじめを苦に自殺したことを泣き叫びながら群衆に告げる。言わば広告塔の役目を担っていた。もちろん、いじめの証拠となりうるものもあらかじめ千怜から渡されていたし、それを駆けつけた警官に渡すのも、私の仕事。
そうこれは、千怜の復讐。
私は、それを止めない卑怯ものなのだ。
******
千怜が転入してくる前まで、あのクラスでいじめられていたのは、私だった。
それこそ、程度は今の千怜に比べたら軽いが、クラス全体が私の敵だったことは変わりない。
だから標的が私から千怜に移ったからって、クラスメートと仲良くするつもりは毛頭なかった。
でも、逆らえなくて私は結局加害者側に回っていた。
しかしそんなある日の放課後、誰もいなくなった教室で千怜からとある申し出をされた。
「このまま私をいじめて構わない。その代わり、協力して」
最初は何をいっていてのかわからなかった。
でも話を聞いている内に、燻っていた私の復讐心が、千怜の憎悪に当てられて燃え上がっていた。
私も、彼女と同じようにすべてを憎んでいた。
でも、彼女のように命を懸けて復讐してやろうなんて、思えなかった。だからだろう、私はいつのまにか、自分から彼女の協力を願い出ていた。
命を懸けた復讐劇。
その裏方を任されたのだ。
同じく恨みを持った私だからこそ、できること。
千怜のお陰で、私はいきる意味を見いだせた。
だからこれは、そのお礼なのだ。
*****
雨が滴るホームの休憩所。気がつけば辺りは通勤通学客でごったがえていた。
そろそろ、約束の時間だ。
ぼんやりと、ホームを眺めて私はその時を待つ。
妙に、時間が長く感じた。
雨がゆっくり、落ちていく。
呼吸が上がる。
胸が苦しい。
時間にして、ほんの数分。それが数時間に感じるほど私は緊張していた。
目の前で、クラスメートが肉片になるのだ。どうやらそれをなにも感じずに見られるほど冷徹ではないらしい。
覚悟していたのに、挫けてはだめ。
千怜に渡された、証拠のはいった紙袋を抱き締め、大きく息を吐く。
するとタイミングを見計らったように携帯がなった。
この時間、私に電話を掛けてくる人物なんて、一人しかいない。
画面を見ると、案の定千怜からだった。
震える手で、それをとると耳に押し当てる。
「梓、場所を変更するわ。」
私の緊張なんてとても小さく感じるほど、千怜の声は凛と芯が通っていた。
それを聞いて、少し安心すると同時に私が怖がってどうする、という気持ちの引き締めにもなった。
「駅じゃないの?」
「えぇ、○○交差点の歩道橋。あそこにするわ。歩いていくから20分くらいだから。あとはお願い」
用件だけ言われると、一方的に電話を切られる。
あの交差点なら、バスを使えば5分程度で着く。
この作戦では、私は千怜の先回りをして現場に向かわなければならない。
すぐに駅から出ると、私はバス停へと走った。
*****
目的の場所について、はや15分。
そろそろ、千怜が来るはずだ。
私は歩道橋の近く、先程降りたバス停の前で、静かにその時を待つ。
私の役目は、三つ。
一つは、千怜の死はいじめが原因だと知らしめること。
二つめは、警察に千怜から預かった証拠品を渡すこと。
そして最後が…千怜のブログを拡散させること。
千怜は、事が揉み消されないようネット炎上を狙っている。私はその煽り役だ。
ネットの反応が小さければ、アンチを装い千怜の呟きを叩くのだ。
そうすれば、人の失敗が大好きなネットだ。すぐに拡散されるだろう。
もちろん、うまくいかなければ他の手考える。臨機応変に対処するだけだ。
雨が降るなか、私はそのときが来るのを待つ。ふいに、左手首が疼きだす。手首を押さえて、目をつぶる。
ブラウスで隠されたそこには、無数のリストカットの跡がある。
いじめられていた日々のなかでつけた、自分の傷。
それが、疼いていた。あいつらに向けた恨みを忘れるなと、言うように。
そうしてうつむいていたら、声が聞こえた。辺りが、騒がしい。
復讐劇の幕が上がった合図だ。
顔をあげる。その視線は、歩道橋へ。
宙を舞う、一人の少女が眼に映る。
とてもゆっくりと、それこそ雨粒が制止しているかのように見えるほど…その一瞬は長く感じた。
鈍い音と悲鳴が響いて、漸く私の中の時間が正常に流れ始める。
ゆっくりと、千怜のもとへと歩き出す。
誰かに止められたけれど、立ち止まるわけにはいかなかった。
千怜のもとまでたどり着いたけれど、そこにはもう、千怜はいなかった。千怜だったものが、そこに横たわっていた。
「………。」
声が、でない。
言わなくちゃ、声を出さないと。
"どうして千怜!?今日警察に訴えにいくって、約束してたじゃない"
事前の打ち合わせで、私はそう泣き叫ぶことになっている。警察に行く前に、彼女は自殺した。そういうシナリオなのだ。
言わないといけない、ここで、千怜の命を無駄にしてはいけない。彼女の復讐を、止めるわけにはいかない。
「どうして…。」
声が、震える。
瞳が暑い、喉が焼けるみたいに痛い。
雨が…頬を伝って流れ落ちた。
「どうして、一緒に生きようって言えなかったの…」
それは、変わり果てた千怜に向けた言葉ではなかった。
彼女の復讐に便乗し、自らの恨みを他人の力で晴らそうとした憐れで虚しい、私に向けた言葉。
「止められかったっ!止めてあげなくちゃ、いけなかったのにっ。」
友達だったのに。
同じ憎しみを知り、心のうちをさらけ出せる、友人と呼べる関係だったのに。
私は、彼女の邪魔をして見捨てられるのが嫌で、彼女を見捨てたのだ。
その事に、今になって気づいた。
私は、友達を殺したのだ。
「ごめん、ごめんなさい千怜っ。気づいてたのに、貴方を死なせてしまったっ」
しゃくり上げながら、私はその場に踞った。
変わり果てた、千怜の前で。頭を垂れて謝るようにして、ただ泣き叫んだ。
******
十数分で救急車とパトカーがやって来て、警察官によって私は千怜から離された。
もう何をしても、千怜は帰ってこない。
だけど、千怜から託されたことはやりとげないといけない。それが、私にできる唯一の償いだから。
「千怜は、いじめられていたんです。」
野次馬がまだいるなか、私は警察官にそう告げた。それも、できるだけ大きな声で。怒りに、声を震わせて。
「今日、ここで千怜と待ち合わせていました。いじめの相談をするために。」
私がベラベラと勝手にしゃべるものだから、警察官は慌てて私をパトカーの助手席に乗せた。
声は、届いただろう。
助手席に乗せられて警察署に向かう道すがら、親に連絡すると一言伝えて携帯を開く。
今の時間は、10時半頃。今ごろ学校では、二時限終わりの休み時間だろう。
ネットは、大炎上していた。
千怜の呟きは、あっという間に拡散され、ブログのURLはあちこちの呟きに反映されている。
そして次第には、勝手に個人の特定まで始まる始末。
私がなにもしなくても、千怜の築き上げたシナリオ通りに、ことは進んだ。
あとのことは、正直よく覚えていない。警察に事情を話し、証拠品を渡したあと自宅まで送られた。
でも私の心は、晴れることがない。やり遂げたのに、私のなかは空っぽになっていた。
怒りも、憎しみもない。
あるのはただ、言い様のない感情。
それが悲しみなのか、はたまた別の感情なのか。それすらわからない。
頭のなかがぐちゃぐちゃで、気がつけば自室のベッドで泣き崩れていた。
涙が、枯れることなく流れ続け
その後、この現実から目を背けるように、私は深い眠りへとついた。