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私が消えた一日  作者: ぺる
2/7

林道梨花子の場合

「はぁ...」


早朝。まだ通学している学生が少ない時間に、激しい雨音に書き消されるほど小さなため息をこぼしながら歩く一人の女子学生がいた。


丸い眼鏡が特徴な、いかにも文学を嗜んでいそうな、大人しそうな容姿の彼女は、背中まで伸びたハーフアップにまとめた髪と同じくらい暗い表情を浮かべていた。


彼女...林道梨花子は学校が嫌いだ。


女子高という、ただでさえ日常から切り離されたような特異的な空間に、年頃の女子達が隠すことなく本性をさらけ出し、醜くぶつかり合っている。そこには皆が想像した、キラキラした女子学生の姿とはかけ離れていた。


人間の醜さが体現されたような空間に、好き好んで居たいとは思わない。そう思えるのは、自身の醜さに気づいていない当事者だけ。


梨花子はそう考えていた。そして自分も、その醜さの中に身を置いているのだと思うと嫌悪感で吐き気がする。だからこそ、その空間が存在する学校を忌み嫌っているのだ。


しかし、彼女は現在高校三年。嫌だと駄々をこねたところで、自身の未来に傷がつくだけだと理解はしていた。故に、この激しい雨の中を歩き学校に向かっている。


彼女の自宅は学校からは近い。歩いて10分もかからず彼女は校門を潜り、校舎の中へと入っていた。


傘と靴を脱ぎ上履きにはきかえると、梨花子はまっすぐ職員室へと向かい教室の鍵を受けとる。


朝一で教室の鍵を明け、空気を入れ換える。それがこの学校の日直...本日担当の梨花子の仕事だ。


三階の教室にまっすぐ進み、教室前で一度立ち止まる。朝の早い時間の廊下には、生徒は誰もいない。ポツリと静かに佇む梨花子の表情は、先程よりもいっそう暗いものへと変わっている。


"この中に入りたくない"


梨花子の心の底からの悲鳴が鳴り響く。しかし、入らなければならない。そうしなければ、彼女の身もまた、危険なのだ。


梨花子は一度、深呼吸をした。

そうしなければ入れないほどに、梨花子の心は荒ぶっていた。


意を決して受け取った鍵を鍵穴へ差し込む。カチカチと震えた金属音がしたが、自身の心臓の音の方が大きく聞こえ、あまり気にならなかった。


小さな音をたてて鍵が回る。それを引き抜き扉をあけ、一度廊下に誰もいないことを確認して教室へと足を踏み入れた。


雨のせいもあり、まるで日が昇っていないと錯覚してしまいそうなほど暗い教室の明かりをつける。


誰もいない教室。

綺麗に並べられた机。

どこの学校にもある光景がそこには広がっている。


いや、普通ではない場所はひとつだけあった。それが教室の一番後ろの机。隅に面したその机の存在こそ、梨花子が教室に入りたくなかった最大の理由だ。


他の机と同じように並べられたその机は、しかし他のものとは全く違うものへと変わっていた。


木目のきれいな机は、表面が傷つき、油性のマジックで落書きがされている


"死ね"きもい"ブス"学校に来るな"


その他、誹謗中傷が数多くかかれた机は、誰が見てもそこに座る人物が迫害を受けていると察することができるだろう。


このクラスには、いじめがある。

それも、スクールカースト上位者だけによるものではない。クラス全員が共犯となり行われている、もはや犯罪といっても過言ではない卑劣きわまりないものが蔓延している。


この机の主、天川千怜あまかわちさとは、その生け贄とされていた。


「なんで...」


自分がこんなことをしないといけないのか。

その言葉を圧し殺して、彼女はその机へと向かう。


なぜこんなことを。そんなこと彼女自身わかりきっていた。言うまでもなく、保身だ。


スクールカースト上位者に歯向かったら、次は自分がこうなる。

だから仕方ない、やるしかない。


梨花子は自分に言い聞かせながら、ポケットに忍ばせていたカッターを取り出した。


日直当番のものは、天川の机にひとつ以上何かしらの嫌がらせをしろ。


それがスクールカースト最上位に君臨する、春木零下はるきれいかの絶対的命令だ。


誰もその命令に逆らうことができない。逆らえば自分がひどい目に遭う。そしてその保身に走ったものは共犯となり、更に言うことを聞かざるを得なくなる。


負の連鎖から、クラス全員がいじめの実行犯として動くこととなっていた。


林道梨花子は学校が嫌いだ。


正確に言うならば、このクラスが大嫌いだ。


人間の醜さを体現した女子高に、さらに此処には狂喜が渦巻いている。そして自分も、その中にいる。


天川の机にカッターで無数の縦傷をつけながら、梨花子はそれを実感していた。


机の表面が傷だらけになり、痛々しい跡を残すと梨花子はカッターを手放し、逃げるように廊下へと走り出した。


この場にいたくない。

この空気を吸いたくない。

汚れたくない。


梨花子の中にある自尊心が悲鳴をあげ、梨花子は必死で走った。


クラスの大半は、このいじめに乗り気ではない。だからこそ、日直に当たったものは朝礼ギリギリまで教室には帰らない。


朝、天川千怜に会うのが怖いから。


自分のした行いで、天川千怜がどれほど苦しむのか。それを見届ける勇気がないからだ。


梨花子は一回のトイレに駆け込み、個室に閉じ籠っていた。


ひたすら、心がつぶれないように責任転嫁を繰り返し、時を過ごす。心にどれだけのストレスを抱えようが、教室には戻らなくてはならない。


時間が経つにつれ、登校してきた生徒たちで次第に辺りは活気づいていく。


しかしそれでも、梨花子の心は晴れることはない。 


朝礼十分前に漸く覚悟を決め、梨花子は教室へと戻った。


「...おはよう」


教室にはいるなり、登校してきたクラスメートに挨拶をする。これはいたって普通のことだが、クラス中の視線は一気に梨花子へと向かっていた。


今日の日直。それが何を意味するのか皆が知っている。

そしてその向けられた視線が何を意味するのか。梨花子も理解していた。


しかしその視線の中には天川は居なかった。ほっとするの束の間に、天川の机に目を向けるとそのには彼女が想像していたよりも酷いものが写っていた。


傷を受けた机の上に、木工ボンドが塗りたくられていた。それも、尋常な量である。

白い塊が机を汚しているだ。


もちろん、それは梨花子がやったことではない。しかしクラス中の誰一人として彼女がやってない、と思うものはいなかった。


「なん...で」


ここまで酷いことはやっていない、そう言い訳したくてもできない。


梨花子に視線を向ける一人、零下の存在があったからだ。


「あっ、おはよー林道さんっ。」


梨花子があっけにとられているその間に、零下はつかつかと梨花子に歩みよっていた。化粧で彩られた顔には、満面の笑みが浮かべられている。


「凄いよねぇ、林道さん。こんなえぐいことできるなんて、見直しちゃった。てっきり...カッターで傷をつける程度しかできないかと思ってたからさ。」


零下の冷たい言葉に梨花子は戦慄する。もうなにも言い返すことも許されない、絶対的な脅威が込められていたのだ。


目をつけられてしまった。


その恐怖が全身を支配し、まともな思考能力は奪われていた。


「ごめ...んなさい、気分、悪いから..」


「あぁ?体調不良?大変だよねぇ、先生には私からいっとくよ。重たいもの運んで疲れてたーって」


けらけらと愉しげに笑う彼女とは対照的に、梨花子の顔は真っ青になっていた。


途方もない絶望感でいっぱいになっている。


今この場に天川がいてくれれば、零下の矛先は彼女に向くのに。


なぜか教室にいない天川に逆恨みを抱いてしまっていたが、梨花子の足はすでに教室の出口へと向かっていた。


ふらふらとした足取りで彼女は教室から出ていった。

そしてその日、彼女が教室に戻ってくることはなかった。


今日一日、何が起こったのか。彼女がそれを知ったのは翌日になってからである。



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