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ミスティカルタイム  作者:
鏡の中のナルキッソス
7/39

 あれから教室で点呼を済ませたわたしたちは、先生が運転するゴンドラへと乗り込んだ。行き先は西のステラ海。そこにあるルーンデイル公爵所有の、マリナステラという海中別荘である。


 マリナステラは一般公開されておらず、入れるのはグリーンフィールド学園での授業か招待されたお客のみ。

 わたしがこの学園に入ったのもマリナステラのためと言っても過言ではない。そして今日休めない理由もこれがあるからだった。

 何しろその名を世界に轟かす錬金術師、ヘルメス・トリスメギストスが造った建造物の中でも最高傑作と言われている代物なのだ。錬金術師の卵として、ためにならないはずがない。


 雑誌や本で語られるマリナステラの美しさに、幼いわたしがどれほど胸をときめかせたことか。文章だけでしか知らない憧れの場所を、この目で見れる日がやっと来たのだ。

 目的地に近づくにつれ、朝の憂鬱は薄れて期待に胸が膨らんでいく。わたしは次第に鮮明になる水平線に思いを馳せた。




 ゴンドラはおよそ一時間かけて空を飛び、やがて白い石造りのエアポートに降り立った。そこには東屋や噴水なんかもあるし、綺麗に剪定された緑が植えられていて、まるでお城のお庭のよう。これが個人の物だっていうんだから驚きだ。


 さて、ここから先は、案内人付きでの見学になる。務めてくれるのは、別荘の管理人さんだ。

 道すがら別荘の歴史や、本にも載っていないような話を披露してくれた。わたしも事前に調べてはいたけど、やっぱり直に触れている人の話は全然違う。ためになるなあ。


 そうやって五分ほど歩いただろうか。これまた品のいい造りの御堂が見えてきた。青い屋根に白い壁。その外装は小さなお城、と言っても差し支えない。これが別荘への入口だそうな。


 わたしたちが中に入ると、魔力感知システムが施されているのか、仄明るい光が自動的に灯された。暗闇の中から現れたのは階段。そこを降りきったら、今度は円形の通路が待っていた。しかし通路に入った瞬間、わたしは口をあんぐり開けて呆けてしまった。


「うわぁ……」


 だって凄いんだもの! 透明の壁自体が仄かな光を放ち、海の様子を直に見せてくれているのだ。


 群れを成して泳ぐ小さな魚。大きなサメやエイがわたしたちの目の前を通り過ぎていく。


「皆さまご覧ください。この通路はマリンクリスタルとオリハルコンを組み合わせたサフィラスという素材で造られています。鉱物素材は成形された場で魔力を生み出す、ということは学生の皆さまはご存知ですよね?

その特性を見出したヘルメス・トリスメギトスは、独自の精製法によりステラ海の特産品であるマリンクリスタルを使い、自ら光を放つ頑強なサフィラスを作りだしたのです」


 管理人さんの説明に耳を傾けながら、わたしたちは別荘の中に足を踏み入れた。


 部屋は普通(といっても一般人からしてみたらとっても豪華)だったけれど、外周の通路は入って来た通路と同じ造りをしており、外の様子が見えるようになっている。

 そしてぐるりと一周してから、今度はクラシックなエレベーターで今日のメインともいえる場所に向かった。


「おおー……」

「わあ……」

「綺麗ねえ……」


 先頭から、感嘆の溜息とうっとりした呟きが続々と聞こえてくる。先に入った面々は良い家柄の人たちなので目は肥えているはずだ。その彼らが思わず声を上げちゃうって、一体どれほどのものなんだろう。わたしは高鳴る胸を抑えて、赤絨毯の床から足を踏み出した。


「……凄い」


 そこは深海庭園と呼ばれている所。クラス三十人が優に入れる広さで、贅と美が集約された空間だった。


 床は黒く艶やかで、銀の粒をちりばめたようにきらきらとしている。おそらく海星石(かいせいせき)が使われているのだろう。ステラ海でしか採れない貴重な鉱石だ。

 境界を作るように綺麗な白い曲線を描いているのは大理石。線の外には白銀の砂が敷き詰められ、中には黒い岩が置かれている。その周りを彩るのは鮮やかな緑の植物と、角度によって色を変える小さな花々、白珊瑚や紅珊瑚にマリンクリスタル。そして宙に浮かぶ連なる玉、シャボンランプが部屋を淡く照らしていた。


 綺麗、綺麗だよ、すごく……。それだけじゃなく、とっても面白い。部屋自体に幻影魔術が施されているのか、深海魚がわたしたちの目の前を泳いだり体をすり抜けたりしていくのだ。皆は驚いたり嬉しそうな声を上げている。わたしも皆と同じように、魚に手をかざしたりしてはしゃいだ。


 しばらくはそうやって物珍しさに目を楽しませていたけれど、時間が経つと別のことが気になってきた。それは使われている物の希少価値だ。


 だって確か海星石ってあのタイル一枚分で、金貨一枚はするんだよ。庶民のわたしとしてはどーしても気になっちゃうって。というか、この別荘自体がとんでもないぐらいお金かかってるんだろうなあ。全部でいくらかなんて想像もつかないや。うん、小さい頃からこういう環境に触れていれば、そりゃ一般人との価値観に差は生じるよね……。


 わたしはさりげなくチャームでクリスの様子を伺った。彼はすぐ傍の壁に寄りかかって、ぼんやりとクラスメートの群れを眺めている。見慣れているだろうし、新鮮さはないのだろう。


 そう、ルーンデイル公爵とは、クリスのお父さまなのだ。


 あー、いいなあ。こんな素敵な場所に気兼ねなく来れるなんて。羨ましいや。後で色々聞いちゃおう。


 わたしはにやにやと頬を緩めて、庭園を見回した。色んな仕掛けが施されていたけど、壁は普通の部屋と同じく真っ白だ。確かここも外の景色が見られるようになっていたはず。でも、どうやってみるんだろう……。


 その疑問は、管理人さんによりすぐ解けることとなった。


「皆さま、ここは深海庭園と呼ばれている、マリナステラ一番の絶景を見られる場所でございます。ですがこの部屋は強度の問題で、上層とは別の素材で作られており、壁はご覧の通り真っ白。これでどうやって深海を見ることができるのかとお思いになるでしょう?

しかし壁には透過させるための可変化術式が組み込まれているので、外の様子が上層と同じように見ることができるのです」


 ではご覧ください、と言ってから、管理人さんが壁の紋章に手を触れた。


 シャボンランプの灯りが徐々に消え、マリンクリスタルの青白い光に切り替わる。すると海星石が明滅するように煌めき、壁が白から透明へと透過していった。


 その光景の素晴らしさは、本当に見事……ううん、そんな言葉では表せない。まさしく筆舌に尽くし難い。わたしは言葉もなく、ただ見とれた。


 一番最初に目に入ってきたのは、優雅な海の妖精、リーフシードラゴンたち。彼らが泳ぐたびに、青やピンクや黄色の透き通った背びれと尾びれが揺らめく。枝葉のような形のそれは、ガラス細工でできた藻のようでとても美しい。そのすぐ傍で星クラゲが輪をなしていて、ダンスを踊っているよう見える。岩場に群生しているマリンクリスタルは、別荘の魔力に反応してか共鳴するようにぼんやり光っていた。

 そのほかにも、青白く光る水晶玉のような生物。七色に光るクラゲや白い光を垂らす深海魚……。

 

 真っ暗なはずの深海は光で溢れていた。まるで夜の星空にいるようだ。これぞまさしくマリナステラ。海の中に煌めく星の名は伊達じゃない。


 なんて凄いんだろう。人の作りだした物も、自然界も。今日休まなくて良かった。ヘルメス・トリスメギストスってやっぱり天才だ。わたしも彼みたいな錬金術師になりたい……。


 胸を打つような感動や憧れが一気に沸き起こり、波のように押し寄せる。そして胸がかーっと熱くなり、頬に熱く濡れた感触を感じた。

 感極まってつい涙が出てしまったようだ。わたしは慌てて頬を拭って、そのままじっと深海を見つめた。


『僕も初めて見た時は、子供ながらに感動したよ。この世界にはこんなに美しいものがあるんだなって。まさしく生命の輝きだって思ったな』


 クリスの声が聞こえたので、辺りを見回した。いつの間にかわたしは一人になっていた。他の人たちはてんでんばらばらに見学している。これなら会話しても問題ないね。


「うん……。本当に凄いですね。でも、こんなに綺麗な光でも、彼らにとっては捕食手段であったり身を守る手段なんですよね。壁の向こうは弱肉強食の世界かぁ……」

『よく知ってるね。深海生物に詳しかったりするのか?』

「全然知りませんよ。ここに来る前にちょっと調べただけ。予備知識があった方が面白いかなって」

『なるほど。流石優等生』

「その呼称、ちょっと居心地悪いですね。それほどいい子でもないんですけど……」

『素行が酷いわけじゃないし、成績も良いんだから優等生だろ』


 優等生と呼ばれると、なんだか持ち上げられているようで気恥ずかしい。にしてもどうしてわたしのこと知ってたのかな。ついでだし聞いてみよう。


「そういうのって誰かから聞いてるんですか? クリスがわたしのこと知ってたのが凄く意外で……」

『友だちが何人か君のクラスにいるからな。うるさい奴がたまに話題にするんだ。でなくとも特待生だし、何より僕と同じ名前だから目は行くよ』


 友達かぁ。誰だろう、セオだったりするのかな……。わたしはちょっと期待を込めて聞いてみた。


「えーとそれって、もしかしてセオだったりします……?」

『……いや、違うけど……』


 ……そうだよね。振られたっていう現実を忘れちゃいけないよ、わたし。聞かなきゃよかった……。話題、変えよ……。


「ええっと、それにしてもこんなものを作っちゃうトリスメギストスさまは凄いですね」

『そうだな』

「六代前のご先祖様のためにこの別荘を作ってくれたんですよね。交流ってまだ続いてたりします? 話したこととかは……」

『まあ、あるけど……』

「おおー!」


 わたしは思わず手を叩いてしまった。これは心底羨ましい。だってヘルメス・トリスメギストスは悠久の時を生きる才能に溢れた伝説の人。そしてわたしの一番の憧れの人なのだ。


 そこでわたしは思いついた。そうだよ、彼と知り合いってことはつまり!


「じゃあそんな偉い人と知り合いなら、この状況何とかしてもらえるんじゃないですか? 横のつながりで!」


 我ながら良い思い付きだと、両手を合わせてにっこり笑う。もしかしたら会えるかも、なんて下心も混じってたりするけど。


『僕のようないち学生がお願いして会えるようなお方じゃないよ。レナードだって難しいというのに。今連絡が取れるとすれば陛下くらいさ』


 おお。王子様を呼び捨てだ。仲いいんだなあ。


『尤も僕自身はこんな体だし、君自身が知り合いじゃなければ無理な話だ』

「あ、そっか……」

『それに仮に会えたとしても、僕は絶対に相談などしたくないな。面白がって実験材料にされるだけだぞ』

「まさか~」

『あのな、人類の魔法文明に貢献した人物だからって、必ずしも人格者じゃないんだからな。特に例を挙げるとミルドレッド・クロウリーとか……あっ!』

「えっ?」

『マギ研の所長、確かクロウリー女史だったな。あのメガネ男に僕らのことを口止めしておかないと』

「えー……? ドリューはそんなことしないと思いますけど……」

『念のためにだよ。クロウリー女史は目的のためには手段を選ばない人だから絶対に用心しないと。あの人、人体実験だって平気でやるんだからな』


 ミルドレッド・クロウリーと言えば、現代魔術師の中で五指に入る程の使い手だ。術式回路の開発者の一人でもある。

 教科書ではいい事しか書かれていないから、いい人なんだろうなーとか思ってた。でも身近に接してる人が言うことだから、信憑性は高いだろう。わたしはちょっと背筋が寒くなった。


『あ、セオがこっちに来るな。僕は黙っておこう』


 その言葉に心臓がどきりと跳ねる。振り向けば、セオが壁伝いに外を眺めながら、わたしのすぐ傍まで迫っていた。


「あれ、クリス。もう一週回ってきたの?」

「ううん、あまりにも凄くって見とれちゃった。今からぐるっと回ってこようかなって……」


 セオと一緒に見て居たいような、離れたいような複雑な気持ちだ。浮かべる笑顔も何となく引きつってしまう。

 彼はそっかー、と呟き、すぐさまあっと声を上げて嬉しそうに微笑んだ。


「そのチャーム、使ってくれてるんだね」


 そう言いながら、わたしの手の中にあるチャームを指さした。笑顔を見た瞬間、期待してしまった気持ちが途端に萎んだ。


「うん……」

「それね、メモリーミラーなんだよ」

「うん、そうみたいだね。便利だよね」

「でしょ? 実は俺も使ってるんだ。タイプの違うやつだけど」

「そ、そっか。ありがとね、こんな素敵なものを……」

「そう言ってもらえると嬉しいな。じゃ、また後でね」


 セオが爽やかに笑って離れていく。そのあっさりとした態度がちょっと恨めしく、わたしはつい彼の後姿を未練がましく見つめてしまった。


「へー、これ、メガネにもあげたんだな」

「うわっ」


 急に後ろから声を掛けられてわたしは心底驚いた。慌てて振り向くと、デリックが眉を顰めてわたしの手元を覗き込んでいた。


「びっくりした……! 背後から忍び寄らないでよ!」

「悪い悪い」


 でも、わたしにもってどういうことだろう。わたしはチャームをデリックに見せて首を傾げた。


「ええっと、これのこと?」

「そう。セオからもらったんだろ?」

「うん。四月四日が誕生日だって言ったら、くれたんだ。綺麗でしょ。セオってセンスいいよね」


 笑って言うと、デリックはつまらなさそうにそっぽを向いた。


「メガネのはついでだろ。それ、閉店セールでおまけにもらったやつだし」

「……え?」

「すっげー偶然で、俺もびっくりしたけどさ、クリスとメガネって誕生日同じなんだよな。だからくれたんだろ。余ったチャームどうしようかなーって言ってたし」

「……えーとつまり、それってこのチャームはクリス、さんの誕生日プレゼントを買ったら、おまけでついてきたってこと……?」

「そうそう」

「そ、うなんだ……」


 ついででおまけ。余りもの。ぐわんぐわんとデリックの言葉が頭の中で反響する。そしてわたしの心の中に生まれた言葉はこの一言。



 わたしって、ほんとばか。



「全くあいつってば、今年はちゃんとしたもの贈るんだ、とか言いながらキノコが生えたような変な店に入ってくから驚いたぜ。まあ買ったものはまともだったけどさ。あっ、でさー、お前誕生日だったんだよな。ほんとは入院中に置いていこうかなって思ったんだけど――」

「ごめん、デリック。わたしトイレ!」


 デリックの無駄話に耳を傾ける余裕なんてなかった。急いで走ってトイレに駆け込む。


「……あんまりだよ」


 そう呟いたあと、わたしは声を殺して涙を流した。




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