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箒でネリーの家まで向かうこと、約十五分が経過した。家を出てから、グロブナーさんはとっても静かだ。もしかしてどこかに行っちゃったのかもしれないなーと、ちょっと期待を込めてチャームを取り出す。そしてすぐさま鬱になった。
ああ、これを見るたび振られた時の事、思い出すんだろうなあ。でもだからって捨てることなんてできない。勿体ないし。で、鏡を覗き込めば、グロブナーさんはやっぱりわたしの傍に漂っているわけで。
「はあ……」
『僕の顔を見て溜息を吐くのはやめてくれないか』
「あ、いや、ちょっと嫌なこと思い出しちゃっただけです。グロブナーさんが嫌だとかいうわけじゃなくですね……。あと静かなのが少し気になりまして」
しどろもどろで取り繕うと、グロブナーさんは腕を組んで顎に指を添えた。少し俯きがちでそういうポーズを取ると、とても頭がよさそうに見えるし、透けている所為か神秘的に見える。ほんと、仕草どれ一つとっても一々絵になる人だ。
『どうやら鏡のない場所や、鏡を何かで覆ってしまったりすると声が届かないようだな。あと、クリスで構わない』
「わかりました」
それならば、と手にしていたチャームを、ポケットの中のコネクトカードに取り付けた。これならポケットから垂らして外に出しておける。
『そのチャーム』
「え?」
『僕も持っているんだが、なかなかの優れものだよな』
「そうなんですか?」
『何だ知らないのか。それ記録タイプの魔鏡だから、そうやってコネクトカードに繋げておけば映像が送れるようになってるんだぞ』
「へえー、知らなかった……」
じゃあ結構高かったんじゃないのかなあ。ただの気まぐれでくれるような物じゃないよね。セオはどういう意味でこれをくれたんだろう。まあ振られた今となっては、考えてもどうしようもないことだ……。
『それにしても随分とレトロな箒を使っているんだな』
「普通だと思いますけど……」
と言った後に、一般家庭なら、と付け加える。そういえばこの人貴族だった。今の口ぶりだと庶民の普通は、彼らにとって普通じゃないみたい。
『へえ、そうなのか』
「クリスは何を使ってたんですか?」
『ヒッポグリフの羽箒』
魔獣の羽箒かあ。ヒッポグリフなんかは乗馬用だし安定性、スピード共に優れているからすごーく高価なんだよね。
「……ちなみにおいくらで?」
『金貨十枚程度かな。懇意にしている知り合いから購入したものだから、そんなに高くなかったんだ』
「……そうですか」
高いよ。凄く高いって。わたしは心の中で突っ込んだ。
だって一般職の初任給、一か月金貨一枚とちょっとだよ。でもこの人に言わせればそんなに高くないってレベルなのか。一般人と貴族の価値観の違いを痛感させられるなあ……。
『でも子供が持つにはレトロな箒の方がいいかもしれないな。付加効果も一切ないし、バランス感覚が養われそうだ。君の親御さんはいい選択をしたな』
「あはは……」
我が家には、端から選択肢なんてありませんが……。
こうしてわたしとクリスは格差のある会話を続けながら、延々と続く麦畑を飛び続けた。シモンズ家に到着したのは、それから十六分後である。
家の前に降り立つと、「やっとか」という声が上がった。
『レトロな箒だから時間がかかるのは仕方ないが、三十分もかかる場所を近所とは言わないんじゃないか?』
「わたしにとっては近所なんです。この辺り一帯農家ばっかりだし」
『そういうものなのか……。君の家は花ばかりだったが、花屋に出荷してるのか?』
「うちは養蜂やってるんです」
『へえ、それはいいな』
クリスの声は妙に弾んでいた。養蜂に興味でもあるのかな。後で見せてあげてもいいかもしれない、なんて思いながら扉に手を掛ける。
「こんにちはー」
「クーリス! 退院と十六歳のお誕生日おめでとう!」
「おめでと」
「わ!?」
開けるなり、ポンっというフラワークラッカーの可愛らしい音が聞こえて花が舞う。ひらひらと花が落ち切ると、優しい笑顔を浮かべたネリーと両手を広げて満面の笑みを浮かべるドリューの姿が見えた。そしてドリューだけそのポーズのまま固まった。彼はネリーの三つ上のお兄さんだ。国の魔法技術研究所(通称マギ研)にお勤めのエリートである。
「二人ともありがとう! えーと、もしかしてドリューにも見えてる?」
「えっ、何? クリス、見えるの? 後ろのそれ」
ドリューが驚いて背後の彼に向かって指をさす。”それ”呼ばわりされたのが嫌だったのか、はたまた指を向けられたのが嫌だったのか、ふと見た部屋の鏡には、顔を顰めたクリスが写っていた。
「へえ、そのことで来たんだ。クリスも見えたんだね」
「うん、まあ、この人だけはね……。でも、ネリーってば、教えてくれればよかったのに」
「だってさ、こんなこと信じてもらえる話じゃないでしょ。それに目が覚めたばっかりの人に変な刺激与えたくなかったしね。まあ悪いものじゃないみたいだったから、ほっといてもいいかなって思ってさ」
『僕が悪いものであるはずがないだろう』
不愉快そうにクリスが呟く。でもネリーもドリューも無反応だ。どうやら姿は見えても声は聞こえないみたい。
「うん、確かに悪いものではないんだけど。でも何とかしたくって」
「良かったじゃん。ドリューの専門だよ」
ね? とネリーがドリューに向かって口端を吊り上げる。するとドリューが顔を輝かせて親指を立てた。
「任せてくれ! すぐ除霊の用意をしてくるよ!」
『いや待てやめろ!』
「待ってまって!」
わたしとクリスは慌てて声を上げた。っていうか、ドリューって除霊なんてできたんだ。幽霊(じゃないけど)がみえる事にも驚きだけど、そんな特技があったなんて。
「この人生きてるの! だからそんなことしたら死んじゃう! 多分」
「えっ? ……あー、言われてみれば死者よりもオーラが生き生きしてるね」
『こいつ、危険な奴だな……! 除霊を生業としているのなら、ちゃんと見るべきなんじゃないのか!』
クリスが目を吊り上げて怒り出す。そんな彼を見て、ドリューはあっけらかんと笑った。
「はは、ごめんごめん。そんなに怖い顔して怒らないでくれよ」
『笑い事じゃないだろう! 一歩間違えば殺人だぞ!』
確かにね。これが自分の立場だったらと思うと、今のクリスの気持ちはよくわかる。でもあんまり怒鳴らないでほしい。だって彼の声、耳元で聞こえるんだもん。まるで自分が怒られているようだ。
ものすごい剣幕のクリスに辟易しつつも、わたしはドリューに尋ねた。
「ドリュー、この人の声、聞こえるの?」
「聞こえないよ。見えるだけ。クリスは聞こえるんだ?」
「あー、うん……。とりあえずこっちの事情を説明するね……」
そうして事の詳細を詳しく話した。クリスと一緒に雷に打たれたこと。そして鏡があれば姿が見えるし、会話できること。
全てを話し終えると、ドリューは首を傾げた。
「うーん、似たような事例があったような……。でも家じゃあ調べられないから、時間見つけて職場で調べてみるよ」
「職場でそんなこと調べていいの?」
「俺の部署、そういうところだから。魂とか霊体の研究してるんだ」
事も無げにそんなことを言ってのけるので、わたしは心底驚いた。
「えーっ!? マギ研にそんな部署あるの!? 聞いたことないよ!?」
「小さい部署だからねえ」
『閑職なんじゃないのか?』
にこやかだったドリューが、わたしの背後を見て片眉を上げた。メガネ越しの目が剣呑な光を帯びる。
「彼、何て?」
鏡を見てみれば、クリスは意地悪そうに笑っていた。あー……、こんなの見れば、ろくでもないことを言われてるっていうのはわかるよね……。
「聞いたことがない部署だなって……」
気まずくて咄嗟に嘘をついてしまった。ごめん、ドリュー。実はわたしも同じこと思ってたんだよ……。
『そのまま伝えてくれて構わないのに』
勝手なこと言ってくれるなあ。協力してもらおうって人のご機嫌損ねるわけにはいかないよ。メッセンジャー的役割って、結構嫌なものだ。
思わず肩を落とすと、ネリーに軽く肩を叩かれた。
「クリスも大変だねえ」
本当だよ、もう……。
というわけで、この件はドリューの連絡待ちとなった。解決したわけじゃないけど、その糸口と相談相手を得ることが出来てほっと一息である。少なくともわたしは。でもクリスはそうじゃないみたい。
『あの男、あまり当てにならなさそうだな』
「そんなことないと思いますよ。だってマギ研にお勤めだし」
『あれでか』
「ひょろっとしてて頼りなさそうに見えますけど……、えーと、やる時はやると思います」
フォローしようとしたけど、ろくなことが言えなかった。ドリューのいいところは沢山あると思うけど、たまに優しいぐらいしか思い浮かばなかったわたしは幼馴染失格かもしれない。重ね重ねごめんね、とドリューに対して心の中で謝った。
『はあ……』
今のあやふやな返事で不安を煽っちゃったかな。箒から手を放して鏡をのぞくと、彼は美しい顔に憂いを浮かべて、通り過ぎていく麦畑を眺めていた。
横顔だと綺麗な鼻筋が際立つなあ。伏し目がちなのがまた雰囲気出てる。何ていうか、美のオーラっていうんだろうか。そんなものが出てる気がするんだよね。うん、見ていて飽きない人だなあ……。面白いとかじゃなくて、観賞的な意味で。ちょっと役得かも。普段なら取り巻きの人たちが怖くて、こんなにガン見できないもんね。
『……明日はもう学校へ行くのか?』
「え? ええ……」
学校。その単語で、ちょっと浮かれていた気分がどん底に落ちた。ああ、思い出しちゃったよ……。
『なら早速病院への寄り道申請をしてもらえないだろうか』
「もちろん」
『ありがとう。助かる』
「お互いこのままじゃ困りますからね……」
わたしは憂鬱な気持ちのまま、ぼんやりと返事をした。本当は明日学校なんて行きたくない。休みたいよ。でも大事な授業があるから休めない。あーあ、今日眠れるかなあ……。
とそこまで考えて、わたしははっと青ざめた。あの夢のことを思い出したのだ。
「あの、つかぬことを伺いますが、あなたは人の夢に出入りとかできますかね? そんなお身体ですし……」
『できるわけないだろ』
あー、良かった。夢にまで出てこられたら、それこそ気が休まらないもの。
それにしても、あのクリスってわたしが抱いていた彼のイメージだったのかな。だとしたら酷いものだ。話してわかったけど、彼って見た目に反して意外と気さくで普段は穏やかなのだ。
『何でそんなことを?』
「病院でクリスに起こされる夢をみたので。それがすごーくリアルだったから……」
『魔女としての第六感が働いたんじゃないのか。この危機的状況を身体が察知して……ん?』
クリスはぴくりと片眉を上げて、少し考え込んだ。何か思いついたのかな。
『確か君は起きるときに「叩かないで」と言っていたな……?』
「そっ、そうでしたっけ?」
あっ、まずい、と思って咄嗟に返事をしたら、つい声が上ずってしまった。ああ、これじゃ肯定しているようなものだよ……。案の定、クリスがギラリとわたしを睨む。
『僕は女性に手を上げるような真似はしないぞ……』
「わかってますって!」
居たたまれなさにわたしは鏡から手を放して、箒の飛行速度を限界まで上げた。
何があろうとも慌てるべからず。それは飛行術の訓練で、毎回口にする言葉である。
まるで目の前を見ていなかったわたしは、無様にも木に激突した。