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「クリス! 起きてよ! 起きてってば!」
「へっ!?」
突然がくがくと揺り動かされ、わたしは驚いて目を開けた。困り顔のネリーの背後には、見覚えのある大きな建物が見える。……ハイアーク病院だ!
うわ、いつの間に。ゴンドラの揺れが気持ちよくって、つい眠っちゃったんだ。
「ほら、行くよ!」
ぐいっと腕を引っ張られて、慌てて彼女と一緒に走り出す。息せき切って辿り着いた受付では、バージェス先生とドリューが受付の人と何やら話し込んでいた。セオはというと、彼らの真後ろのベンチに腰かけている。
息を整えがてら、わたしもセオの隣に座って問いかけた。
「今、何かの手続き中?」
「うん。保護者の承諾を得るために連絡してるみたい」
「え、それ待ってたら時間かかっちゃうんじゃ……」
「こういう状況だから事後承諾になると思うよ。それよりあたしたちは先に病室へ行こ」
「うん。あ、でも、セオはどうする? 今からでも学校に戻る?」
「今戻っても気になって授業なんか集中できないよ。俺も最後まで付き合う」
「退屈だと思うよ。施術中は立ち入り禁止になるから、セオ君には病室の外で待っていてもらうことになるけど」
「全然構わないよ。あ、シモンズさん、こっちこっち。病室は最上階だから」
「へえ。もしかして特別室とか?」
「そうだよ。ホテルみたいで凄いんだよ」
あの高級感あふれる病室は、一歩足を踏み入れると病院だっていう気がしなくなるんだよね。ネリーだって見たら絶対びっくりしちゃうよ。
そして病室に入ると、案の定ネリーからは感嘆の声が上がった。
「ワーオ。なるほどねえ」
「広すぎるよねえ。わたしは見たことないけど、キッチンとかお風呂もついてるんだって」
呑気な会話をしつつ、奥まった場所にあるベッドへと向かう。するとベッドの傍らに見知った姿があったので、わたしは目を見張った。
「あれ、ルシェル?」
確か彼女は今日、学校を休んでいたはずだ。何でここにいるんだろ。どこか悪くて診察ついでにお見舞い、って感じかなあ。
内心首を傾げていると、ルシェルがぎこちなく振り向いた。彼女の目は薄らと赤かった。まるで泣いていた後みたいに。
……多分本当に泣いていたんだろうな。きっとクリスのことが心配でたまらなかったんだ。だって今の彼、この前よりもずっと顔色が悪いし、前よりちょっとやつれている気がするもの。こんなの見ちゃったらみたら無理もないよ……。
「大丈夫?」
「ええ、平気よクリス。私はもう帰るから」
ルシェルが硬い表情で立ち上がり、踵を返す。しかしセオが無表情でルシェルの手を掴んだので、わたしはちょっとびっくりした。でももっと驚いたのはルシェルだろう。だって彼女の顔ははた目にもわかるぐらいにはっきりと引きつっていたのだから。
「付き添いの人は? 今日は誰?」
「叔母さまだけど……。でも今は席を外してるわ。ねえ、それより手を離して……」
「じゃ、案内してよ」
「え、ちょっと……」
ルシェルの表情からは戸惑いや怯えがはっきり伝わって来る。つっけんどんなセオの対応も相まって、流石に彼女が気の毒に思えた。
このままじゃルシェルが可哀想だよ。ちょっと怖いけど、セオと代わってもらおう。
「おいおい、アルドリッジ君、彼女怖がってるじゃないか」
そう思って彼を止めようとしたんだけれど、その前に背後から声が上がりドリューが前に進み出た。振り返ると、背後には苦笑する先生の姿も。
「案内してくれるんなら是非俺に。保護者さんには俺から話しとくからさ」
ドリューの事だから、見かねたというよりもルシェルがとっても綺麗だからお近づきになりたいとか思ったんだろうな。気持ちはわからないでもないけど……。でもルシェルにとってはドリューだって恐怖の対象でしょ。やっぱりここはわたしが――
「結構です」
セオはいつもの笑顔に変わっていた。だけどきっぱりとした口調からは拒絶を感じる。口出しし辛い雰囲気に、わたしは開きかけていた口を思わず閉じた。
「クリスのお母さんと面識のある俺が行った方がいいと思いますから。ついでに彼女、寮まで送っていくんで。ルシェルもそれでいいだろ?」
「でも、私」
「ほら、行こう行こう」
すっかり普段通りの調子になった彼は、ルシェルを連れてさっさと出て行ってしまった。
な、なんかちょっと強引だったな。ルシェル、大丈夫かな……。
「何あの拒絶っぷり。独占欲? あの美人さん、アルドリッジ君の彼女なの?」
「違うけど……」
否定を口にしながらも、わたしはドリューの言葉に納得していた。
独占欲か。確かにあの時のセオって、ドリューからルシェルを庇う様にしてたっけ。もしかしたらセオってルシェルの事好きなのかも……?
「え~それなのにあの態度? ちょっと感じ悪いなー」
「もーぶつくさ言ってないで、ドリューもさっさと準備してよ!」
少し気にはなるけど、セオの事だから酷いことはしないはず。それよりも今はこっちの方が優先だ。例の時間まで一時間切ってるから急がないと!
「わたしも手伝うよ。何したらいい?」
「ではこれをドアの前に張り付けておいてくれるかな」
そう言ってバージェス先生が差し出したのは一枚の紙。一番上に四賢者の印章が打たれ「緊急施術中、ベネディクト・バージェスが認めた者以外の立ち入りを禁ずる」と書かれている。
「うわ……」
紙を持つ手がちょっと震えた。全員の印章がそろっている書類なんて初めて見た……。確か印章が打たれていると、書類の文言通りの効果を発するって聞いたことがある。
うん? でもこれってよく見たら実印じゃなくて印刷だ。そりゃそうか。実印ならこんなに早く書類揃えられないよね。
「あら、あなたは……」
ドアに張り付けた書類をしげしげと眺めていたら、近くで声がしたので背後を振り返った。
アレクシアさんだった。彼女はわたしが誰だかわからない、といった風に首を傾げている。
ああ、そっか、この前と見た目が違うから分からないのかも。一度会っただけだし無理もないか。
「こんにちは、グロブナーです。この前はどうも」
「まあ、またいらして下さったのね。ごきげんよう、グロブナーさん。中にお入りになればよろしいのに」
この様子だとどうやらセオはアレクシアさんとは会えなかったみたい。わたしが説明するしかないね。うう、不安にさせないように上手くできるかなあ……。
「いえ、実はクリス君は只今治療中でして……」
「治療? まさか、あの子に何か……」
血相を変えたアレクシアさんの視線がわたしからドアに逸れる。そして張り付けられた表示を見た途端、アレクシアさんの目が見る間に吊り上がった。




