35
金の砂がオリフィスから流れ落ちていく。全て落ち切った所を見計らってから、わたしは砂時計から鍋へと視線を移した。
中には透明感のある緑色の液体が、こぽこぽと音を立てている。よし、この状態になったらやっと最終段階だね。
時計を見ると、針は丁度三時を指していた。作業開始してから約一時間か。病院での準備がどれくらいかかるのかわからないけど、これで間に合うのかな……。
一抹の不安を感じつつ、わたしはクリーナーの仕上げに取り掛かった。
小皿に盛られた魔石粉末を手に取り、鍋の中へと一気に投入する。それから手早くかき混ぜると、あっという間に薬液が乳白色に変化した。色が変わったと同時に今度は一気に冷却する。薬液が冷めて仄かなミント臭がすれば完成である。
鍋からすくい上げた薬液を嗅ぐと、香ったのはメモ書きの通りに微かなミントの匂い。これで試験をして効果を確かめれば完璧なんだけど、生憎試験用の汚れ物はない。そう言えば入れ物もないや。用意し忘れたのかな。そこら辺にある物を適当に使っちゃっていいんだろうか。
「クリス! できた!?」
使えそうなものがないか見繕っていると、汚い格好のドリューが派手な音を立てて入って来た。両手には過酸化水素水のボトルと空き瓶を持っている。どうやらお目当ての物を持ってきてくれたようだ。
「うん、丁度終わった所。ねえ、試験しなくていいの?」
「今からやるよ。クリスは瓶に薬液入れておいて」
瓶がわたし目がけて放り投げられる。わたしは慌ててそれを受け止めたあと、試験準備をし始めたドリューに訊ねた。
「ねえ、このクリーナーって何に使うの?」
「魔方陣の後処理」
「ふうん。でもさ、これくらいなら前もって言ってくれれば作っておいたのに」
「そういう訳にもいかないんだよ。使う血の種類によって成分も変わるからなー。しっかし君らはものすごーく運が良いよ。今回はたまたまいいのが採れたんだ。今からやる呪法に最適なやつがね。とは言っても、術が成功するとは限らないけど」
ドリューが不穏なことを呟きながら、ポケットから血染みのついた布を取り出し、過酸化水素水と鍋の薬液を降りかけた。それから水の中でゴシゴシと布を揉み込むと、あっという間に汚れが落ちた。
「すっげー。よく落ちるなこれ!」
みたみた? とドリューは目を輝かせているけど、「凄いね!」なんて同じようにははしゃげなかった。さっきの発言のお蔭でテンションだだ下がりだ。
「人が一大事って時に、何で不安にさせるようなこと言うかな……」
「確証もないのに”成功する”なんて適当なことは言えないなあ」
「ドリューはいつも一言多いんだよ」
「全くじゃな。だから女の子にモテない」
「ですよね!」
中身を詰めた瓶を握りしめて力強く同意すると、ドリューが口を尖らせた。
「二人して酷い。あ、準備できましたよ」
……二人? って今の声、誰。一体どこから――
なんて思った瞬間、視界が猛スピードで動き出す。
「うわああ!」
自分の身体を見下ろせば、真っ黒い大きな手がわたしとドリューの胴をまとめてがっしりと掴んでいた。どうやらこれに引っ張られているらしい。何これ! 何なの!?
「先生の魔法だから慌てるなって。影の手だよ」
恐怖の叫び声を上げるわたしとは対照的に、背後から眠そうな声が上がる。お蔭で納得はしたけど、恐さは消えなかった。だってこれ、ものすごい勢いだし壁すれすれを通って行くんだもん!
しかしそこは流石卓越した魔法使いと言うべきか。壁にも人にもぶつかることなく、あっという間にゲート前へ到着である。そして影の手は、既に待機済みだったゴンドラにわたしたちを放り投げた。
「出発します」
「頼んだよ」
「サンキュー、先生! んじゃー、俺も寝る……」
「うむ。ご苦労さん」
……何が何やらの状態だ。のそりと身を起こすと、既にゴンドラは空を飛び、わたしの両側には死んだように眠るドリューとネリーの姿が。そして目の前にはクラッシックな黒いローブを纏ったお爺さんが座っていた。長い白髪を三つ編みにして、口許の髭をおしゃれに整えた姿は中々チャーミングだ。これがバージェス先生かな。
先生らしき人は、隣で爆睡している愛弟子たちを温かい眼差しで見つめていた。
「夜通し頑張ってくれたからなあ。今は小休止じゃな」
徹夜明けの所だったのに、協力してくれたんだ……。二人には本当に感謝してもしきれないな。ありがとうね、二人とも。
「急がせちゃってごめんなさい」
「いや、急がなければならん状況だったから仕方のない事じゃよ。うん、直接会うのは初めてじゃな、お嬢さん。よろしく、わしがバージェスじゃ」
「宜しくお願いします。今回は本当にありがとうございます! ……それで準備は間に合ったでしょうか? 時間までには何とかなりそうですか?」
「今は三時過ぎか。うん、この速度なら何とかなるさ」
でも問題は術が成功するかどうかだよね。さっきドリューも言ってたし……。
「そんな顔しなさんな。さっきのドリューの言葉が気になっているんだろう?」
不安が顔に現れていたのか、先生が眉を下げて明るく笑う。
「はい……」
「術なら成功するじゃろうて。お前さんらはどういうわけか縁が深いようだからなあ。つながりが深ければ深いほど魂関連の術はやりやすい……おっと、今の話はどうか内密に」
そう言うと、先生は口に人差し指を立ててウインクしてみせた。どうやらそういった些細な情報を漏らすことも禁則事項らしい。
「では、わしもちょっくら休ませてもらうよ」
言うが早いか、バージェス先生目を閉じて穏やかな寝息を立て始めた。
「おやすみなさい……」
ひっそりと呟き、わたしも背もたれに寄りかかり目を閉じる。緊張が解けたせいか、はたまた先生の言葉に安心したお蔭か、どこかふわふわとした気分が身体を包んでいた。
……良かった、成功するって言ってもらえて。この人が言うのなら間違いないよね。
それにしても縁って、そんなものも見えちゃうんだ。この辺りをもう少し詳しく聞きたかったな。だって気になるじゃん。血の繋がりがないのに縁が深いってどういうことなんだろ。そういえば、元に戻った例も血の繋がりの無い夫婦って言ってたっけ。ってことは……運命の人、とか……。
ないなあ。馬鹿馬鹿しい。うつらうつらとしながら、くすりと笑う。
でも、あながち間違いじゃないかも。色んな偶然が重なっているわけだしね。同じグロブナー性だから、どこかで血が繋がっているってこともあったりして……。これが終わったら、調べてみても、いい、かも……。
そこでわたしの意識は途切れた。