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ミスティカルタイム  作者:
鏡の中のナルキッソス
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 遥か上空を飛ぶこと約十五分。青空の下に広がる一面の雲は圧巻……と言いたいところだけれど、今の状況じゃ、この代り映えの無い景色は気持ちを焦らせる材料にしかならない。今心の中にあるのは、本当に進んでるのか、とか、まだ着かないの? なんて気持ちばかりだ。 


「ねえ、あとどれくらい?」

「あと五分」


 フロント部分に設置されたナビを見ながら、セオが言う。エアボードと魔石と魔力をフル活用しているだけあって、凄い速さだ。これなら絶対にあの時間までには間に合うね。緊急事態ってことで、二人用のエアボードを出してきてくれたセオに感謝しなくっちゃ。


 わたしはそわそわと鏡を覗いた。相変わらずクリスの姿は不規則にぼやけたり元に戻ったりを繰り返している。


 ……あれ、でもさっきよりもその感覚が短くなっているような……。嘘でしょ、このままじゃ、本当に消えちゃうんじゃない……?


 少し落ち着いたはずの気持ちがまた焦りだし、わたしは不安のあまりにぎゅっと拳を握り締めた。


 消えないでクリス。せめて今日一日は持ってほしい。お願い……!


 到着まであと五分。いつもならあっという間の時間だ。けれど今のわたしには、それがとてつもなく長いものに感じられた。



 胃がキリキリと痛むような時間をやり過ごし、リンドエールのマギ研に到着したのは、午後一時半を少し過ぎた頃である。それからセオと一緒に受付を済ませて特殊課へと向かうと、扉の前でネリーが待ち構えていた。


 彼女はわたしを見るなり眉根を寄せて痛ましそうな顔つきになった。彼女の様子から察するに、クリスの状態はやっぱり危ないみたいだ……。


「これがやってもらいたいことなんだけど、彼は何なの?」


 一枚の紙を差し出しつつ、ネリーが怪訝そうにわたしの背後を見やる。


「えっと、セオっていうんだけど、彼に送ってきてもらったの。凄く速いからお願いしちゃったんだ」

「やあ、送り迎えなら任せてよ。他に手伝えることあったらやるし」

「原則的に部外者は関わって欲しくないんだけど……」

「あ、セオが知ったのは不可抗力で……。病院で光ってたところをうっかり見られちゃったんだよ」

「送迎くらいならいいだろ? 俺だってクリスに消えて欲しくないから、何かしたいんだ。それに俺なら高速便よりも速く君たちを連れていけるよ」

「そうなんだよ! ここから学校まで二十分で着いちゃったんだよ! ちょっとでも時間短縮できた方がいいでしょ!?」


 二人して詰め寄ると、ネリーは眉を下げて微笑んだ。


「そうだね。高速便でも、正直この距離じゃちょっと今日は無理かもしれないって思ってたから、そんなに速いならお願いしちゃおうかな。まあ事情が事情だし、抵触しない程度なら……」

「良かった……!」

「それじゃあクリスたちは隣の部屋で作業してて。終わったらまた特殊課まで来て。じゃ」


 相当急いでいるのか、ろくな説明もせずネリーは行ってしまった。でも紙に書いてくれてあるみたいだし、多分大丈夫だね。ネリーのやることなら間違いないもの。


 彼女に指定された部屋の扉を開け、中に入る。すると独自の薬品臭がむわりと鼻腔に広がった。


「ウエッ、凄い匂いだ」

「本当だね、実験室かなあ……?」

 

 部屋にあるのは、粉や薬草が置かれた棚が三つ。大中小の魔鏡と大鍋やフラスコやコンロ……と薬が作れそうな道具やら素材が一式揃っている。多分ここで何かの薬を作れってことかな。


 紙を開くと、そこに書かれていたのは案の定薬の生成法。それと一番下にはネリーの綺麗な文字でメッセージが二行ほど。


 ”血汚れを落とすクリーナーの作り方です。材料は全部棚に揃っています。それとクリス君の意識を保つために、定期的に話しかけてあげてください。”


「うわあ、血を使うんだね。でもそれくらいなら店に売ってると思うんだけど……」


 メモを覗き込んでいたセオが不思議そうに首を傾げた。

 わたしも一瞬同じように思ったけど、この時間がない時にわざわざそんなものを作れなんて言わないはず。使う材料からしても、きっと特殊な生物の血だ。


「人とか普通の動物の血じゃないんだと思うよ。魔獣の血じゃない? 落としにくいみたいだしね。しかも魔石粉末を使うとなると相当な上級魔獣だと思う」

「クリスって物知りだなあ」


 心底感心したように言うので、わたしは少しおかしくなって笑った。


「先週の授業で先生が言ってたよ」

「そうだったっけ……? うん、まあ、それはおいといて、俺は何すればいい?」

「じゃあ小鍋にお湯を沸かして、薬草系の材料揃えてくれる?」

「オッケー」


 小鍋を拾い上げるセオの傍らで、わたしも作業を開始した。しかし五分と立たないうちに、セオから悲痛な声が上がった。


「クリス、ラベルがないから分からないよ……」

「だろうね……」


 なんと薬瓶にはどれもこれもラベルが付いてなかったのだ。薬草学が苦手なセオにとっては、見分けるのは難しいだろう。マギ研ってもっと管理しっかりしてるかと思ってたよ。ここは小規模支部みたいだから仕方がないのかな……。


「俺がやれることって他にある?」


 生成法を見たけれど、このクリーナー作りは二人で作業するとやりにくそうだ。今の時点でセオにお願いすることは特にないかもしれない。


「多分一人で何とかなると思う」

「あっ、じゃあ俺クリスに話しかけていようか? あ、君じゃなくて、憑りついてる方の。メモにも書いてあったしさ」

「それは……」


 セオとクリスじゃ直接言葉が交わせないから、わたしが伝達係りになるわけで……。うん、作業中にそんなことをやられたら、絶対気が散る。


「遠慮しておくよ。ありがとう。セオは外で待ってていいよ」


 申し訳ないけれど、申し出は丁重にお断りした。しょんぼり顔のセオに心は痛んだけれど、ないもはないので仕方がないのだ。


 薬草を取り揃えながら、わたしは備え付けられた魔鏡に目を走らせた。さっきまでは不安定だったクリスの姿は、今は落ち着いているのか輪郭を取り戻している。ただ彼の浮かべる表情は憂鬱に満ちていた。


「クリス、大丈夫?」

『ああ、さっきよりはいい。皆には迷惑をかけて申し訳ないな……』


 わずかに眉を寄せて辛そうに呟くので、見ているこっちまで辛くなる。これは相当参っているね……。


「皆迷惑だなんて思ってないと思うよ。それにクリスだって友だちが困っていたら見過ごせないでしょ」

『ああ……』


 うう、何とかクリスを元気づけてあげたいなあ。そうは思うものの、肝心の話題が捻り出せないんだよね。だって今にも危ないって時に、楽しい気分になんかなれないだろうし。だからって、無言でいるのもクリスが心配だ。あ、そうだ。お祭りの話でもしておけばいいか。


「ねえ、もうすぐ賢者の祝祭だよね。今年の出し物は何かな。楽しみだね」


 賢者の祝祭というのは、五月に行われる我が国最大のお祭りである。世界の頂点に立つ彼らの生誕を、四日間に渡って祝うのだ。

 初日は式典、そして四賢者によるパフォーマンスが行われる。パフォーマンスは毎年違うものが披露され、しかも「流石賢者さま!」と言いたくなるような妙技なのでわたしはいつも楽しみにしているのだ。


『そうだな……。君は初日以降の予定はあるのか?』


 祝祭の初日は家族で過ごし、二日目以降は友達や恋人なんかと過ごすのが通例である。予定はないけど、わたしも例に漏れずそうするつもりだ。


「まだ特にはないんだけど、友だち誘って出かけたいなって思ってるよ。ネリーとかアメリア、それにルシェルとセオとかクリスとかね……」

『皆でか』


 さりげなくお誘いをかけてみたけれど、クリスがちょっと嫌そうな顔をしたのでわたしは慌てて付け加えた。


「い、嫌ならいいけど」

『メンバーに難はあると思うが、嫌な訳じゃない』


 言われて気がついた。そうだった。ついつい思いつくままに名前を出してしまったけど、ルシェルとセオの仲は微妙だし、アメリアとセオなんて以ての外だ。わたしってバカ……。


『僕も君と行きたい』


 内心頭を抱えていると、クリスから爆弾発言が投下されたのでわたしは手を止めて固まってしまった。


 これって、クリスもわたしのことちょっとは良く思ってくれてるってこと、かな……? それとも純粋に友達として? 一体どっち!?


 一気に疑問が押し寄せる。でもすぐにそれを上回る喜びに満たされ、クリスが好きで好きでたまらないって気持ちが溢れ出しそうになる。


「クリス、あのね……!」


クリスの姿が再びぼやける。興奮に沸いていたわたしの頭は一瞬に冷えて、咄嗟に口をつぐんだ。


 わたしは本当にバカだ……。こんな時に勢い付いて告白しそうになるとか、何考えてるんだろう。今はそんな場合じゃないのに!


『どうした? 何かいいかけてたが……』

「今日を乗り切って、一緒にお祭り行こうねって」

『祭りのためにか』

「そうだよ。だからクリスもお祭りでやりたいこと考えておいてね!」

『……そうだな、それもいいな。うん、考えておくよ』


クリスが微笑む。彼の今日初めての笑顔は、憂いを帯びていて今にも消えてしまいそうなとても儚いものだった。

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