33
まー、断るんなら軽く言っちゃったほうがいいよ。深刻になると後々やり辛いじゃん。クラスメートなんだし。
とはアメリアの言である。でもね、人には得手不得手という物があるわけで……。しかも経験値の低いわたしにそれができるとも思えない。
断り文句、何て言おう。傷つけないような断り方ってどんな感じかな。断っても前みたいに接してくれるかなあ……。
ふらふらと窓辺に近寄り、階下を見下ろす。眼下に広がるのは緑豊かな中庭。その中に見知った姿が見えたので、わたしはそれを何となく目で追った。
セオと小柄な女の子が向かい合って何かを話している。下級生かな。あれってやっぱり告白? 女の子の方顔真っ赤だもんね。
なんて彼らを見守っていたら、女の子が顔を両手で覆ってしまった。セオの方は困り顔にはなったものの、何かを口走ると彼女の前から去って行った。
気分がますます重くなる。彼らのやり取りが、わたしの未来を暗示しているように思えてしまったのだ。今からわたしがセオの立場になるんだ、って。
そう、今わたしはあの告白の決着をつけるべく、デリックの訪れを待っている最中である。あの後早速彼の元へ行き、お昼休みに空き教室で話を、と伝えたのだ。彼はわたしの求めに快く応じてくれた。少し照れくさそうにはにかんで。
その反応はわたしを大いに怯ませた。だってどう見ても、わたしの出す答えを前向きに考えている感じなんだもん。おかげで心苦しさ倍増である。
「悪ぃ、遅くなった」
鬱々としていると、ようやく待ち人が到来した。現れたデリックの目はキラキラしていて、頬には少し赤みがさしている。夢と希望に溢れた少年って言葉を思わず思い浮かべてしまい、わたしは物凄くいたたまれない気持ちに襲われた。ああ、そんな目で見ないで……。
「で、話ってなんだよ」
「この前の返事なんだけど……」
「おう!」
「……こ、告白してくれてありがとう。まさか誰かに自分のことを好きになってもらえるなんて思ってなかったから、びっくりしちゃった……。でもごめんね、デリックとは付き合えないや。やっぱりそういう目で見られないんだ……」
「…………そ、うか……そうなのか……」
みるみるうちにデリックが萎れていく。視線は床に落ち、生き生きしていた目が死んだ魚のような目に変わってしまった。
そうだよね、断られるのってすごくショックだよね。頭真っ白になるよね……。うう、追い打ちをかけるようで申し訳ないけど、返す物も返さないと。
「そっ、それでね、プレゼントなんだけど」
「え……?」
逸らされていたデリックの視線がわたしに向けられる。大きく見開かれたその目だけで、口に出さなくても何が言いたいのかわかってしまった。
もしかして返すのか? 嘘だろ? って。
「あー……、あの、ありがとう。凄い素敵だったよ……」
無理。絶対無理。こんな状態の人に突っ返すなんてできっこない……。
「そ、そっか……。良かったよ……はは……」
「う、うん……」
「それじゃあ、俺、行くわ……」
ふらふらと力ない足取りで立ち去るデリックを、わたしは申し訳ない気持ちで見送った。
うん、プレゼントは棚の奥にしまっておこう。まあデリックとしても返されても困るだろうし……。
「あーあ」
ため息交じりの呟きが、誰もいない教室に虚しく響く。クリスからの応答はない。あれ……?
別に返事を期待していた訳じゃないけど、わたしが独り言も漏らすといつもなら「どうした?」とか何かしら声を掛けてくるはずなのに。今日は随分と静かだなあ。……そういえば、家を出てから一言もしゃべっていないんじゃない? 何か昨日から変だ。
わたしは気になってチャームを取り出し、鏡を覗いてみた。そこには相も変わらず美しいクリスが。けれど彼は虚ろな視線で虚空を見つめていた。そしてゆらりと揺らいだ。
「え……?」
今の何だろう。クリスの姿が一瞬歪んで見えた。確認のため、もう一度目を凝らす。
わたしは息を飲んだ。やっぱり見間違いじゃなかった。また彼の姿が揺らぎ、元々透けていた姿が更に希薄になったのだ。
「クリス! クリスってば!」
『ああ、何だ……?』
声を掛けると、薄らいでいたクリスの姿が元に戻った。でもクリスの声音に元気はない。
わたしは一気に怖くなった。このまま消えちゃうんじゃないかって。
「姿が変だね。いつからこうなったの? もしかして昨日から?」
『そう。最初は見間違いかと思ったんだが、どうやら違うらしい……』
「どうして……ううん、今の気分は?」
どうして言ってくれなかったの。そんな言葉が口から出そうになったけれど、今そんなこと言ったってしょうがない。それによくよく思い返してみれば、彼が言えなかったのも何となくわかる。
鏡から目を逸らしていたクリス。きっと怖かったんだ。幽体になった時の不安定さは身をもって思い知っているし、さらに自分が消えそうになったらその恐怖はどれ程のものか。今にも姿が消えそうだ、なんて口にしたら現実になっちゃいそうで余計怖いしね。とにかくわたしは落ち着いて対処しないと。
『意識が時々薄れる……』
これはかなり重症だ。わたしは唇を噛みしめ、カードを取り出しコールをかけた。
「はいはーい。こちらシモンズでーす」
「ドリュー、大変なの。クリスが凄く気分悪そうだから、できれば今すぐ診てもらいたいんだけど。今日戻って来るんだよね?」
「今すぐは無理だなあ。だってまだリンドエールの研究所だもん。クラインベイルまで三時間はかかるよ」
そんな他人事みたいに! いや、ドリューにとっては他人事だけどさあ!
「そんなの困るよ!! ゴンドラ高速便で帰って来れないの!? っていうか先生が傍にいるなら通話変わって!!」
「うわっ! 怒鳴るなよ。耳がおかしくなるじゃないか! ったく、おーい、バージェス先生~」
ゴソゴソという音がカード越しに聞こえる。そして次に聞こえてきたのは、少し皺がれた穏やかな声だった。
「やあ、お嬢さん。話は常々聞いているよ。症状はどんな具合かね」
「姿が時々薄れて、意識も朦朧としているみたいです」
「そうか、ふむ……。おそらくその子は自分に並々ならぬ愛着を持っているんじゃろうなあ。そういう想いを抱いていると、魂が体に戻ろうと必死になって消耗も早くなる」
なんてことだ。超が付く程のナルシストがこんなところで災いするなんて……。
「じゃあどうしたらいいんですか? 術の行使はまだできないんですよね? 許可申請していただけるのって、お仕事が終わってからって聞いたので……」
「ああ、そのことなら心配は無用。許可なら今しがた下りた所じゃ。予定より早めに処置ができるじゃろう。というよりも処置しなければならないという状況かのう。ただ、術に必要な道具を揃えるのに時間がかかる。例の時間のこともあるから、明日になってしまうかもしれんなあ……」
それまでに果たしてクリスは持つんだろうか。……ううん、だめだ。これで待って手遅れでした、なんて事になりでもしたらクリスは死んじゃうんだ。そんなの冗談じゃない。何が何でも今日やらないと……!
「準備ってどのくらい時間がかかるんですか? 何ならわたし、お手伝いに行きます!」
「そりゃまあ人の手が多いに越したことはないが、お嬢さんが到着する頃には準備が終わっているじゃろうて。大体二時間くらいじゃからなあ」
「大丈夫です! 高速便使いますから!」
高速便ならリンドエールまで一時間もかからない。それならそこそこの手助けができるはずだ。今から行って手伝えば、あの時間までには間に合うはず。
「うーん、あまり無茶はせんようにな。とりあえずは、リンドエールの特殊課という所においでなされ」
「はい!」
バージェス先生との通話を終えると、わたしは再びコールをかけた。通話相手はもちろんセオである。
「どーしたのクリス? 学校でかけてくるなんて珍しいね」
「セオ、お願いがあるの! 急で本当に申し訳ないんだけど、リンドエールのマギ研まで連れて行ってほしいの!」
「もしかしてクリスの事? 何かあった?」
「姿が消えちゃいそうなの。だから今すぐ処置しないとって。セオには授業サボらせちゃうことになるけど、でも他に頼れる人が居なくって……」
「そういう事情があるなら話は別だよ。すぐ行く。校門で待ってて」
高速便扱いしてごめん、と心の中で謝りつつわたしは窓から飛び降りた。お行儀が悪いとか校則違反とか、今はそんなこと気にしていられない。とにかく時間が惜しいから、短縮できるものはしないと。
勢いよく着地する寸前、魔力を全身に行きわたらせて、身体を浮かせる。お次は魔力を足に集中させて、わたしは校門に向かって勢いよく駆けだした。
「クリス、今日絶対元に戻るからね!」