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ミスティカルタイム  作者:
鏡の中のナルキッソス
32/39

31

「今日くらいはゆっくり寝ていても許されると思ったよ……」


 運動の後の火照った顔を鏡に映して、わたしはぼやいた。だって今日は日曜日だ。それなのに、クリスのトレーニングは休日であろうとも休むことは許されなかった。


 彼の厳しい叱責で目を覚まし、青春物語のコーチと生徒よろしく朝のトレーニングに勤しみ、夜は夜できっちり十時の就寝を求められる。


 組み込まれたスケジュールは、一日中みっちりって訳じゃないからそれ程大変なものじゃない。けどね、土曜日はまあいいとしても日曜日くらいはゆっくり寝ていたいじゃん。不満だってついつい漏れちゃうよ。


『継続は力なりだ。続けることに意味があるんだぞ。慣れればそれほど大変な事じゃない』

「うん、まあ初日よりは辛くないけどさ」

『それに効果はもう表れている。肌の血色がよくなってるからな』


 確かに頬はほんのりピンク色で、いつもよりは健康的な色をしている。でもそれって運動した後だからだよね。


「動いた後だからだと思うけど……あ、でも肌荒れはすっかり綺麗になっちゃったね。これは軟膏のお蔭かな」

『早寝の効果でもあるぞ。夜の十時から夜中の二時までが、成長ホルモンによる肌の新陳代謝がもっとも活発に行われる時間帯なんだ。そして早起きは精神の安定に繋がる。ストレスは肌のコンディションに関わって来るからな。魔力のコントロールも向上するぞ』

「なるほど……。美しさの基本は早寝早起きからってそういうことだったんだね」


 滑らかになった肌を撫でながら、鏡に映る自分をじっくり眺めた。


 そういえばよく見るといつもと、見え方がちょっと違うかも。活気がある感じがする。光の加減のせいかな。それとも肌が綺麗になったからかな。


 思わずにっこりしかけて、わたしは慌てて顔を引き締めた。一人の時ならいいけど、今はクリスがいるから自分の顔を見てにやにやするのは恥ずかしいのだ。


 今の見られちゃったかな。気になってクリスを伺うと、彼はじーっと自分の顔を睨んでいた。


「クリスどうかしたの?」

『別に……いつもと変わりない』

「そうなの? 珍しいね。自分の顔を見るときは、大体感じ入ったように見てるのに」

『そういう気分じゃない時もある。特に異常はない』


 彼も人間だしそういうこともあるのだろう、と思うけどちょっと不安だ。何だかちょっと顔が強張っているような気がするんだよね。


『そんなことよりほら、伝書鳩が来てるぞ』

「あ、ほんとだ」


 クリスが指し示した窓には、薄水色の小さな鳩が止まっていた。話を逸らされたような気もするけど、本人が異常なしと言っているのだからその言葉を信じよう。


 わたしは窓を開けて、鳩を招き入れた。手のひらを広げると、鳩がそこ目がけてふわりと降り立つ。触れた瞬間、鳩はみるみるうちに丁寧に折りたたまれた紙へと変化した。

 きっとネリーからの手紙だろう。この紙は彼女がよく使うものなのだ。開いてみると、案の定彼女の文字が書き連ねてあった。





クリスへ


カードがドリューのバカに壊されてしまったので、しばらくは手紙で連絡するね。


あなたたちの経過を先生に報告したところ、今週にでも診断してくれるって。

というわけで先生の仕事が早く終わるよう、あたしはバカと一緒にお手伝いに行ってきます。月曜日まで留守にする予定だけど、もし緊急事態が起きたらバカのカードに連絡すること!


追伸、デスバレーって初めて来たけど意外と楽しい所だね。お土産期待してて!


ネリーより





 あー、やっぱりね、という苦笑から始まり、最後はぎょっとするような一文で締めくくられていた。


「デ、デスバレー……?」


 デスバレーはその名の如く、行けば死ぬと言われている魔の峡谷である。ドラゴンやらダイヤウルフ等、危険生物が生息する危ない地帯なのだ。


『絶対的な安全が守られていれば、見ていて楽しい所ではあるが……。彼女の師は凄いんだな』

「あ、クリスも行った事あるんだ? でもあそに旅行なんて申請しても許可出ないよね? 一体何しにいったの?」


 デスバレーは禁足地だ。賢者たちの許可が下りなければ立ち入ることは許されない。しかもその許可は彼らが必要性があると認めたものに限るのだ。


『……子供の頃、誕生日の祝いと称して連れて行ってもらった』

「えーっ!? そんなこと許されるの!? 公爵家って凄いんだね……」

『違う。ヘルメス・トリスメギストスが連れて行ってくれたんだ』

「うわ、賢者直々に!? それじゃあ許可なんていらないよね。何だ、クリスって結構賢者さまと仲がいいんじゃない」


 羨ましいなあ。絶対安全が約束された秘境の地への旅行なんて、最高のプレゼントじゃん。でもクリスにとってはそうじゃないみたい。だって楽しい所と言っていた割には、気持ち悪そうな顔をしているんだもん。これって楽しい思い出を語るような表情じゃないよね。


『別に仲良くない。気まぐれにやってきて、こっちの都合も考えずに付き合わされるだけだよ。それに僕はあの人が苦手だ。できれば一緒に居たくない……』


 一体何をされたのやら……。やっぱり人体実験? いやいやそんなことをされたら、苦手どころじゃ済まないか。うーん、気にはなるけど、憧れの人物像が崩れちゃいそうだからこれ以上聞くのはやめておこう……。



 


 ネリーたちが留守だということで、日中の予定が丸々空いてしまった。本当は差し入れにアップルパイを持っていくつもりだったんだけど、彼らがいないんじゃ作ってもしょうがない。課題はもう済ませてあるし、昼間はのんびり過ごした。それでも休日の時間の流れは早く、あっという間に夜である。


 休みの終わりは切ないなあ。その上憂鬱。学校は好きだけど、こういった症状はたまにやって来るんだよね。今は気に病むこともあるから尚更だ。


 明日が来なければいいのになーと、内心溜息を吐きながら、憂鬱の一因であるベロアの箱をバッグの中にしまい込んだ。


『学校にまで持って行くのか……』

「返すの」

『好みじゃないのか?』


 金額のことが真っ先に出ないってところが、流石お坊ちゃまだ。些細な価値観の違いに隔たりを感じつつ、わたしは口を尖らせた。


「好みの問題じゃないんだよ。あのね、クリスだったら何とも思ってない人から告白されて、その後にもらったアクセサリーつけられる?」

『……無理だな。そもそも受け取らない』

「でしょ」


 しかし何でそこまで自分に関係のない物の行方を気にするんだろう。不審に思って鏡の中のクリスを伺う。なぜか彼は哀愁の視線をバッグに送っていた。かと思えば、眉間を抑えて首を振ったりとても挙動不審である。


 何なの……?


 内心首を傾げていたけれど、わたしの脳裏にパッと一つの仮定が導き出された。


 デリックは前々からクリスにわたしの話をしていたらしい。そしてクリスは割と面倒見が良く、相談事には結構親身になってくれる人だ。趣味もいい。妹もいるし、仲もよさそうだから、女の子のファッションも多少はわかるかもしれない。ということはつまり、こういう可能性もあるわけで――


「もしかして、あのネックレスってクリスが選んだとか言わないよね……?」


 想像を口にしてみれば、表情こそ変わらなかったけれど、クリスの動きが止まった。なんてわかりやすいんだ……。

 成程。彼は自分のセンスに絶対的な自信を持っている。だから拒否されたことが納得いかなかったんだ。気にする理由なんて、それしか考えられない。


「クリスが選んだんだね」

『僕が選んだわけじゃない。以前アドバイスを求められて、これがいいんじゃないかって薦めただけだ。小さなダイヤだったし、僕らの年頃なら相応だろうと思って……』

「へぇ~……そーなんだー……」


 何とも言えない気持ちになったわたしは、気の抜けた相槌を打った。こんなに貰って困るプレゼントって初めてかも……。


『何だよ、僕が関わると何か問題でもあるのか?』

「別にそうじゃないけど。面倒見がいいんだな~って思っただけだよ」


 本当か? とでも言いたげな視線がわたしに向けられる。でもこれは全くの嘘じゃない。そしてデリックが羨ましくもあった。そこでわたしは咄嗟に思いついた。


「ねえ、わたしが同じような相談したらアドバイスしてくれる? 男の人の意見とか参考になりそうだし」


 デリックは同性の友人で、クリスと同じく寮生だから話す機会は沢山ある。でもわたしはこの件が解決したら関りがなくなってしまう。十月から始まる選択授業で一緒になれれば話す機会もあるだろうけど、選択が被るとは限らない。だからデリックみたいに相談事でも持ち込めば、クリスとの接点ができるかもしれないと思ったのだ。


 けれどクリスの返事はにべもなかった。


『嫌だ。僕に恋愛事の相談なんてしないでくれ』


 それどころか気分を害したように、不機嫌そうに眉を顰めている。そんなに嫌がらなくても……。

 ちょっとショックだ。だけどそれは表に出さないようにして、不思議そうに首を傾げた。


「デリックは良くてわたしは駄目なの?」

『そもそも僕はそこまで親身になって相談に乗っていたわけじゃない。僕には向いてない分野だ』

「じゃ得意分野だったらいいんだ」

『そうだな。薬草学に魔法実技関連ならしっかりしたアドバイスができると思う』

「あと美容関連もだよね」

『そうだな。というか今もそのことでアドバイスしてるんだったな。それ以外に悩みでも?』

「今はないけど……えっと、クリスが元に戻っても相談に乗ってくれる?」


 心臓はバクバクしていて、恥ずかしさに顔が火照る感覚がしたけれど、視線は逸らさずに笑みを張り付ける。ここで逸らしたり俯いたりしたら、凄く怪しいもん。こいつ、この僕に気があるんじゃないか? なんて思われて引かれるのだけは避けたい。


『勿論』


 さっきまでの不機嫌さは鳴りを潜め、クリスの顔が柔らかく綻んだ。それだけでわたしの脳内がバラ色に染まった。


 どうしよう……凄く嬉しい! 別に好きだって言われたわけじゃないのに、こんなにも嬉しいなんてかなり重症だ。顔がにやけてくる。でもこんなあからさまな顔はクリスに見られたくない!


「心強いな。頼りにしてるよ! お休み!」


 わたしは早口でまくし立てて、にやけ顔を見られないようにベッドに入り込んだ。熱い頬を両手で押さえて、枕にぐりぐりと顔を押し付ける。これ、しばらくは治まらないよー! 興奮して眠れないかも……!


 何て思っていたけれど、新たなる感情が生まれるとあっさりと治まるものである。


『お休み……と言いたいところだが、また鳩が来てるぞ』

「え、またネリーかな?」


 疑問符を浮かべつつ、もそもそとシーツから顔を出して窓を見る。


 外にいたのはピンクの伝書鳩だ。尾には水玉模様が浮き出ていて、如何にも女の子って感じのデザインである。ネリーはこういう可愛らしい雰囲気の物は絶対に使わないから、彼女からではない。とすると誰なんだろう。


 心当たりが全くなくて、わたしは首を捻りながら手紙を開いた。


 そこに書かれていたのは一言だけ。


 ごめんね、と。


 宛名も差出人もなかったけれど、誰が書いたのかは文字で分かる。


「アメリア……」


 仲直りできるんだ。そう思ったら、胸がじんわりと暖かくなった。心の中は喜びで満たされ、収まりきらなくなった気持ちが涙という形となってあふれ出す。


『よかったな』

「うん……」


 わたしは目じりを拭って、再びベッドに潜り込んだ。


 明日は真っ先にアメリアのところに行こう。話したいことはいっぱいある。何から話そうかな。早く明日にならないかな。


 数分前までとは全く正反対のことを思いながら目を閉じる。幸福感に包まれていたわたしに穏やかな眠りが訪れたのは、それからすぐのことである。

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