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衝撃的な出来事のお蔭で、午後の授業は気もそぞろで全く身が入らなかった。
どうやって断ろうか、プレゼントはやっぱり受け取るべきじゃないよね、なんてそんなことばかりを考えてしまう。ふと時計を見れば、授業終了まであと五分となっていた。
ああもう、ひとまずデリックのことは置いておこう。今のわたしはアメリアと話しがしたいのだ。今日の授業はこれで終わりだから、すぐ彼女のところに行って引き留めないと。もし朝のようにまた取り合ってもらえなかったら、その時は……。
来るべき時に備えるべく、目を閉じて気持ちを集中させる。そして程なくして、授業は終了。教室にいつもの喧騒が満ちる。心の準備を終えて目を開けると、アメリアは既に帰り支度を終えていたのか、席を立とうとしている所だった。
「アメリア、待って!」
わたしは大声を上げて彼女の元へと駆け寄った。皆の視線を感じる。普段大人しいわたしが珍しく大きな声を出しているものだから、何事かと思っているのだろう。
一方アメリアはというと、何の表情も浮かべてはいなかった。けれどそれは一瞬のことで、わたしが傍まで来るとすぐさまにっこり笑って手を振った。
「ごめんねぇ。悪いけど、私用事があるから」
「待って、お願い……」
去ろうとする彼女の手を、わたしは両手でつかんだ。潤んだ目で見上げると、彼女は流石に驚いたのか、ぎょっとしたように目を見開いた。
「え、ちょっと、何……!?」
「お願いだから、わたしの話を聞いて……!」
わたしの目からぼろぼろと涙が零れる。様子を見ていた外野からは何だなんだと声が上がり、わたしたちは更なる注目の的となっている。アメリアは困ったように眉を寄せて、わたしの手を握り返した。
「もー、クリスってばぁ! そんなに泣くことないでしょ! こっちで話そ、ね!」
彼女に強く腕を引かれる。わたしはそれに逆らわずに、彼女と共に教室を後にした。
連れてこられた先は、使われていない空き教室。日当りの悪い部屋なので、少しかび臭く、好んで寄り付く人はあまりいない。その分、人に聞かれたくない話をするには、うってつけの場所とも言えた。
ということはアメリアはわたしと話してくれる気があるってことかな。ほっとしたわたしは、ふう、と息を吐いてハンカチでゴシゴシと顔を拭った。途端、無言だったアメリアの目が吊り上がる。
「まさか……噓泣きしてたの!? 信じらんない!」
「アメリアと話したくって、形振り構ってられなかったの」
我ながらずるいやり方だとは思うけど、彼女を引き留める方法はこれしか思い浮かばなかったのだ。
普通に話しかけても有耶無耶にされてしまうし、強引なやり方では先生を呼ばれてしまう可能性がある。でも泣き落としなら、引き留められるかもしれない。今までの彼女の態度を思い返した末、わたしはそう考えた。
だってアメリアは人目のある所では、人に対して嫌な態度を取ったことがない。そういう所を見たことがないんだもの。
だからわたしはさっき涙が出るようにと、必死に悲しいことを考えた。アメリアとの最悪の結末を想像したり、クリスがもしも戻れなかったら、とか色んなことを。
その結果、こうして二人きりになれた。でもアメリアの気分は最悪だろう。申し訳ないとは思う。だけど、どうしても聞いてもらいたかった。
「……で、話しって何。文句でも言いたいの?」
「文句とはちょっと違うけど……。うん、まあ正直言うと、アメリアがあんな風に思ってたなんて、ショックだったし、腹は立ったよ。でもわたしはアメリアのことが好きだし、友達でいたい」
「……は? 何それ気持ち悪い。あの時盗み聞きしてたんだから、知ってるでしょ? わたしはクリスの事利用してただけなんだけど」
全身からにじみ出る苛立ちと棘だらけの言葉に、心がすくみ上る。でもここで逃げだしたら、多分もうアメリアとは元のようには話せなくなる。絶対後悔する。そんなのは嫌だ。
わたしは萎えそうになる心を奮い立たせて、アメリアの目を真っすぐ見つめた。
「利用って言っても勉強のことでしょ? それくらいじゃ利用されてるなんて思わないよ。それにね、アメリアのやってることって、わたしの為にもなってたんだよ。ほら、アメリアって答えだけ教えてって言わないでしょ? どうしてそうなるの、ってちゃんと質問してくれるじゃない。人に教えることで、こっちの理解も深まるの。曖昧な部分も明確になる。わたしの勉強にもなってるんだよ。だからそういうのって利用とかじゃなくて、持ちつ持たれつの関係なんじゃないかな」
アメリアは視線を逸らしただけで、何も言わなかった。わたしの言葉は、彼女の心を動かせただろうか。彼女は一体、今何を思っているんだろう。
沈黙は続く。次第にわたしの心に焦りが芽生え始めていた。というのも、何かを忘れている気がするのだ。言い忘れていたことが……
そうだ、肝心な話しを忘れていた!
「それとね、これだけは分かってほしいんだけど、セオとわたしは本当に何でもないから、だから――」
「あー、もう、うるさいなあ! いい加減にしてよ! そんな話もう聞きたくない! 私帰るから!」
セオの話を出した途端、アメリアは声を荒らげて教室を飛び出してしまった。
お、怒らせちゃった……。
わたしは側にあった椅子に、力が抜けたような仕草でストンと腰を降ろした。
どんよりと心は暗く、心臓はバクバクと脈打っていた。告白した時よりも緊張したかもしれない。
「あーあ……、嫌われちゃったかな……」
『嫌いだとは言ってなかったじゃないか。あれは触れられたくないことに触れられて怒っているって感じだったぞ。多分セオと何かあったんじゃないか』
「そうなのかな……」
『僕が見る限りでは手ごたえはあった気がするんだが』
「そうだといいなあ……」
憂いの篭った溜息を吐いて、わたしはしょんぼりと俯いた。
とりあえず、言いたいことは伝えられたと思う。あとはあちらの反応を待つしかない。彼女の心が溶けてくれるのを願うばかりだ。
『それにしても君がああいうことをするとは思わなかった。少し、羨ましい』
「羨ましいって……」
不意にクリスに似つかわしくない言葉が彼の口から飛び出したので、わたしは耳を疑った。
泣き落としが、羨ましい? 確かに、クリスの性格ではとてもじゃないけどやりそうにない。そもそもやりたいなんて思うことがあるのかな。でも羨ましいって言葉が出るからには、そういう心境になったことがあるんだよね……?
「泣き落としのことだよね? やろうと思えば誰にだってできるよ。クリスも誰かと喧嘩してどうしようもなくなった時にしてみれば? クリスならイチコロだよ」
『そういう意味じゃない』
「じゃどういう意味?」
『言いたくない』
珍しく子供じみた拗ねたような口調である。でもわたしにはそれが少し可愛く思えてしまい、くすくす笑って「変なの」と呟いた。




