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『やっと気づいてくれたか』
ほっとしたように呟くグロブナーさんの体は、薄ら透けている。これは……幽霊だ!!
「うわああああーーーー!」
わたしは驚きのあまり叫び声を上げて、取るものもとりあえず連絡帳を取り出した。
やっぱりグロブナーさんは助からなかったんだ! 未練を残した彼は手近なわたしに憑りついたに違いない! 呪われた! 除霊しないと! 除霊師さん!
しかしどんなにページを捲ろうとも出てこない。当然だ。そんな怪しい知り合い、わたしにはいないからだ。
「の、呪わないで下さい……!」
ベッドに急いで避難してシーツを被る。鏡を見なきゃ声なんて聞こえないだろうって思ったから。なのに……
『おい、怖がるんじゃない。僕は悪霊じゃないぞ』
シーツを被っていても、声がはっきりと聞こえてくる! わたしは混乱のあまり、訳のわからない呪文を唱え出した。
「エロイムエッサイム! 払いたまえ! 成仏して! 大人しく天に召されて! 道連れにしないで!」
『いい加減にしろ! 本当に呪うぞ!』
「やっぱり悪霊なんじゃないですか!!」
美声でドスの利いた声って迫力ありすぎるよ! しばらくは怖くて怖くて、亀のように丸まってガタガタ震えるしかなかった。
それから五分くらい経っただろうか。今聞こえるのは自分の呼吸音のみだ。もしかしていなくなったのかな……?
『怒鳴って悪かった』
ひそやかな声が落とされて、心臓が跳ねる。けれどトーンダウンした声に、わたしの恐怖はちょっとだけ治まった。
シーツからそっと顔を出して鏡を覗く。グロブナーさんはベッドに座って項垂れていた。
『もしも、君にほんの少しでも僕を哀れと思う気持ちがあるのなら、落ち着いて話を聞いてくれないだろうか……』
その言葉で、わたしはようやく冷静さを取り戻した。
そっか、そうだよね……。これからって時に死んじゃったんだもんね。心残りとかあるよね……。騒いじゃって悪かったなあ。しかも悪霊扱いしちゃったし。
「ご、ごめんなさい。凄くびっくりしちゃったから、つい……!?」
少し落ち着くと、今度はとんでもないことに気が付いた。部屋がものすごく汚いのだ。あちこちに放り棄てられた紙屑、脱ぎ捨てっぱなしの服の数々、開け放しの引き出し。まるで泥棒にでも入られた後のような有様だ。恥ずかしさのあまり顔に一気に血が上る。そして
「わああー!」
と大声を上げて、慌てて片づけ始めた。こんな汚い部屋誰かに見られるなんて、恥ずかしすぎる! たとえそれが幽霊だとしても!!
『落ち着きのない奴だな、君は』
「……こんな状況で落ち着いてなんていられませんよ。ううっ……」
せいぜいとベッドに突っ伏して、わたしは呻いた。まさか雷でこんな心霊現象に悩まされるとは。
「病院では声も聞こえなかったし、女子トイレの鏡には何も写らなかったのに……」
『僕は男だぞ。あんなところで話なんてできるか』
「幽霊なのにそんなこと気にするんですね」
『幽霊ではない! まだ死んでないんだぞ!』
「そうなの?」
『そうだ! ……と思う』
憂いを込めた表情でグロブナーさんが呟く。そんな顔もまた絵になりますね、と心の中で呟き深く同情した。しかし怒鳴ったり落ち込んだり、情緒不安定だなあ。まあ無理もないか……。
「じゃあなんでこんなところにいるんですか?」
『僕にもわからない。気付いたらこんな体になっていて、君から離れられなくなっていたんだ……』
「へえ、それは困りますね……」
ぼけっとグロブナーさんに見とれながら呟くと、彼は不機嫌そうに眉を顰めた。
『あのな、他人事のように言うが、君も困るんじゃないか? 四六時中君とずっと一緒ということは、入浴やら着替えの間もずっと一緒ということなんだぞ!』
「それは……?!」
グロブナーさんのお陰で、事の重大さに気が付いた。ずっと一緒ってことはトイレもってこと!? それは嫌だ! 冗談じゃないよ! こんな美形に貧弱な身体見られたくない!
「それは困る! 困るよ!! 見ないでよ!」
それだけじゃなく、日常生活でも気が抜けなくなる! 何てストレスなんだろう!
『心配しなくても見るものか。僕はそんな破廉恥な真似はしない』
「早く何とかしないと……!」
こんなの誰かに言ったところで信じてもらえるわけないし、雷の所為で頭がおかしくなったと思われるかもしれない。こういう現象の解決ってやっぱり黒魔術関係になるのかな。でも無許可で調べようとしたら犯罪になっちゃうし、許可取るにしても審査が厳しすぎるし、一体どうしたら……。
「あっ、そうだ! 貴族なら高名な霊媒師に知り合いとかいないんですか!?」
『そのような怪しい知り合い、我が家にはいない』
「じゃ、じゃあ禁書閲覧許可とか持ってないんですか!?」
『あるわけないだろ。まあちょっと落ち着いてくれ。とりあえずは状況の把握をしたいし、僕の様子を見に行ってほしいんだが』
「今?」
『できれば』
「行ってあげたいのははやまやまだけど、うち僻地だし何処の病院も遠くって……」
『そんな馬鹿な。君は寮生じゃなかっただろう? どうやって通ってるんだよ』
あれ、意外。わたしのことちょっとは知ってるんだ。名も知らぬ女子生徒その1くらいの認識かと思ってたよ。
「エアボードで。学校から借りてるの。でも学校以外の場所に行くなら申請しないとだから……。あ、ちなみにここはクラインベイルです」
『本当に僻地だな……。じゃあ今日は無理だな』
「でも生死を確かめるだけなら、わざわざ行かなくてもいいと思いますよ。知ってそうな人に聞いてみます」
わたしは机から、クリスタルで作られた手のひらサイズのプレートを取り出した。
『あっ、その手があったか!』
不覚にもうっかりした声がちょっと可愛いとか思ってしまった。そんな場合じゃないのにね……。しかしこれを忘れていたとは、彼も結構混乱していたらしい。
これはコネクトカードといって、番号を入力して魔力を込めれば、その番号の相手と瞬時に会話できるという優れものである。オウムで声のやり取りしていた頃と比べると、魔法文明も随分進化したものだ。それもこれも魔法陣の超縮小版、術式回路のお陰。開発者さまさまである。
それはさておき、クリスと繋がりのある人と言えば、セオとデリック・バーキットだ。セオとはまともに会話できる自信がないので、わたしはデリックと連絡を取ることにした。ちょっと苦手な人だけど、背に腹は代えられない。
『誰に聞くんだ?』
「デリック・バーキットです」
『ふうん。あいつか』
鏡越しのグロブナーさんが何故かニヤッと笑う。思わずにやけちゃうほど仲がいいのかな。案外こういうクールな人とデリックのような人は馬が合うのかもしれない。
グロブナーさんをチラ見しているうちに、ボワッという通話開始音が鳴る。そしてすぐさま発せられた大音量が、わたしの耳に衝撃を与えた。
「おっ!? メガネか!? 目が覚めたんだな!」
そう、この無機物のあだ名をつけてくれたクラスメートである。正直言ってこのあだ名は好きじゃないけど、デリックの勢いに押されて言い出せずじまいだった。
にしても相変わらずの大声だ。病み上がりに聞く声じゃないね……。
「うん。お見舞いに来てくれたんだってね、ありがとう」
「礼にはおよばねーよ! 今度俺に付き合ってくれれば!」
どうせまた勉強を教えてくれってことなんだろうな。わたしは苦笑いを零した。
「はは……。それより、貴族のグロブナーさんの方は大丈夫なのか知ってる?」
「何でそんなこと聞くんだ?」
「えっと……、一緒に雷に打たれたしちょっと気になって」
「知りたいのか。そっか、どーしよっかなー……」
えっ? なにそれ。何で教えてくれないんだろう。たまにデリックはよくわからない意地悪をする。こういうところが苦手なんだ……。
『しょうもない男だな。おい君、可愛くお願いと言ってみろ』
呆れたようにグロブナーさんが言う。やだよ、そんな気持ち悪い事、デリック相手にしたくない。別に秘密にすることでもないし、いつも通りに訴えれば教えてくれるはず。
「ねえ、意地悪しないでよ。お願いだから教えて……!」
「しょーがねえなあ! 俺様に感謝しろよ!」
普段であれば「はいはいそーですね」と笑って流すところだけれど、余裕のない時にもったいぶったことをされると苛立ちしか沸いてこない。わたしは無言で答えを待った。
「生きてるよ! でもまだ目は覚ましてないぜ。っつーことで」
「そっか、ありがとう。今急いでるから、続きは学校でね!」
目的は果たしたので、通話は速攻で終了。今は緊急時。デリックの無駄話に貴重な時間を費やすことはできないのだ。
「生きてるって! 良かったですね!」
『とりあえずは一安心だな……』
「で、解決策は!」
『あのな、僕だって訳が分からないんだ。君もちょっとは考えてくれないか』
「もう一回、一緒に雷に打たれるとか……」
『死ぬかもしれない危険性があるが』
くっ、わたしだってどうしたらいいかわからないよ!
『そうだ、君の友達のネリーって子がいただろう? あの子は僕のことが見えているようだったぞ』
「え、本当?」
と言いながら、わたしは先日のやり取りを思い出した。そういえばネリーはわたしをジロジロ眺めてたっけ。あの不可解な視線はこれのせいだったんだ……。
「言ってくれればよかったのに……」
『怖がらせまいとしたんだろう。僕としては言ってほしかったよ。彼女がいた方が、君と落ち着いて話せただろうしな』
うんざりしたようにグロブナーさんが呟く。大騒ぎしてほんと済みませんでしたね。
『とりあえず彼女に相談してみたらどうだろう』
「そうだね」
早速ネリーに連絡を取ると、家においでとのお誘いを頂いた。だから早々に部屋を出ようとしたんだけど……
『待ってくれ。出かける前に鏡を見て欲しい』
「え? はあ」
何だろう。身だしなみってわけじゃないよね。幽霊だし。
グロブナーさんは鏡を見つめたまま動かない。そして耳元でぽつりと一言。
『……美しい』
ぞくり、と背筋が震えた。
『うん、もういいよ。行ってくれて構わない』
ポカンとするわたしを尻目に、グロブナーさんは満足そうに頷いた。
今の言葉、わたしに言ったんじゃないってことはわかる。だとしたら、この人ってもしかして……?