28
待ちに待ったランチタイム。お腹を空かせた生徒が続々と集まり、食堂が一気に賑やかになる。ガヤガヤとした明るい雰囲気の中で、美味しいランチを食べながら友だちとお喋りするのはとても楽しいものである。わたしにとって、学校生活の中で二番目に大好きな時間だ(一番目はもちろん錬金学)。
でも気がかりなことがあると、好きなはずの時間はあまり楽しめなかった。美味しい食事も、味気無く感じてしまう。
わたしはさりげなくアメリア達のグループを盗み見た。彼女はきゃあきゃあと声を上げて、皆と一緒にはしゃいでいる。とっても楽しそうだ。それに反比例するが如く、わたしの心はとてつもない寂しさに襲われた。
ずっとぐるぐると考えていたけれど、今痛感した。あんな風に言われても、やっぱりわたしはアメリアが好きなのだ。彼女といるのは楽しかったし、何より最初に話しかけてくれた時のことが忘れられない。
入学当初、見るからに品のよさそうなクラスメートたちに慄き、おどおどびくびくしていたわたし。別世界だというのは覚悟していたものの、いざ目の当たりにしてしまうとどうしても緊張してしまった。
ちゃんとこの中に馴染んでいけるか。なんて話しかけたらいいんだろう。そんな不安でいっぱいだったわたしに気さくに話しかけてくれたのが、アメリアだった。
彼女の笑顔と人懐っこさは、ガチガチに凝り固まっていたわたしの心を和らげてくれた。そのお陰で勇気が出て、他の皆に話しかけられるようになったんだ。
そうだ。彼女が一緒にいてくれたおかげで、今のわたしがある。例え目的が勉強のためだったとしても、それがきっかけで仲良くできるのならわたしは全然構わない。アメリアと元通りに話せるようになりたい……けど、いくらこっちがそうしたくても、彼女にどうしようもなく嫌われてたんだったらそれは無理な話だ。あの時すごい剣幕だったし、なによりわたしのことつまんないって言ってたし……。
わたしの視界がジワリと滲む。ついあの時のことを思い出してしまい、悲しくなってしまったのだ。
うう、まずい。一人ならいいけど、今は隣にルシェルがいる。こんなの見られたら気まずい思いさせちゃうかもしれない。あ、目にゴミが入ったふりして擦ればいいか……。
「クリス……? どうしたの?」
「目にゴミが入っちゃって。こうなると痛いんだよね」
言いながらごしごしと強く目を擦る。涙が出たのなんてほんの少しだったから、これでばれないだろう。そう思ってたのに――
「あ、だめよ、擦っちゃ。こういう時は目を洗わないと」
ね、行きましょ、とルシェルがやんわりとわたしの手を握って微笑んだ。
目から再び涙が盛り上がる。彼女の暖かい手と優しい言葉が、落ち込んでいた心に染みるようだった。
こうなるともう誤魔化すことなんてできなかった。堰を切ったようにぼろぼろと雫が目じりから零れ出す。
「これで目を押さえて」
ルシェルはそれだけ言うと、わたしの手にハンカチを握らせた。わたしは無言でそれを目に押し当て、彼女に手を引かれるままにトイレに向かったのである。
「ご、ごめんね。つい泣いちゃった……。ハンカチ、洗って返すね」
着くなり顔を洗ったわたしは、ルシェルに向かって苦笑いを浮かべた。
「何を謝るのよ。気にしないで」
「うん……」
「悲しいことがあったのね」
「いやー、あはは……。えーっと実は友だちと……」
喧嘩、そう言おうとしたけれど、わたしは顔を顰めた。違う、喧嘩なんてしてないや。
「じゃなくて、友だちに、嫌われちゃったみたいで……」
するとルシェルはまるで自分の事のように、悲し気に表情を曇らせた。
「それは……辛いわね。よくわかるわ」
そんなまさか、なんて言葉が出そうになったけれど、慌てて口を噤んだ。そういえばルシェルはセオに嫌われているって言ってたっけ。
「仲直りしたいわよね……」
「うん、でも話すきっかけがつかめなくって……」
強引に引き留めるしかないのかな。でもそれこそ嫌われそう……。
「……なら私が手伝いましょうか?」
「う、ううん。自分で何とかするよ」
わたしはぎょっとして手を振った。こんなことに彼女を巻き込みたくない。下手をしたら余計こじれそうだし。
「そうよね。こういうことに第三者がしゃしゃり出るのはよくないわよね」
わたしの慌てようがおかしかったのか、ルシェルはくすくすと笑った。彼女の笑い声につられるように、わたしの顔にも自然と笑みが浮かぶ。少し話を聞いて貰えたお蔭で、ちょっと気が楽になったみたいだ。ルシェルに感謝しなくっちゃ。
「頑張ってね」
「うん……。一度、じっくり話してみてる」
わたしは今度こそ覚悟を決めて頷いた。こうなったら無理やりでもいいから一回話を聞いてもらおう。セオのことで誤解もしてるみたいだし、それを話せばアメリアの気分も落ち着くかもしれない。
「クリスにはちゃんと立ち向かう勇気があって、凄いな」
ふとルシェルがそんなことを真顔で呟いた。
「え、いや、そんな大げさな。一度怯んじゃったし、凄くなんかないよ」
「大げさじゃないわ。嫌われたっていうのが分かっても、関係を修復しようって努力するのは中々できることじゃないと思う。私にはできないから」
「もしかしてセオの事?」
「うん、まあ……。あ、私、そろそろ行かないと。仲直り、上手く行くといいわね」
「うん、ありがとう……」
用事でもあるのか。それとも聞いちゃいけない質問だったのか。ルシェルは逃げるように行ってしまった。
きっとルシェルはセオと仲直りしたいんだろう。わたしに何かできることがあればいいんだけど。けれど彼らの問題は根が深そうだし、何より先程の彼女を見る限り、踏み込んで欲しくなさそうに見える。今のわたしには見守ることしかできないか……。
『戦うのはやめたんだな。君らしい結論ではあるが』
級友の仲を憂えていると、クリスの声が耳に届いた。鏡には釈然としない面持ちの彼が映っている。何だか不満そうだ。
「ある意味戦いだよ。仲直りという名のね。戦いって勝つか負けるかだけじゃないでしょ。和解っていう道もあるんだから」
『見返してやりたいって言ったなかったか?』
「うん。でも見直してもらいたいっていう気持ちもあったと思う」
アメリアの中でわたしは対等ではなかった。それが酷く悲しくて、腹立たしかった。だからせめて見た目だけでも変わって、彼女に近づきたかったのだ。
『彼女は君に嫉妬していたんだぞ。君が可愛くなるのは逆効果だと思うが』
「そんなこと……ないと思うけど……」
確かにあの話を聞く限り、原因は嫉妬だ。でもわたしの見た目がマシになったからって、別にアメリアは怒ったりしないはず……だ。
『そんなことある。自分の好きな男と仲良くしているってだけで、態度を変えるような女だぞ』
「もー、何で不安にさせるようなこと言うかな。やめてよ」
ちょっとうんざりしてきたわたしは口を尖らせた。これから難関に挑もうっていうのに、何で勇気が萎れそうなことばかり言うんだろう。
「それにアメリアはクリスが思ってるようなひどい子じゃないってば。望みはあるよ」
うん、そうだよ。よく思い返してみると、発端となった日、トイレから出てきたアメリアは気まずそうな顔をしていた。わたしのことが本当に大嫌いだったら、あそこで無視するはずだ。それをしなかったってことは、わたしにまだちょっとは情があるってことだ。……そう思いたい。
『僕には良くわからないが、君にとってはミス・ブライスはいい友達なんだな……』
「そうだよ」
やけになって頷くと、クリスが笑顔を浮かべた。
『君なら絶対上手く行くよ。健闘を祈る』
昨日と同じような目がわたしに注がれる。どうもこのクリスの視線にわたしは弱いようで、妙に胸がドキドキして頬が熱くなってしまう。
「うん……。あ、そういえばここ、女子トイレなんだけど免疫ついたんだね。一度入れ替わったお蔭かな」
気恥ずかしさからそう言えば、クリスはショックを受けたように固まった。
決心が鈍らないうちにと、わたしはすぐさまアメリアを探した。彼女のいそうな場所を手当たり次第に回って、そして辿り着いたのはあの人気のないトイレ。A組の友達も一緒にいたけれど、構うものか。
「クリス!」
「えっ!?」
しかし名前を呼ばれて手首を掴まれ、わたしはアメリアの元に走り出すことができなかった。ぎょっとして振り返る。わたしを止めたのはデリックだった。
彼に名前で呼ばれるなんていつ以来だろう。というかこんな引き留め方をするなんて、何かあったのだろうか。
「何、どうしたの?」
「いや……」
デリックは戸惑った顔をして、わたしの手を離した。言いにくい用事なんだろうか。急用でなければ後にしてもらいたいんだけど。
「あ、もしかして勉強を見るって約束のこと? ごめんね、伸ばし伸ばしになっちゃって。いつがいい?」
「違う、そうなじゃなくって……」
今急いでるのに!
「急ぎじゃなければ後でいいかな。ごめんね」
はっきりしないデリックに焦れたわたしは、彼を置いて立ち去ることにした。こうしている間にアメリアがどこかに行ってしまう。
「待てよ!」
しかしそれは叶わなかった。ドン、とデリックが壁に手を付き、わたしの進路を阻んだのだ。彼の大きな体がわたしを覆う。わたしは恐怖に顔を引きつらせて身体を縮こまらせた。
声を荒らげ、険しい顔をするデリックの迫力は凄いし、こんな風に囲い込まれて退路を断たれるなんて怖すぎるよ……。
「あ、あの、落ち着いて。ちゃんと、話聞くから……」
しどろもどろで言うと、デリックはハッとして腕を退けた。出来れば身体も引いてくれるとありがたいんだけど。
「あ、わりぃ……。怖がらせるつもりは無かったんだ」
「ううん。大事な話なんだね。何?」
「朝のこと謝ろうと思って……」
「朝……ってああ、あれだよね。良くねーよってやつ?」
「そう。悪かったな。ごめん」
なーんだ、そんなことか。わたしはほっと胸を撫で下ろして、へらりと笑った。
「全然気にしてないよ。わざわざいいのに」
するとデリックは何故か顔をくしゃりと歪めて俯いてしまった。けど彼は背が高いので表情が丸見えだ。悲しそうな、辛そうな顔だった。
何で? 今の話の流れでデリックが悲しがる要素、あった……?
本当なら用がないならこれで、と言いたいところだ。でも今のデリックを放置して行くのは流石に気の毒に思えた。叱られた犬みたいにしょんぼりしているんだもん。
わたしは俯くデリックに問いかけた。
「ねえ、どうしたの?」
「ほ、本当は俺だって……」
「うん」
「す、すっげー可愛いと思ってる……」
一瞬の沈黙。そしてわたしの口からでたのは乾いた笑い。
「はは、は……何、急に、どうしたの……何が可愛いって?」
「急じゃ、ない。ずっと思ってたんだ。だっせーメガネ掛けてても、俺、お前の事可愛いって思うし……」
耳まで真っ赤にして、しどろもどろで言うその姿はまるで――
「えーと、告白みたいに聞こえるんだけど、からかってるだけだよね……?」
「違うって! 俺、本当にお前の事が好きなんだよ……」
わたしの目が点になった。




