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ミスティカルタイム  作者:
鏡の中のナルキッソス
27/39

26

 で、でもよく考えてみたら、クリスって思ってもないことを言うような人じゃないもんね。ってことはちょっとは可愛いって思ってくれてる……のかな……。この人の言葉、真に受けちゃってもいいんだろうか……。


「うっ……!」


 などと一喜一憂していると、ぐううっと間抜けな音が大きく響いた。出どころはわたしのお腹だ。そういえば朝は果物だけだったし、お昼は抜きだった。お腹が空くのも当然だ。でも何もこんなタイミングで鳴らなくても。あーもう、恥ずかしい! 空気読んでよわたしのお腹……。



『大丈夫か? すごい音だけど、腹痛か?』

「違う! お腹空いたの!」

『ああ、そうか。今日は朝食しかとっていなかったもんな』


 無理もない。そう言いつつも、クリスは楽しそうに笑っている。そんな彼が憎たらしくなって、わたしはじとりと鏡を睨んだ。


「クリスのせいでもあるんだからね」

『そんな状況じゃなかったんだから仕方ないだろ』


 尚も笑い含みで彼が呟く。わたしはムスッとむくれてそそくさと自分の部屋を後にした。



 キッチンに入ると、目に飛び込んできたのはきらりと光るスキンヘッド。わたしの兄、レスターである。もしやと思って見れば、彼はビールがなみなみ注がれたグラス片手に、鼻歌交じりで鍋をかき混ぜていた。

 うわ、これはまずい。お兄ちゃんが酔っぱらって作る料理は全然美味しくないのだ。今は鍋をかき混ぜているだけだけど、お酒が進むとアレンジだ~とか言ってそこら辺にあるものを手あたり次第入れまくる。鍋が異臭を放つ前に阻止しないと。


「お兄ちゃん、わたしがやるからあっちで飲んでよ!」

「お、そりゃ~助かるなーっておお!?」


 慌てて木べらを取り上げると、お兄ちゃんがわたしを見て大げさに驚いた。


「何?」

「見違えたじゃないか。どこのお嬢さんかと思ったぞ。お前がめかし込むなんて、好きなやつでもできたかぁ?」


 またそれか。わたしはうんざりして溜息を落とした。


「何でみんなしてそういうこと言うかなー。好きな人が出来ようができまいが、わたしだってもう十六なんだから見た目に気を遣うぐらいは……するよ」


 途中で言葉に詰まったのは、クリスの密やかな笑い声が聞こえてきたからだ。自発的な行動じゃないくせに、なんて言ってるみたいな笑いである。どうでもいいけど、さっきから笑いすぎ……。


「そっかー、そういやこの前十六になったんだもんな。時間が経つのは速いもんだ」

「親父臭いなあ」

「親父だっつーの。俺だってもう三十二だからなー。いやしかしねぇ……」


 お兄ちゃんがお酒臭い息を吐きながら、しみじみと呟く。何なんだと思って隣を見上げれば、顔に浮かんでいたのはさっきのにやついた笑いではなく優しい笑顔。それはコニーを見る目と同じ、父親の眼差しって感じがした。


「あのひ弱な赤ん坊がこうなるとはねえ。親父が見たら泣いて嫁に出したくないって頬ずりしてたかも」

「ふーん。お父さんそういう人だったんだ」


 わたしたちのお父さんは、わたしが生まれる前に事故で亡くなっている。だからわたしはお父さんがどういう人なのか全く知らないのだ。お母さんもお兄ちゃんも滅多に口にしないし、わたしにとっては兄が父のようなものなのであまり気にもしていなかった。


「生意気な息子しかいなかったから、お前が生まれるのすっげー楽しみにしてたんだぜ。まあとにかく明るくて陽気な人だったなぁ」

「そっかぁ……」

「でもなあ、母さんが臨月に入った直後に亡くなっちまって。そのせいで母さんショックで倒れるわ流産しそうになるわで俺は焦ったのなんの」


 珍しいなあ。ここまで詳細に話してくれたのは初めてかも。でも当時のお兄ちゃんって中々厳しい状況に置かれてたんだね……。

 わたしが生まれた時、お兄ちゃんはまだ十六歳だ。多分この人にとっては一番辛い時期だったんじゃないだろうか。そう考えると、この時期のことを語りたがらないのもわかる気がする。でも今こうやって笑って話してるってことは、満ち足りていて余裕があるってことだ。凄くいいことがあったんだろうな。

 わたしは黙って相槌を打ちながら、お兄ちゃんの話に耳を傾けた。


「だからもうその時期は学校なんて行ってる場合じゃねえ! って思って母さんに付きっ切りでさ、んで予定よりも早かったけど無事にお前が生まれたってわけよ。だから今のお前があるのは俺のお陰! 感謝しろよ~!」

「うんうん、すごーく感謝してるよ。ありがとね」

「素直でよろしい。しかもこーんなに綺麗に開花してくれてお兄ちゃんは嬉しいぞー」


 グラスを浮かせて、お兄ちゃんが抱き付いてくる。酒臭い息をかけられ、わたしはたまらず顔を顰めた。


「臭い! 暑苦しい!」

「まあまあそう言うな、妹よ。やっと女として目覚めたお前に、特別に試作品のローヤルゼリーをくれてやろう」

「えー、いらないよ、あれまずいもん」

「カプセルタイプだから味も風味もないっつーの! ほら、好きなだけもってけ!」


 そう言うがいなや、お兄ちゃんはテーブルに置いてあった篭をわたしの目の前に引き寄せた。中には小さな小瓶が目一杯に詰められていた。

 これって栄養剤みたいなものだよね。わたし健康だし全然必要性を感じないけど、取らないとしつこく勧められそうだ。


「じゃあ――」

『どうせなら全部貰っておけよ。健康にはもちろん美容にもいいんだぞ。肌の再生にも効果的だ』

「四つもらうね……」


 本当は一つだけにするつもりだったけど、クリスの言葉に反応したわたしはちゃっかり数を増やした。


「四が好きだねえ、お前は」

「別に好きじゃないけど」

「じゃ、無意識か。お前何かっていうとその数だからさ。サイコロ振っても四ばっかり出すし」

「サイコロは運でしょ」

「じゃ縁があるのかもな。ゾロ目の日時に生まれたことだけはある!」

「はいはい、もーわかったから離れてよ」


 いい加減臭い息に辟易していたわたしは、肘でお兄ちゃんを突っぱねた。うめき声をあげて悶絶するようにお腹を抱えたけれど、わたしは取り合わなかった。酔っぱらった時のオーバーリアクションなんていつものことだ。何やってるんだか。


『おい、クリス。レスターさん、今ゾロ目の日時って言ったよな』


 うん? 言ったけどそれが何か……


「あ」


 クリスの言わんとすることに気が付いて、思わず声を上げた。

 そう言えばそうだ。お兄ちゃんの鬱陶しさに気を取られて、聞き流していたけれど確かにそんなこと言ってた。日時、ってことは時間もゾロ目? だとするとクリスと生まれたタイミングが全く同じだということになる。わたしが生まれたのは夕方だって聞いたことあるし。うーん、でもまさかねえ……。


「ねえ、お兄ちゃん、わたしが生まれた時間覚えてるの?」


 床に這いつくばっていたお兄ちゃんは、立ち上がって子供のように二カッと笑った。


「忘れるはずないだろ! 時計と睨めっこしながらまだかまだかって待ち構えてたんだからなー。難産でどんだけ冷や冷やしたことか!」

「うんうん、それは聞いたことあるよ。で、何時?」

「午後四時四十四分四十四秒だ! 午前に生まれてたら完ぺきゾロ目だったんだけどな。おしかったなあ!」

「へ、え……」


 まさかだった。

 名前と生まれた月日から時間まで同じだったなんて、驚きである。そういう人との巡りあわせなんて、そうそうあるものじゃない。お陰で「運命の出会い」なんて馬鹿馬鹿しい言葉まで思い浮かんでしまう。


「あーっ! レスター、もう飲んでる!」

「パパずるい! おれもジュース飲みたい!」

「おう飲め飲め! そして我が妻モニカよ、喜べ! 新しい販路が開拓されたのだー!」

「おーっ! やるじゃん! じゃあお祝いだお祝い!」


 喜びにはしゃぐ兄一家を呆然と見つめながら、わたしはひっそりと呟いた。


「凄い偶然だね……。これも関係あると思う……?」

『そんな気がしてならない。君と僕は奇妙な縁で繋がっているのかもしれないな』


 奇妙な縁か。不謹慎だけど、少しだけ嬉しいと思ってしまった。だってこの事件のお陰で、クリスと仲良くなれたのだ。

 けれどカウンター上の鏡を覗いて、わたしの浮ついた気分はすぐに落ち着いた。クリスがあまりにも苦々しい顔をしていたからだ。そりゃそうだろう。彼にしてみれば災難でしかないもの。おまけにこれが長引けば、生命の危機にまで及ぶと言われたのだ。こんな不吉な縁、歓迎できないよね……。


 五月四日までは、あと二週間以上もある。現時点でわたしにできることは、残念ながらこれといって特にない。ならせめて元に戻るまでの間、クリスが憂鬱にならないように何かしてあげたいな。


「ねえ、クリス、今夜わたしにして欲しい事ある?」

『……は? 何だよ、急に……』


 何故か彼は動揺したように目を泳がせた。何この珍しい反応。わたしそんなに変な事言ったかな……。


「ほら、幽体になったときよく解ったからさ。夜の時間がきついってこと。この前してくれたみたいに、数冊本を広げておこうか? ページ送りの魔法でもかけて」

『ああ、じゃあせっかくだしそうしてもらおうかな……』


 クリスはふいっと視線を逸らして咳払いを一つ落とした。


『それよりも君、今日からち十時に寝ろよ』

「え、何で?」

『美しくなりたいなら早寝早起きは基本だ!』

「えーっ、いや、でも夜は勉強したいし……」

『勉強は朝やれ。眠れないのなら子守歌でも歌ってやる』

「わ、わかったよ……」


 わたしは勢いに飲まれて、思わず頷いてしまった。一応わたしのことを考えてくれての提案だし、彼の現状を思うとどうにも逆らい難い。


「でも子守歌はいらないからね」

『心配しなくても僕は音痴じゃないぞ』


 なら余計に遠慮したい。クリスの声は柔らかく艶のあるテノールだ。それが歌声になったらどんな響きになることやら。今でさえ囁き声にドキドキしているのに、寝かしつけるような歌なんて聞いちゃったら興奮して余計に眠れなくなっちゃうよ。


「なくても眠れるってことです」

『ならいいんだが。あ、朝はきっちり四時に起こすからな』

「えっ、早いよ!」

『十時就寝なら充分だろ。君の普段の睡眠時間を考慮した結果だ』

「……」


 クリスはやると言った以上やるだろう。これを二週間以上も続けるのか……。頑張れるかな、わたし……。

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