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「全くいい迷惑だ」
無表情でクリスが呟き、錬成用の融解粉末を小皿から鍋へと投入する。そして困り顔のセオが、かくはん棒で鍋をかき混ぜ始めた。
「朝の事だろ? 悪かったってば」
今は錬金学の授業中。先生が適当に決めたペアで錬成実験の真っ最中だ。運が良い事にクリスの相手はセオである。でも朝のことがあったからか、クリスの雰囲気は険悪だ。
「僕じゃなくてクリスに謝れよ。言いがかりをつけられた挙句、酷い事を言われたんだぞ」
背後のわたしを指さしてクリスが言う。するとセオが更にしょげかえったようになってしまったので、わたしは慌てて止めた。
『クリス、気にしてないって言ったでしょ。いいってば』
「本当にごめんね」
当然セオにわたしの声は届かないので、結局謝罪される形になってしまったのだけど。
「今後彼女に迷惑がかかることはないだろうな? エリザベスにちゃんと引導を渡したか?」
「引導って、そんな……」
「あのな好きじゃない、好きになれないってちゃんと言わないと、彼女には伝わらないぞ。あの様子だと言ってないんだろ?」
「泣かれるのは嫌なんだよ……」
「馬鹿か。ちゃんと決着付けないから周りが迷惑するんだ。そもそもその気が全然ないのに、押しに負けて付き合うのがいけない」
「全然その気がなかったわけじゃないよ。あの時は好きになれるかもって思ったんだ……」
へえ、セオって先輩みたいな気の強い人が好みなのか。それとも見た目が好みだったとか? 先輩はさらりとした褐色の髪に、そこそこ美人ともいえる顔立ちだ。中身も外見もわたしとは正反対である。そっかー、わたしは問題外だったわけだね。あはは……。
「大体前はあそこまでひどくはなかったぞ。彼女がピリピリし出したのって、お前と別れてからじゃないか?」
「俺のせいって言いたいの?」
「少なくとも今日のことはな。おい、もっと速くかき混ぜろ」
「あのさ、よく見てよ。俺、クラスで一番速く回してるだろ。大体これ結構硬いんだぞ」
そう言いつつも、セオの攪拌速度はさらに上がった。うわ、凄い。今回はオリハルコンも入っているから、結構硬いどころじゃないのだ。なのでこの攪拌作業は本来なら二人でやるもの。しかしセオはそれを一人で、しかも最速でやってのけている。なんて馬鹿力だ……。
「ルシェルの事も、あの対応はないんじゃないか? あいつクリスを助けてくれたんだぞ」
「そう」
すっとセオの顔から表情が消えた。相変わらずルシェルのことになると、人が変わったように冷たい雰囲気になる。これで嫌ってないよ、なんてよく断言できるものだ。
「せめてもうちょっと普通に接してやってくれよ」
「……うるさいな、いい加減にしてくれよ。お説教だってもうたくさんだ。さっきから自分はいかにも正しいって感じで上から目線でうんざりする。大体間違いを犯さない人間なんているか? クリスだってずっと正しい道を歩んできたわけじゃないだろ」
うわ、セオが凄い怒ってる……。いつもにこやかなはずの顔は、怒りのせいか険しくなり、眼差しも凍てついたように冷たい。普段穏やかな人が怒ると迫力があるっていうのは本当だね……。クリスが怒るよりも怖いかもしれない。そして流石のクリスもびっくりしたのか、面喰ったようにセオを見つめていた。
あー、もうこの場から立ち去りたいよ。わたしはできれば彼らの複雑な事情には立ち入りたくない。だって口出せないし、盗み聞きしているようで辛いんだもん。
わたしは彼らから背を背けて周りを見回した。これならみんなの実験の様子でも見てた方がマシ――ってあれ……?
わたしはギクリとした。見間違いかと思いたかった。でもわたしの姿は見えないので、わたしが見つめていても彼女の目が逸らされることはない。
アメリアがわたしたちを睨んでいたのだ。とても憎々し気に。
何で? セオと一緒にいるから? でも、今まで彼と一緒に居ても、何も言わなかったしそんな風に見られたことなんてなかった。それとも、わたしが気が付かなかっただけ? もしかして、昨日感じたあの視線も気のせいじゃなかったってこと? アメリア、どうして……?
頭の中が疑問符でいっぱいになる。一応心当たりはあるにはあるのだ。でもそれがどうしても普段の彼女と結びつかなくて信じられない。
相変わらず傍ではクリスとセオが何やら話し込んでいる。しかし幸か不幸か彼らの言葉はわたしの耳には入らない。しばらくの間、ただ茫然とアメリアのことを見つめることしかできなかった。
理由は程なくして判明された。それは午前の授業が終わり、お昼休みに入った頃である。
「何かあったのか? ずっと浮かない顔をしているが」
人気のない廊下を歩いていたクリスが、チャームを覗き込みながら密やかに言った。
彼は鏡を度々見ていたので、わたしの様子も自然と見えていたのだろう。あれからわたしは一言も喋らないで、ずっとアメリアのことを考えていた。それが顔に出ていたようだ。
『ちょっとぼんやりしてただけ。この身体って暇でしょ? だから気にしないで』
でもそれをクリスに告げる気はなかった。彼にはかかわりのない事なのだから。
『ところでこっち、校門とは正反対だけど……』
「……トイレだ」
少し俯いて言いにくそうに呟くので、わたしも気まずくなって口を噤んだ。
そ、そっか、だからこっちを選んだわけね。クリスが向かっている場所は「出る」という曰くつきのトイレなので、近寄る人があまりいないのだ。でも今の彼にとってはその方が好都合だろう。性格からして他の女の子と一緒に、というのは耐えられなさそうだ。
その時だった。
「あのダサメガネ、本当にムカつく……!」
トイレの入り口付近から、怒りに満ちた声が聞こえてきたのだ。
この声はアメリアだ……。
予感がする。おそらく彼女の今日の様子からして、ダサメガネとはわたしのことではないか、と。もっとも、今朝のクリスの指摘がなければ絶対に気が付かなかっただろうけれど。
「本当にね。あれでクリス様と同じ名前っていうのがまた許せないわ」
ほらね、やっぱり……。予想はしていたけれど、いざはっきり聞くと冷水でも浴びせられたような心地だ。
不意に視界が動いた。そして体が引っ張られるような感覚。クリスが動いてるんだ。
振り返ってみれば、彼は眉を顰め踵を返していた。どうやら彼女たちがわたしのことを言っているって気づいたみたいだ。さすがの彼もそんな場所に入って行く気にはなれないのだろう。でもわたしは咄嗟に引き留めてしまった。
『待って、そのままここに』
「でも……」
『お願い』
自分の悪口なんて聞きたくない。落胆やら悲しいやらで耳を塞ぎたい気分だ。でもそれ以上に彼女が何を思っているのか知りたい、という気持ちの方が強かったのだ。なんて矛盾しているんだと自分でも呆れる。
「名前も態度も図々しい子。あの子セオに振られたんでしょ? それなのに昨日の帰りのあれ、何なのよ!」
これはアメリアの友人だろう。確かA組の人だ。彼女もセオのことが好きなんだろうな……。
「そうなんだよね。セオのことはもういいって言っておきながら、この前からずーっとセオにべったりしてるんだよ! 気分悪いったら」
「もしかしてあの二人付き合い始めたのかしら……」
「ありえないよ! あんな見た目にこだわらない女。人の事可愛いねーいいなーって言ってるばっかりで、何も変えようとしないんだよ! 振られて当たり前なんだから! 髪型変えたくらいでいい気になっちゃって!」
「よくそんな人と上辺だけでも仲良くできるわよね」
「頭いいからに決まってるじゃん。目的なんてそれしかないでしょ。あんなつまんない子」
本当にショックだった。彼女の言葉一つ一つが重く鋭く、わたしの心を貫いていく。悲しい。セオに振られた時よりも、ううん、あの別荘見学の時よりも悲しい。それなのに涙は出なかった。そういえば昨日もそうだったっけ。こんな身体してるからかな……。
「ま、でも心配する必要ないわよ、アメリア。彼女、ミドルトン先輩に目を付けられことだしそのうち離れていくわよ」
「え、そうなの?」
「ふふ、ちょっと彼女に教えてあげたのよ」
「そーなんだ……」
何も考えられずに、トイレの入り口をぼんやりと見つめることしかできない。彼女がたちが出てきても、わたしは視線を逸らせなかった。
「あら……」
先に出てきたアメリアの友達が、クリスを見てくすりと笑う。そのおかげで、続いて出てきたアメリアもすぐにこちらに気が付いたようだ。彼女は一瞬目を見開き、そして気まずそうに視線を逸らしてわたしたちに背を向けた。
わたしは言葉もなく彼女たちを見ていた。クリスも何も言わなかった。わたしたちの間に沈黙が漂う。まるで金縛りにでもかかったみたいに、身体が動かない。
しかし視界の端で映った彼の動作によって、わたしの硬直はすっと解けた。拳を目に当てぐいっと引く動作はまるで――
『クリス……?』
クリスの様子を伺い、わたしは自分の目を疑った。
まるで涙を拭うような仕草だ。そう思ったのは間違いじゃなかった。何故かクリスの頬が、涙で濡れていたのだ。




