21
玄関に向かうと、セオが壁に寄りかかって待っていた。あ、大あくびしてる。凄く眠そうだなあ……。
「おはよう。遠路はるばるご苦労」
「お、はよー……」
彼はクリスを見るなり、夢から覚めたみたいに目をぱちくりとさせた。まるで不思議なものでも見るみたいに。
「何だよジロジロと」
「いや、随分変わったなあと思って。メガネもないし髪型も違うし。そんなに改造しちゃって彼女に怒られなかった?」
「まさか。僕の絶技に感心してたぞ」
「はは。にしてもこれ可愛いね。どうなってんの?」
さらりとそんなことを言って、セオが物珍し気にクリスの髪の毛を触る。
よ、良かった……。中身がわたしじゃなくて。こんなこと言われて触られたら多分わたし、真っ赤になってただろうな。うん、でもこんなに気安いのは中身がクリスだからだよね。
「お前は本当にバカだよな」
クリスは嫌そうな顔をしてセオの手を振り払い、彼の身体を無理やり反転させて押し出した。
「何でだよ、褒めたのにバカって」
「……元に戻ったら教えてやるよ」
『今教えてあげればいいのに』
わたしの言葉を黙殺して、クリスがセオの首に手をまわしておぶさる。その光景に目を背けつつ、わたしは首を傾げた。
もしかしてわたしがいるから言いにくいのかなあ。セオと付き合いの長いクリスの事だから、色々と思うところがあるのかもしれない。でもそれを他人の前で語るのは憚られる内容だから言えない、って感じだろうか。まあわたしには関係ないね……。
昨日よりは緩やかな飛行だったものの、流石はセオというべきかいつもよりも早く学校へと到着した。朝早かったのでそこまで人はいなかったけれど、誰かにおぶさって登校する人などいないので、当然わたしの姿は周囲の視線を集めた。これは恥ずかしい……。でも仕方ない。身体飛行での通学の場合、補助具も何もなければ降下する場所は校門のみ、と定められている。よって人目に付くのは避けられないのだ。
でもこの場でそれを気にしているのはわたしだけ。二人とも注目されることには慣れているのか、全く気にせず笑って会話していた。
「じゃ、俺部室に寄ってくから先に行ってて」
「ああ、じゃあな」
エントランスホールでセオと別れて、教室へと向かう。そしてだだっ広い廊下から、庭の見える渡り廊下へと足を踏み出した時である。
「ねえ、クリス・グロブナーってあなた?」
名前を呼ばれて、クリスが振り返る。彼を呼び止めたのは、エリザベス・ミドルトンだった。一学年上の先輩で、伯爵家のご令嬢だ。女子のリーダー的存在でもある。気が強くて怖い先輩、というのがわたしの中でのイメージだ。
でも何の用事だろう。彼女とわたしには何の接点もない。全然心当たりがないんだけど。やだなあ。傍らに立つ彼女の取り巻きもちょっと怖い雰囲気だし、嫌な予感がひしひしとする……。
「そうですけど、何でしょうか」
「ふうん、クリス・グロブナーね……」
ミドルトン先輩はジロジロとクリスを上から下まで眺めたあと、薄らと笑みを浮かべた。
「同じ名前でも天と地ほどの差があるわねえ」
隣を陣取っていた取り巻き達がそう言って、馬鹿にしたようにくすくすと笑う。だろうなあとは思ってたけど、やっぱりクリスとわたしを比べているみたい。比較されるのはよくあるけど、ここまであからさまなのは初めてだ。流石に気分が悪いよ……。
「用がないのでしたらこれで失礼します」
「バカね、用があるから呼び止めたんでしょ」
「でしたら品定めをする前に用件を言ってくださればよろしいのに」
冷ややかな目つきと平坦な声で言うクリスに、先輩たちの眉間に皺が寄る。こ、こわっ……! 彼の言うことには心の底から同意するけど、あんまり彼女たちを刺激しないでほしい。この先困るのはわたしなのだ。
『クリス、どんな用件にしろ、ここは穏便に済ませてくれないかな。この先輩怒らせたら後々うるさそうだし……』
彼は少し眉根を寄せて、視線を落とした。自分の意見を言わなきゃ気が済まない彼にとっては辛い所だろうが、どうかここは堪えてほしい。
「じゃあはっきり言うわ。セオに馴れ馴れしくするのは止めて欲しいの」
えっ。馴れ馴れしくって……、何で? 昔彼女とセオが付き合ってたのは知ってるけど、それは過去の話だ。別れたって一時期話題になってたし。だから干渉される筋合いはないような……。
「私たちはクラスメートなので、仲良くするのは自然な流れです。そんなことを言われても困るんですが」
「物分かりの悪い人ね。わたしたち付き合ってるのよ。こう言えばわかるでしょ?」
あれ、そうなの? その割には最近全然一緒にいないけど。
「は? 先輩たちとっくに別れたんですよね」
「別れてないわ。今はちょっと距離を置いているだけよ」
「私はセオ本人からそう聞きましたが」
「嘘を言うのは止めてくれる!? 不愉快な子ね」
本人が言っているのなら間違いないんだろうけど、でも先輩の中では違うようだ。今でもものすごく好きなんだろうな。付き合う前から最中まで、彼女、セオにべったりだったもんね。羨ましいなって思ったから、その光景はよく覚えてる。
そっか、じゃああれだね。多分、昨日か今日の送り迎えの様子を見られていたのかも。かなり密着していたし、先輩にとっては不愉快極まりなかったことだろう。でもそんなことで睨まれても困る。第一わたしはセオとは何でもないし、好きだったのは前の話だ。勘弁してよ……。
『クリス、お願い! どうか穏便に……』
「分かりました。用がなければ近寄らないようにします。これでいいでしょう?」
彼はうんざりしたように溜息を吐いて、面倒くさそうに言い放った。案の定、先輩たちが眉を顰める。うわあ、今後の学園生活が不安でならない……。
「初めからそうすると誓えばいいのに。第一あなたとセオとでは友人としても釣り合わないのよ。彼の家は代々名高い騎士を輩出している家柄。お爺さまは将軍を務めたお方だし、お父さまに至っては陛下専任の騎士。田舎育ちのあなたとではちょっと、ね……」
「そもそもあなたのような人がこの学園に入学すること自体がおかしいのよ」
「全くだわ。学園の品位が下がってしまうじゃないの」
先輩たちが口々に嘆く。そんなことわたしに言われても……。文句なら一般人の入学を認めた人に言ってもらいたいなあ。などと心の中で愚痴っていたら、クリスが不快感も露わに口を開こうとしていた。な、何を言う気!?
「今時何を――」
「随分と時代錯誤なことを仰るのね、エリザベス」
凛とした声がクリスの声に被さる。振り返ると、垣根の傍からルシェルが姿を現した。
あ、確かそこにはベンチがあったっけ。死角になってるから分かりにくいんだよね。本を持ってるし、ここで早朝の読書でもしてたんだろうな。ということは、今までの会話全部聞こえていたのか……。
「あらルシェル、ご機嫌よう。殿下を追ってアラディアからはるばるこちらに来たんですって? ご苦労なことだわ……」
ミドルトン先輩は笑顔だけれど、言葉にはとっても棘がある。二人は上流階級の人たちだし面識があるんだね。でも仲はよくなさそうだ。
「相変わらず曲解と妄想がお得意なんですね。呆れてしまうわ」
「呆れるのはこちらよ。盗み聞きなんて厭らしい。恥ずかしくないのかしら」
「私が先にここに居たのだから、仕方ないでしょう。大体あなたたちの声も大きすぎます。他の生徒にも聞こえていますよ」
彼女の言う通り、通り過ぎる生徒たちが何事かとちらちらこちらに視線を送っていた。その指摘にミドルトン先輩の眦が吊り上がる。
「ルシェルには関係ないでしょう!? さっさと立ち去りなさい!」
「立ち去りません。友人が寄ってたかって言いがかりをつけられているのですから。それに関係ないというのなら、話の内容からして横のお二人も同様でしょう? 友人を引きつれて下級生をけん制するだなんて、それこそ恥というもの。品位が下がる行いをしているのは、あなたたちです」
「何ですって!?」
「人の彼氏に手を出すことはもっと下品よ!」
「本人が別れたと言っているのに?」
「それはこの子が勝手に言っているだけよ!」
全く冷静なルシェルとは裏腹に、先輩たちはどんどんヒートアップしていく。見ているだけでもハラハラするこの光景、どうにかして治めたいけど、今のわたしには手の出しようがない。クリスも彼女たちのやり取りに戸惑っているみたいで、介入は無理そうだ。このままだととんでもないことになりそう。ど、どうしよう……。
「何してるんだよ、エリザベス!」
ぎゃんぎゃんと喚いていた先輩たちが一瞬で静まり返った。凄い、戦場に降ってきた天の声のようだ。
皆が見上げるその先には、窓から顔を出すセオの姿。彼は窓から身を乗り出して、わたしたちの中心へと降り立った。
「クリスに突っかかるのは止めてくれよ」
「だってこの子がデタラメを言うから!」
「またその話か……」
「二人とも、痴話喧嘩をするなら空き教室に行った方がいいと思うわ」
ルシェルの忠告に、セオがキッと彼女を睨み付ける。そんな彼の様子にわたしは心底驚いた。
これ、本当にセオなんだろうか……。女の子に対して睨んだりとかそういうことをしない人なのに。別人でも見てるみたい。
「ご忠告、痛み入るよ」
「そう」
ルシェルはセオから視線を逸らし、踵を返して足早に立ち去っていく。
「バカ男」
彼にだけ聞こえるように、クリスが呟いた。そしてルシェルの隣に並び立って、彼女ににっこりと笑いかけた。
「ルシェル、待って。教室まで一緒に行こう」
「うん……」
微笑み返すルシェルに元気はない。確かにあんな風に見られたら傷つくよね。でもあれを見ちゃうと嫌われてるとしか思えない。
ルシェルを元気付けてあげたいけど、かける言葉がみつからない。落ち込んでる彼女を見てると、何とかできたらなって思ってしまうのだ。もっともわたしはこんな体だし、声だって届かないからやきもきすることしかできないんだけど。うーん、どうしたものか……。あ、そうだ。肝心なこと忘れてた。
『ねえクリス、助けてくれたお礼、言ってね!』
さっきは本当に嬉しかったのだ。庇ってくれたこと、そしてなによりも友人って言ってくれたことが。
「もちろんだ」
「え? なあに?」
はは。慣れないとこうなるよね。わたしも最初の頃は、独り言みたいにクリスの声に答えちゃったことがあったっけ。
「いや、助けてくれてありがとうって言いたくて」
「余計なお世話かとも思ったんだけど、聞いていられなくてつい。でもあなたって意外と胆が据わっているのね。あのエリザベス相手に堂々としたものだわ」
そりゃ、中身が違いますから……。いつものわたしならはいはいと言うことを聞いていたことだろう。情けないけど……。
「そういえばいつもと雰囲気が違うわね。今日は何かあったの?」
「ちょっとした気分転換。立ち向かえたのはそのお陰かも」
「なるほど。確かに身を飾ると気分も変わるものね。今日のあなた凄く素敵よ」
彼女の素敵な笑顔付きの称賛の言葉にわたしは思った。流石クリス様が手掛けたことだけはあります、と。
うーん、わたしももうちょっと見た目に気を付けようかな……。いつものわたしだったら、ミドルトン先輩たちにもっと凄い事を言われていたかもしれないもんね。
今までは磨いたって無駄。そんな時間があるなら勉強に費やしたいって思ってたけど、努力次第でわたしでも何とかなるということは、クリスが身をもって示してくれたのだ。うん、元に戻ったら頑張ってみよう。まずはわたしには全くないセンスを勉強しなければ……。
「ねえ、セオと喧嘩でもしてるの?」
「え?」
「ずっとよそよそしいから、ちょっと気になってたの」
「ううん、喧嘩はしてないわ……。ただ、昔彼にとても酷いことをしたから、合わせる顔がないの。彼も私のことを嫌ってるし、話しかけない方がいいかなって……」
なんて呑気にもお洒落について考えている間に、二人は何だか深刻な話を始めていた。
「でもセオはルシェルの事、嫌ってないよ」
「慰めてくれてありがとう……」
「これは適当なんかじゃなくて、本当のことだから。セオを見ていたらわかるよ」
そうなんだ……。わたしには嫌っているのかも、としか見えなかった。でも親友のクリスがこんなにはっきり言うなら、きっとそうなのだろう。
「そうかな……」
「うん。そのうち仲直りできるよ。大丈夫」
そう言ってクリスが優しく微笑んだ。
ルシェルの事を気遣って慰めて……、クリスにとって彼女は凄く大切な従妹なんだね。ルシェルもクリスの事、大切に想ってるみたいだし、異性では数少ない心を許せる相手、か……。
美貌の二人。家柄だって釣り合っているし、何より彼らはお互いのことを想いあっている。
やっぱりお似合いだなあ。
そう思ったら、わたしの気分はどうしようもなく落ち込んだ。うん、あり得ないあり得ないって言い聞かせてきたけど、もうここまでくると認めざるを得ない。
わたしはクリスのことが好きなんだ……。