1
グリーンフィールド学園で一番カッコいいのは? と聞けば返ってくる答えはレナード王子。一番付き合いたいのは? と聞けばセオ・アルドリッジ。そして美人なのは? と聞けばクリス・グロブナーと言うのがお決まりのパターンだ。
クリス・グロブナーとはわたしの名前である。そう、何を隠そうわたしがその美人……などでは決してない。こっちじゃちょっと珍しい銀髪だけど、顔は美人とは程遠い。つまりは同姓同名の生徒がいるのである。しかも女生徒ではなく、男子生徒、そして貴族のお坊ちゃまなのだ。
有名人と全く同じ名前というのはややこしく、わたしにとって苦痛でしかない偶然だった。名前を言えば、驚いたように二度見されるし、彼の知り合いからは紛らわしいからってことで、メガネって呼ばれるんだよね……。同じクラスじゃなかったのがせめてもの救いかな。
とまあそれは置いといて、今の現状である。何でこんな回想をしちゃったのかというと、美人のクリス・グロブナーさんが今、わたしの目の前にいるから、だと思う……。
いや、それにしても相変わらずの綺麗な姿だね。芸術鑑賞でもしているような気分になるなあ。
傷やそばかすなんて一切見当たらない、透明感のある白磁の肌。天使の輪っかができている黒髪は、触ったらすごくさらさらしていて気持ちよさそう。切れ長でアメジストをはめ込んだみたいな綺麗な目は、不機嫌そうに細められている。機嫌が悪いのかな。でも美形の睨みって凄みがあるから様になる。しかも右手に鞭持ってるし。ハマりすぎだよ……。
「何がおかしい!」
ヒュンとグロブナーさんの持つ鞭がしなる。わたし目がけて――!?
「ひぇっ!」
わたしは驚いて、転がるように避けた。何で突然そんなことするの!?
「だらしなく笑っている場合じゃないだろう!」
「ええ……?」
わたし笑ってたのか……。うん、でも素敵なものをみると顔って緩んじゃうものじゃない……?
「あ、あの貴方さまの鞭を持つ姿がとても似合っていたので……」
「そんなことはどうでもいい! いい加減起きろ!」
再びグロブナーさんが腕を振り上げたので、わたしは両手を突き出して叫んだ。
「いやーっ! 叩かないでっ!!」
ガタン! と派手な音を立てて、足がマットレスに落ちる。
……あれ? これって落ちるときの夢から覚醒したみたいな感じ……。ってことは、今のは夢? ここはどこなんだろう。わたしの部屋じゃないっていうのはわかるけど……。
わけがわからなくて、わたしは寝たままぼんやりと真っ白な天井を見つめた。
「クリス!」
横から義姉のモニカが現れて、泣き笑いを浮かべてわたしの手を取る。ただならない様子にわたしは目を白黒させて起き上がった。
「良かった、良かったー!」
「何が……?」
「クリスね、雷に打たれたんだよ……。五日も眠ったままだったから、もう目が覚めないかと思った……」
「え? 本当に……?」
「うん。何でもね、学校の雷避けの方陣、効力が薄まってたんだって。そのせいだろうっていう話」
そうだったんだ……。えーと、じゃあ打たれたのは、振られた直後か……。うう、やなこと思い出しちゃった。
にしてもあの夢、最後に見たのがクリスだったからあんなの見ちゃったのかなあ。
あれ? ということは、彼も雷に打たれたってこと……!?
「あのね、もう一人雷に打たれたと思うんだけど、その人はどうなったの?」
モニカに尋ねると、彼女はさあ? と首をひねった。
「一緒に運ばれてきたんだけどね、すぐ転院しちゃったからどうなったか知らないよ」
「そっかあ……。貴族さまだもんね。いい病院に転院したんだ……」
「でもクリスが目覚めたんだし、その子もきっと無事だよ」
「そうだといいんだけど……」
まさかさっきの夢、わたしだけ無事だったから恨みに思って枕元に立った、とかじゃないよね……。本当に無事であってほしい。じゃないと寝覚めが悪いよ……。
しばらくすると、席をはずしていたお母さんと幼馴染のネリー・シモンズがやって来た。起き上がっているわたしを見た途端、お母さんが号泣してしまい胸が痛んだ。何だか顔がちょっとやつれているし、白髪も増えたような気がする。心配かけてごめんね、お母さん……。
五分程度で涙をひっこめたお母さんは、今度はお腹が空いたと言い出した。立ち直りが早いなあと思ったけど、泣き顔を見るよりはこっちのほうが断然いい。はしゃいだ様子で病室を出るお母さんとモニカを見送って、わたしとネリーは顔を見合わせて笑った。
「さっきとはえらい違いだ」
「ほんとだよね」
「それにしても本当に無事でよかった。聞いたときはびっくりしちゃった」
「わたしもビックリしてるよ。まさか自分が雷に打たれるなんて思わないもん」
だよねー、と言いながら、ネリーの視線が上から下に動く。まるで観察しているみたい。もしかして、雷のせいで人相変わっちゃったって訳じゃないよね?
思わずペタペタ顔を触る。別に不自然に変形している感じはない。
「何やってんの?」
妙な行動の原因はネリーだというのに、彼女は怪訝そうに眉を顰めた。
「だって、ネリーが珍しいものでも見るみたいに眺めてくるから。もしかしてどこか変形しちゃったかなって……」
「焦げてる」
「嘘っ!? 鏡みせて!」
嘘だよ、と軽く笑ってネリーは続けた。
「たださぁ……クリス、つかれてるなーって思って」
「あ、わかる? 寝てただけなのに、なんか疲労感があるんだよね」
きっとあの怖い夢の所為だ。何かに急かされるような夢を見ると、何故だか休んだ気がしないのだ。
「これからはもっと大変じゃない? 学園戻ったら色々聞かれそうだし」
「あっ、確かに、それはそうだね……」
想像してちょっと憂鬱になった。あのグロブナーさんと一緒に珍しい事故に遭ってしまったのだから、何かしら言われるだろう。面倒くさいなあ……。
「……まあ困ったことがあったら、あたしんちにおいでよ。ドリューも喜ぶし。じゃ、帰るね」
「うん、ありがとう。愚痴りに行っちゃうよ!」
ネリーってばドライに見えるけど、相変わらず優しい。わたしは親友の優しさに感激しつつ、二度寝するべくベッドに身を横たえた。
翌日、異常なしとのお医者さまの判断が下りたので、わたしは無事退院することができた。
青々とした野山を背景に、橙と黄色で染められた花畑の脇に立つ一軒家。それがわたしの家だ。
家に戻ると、皆手放しで喜んでくれた。その上、六日遅れの誕生祝い兼、快気祝いのパーティーを開いてくれたのだ。わたしは用意されたごちそうをお腹いっぱいに詰め込んで、満たされた気持ちで自分の部屋へと引っ込んだ。
ベッドにごろりと寝転がる。一人になってぼうっとしていると、今度は目じりに涙が浮かんだ。
病院ではモニカやお母さんがいたから、我慢していたけどここではそんな必要もない。六日前のことだとしても、ずっと寝ていたわたしにその間の記憶などあるはずもなく、振れられたことが昨日のことのように感じられてしまうのだ。
最悪なことに、セオはクラスメートだった。気まずくて顔なんて合わせられない。でもわたしが寝ている間にお見舞いにきてくれたみたいだから、ちゃんとお礼は言わないと。ただのクラスメートなのに気にしてくれるなんて、やっぱりセオって優しい。しばらくは吹っ切れそうにないよ……。
ろ――
……?
をみろ――
え? すぐ傍で何か声が聞こえたような……。咄嗟に部屋を見回したり、窓の外を眺めたりしてみたけど、なんにもいない。
鏡を見るんだ――!
「ひえっ!?」
高圧的な口調につられるように、わたしは咄嗟に鏡を見た。今度ははっきり聞こえた。な、何だろう今の。後遺症ってやつなのかなあ……?
混乱した気持ちのまま、鏡を眺める。そこには当然ながら、いつもの自分が写っていた。……でも、ちょっとおかしい。
もう一度振り返って部屋を見回す。だけどやっぱり誰もいない。気のせいかと思って、わたしは再び鏡を見なおした。
「え……?」
メガネを外して目をゴシゴシこすっても、その姿は消えなかった。鏡はわたし以外にもう一人の人物を写し出していたのだ。貴族のクリス・グロブナーを。