18
「どうしたの?」
「ここでは話しにくい」
更にクリスは、困惑気味に近寄るセオの腕を引っ張り教室から連れ出した。ああ、視線が痛い……。しかも一瞬だけど背筋がぞわっとした。刺すような視線、みたいなものを感じたのだ。思わず振り返って見てみたけれど、既に教室を出てしまったので確かめようがない。でも、確かアメリアがいた方から感じたような気がする。セオを連れていったから? いやいや、彼女に限ってまさかそんなはずはない。そのくらいで怒ったりしないもの。多分気のせいだ。
わたしが不安に苛まれている間にも、クリスはセオを連れて廊下を無言でずんずんと進んで行く。どこに行くのかと思えば、やってきたのは中庭だった。
「君さあ」
きょろりと辺りを見回しながら、セオがひっそりと呟いた。
「何だ」
「男の方のクリスみたいなんだけど」
おお、流石長年の友人! しかも彼はこちらの事情も知っているので、普通ならまさかと思う考えにも辿り着いたのだろう。わたしが感心していると、クリスも目を瞬かせて感心したように頷いた。
「お、その通りだ」
「うーん、半信半疑だったけどまさかね……」
「よくわかったじゃないか」
「いつものふにゃっとした感じがないし、彼女がこんなことするとも思えないから」
そうか、わたしはいつもふにゃっとしてるのか……。いいのか悪いのかわからない評価だ。
「で、大変な事ってクリスと彼女が入れ替わっちゃったってこと?」
「そうだ。おかげで魔法が上手く使えない。だから僕をクラインベイルまで送って欲しいんだ」
「そっか、それは大変だよね。いいよ、送っていくよ」
あんな遠い所でも二つ返事でオッケーしてくれるとは。なんて親切なんだろう。気心が知れた仲っていうのもあるんだろうけどね。何にせよわたしは感激した。
『ありがとう! 助かるよ』
ついついお礼を言ってしまったけど、当然セオは無反応。そうだった、わたしの声は他の人に聞こえないんだ。もどかしいなあ。
「彼女がありがとうって言ってる」
「困ったときはお互い様だから。気にしないで」
「よし、じゃあ行ってくれ。最速で頼む。くれぐれも安全飛行でな。保護結界は分厚く張れよ」
「注文多いな」
セオは口を尖らせて呟き、クリスに背を向けて座り込んだ。そして「ほら」と後ろを振り返って促す。どうやらおぶってくれるらしい。わたしにしてみたら、ちょっと恥ずかしいシチュエーションだ。クリスは全然抵抗もなくセオにおぶさっていたけど。
「それでクラインベイルのどこまで行けばいいの?」
「そうだな……。クリス、ネリーは今の時間でも家にいるのか?」
『そのはずだよ』
ネリーは学校には通っていない。家の手伝いをしつつ自宅で学習という方法を取っている。昔はそんな彼女のやり方が不思議だったけれど、特殊な事情を知った今では行けない理由も何となく理解できた。
「ならネリーの家に寄ってもらおう。おい、セオ、僕が指示した場所まで行ってくれ」
「うん、わかった」
最速で、との注文の通り、セオの飛行はとんでもなく速かった。ネリーの家まで何とニ十分足らずで到着してしまったのだ。エアボードより早いとは。凄すぎる……。
「ここでいいの?」
「ああ、でもまだ帰るなよ。話が終わるまで待っててくれ」
「何でだよ」
『ここまで送ってもらったら充分だよ、クリス。セオには帰ってもらおうよ』
流石にそこまで拘束するのはセオに悪い。ここから自宅までは歩いて五十分くらいだし、そうしんどい距離ではないから彼に頼らなくても何とかなる。
するとクリスは憂いを込めた眼差しを夕日に向けて、ふっと息を吐いた。
「もう日が暮れる。話が終わる頃には真っ暗になるだろう。魔法が使えないか弱い女の子を、暗がりの中一人で帰らせる気か? 人でなしめ」
あっ、わたしの言うことは無視ですか。そうですか……。
「そういう憎たらしい口調で言われると、お前なら何があっても大丈夫だよって言いたくなるね」
「うるさい。とにかく待ってろよ、いいな」
「はいはい」
『ごめんね、セオ……』
聞こえないとはわかっていても、声に出さずにはいられなかった。だってクリスの要求はわがまま娘そのものなんだもん。中身は娘じゃないけど。
「別に君は気にしなくていい。僕とあいつはいつもあんな感じだ」
『あ、そうなんだ。いつもクリスが無茶言って困らせてるんだね……』
「馬鹿言うな。あいつだって無茶苦茶言う時があるんだぞ。お互い様だ」
『えー、セオが? 想像つかないなあ……』
「そう。想像もつかないようなことを言ってくるんだ。君も聞けば驚くさ」
クリスはシニカルな笑みを浮かべて、滅多に使われない呼び鈴を押した。ややあって、ガチャリという音を立てて扉が開かれた。
「ハーイ、どちらさ、ま……」
面喰ったようなネリーの視線が、上から下へとわたしたちに注がれる。そしてすぐさま顔を強張らせた。
『ネリー、大変なことになっちゃった……』
「どういうこと? 何でこんなことに? ああ、クリス、何言ってるのかわからないよ……」
彼女ならわたしの姿が見えるから、入れ替わったことをすぐ理解したのだろう。それでもやっぱりわたしの声は彼女にも届かないみたいだ。
「それが僕らにもさっぱり。だからここに来たんだが」
「それだでわかるわけないでしょ。状況を詳しく話してよ」
「気が付いたらこうなってたんだ」
実に簡潔な答えに、わたしは苦笑いを浮かべた。それだけじゃわかるわけがない。わたしからも話さないと。ああ、直接伝えることができないって、すごくじれったい。この身体って本当に不便だ……。
「あのさ、それのどこが詳しい状況説明なわけ?」
「僕の場合は本当にそうなんだ。クリスの話を聞いた方がわかるかもしれない」
『じゃあわたしの話、伝えてね』
授業中にすごく眠くなって寝たこと。そして身体が浮き上がるような感じがしたことを伝えてもらった。言葉にすると大した説明にもなっていないような気がするけど、これがあの時起きたこと全てだ。
「そうだ、あと一つ。関係あるかどうかわからないが、それが起きた時間は例の時間だ」
「君が生まれた時間だね」
えっ、そうだったのか。混乱していたけど、ちゃんとそこまで確認してたんだね。余裕がないように見えて、結構目敏いんだなあ。
「魔鏡はあった?」
「あるにはあったが、合わせ鏡ではなかった」
「そっか」
しばらくネリーは考え込み、多分だけど、と呟いた。
「クリスは幽体離脱を起こしたんだと思う。そこで空っぽになった体に、傍にいたクリス君が入っちゃったんだね」
「戻れるか?」
「さて……、やってみないと何とも言えない。とにかく明日、同じ時間に今日と同様のことをやってみようと思うんだけど、学校は早退できそう?」
『そもそも交通手段がないから休むしかないよ』
「あまり休んでもいられないだろう。君の評価に関わる。大丈夫だ、早退できる」
『えっ、どうする気? まさかまたセオ?』
「君は気にしなくていい。僕に任せてくれ。悪いようにはしないから」
ムッとしてクリスが呟く。まあわたしとしても、行ってくれた方が助かる。それに何か機嫌悪そうだし、これ以上このことについて触れるのは止めた。ただこれだけは忘れずに釘を刺しておかなければ。
『じゃあお任せするけど、くれぐれも普段のわたしからかけ離れた行動はしないでね』
今日のことを振り返ると、念を押すのは止められなかった。