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帰るまでの道中、クリスはずっと無言だった。それどころか家に入っても、いつものお小言も降ってこないのだ。あまりにも静かなので、さりげなーく鏡を覗く。すると彼はしかめっ面でわたしの後頭部を睨んでいた。
解決方法の件でまだ苦悩しているのだろうか。流石に呆れてしまい、ベッドに身を放り投げながらつい言ってしまった。
「そんなに睨まないでよ。不本意な方法かもしれないけど、やるしかないんだから。そんなに我慢できないなら、ほら、自分とキスすると思えば。誕生日も名前も同じなんだし」
イライラを逃がすようにため息を吐く。そしてか鏡をみて硬直した。
今、わたし何言った……? ものすごい事言ったよね。自分だと思えって……。無理! そんなの無理に決まってる!
例えるなら清廉なる白百合と、そこら辺に生えてるぺんぺん草。それくらいにクリスとわたしの顔面格差は酷いのだ。いや、わかっていたけど、勢いで身の程知らずなことを言っちゃった。ああ、鏡の中のクリスも不愉快そうに顔を顰めてる。よくもそんなことが言えたなって鋭いツッコミが今にも聞こえてきそうだ。
『僕にそういう趣味はない』
あ、そっちですか……。
『別に君とキスするのが嫌なわけじゃない』
「わかってるよ。キスするなら好きな人とってことでしょ。わたしだってそうだもん」
『……ごめんな』
これには心底ぎょっとした。てっきり「だよなー」とかそういう同意が得られるものだとばかり思っていたのに、まさか謝られるなんて。しかもあのクリスがしおれた花のようにしょんぼりしているのだ。予想外の反応だ……。やめてよ、そういう顔されると弱いんだよ……!
「そんな、謝らなくても……。これってどっちかが悪いわけでもないでしょ。偶然に起きちゃった不幸な事故なんだから。それにあんまり大事に捉えられるとこっちもやりにくいよ。そもそもキスって考えるからいけないんだよ。わたしたちが行うのは単なる蘇生行為。ね、軽くいこう、軽く!」
頷きながらもクリスが片手で顔を覆う。その姿を見て、ふと思った。
口と口をくっつけるぐらいでこんなに動揺するなんて、純情な乙女みたい……。
そして慌ただしい週末は過ぎ去り、迎えた月曜日。
教室に入ってわたしは首を傾げた。
「アメリア、おはよう……。具合悪いの?」
いつもはお喋りにいそしんでいるアメリアが、今日は机に座って一人でぼんやりしている。珍しいなあ、どうしたんだろう。
「ん~、ほら、月曜でしょ。だるいの……。学校大好きなクリスには分からないだろうけど」
「まあ、念願かなって入れた学校だからね」
「あ、そ」
アメリアはそれきり口を噤んでしまった。どうやら今は誰かと喋りたい気分じゃないみたい。こういう時はそっとしておくに限るね。
「あ、いたいた、クリス、おはよう」
自分の席に行こうとすると、入口からひょっこりと顔を出したセオに声を掛けられた。
「おはよう」
「ちょっとあっちで話さない?」
セオが指で廊下を示す。きっと日曜日のことだろうな。わたしもお願いしたいことがあるし、丁度よかった。
わたしはそそくさと教室を出て、セオの元に駆け寄った。
「どうだった、戻れそう?」
「うーん、一応方法らしきものは教えてもらったんだけど、それで戻れるかどうかわからないの……」
「そっか。でもやるんだろ? 俺が手伝えることある?」
「うん。出来れば人払いとか、人が来ないように見張っててほしいかな。人に見られると色々とまずい方法だから」
「もしかして禁呪関係?」
「す、鋭いね……」
それもあるけど、それだけじゃないんだよね。もちろんこれは内緒だけど。
「だから何をするかは詳しくは言えないの。このことは絶対内緒でお願いね」
「勿論だよ。で、次はいつ行くの?」
「それがまだ決まってなくて……。多分来月の四日になると思う」
「随分時間が開くね」
そうなのだ。これには二つ理由がある。
まず一つ。わたしたちが行おうとしているものは禁呪が関わるため、賢者の認めた立会人の元行わなければならない。これはネリーの師事している先生が引き受けてくれるそうだ。上手くわたしたちのことを伏せて許可を得てくれるとのことだった。ただ先生は遠方でお仕事中なので、戻ってくるのは一週間後。それから手続きをして頂けるということなので、どうしても時間がかかってしまうのだ。
そして二つ目。以前の症例とわたしたちが触れた時の光の強さから察するに、結局対象者の生まれた日時の方が有力だろうという流れになった。あの時色々と驚きすぎてそこまで気が回らなかったんだけど、つまりクリスの生まれた時間って四時四十四分なんだよね。ついでに言うと秒数は四十四秒。ゾロ目で印象深い時間だったので、アレクシアさんが覚えていたらしい。彼女はクリスによく言っていたそうな。あなたは四という数字に縁があるのね、と。
ならばなるべく条件を合わせてみようということで、先生の都合もすり合わせて導き出した日付が五月四日ということだったのだ。
当然これもセオには言えないんだけど。
「まあ何かと準備に時間がかかるから。その日祝日だけど、セオはクラブの予定とか何もない?」
「多分あると思うけど、都合付けて行くよ。大事なことだからね」
「おい、セオ! マークが呼んでるぞ!」
背後から上がったデリックの大声に、胸がドキッと跳ねた。今の聞かれてないよね。振り向くと、デリックが眉間に皺を寄せてこちらを見ていた。うわあ、嫌な予感がひしひしとする……。
「うん。じゃあ、戻ろっか。そろそろHR始まるしね」
「そうだね」
荷物もそのままだったから片付けないと。デリックもなんか怖いし早く戻ろ。そうしてセオの後に続いて教室に入ろうとしたんだけど、デリックに腕を掴まれて入り損ねてしまった。
「何?」
「あのさ……」
それから彼はあー、とか意味のない単語を呟き口をもごもごさせた。やっぱり聞かれてたのかなあ。でも聞きたくても聞き出せないって感じがする。はっきり聞かれないうちに話し逸らしちゃえ。
「ねえ、そういえばこの前グロブナーさんの事教えてもらったお礼、まだだったね」
「え?」
「デリックの事だから勉強教えて欲しいって言うんでしょ? 今日は無理だけど、明日の放課後なら付き合うよ」
「あー、うん……」
良かった、大人しく頷いてくれて。しかもタイミングよくチャイムが鳴ったので、わたしは早く早くとまだ何かを言いたそうにしているデリックの背中を押して促した。
我がクラスの担任、メリガン先生は時間にきっちりしている。だからいつもはチャイムと同時に姿を現すんだけど、今日は珍しく遅かった。
「先生遅いね。お休みかな?」
「さっきちらっと聞いたんだけどさ、編入生がくるみたいだからその関係じゃないかな。楽しみだね」
多分その席にくるだろうし、とセオがわたしの隣の空席を指さした。
へー、そうなんだ。男の子か女の子かどっちかな。どちらにしても仲良くできるといいんだけど。
期待半分、緊張半分で待ち構えていると、やがて先生が少女を伴ってやってきた。
騒がしかった教室が一瞬シンとなる。理由は分かる。きっと彼女に見とれているからだろう。
だってその子はあまりにも可憐で美しい人だったからだ。
艶やかでさらりとした長い黒髪。けぶるまつ毛に、涼やかな切れ長の瞳。華奢なのに出るところは出ているという羨ましいスタイル。すらりとした立ち姿からは気品があふれ出ているようだ。そのせいか、わたしが着ると地味で野暮ったくなってしまうチャコールグレーのスカートも、彼女が着ていると品のいい礼装みたいにみえた。
そして何よりも一番注目したのはこれに尽きる。
「クリスと似てる……」
『僕の従妹だからな』
なるほど! じゃあもしかしてレナードさまが言ってた”彼女”ってあの子のことかな。きっとそうだよね。こんなに似てるんだもん。あ、そうだ。病院の時の話からして、セオもあの子のこと知ってるはずだよね。
「ねえ、セオ……どうかした?」
彼女のことを聞いてみようと思って声を掛けたんだけど、出てきたのは考えていたことと違う質問。だってセオが顔を強張らせていたから、ちょっとびっくりしてしまったのだ。
「え、いや別に……」
「そう? あ、それであの子知ってる?」
「うん……」
「そっか」
それ以上聞けなかった。眉間に皺が寄ってて不機嫌そうだし、返って来る言葉も気もそぞろって感じなんだもん。
もしかして仲悪いのかなあ。でもまさかセオに限ってそれはないよね。誰かが怒っても笑顔で窘めたり謝ったりする人だし、誰かを嫌うっていうのも想像つかない。
「おはようございます。今日からこの学び舎に新たな仲間が加わります。皆さん、温かく迎え入れてあげてください。ではミス・サザーランド、挨拶を」
先生に促されて、従妹さんの澄んだ声が教室に響いた。
「ルシェル・サザーランドです。皆さま、よろしくお願い致します」