13
術式回路の発達と共に姿を消していった魔法陣。それをこの目で見れる日が来るとは……。
現在わたしがいるのは、シモンズ家の離れである。そして目の前には、前述の通りの昔懐かしい大きな魔法陣。しかし書かれている文字は見たことがないものばかりだ。もしかしてこれで元に戻すっていうんだろうか。
「これ何の魔法陣なの?」
「これは霊体と会話するためのものだよ。こうすればあたしたちも彼の声が聞こえるようになる。波長が合えば、だけどね。さー中に入って。ドリューも早く」
「はいはい」
「よし、じゃ、動かないでね」
三人向かい合って中心に置かれた椅子に座る。そしてネリーが目を閉じて呪文らしきものを唱え始めた。
「バズビ バザーブ ラック レク キャリオス オゼベッド ナ チャック オン エアモ」
詠唱はすぐに止んだ。うん? これで終わり? 何も変わった感じがしないけど、これで会話できるようになったのかな……?
「はい、終わり。さてクリス君、何か喋ってみてよ」
『……この度は僕らのために、ご協力感謝する』
「うん、成功だね。君とは気が合うみたい」
ニヤッとネリーが笑う。ドリューも彼女と同じように笑った。
「はは。俺には聞こえないな。君とは気が合わないみたい」
言った言葉はネリーと正反対だったけど。
『まあそうでしょうね。でも感謝はしていますよ』
クリスの言葉は、感情の篭らないとても平坦な声だった。お互い最初のやり取りですっかり悪印象を抱いてしまったのか、二人の間に漂う空気がすごーく悪い。ここにネリーがいてくれて良かったって心底思う。わたし一人じゃ間を取り持てる気がしないもん。
「律儀だねえ。ドリュー、ミスター・グロブナーが協力してくれてありがとうって言ってるよ」
「いーえ。んじゃ、とりあえず近況を教えてもらえる?」
「うん」
わたしはネリーとドリューに記録したノートを差し出した。書かれた文章はそれほど多くなかったので、閲覧は早々に終了。ドリューがメモを取りながら、わたしに尋ねた。
「土曜は光らなかったんだね。で、今日も病院に行ってきたと。どうだった?」
「今日は光ったよ。関係あるかどうかわからないけど、土曜日は魔鏡に布が掛けられていて見えない状態だったの」
そう、唯一の相違点はそれだったのだ。関係あるかな、と首を傾げれば、多分ね、とネリーから答えが返ってきた。
「もしかして魔鏡と合わせ鏡の状態になるような位置に、もう一つ鏡があったんじゃない? そしてその間にはベッドがあった。どう?」
「あったよ、あった! 凄い。よくわかったね!」
「なるほどね。じゃあこれが関係していると思う。”鏡魂反転呪法”ってやつ。そのものってわけじゃないけど、二人がこうなった現象はこの魔法に近いものがあるから」
「呪法って、それ禁呪……?」
「そ。だから内緒ね」
『何でそんなことを知っているんだ? 審査が通るのには並大抵のことではないはずだが……』
「今はそんなこと問題じゃないでしょ。あ、あたし自身はちゃんと特別許可書を持ってるから、その点は心配しないで」
特別許可書って何。そんなのあるの? ネリーにはなんだか色々秘密があるみたい。幼馴染なのに全然知らなかったなぁ……。でも禁呪関係はぺらぺら言えるような内容じゃないもんね。当たり前か。
「で、この魔法なんだけど、鏡を使って魂を移動させるというものなんだ。念の篭った魔力でショックを与えて、対象者の身体から魂を追い出し鏡に閉じ込める。そして自らの魂を対象者の身体の中に入れ込むの。ま、聞いての通り、用途はろくなことじゃないんだけどね」
「えーっと、それが雷……つまり自然の魔力で発動しちゃったってこと? 呪文とかないの?」
「呪文はないけど、使うべき魔法陣があるの。それから色んな条件もそろってないとね。使用する時間は対象者が生まれた日時。必要なものは膨大な魔力。それから対象者は雑念のない状態で、使用者は負の念を持って行うこと。鏡は魔鏡だと尚良しってとこかな」
思い当たる節がありすぎて、わたしは思わず頭を抑えた。
あの時のわたしは悲しみのどん底で、確かに負の感情に囚われていた。そこに雷の魔力が加わってこんなことになっちゃったの? しかも丁度セオからもらったチャームにも魔鏡が付いていて……、そういえば現れたクリスの手にも何かが握られていたような……。
「クリスもあの時、鏡持ってたっけ……?」
『持ってたな。雨に濡れた自分を見ようと思って……。ほら、セオからもらったチャーム。確か、君もあの時持ってたよな……』
二人して呆然と呟く。何ていう偶然なんだろう。人生で一番最悪な誕生日だよね、これって……。
『しかし魔法陣がないから、この魔法は成立しないはずなんじゃないのか?』
「そこが謎なんだよね。ということで最初に言った通り、鏡魂反転呪法そのものじゃなくそれに近い状態って言ったわけ。鏡を介して姿を見たり会話できるという点でも特徴と一致してるしね。とまあ、あたしがわかることはここまで」
「じゃ、お次は俺の番だね」
ドリューはメモしていた手を止めて、宙に浮かべていた資料を手元に引き寄せた。
「雷の衝撃による魂と精神の異常状態というのはいくつかあってね、その中でも似たような症例がある。ある一人に、もう一人の精神が入り込んでしまったというものだ。パターンは兄弟と夫婦の二例。どちらも絆ある関係の人たちに起きている。君たちは赤の他人だけど、何か絆のようなものがあったりするのかい?」
「ないよね」
『そうだな。事故が起きる前は友達でもなんでもなかったからな』
それって今は友達って思ってもいいのかな。そこそこ仲良くなったもんね。
『何かあるとすれば名前が一緒で誕生日が一緒ってくらいか』
「あ、そうだね。誕生日も一緒なんだよ」
「へー誕生日まで一緒なんだ」
ドリューはメモを取りながら、興味深そうに頷いた。そういえばさっきからずーっとメモしてるなあ。いつもは悩みとか言っても茶化すだけなのに、やっぱりいざとなると真剣になってくれるんだね。有難いや。
「ラッキーなことに、元に戻れた事実はある。それも血のつながりのない夫婦の方ね。事故の起きた同じ時刻に接触を図ったことで元に戻ったらしいよ。彼らは触れた瞬間強い光が生じたと証言しているね」
「わたしたちと同じだ! でも、出た光は弱弱しかったかな……。条件だって満たしてるし、戻れなかったのは何で?」
「何でって言われても、君たちの症例は特殊だしなあ。いや、そもそもこの症例が特殊であって、必ずしも戻れるっていう確証はないんだ。可能性があるってだけで。兄弟の方は解決しなかったみたいだし。本当に何でだろーね」
のんきに笑ってドリューが資料をめくる。思い切り他人事って感じだけど、資料分厚いし、きっとまだ何か情報があるはず。だからクリス、そう苛立たないでよ。
最近分かったんだけど、どうも彼が苛立ちを感じると冷気を発生させるみたい。特定の人にしか分からないようだけど。
そしてクリスと同じく、苛立った人間が隣にもう一人。ネリーがキッとドリューを睨んで、彼の椅子脚を蹴った。
「ちょっと、他にも分かったことあるんでしょ? さっさと言いなよ」
「そうカリカリするなって。ええっと、ネリーの話と最近の出来事を合わせて考えてみると、クリスたちの場合は合わせ鏡という環境下で接触を図らなければならない。そしてその時刻は事故の起きた時刻、もしくは呪法の特性からして生まれた日時である必要がある」
「生まれた日時って、それって一年後ってこと!?」
『そんなに待たなければならないのか……』
「イレギュラーな症例だから、その可能性があるってこと。まだ確定事項じゃないから。他にも方法はあるかもしれないしね」
「そうそう、ネリーの言う通り。あー、あと触れ方がちょっと特殊だな……」
「どうしたらいいの?」
「えーっと……、うん、魂の抜け出てしまった身体の方に魔力を吹き込むように、唇と唇を触れ合わせる。まあつまり簡単に言うとキスするってこと、なんだけど……」
「え」
『冗談じゃない!』
ぎゃっ! 大声で怒鳴らないでって言ったのに!
クリスが今までになく大声で怒鳴るものだから、わたしはたまらず両耳を抑えた。
『キスは恋人同士がするものだ! そんなことでキスなんてできるか!』
「クリス、ちょっと怒鳴らないで! 耳がおかしくなりそう……!」
『あ、すまない……。しかしキス以外に方法はないのか』
えー……、元に戻ることができるなら、そのくらいって思っちゃうけどなあ。というか、流石にそこまで嫌がられると結構傷つくんですけど……。
「でも戻るためには色々とためさないと。キスくらいいいじゃん。セックスしろって言ってるわけでもあるまいし」
「わーーーーーーーーー!」
ネリーのあけすけな言葉に、ドリューが大声を上げた。
「ドリューうるさいな」
「お前はちょっとは慎みを持とうよ!」
慌てるドリューの頬はちょっと赤い。意外に純真だったんだね……。ドリューならそんなの全然気にしないと思ってたよ。
「は? そんなこと言ってる場合?」
ネリーは眦を吊り上げて、ドリューとわたしを睨み付けた。正確にはわたしの背後を。
「恥ずかしがってる場合? 本当に戻りたいって思ってる?」
『もちろんだが……』
「じゃあやれることは全部試さないと。人生かかってるんだから」
『……そうだな』
「クリスもやれるよね?」
「ほ、他の方法は……?」
やっぱりクリスみたく美意識が高くて潔癖そうな人には、どうでもいい相手とのキスなんて耐えがたいものなんだろうな。あの嫌がりようをみたらそうとしか思えない。だから方法なんてないと分かっていても尋ねずにはいられなかったのだ。
「今のところないってば」
答えは案の定だ。わたしは渋々頷いた。
「……じゃあ仕方ないよね」
「そう、仕方ないの。いい? 体と魂が長い間離れている状態はよくないんだからね。身体は病院でケアしてもらえるけど、魂はそうはいかないの。生ある霊体っていうのはデリケートなんだよ」
「そうなの!? じゃあ尚更こんなことで尻込みしてる場合じゃないね。が、頑張るよ……」
うう、でもこれじゃあますます人に見られるわけにはいかない。見られたらわたしは寝込みを襲う痴女になってしまう。そして病院への出入り禁止。学校退学……までの流れを想像して青ざめた。
『済まないな、クリス。君には苦労を掛ける』
「え? いや、別に……」
『そしてミス・シモンズ、お兄さんに伝えてくれ。頼みがあるんだ』
「どうぞ」
『研究材料にするのは構わないが、僕らの名前は絶対に出さないでほしい。イニシャルもやめてくれ。もちろん相応の礼はする、と』
ネリーはハッとなって、夢中でメモを取るドリューに視線を向けた。
「ドリュー、まさかクリスたちをマギ研に売り渡すような真似しないよね? クリスはもう一人の妹同然とまで言ってたもんねえ……?」
「えっ? えーっと、そりゃ、もちろん……」
しどろもどろのドリューの顔には不満がありありだ。あー……なるほど、珍しく真剣になってくれてたのって、報告するためだったんだ……。
「でもな、働いた分の対価はきっちり請求するからな! そのくらいの見返りはあって然るべきだ!」
ここぞとばかりに請求するドリューにネリーは舌打ちを放ち、クリスが静かに呟いた。
『ええ、もちろんです。たっぷりと致しますよ』