07.ナナ
学校には連絡があったみたい。アッキーは「川口が風邪で休み」とハッキリ言っていた。
けどね。やっぱ、気になるじゃん。
あたしより、ナナの方が気になってるみたいだけど……。
昨日モモの家に行ったとき、モモのママは確かに、前夜から機嫌が悪くて口をきいてくれなかった、と言っていた。
ううん、そうでなくとも、何か様子がいつもと違うのは、感じてた。
だから、ナナとの一件が原因で休んだとは思えない。けど……いろいろの不満や悩みが重なって苦しんでるんじゃないかとか、そこへナナが追い打ちをかけちゃったんじゃないかとか、考えちゃう。
とはいえ、あたしなんかが考えたところで、何も分からない。それこそ、手掛かりが少なすぎるわ。
それに、何かが分かったとしても、あたしに解決できる問題じゃないかもしれない。
ただの思いすごしで、本当にただの風邪ならいいんだけど……。
なんだか余計なことを悶々と考えながら、一日が過ぎていった。授業がつまらないのはいつものことだけど、今日は面白いことが何もなかったような気がする。
そのまま帰りのホームルームも終え、さよならをした後、ナナが寄ってきてあたしのランドセルをサッと奪った。
「なあ、ルル。もういっぺん、行ってみようぜ」
「行くって、モモのお家?」
「……ああ」
鼻の頭を掻く仕草で、照れくさそうな顔を隠す。やっぱナナは、あたしなんかよりよっぽどあの子のことが気がかりなんだ。
「記事と写真の掲載許可も取ったし、今日は委員会に顔出さなくても大丈夫だからさ」
「……ふ~ん、だから?」
あたしもなかなか、意地悪だわ(笑)
「モモん家に行くの、付き合ってくれ……さい」
素で「くれさい」が出たことに、今日初めて笑いがこみ上げた。
「しょーがないなぁ。あたしはぜんっぜん興味ないんだけど、ナナがそこまで言うなら付き合ってやるわよ」
そう言ってナナの手からランドセルを奪い返し、勢いよく背負う。
「じゃ、行こっ」
「調子にのりかがって……」
ボソッと呟くのが聞こえたかと思うと、あたしの体は突然その自由を失い、ランドセルの重みに耐えきれなくなったかのように後ろへと倒れた。
これは、人が背負っているランドセルを下向きに強く押さえ、後ろに転ばせるというベタで伝統的な技。6年生クラスの中では「セルボンバー」という名で親しまれている攻撃技だ。
「へへん、悔しかったらやり返してみろよ」
悔しいけど、やり返せない。ナナはランドセルじゃなく、取材に使う「ナナの七つ道具」を仕込んだ、ショルダーバッグで通学してるんだもん。
「あんた、やっぱ1人で行きたいわけ?」
「あ、ウソです。付き合ってください」
てか、よわっ。ナナ、よわっ。
昨日と同じルートで、モモの家に向かう。途中のコンビニで、ナナは焼きプリンと缶コーヒーを1つずつ、買った。
モモの家に着いて、門から庭を覗くと……ママさんの姿は見当たらなかった。今日は放課後すぐに来ちゃったから、昨日よりだいぶ時間が早いんだよね。
物干しにはまだ洗濯物が、ひらひらと風になびいている。
モモの部屋の窓を見ると、昨日と同じようにカーテンが開いてる。チラッとでも顔を出してくれないか期待したけど、残念ながら動きはナシ。
「行こ。今日はナナが来たいって言い出したんだから、ピンポンはナナが押してよね」
「えー、マジか……」
ここまで来て、何を怖じ気づくことがあんのよ。
「モモに取材だと思えばいいじゃん」
「そんな簡単にいくかっつーの!」
言い合いながら、昨日とは逆に、ナナが前、あたしが後ろに連なって門を通り抜ける。庭木や花壇の脇をすり抜け、玄関前までやって来た。
ナナの指がインターホンのボタンに触れる。触れて、止まる。やっぱりまだ、緊張してるみたい。
その緊張を、少しでもほぐしてやりたい。そんなときに思いついたのが、あたしの目の前にあるナナのお尻に、カンチョーする作戦。
「ほらナナ、早く押しなよ!」
そう言ってカンチョーを決めると、インターホンのボタンに掛っていたナナの指先は、勢いでそれを押してしまった。
「がっ、お前ナニすんだよ! 心の準備がまだなのに!」
『は~い、どちら様?』
モモママの声だ。
「あっ、昨日来たクラスメートの者っす。お見舞いにきたんスけど……」
『あら、ちょっと待ってね』
ほら、すらすら喋れるじゃん。
扉の向こうから、パタパタとスリッパの足音が聞こえる。
「緊張にはカンチョーだね」
「誰が上手いコト言えっつった」
ナナがあたしの脇腹をつついたと同時に、鍵を回す音がした。
扉が開いて、顔を出したのはママさんだった。
「こんにちは」
「こんちわ」
あたしとナナが同時に言って、「こんにちは」と返ってくる。
「あの子まだ調子悪くてねぇ、いま寝てるのよ。せっかく来てくれたのに申し訳ないんだけど、寝かせといてあげてほしいの」
ママさんに言われて、ナナがあたしの顔色をうかがう。
「そうしよう、ナナ。……お大事にって、言っといてください」
「ありがとうね。来てくれたことは伝えとくわ。お名前、聞かせてくれる?」
「ルルとナナって言えば、分かると思います」
廊下の奥からは、テレビの声がかすかに聞こえる。きっとママさん、リビングでくつろいでたのね。それより他に、家の中から物音は特に聞こえない。
「あ、じゃあこれ、モモに渡しといてくださいッ」
ナナが、買ってきたプリンをママさんに手渡す。
「あら、ありがとう。じゃあ、預かっとくわね」
「おばさん食べないでよ」
「あら、なんで分かっちゃったのかしら。おほほほ……」
ナナとママさんの正直くだらない会話を最後に、あたしたちはモモの家を後にした。帰り際、もういちどモモの部屋の窓を見たけど、やっぱり動きはない。
ふと、違和感を覚えた。
昨日、ママさんが取りこんでいた洗濯物と、今日の洗濯物……そこには、決定的な違いがある。
「よしゃ、じゃあ、会社の方に行ってみようぜ」
ナナが言った。
「うん。バイトのおにーさんに、聞きたいことがあるわ」
あたしが乗り気になったのを見てか、ナナはカバンからさっき買った缶コーヒーを取り出して、あたしに差し出した。
「そうくると思って、買っといたんだ。おれ取材の時によくやるんだよな」
「差し入れ、ってやつ?」
「これがあるだけでも、かなり口がゆるくなるんだぜ~」
さすが壁新聞の編集長、取材慣れしてる。
「ところでさ、ルル。おれ、おばさんに肝心なこと聞き忘れたんだけども……」
「おにーさんの名前でしょ? 社長に聞けばいいよ」
「だよな。だと思って聞かなかったんだ」
モモの家の前の道をちょっと行くと、すぐに工場群がある。工場群って言っても、工場地帯だとか工業団地だとかっていう規模じゃない。
もともとは農業用地だった所に、ぽつぽつと建てられた小規模な工場が10棟かそこらあるだけだ。
その中の一角に、あった。「川口インキ(株)」の看板。
川口萌百のパパの会社で、印刷資材の問屋さん……どうやら、ここで間違いない。
敷地に入ると、駐車場の奥に倉庫が一つ、でんと構えている。その倉庫の正面は大きな出入り口になっていて、開けっぱなしなので中の様子がよく見える。
同じ壁面の右の端には、普通のドアがひとつ。近づいてみると、そのドアには「川口インキ(株)」「事務所」と書かれたプレートが貼られていた。
「ここだね。イキナリ入っちゃって大丈夫なのかな」
「イキナリ入っちゃダメな入り口には、たいがいそう書いてあるから大丈夫だろ」
なるほど。
一応、形だけノックをして、返事を待たずにドアを開ける。
「失礼しま~す」
教室の半分ほどの小さな事務所に、人は4人ほどしかいないんだけど……うわ。知らない大人ばっか。……いや、どこへ行ってもだいたい知らない大人だらけだけど、何だろう。知らない会社の中ってだけで、この威圧感。アウェー感。
あたしの戸惑いを察したのか、ナナがあたしに代わって尋ねてくれた。
「すんません。社長さん、いますか~?」
すると、いちばん奥にいた見た目40歳ぐらいのオジサマが「はいっはいっ」と威勢よく返事をしながら、こちらに駆け寄ってきた。
ノーネクタイのワイシャツの上から、社名の入ったエプロンを着けたヘンな格好。
「はいっはいっはいっ。どうしました~?」
めっちゃ子供扱いされてる。モモと喋る時もこんな扱いなのかな……。
「あ、うちらモモの友達なんだけど、社長、おじさんっスよね? じつは、モモん家のお隣さんのおにーさんがここでバイトしてるって聞いて、ちょっとお願いがあって来たんだけど……今日いまっス?」
さすがにナナは落ち着いたもんだけど……礼儀正しいのか正しくないのか分からない口調……。好感度低くないのかな……。
「ああ、木田原くんのことかな。いますよ。呼んできてあげようか?」
「あ、はい。おねがいしまっス」
そもそも、~っスは敬語なのだろーか?
社長はまた部屋の奥へと駆けていくと、そのいちばん奥の壁にある扉を開いた。一瞬チラリと見えた扉の向こうは、たぶん倉庫。
なるほど、建物全体が一つの倉庫で、その一部を仕切って事務所を作っただけの簡単な構造なのね。
「お~い、木田原くん。お客さんだよ、ちょっと来て~」
社長が大きな声で呼んでから、10秒ほどですぐにやって来た。
その青年はなかなかのイケメンで、20代中ごろといった感じ。モモのお兄ちゃんにしては、ちょっと年が離れすぎてる気もするけど、まあ、いっか。
「こんにちは。どちら様?」
しかも、なかなかのイケボ(イケメン・ボイス)。
「あ、あ、あのっ、お、おい、ルル……」
んで、なんでイケメンが出てきたとたんに緊張してんのよナナは!
「あ、忙しいトコすいません。あたしたちモモの友達で、ちょっとお願いがあって来たんだけど、いま大丈夫ですか?」
「あ、うん。外でいい?」
「はい!」
ナナが使い物にならなくなったおかげで、あたしの緊張がほぐれてきたわ。まあ、結果オーライ。ヨシとしましょ。
「社長、ちょっと外します、すいません」
「ああ、いいよいいよ。今日も今のところ受注少ないから」
あたしたちは入って来た時のドアから表へ出て、あたしはナナから預かっていた差し入れの缶コーヒーをおにーさんに手渡した。
「どーぞ、これ」
「わ、そんな気ィ遣わなくていいのに、ありがとう。……で、お願いって?」
まだモモの名前しか出してないのに、普通に話を受け入れてる。ママさんの言うとおり、普段からモモとは仲がいいという証拠だ。
「昨日、モモがここに来ましたよね? ……じつは学校にいる時から様子がヘンで、気になってたんです。……で、あの子、今日は風邪でお休みだったんだけど、もしかしたら何か悩みでもあって登校拒否な感じになってるのかもしれないと思って、心配で……。それで、おにーさん、何か知ってたら教えてほしいんですけど……ダメですか?」
するとおにーさんは、あたしの頭をポンとひとつ、軽く叩いて、
「悪いけど、それはプライバシーにかかわることだから、勝手には教えてあげられない」
イケボで答えてくれた。
まてよ、この人もあたしを子供扱い……もしかして、またあたしだけ4年生ぐらいと間違えられてる?