06.モモ
「ありがとう、アッキー先生。大丈夫、あたしにも夢があるし、もう死のうなんて思わないわ。さっきも言ったけど、これからは逆にあの子をやっつけてやるつもりで、頑張って生きる」
アッキーも、たまにはやる奴ね(笑)
悔しいけど正直、ちょっと感動した。
「アッキー先生も、浮気はしないでね。野田先生を、幸せにしてあげて」
「エッ? あ、いや俺たちはべつに……」
そういえば、その事件がまだ解決してなかったわね。
「それそれ、アッキー。放課後取材に行くからな。んで記事と写真の掲載許可くれ」
「ください、だろ!」
「くれさい」
ペチン、といい音を立てて、アッキーがナナの頭をひっぱたく。
みんなでひとしきり笑い合った後、あたしたちは野田先生の車に戻り、途中ユリさんを自宅の前で降ろしてから急いで(法定速度を守っ……)学校へ向かった。
学校には8時ちょうどに着いた。アッキーたちは職員の朝礼に間に合わず、あたしも、日直の朝の仕事をペアの男子に全部やってもらっちゃった。
おかげで某カードゲームのカードを1パックおごることになったんだけど、その代金はあとでアッキーに請求します(当然だよね!)。
そんなこんなで、学校ではいつもどおりの生活を送っていた。
朝のホームルームの後はトイレが混んで、アッキーの授業はつまらなくて、3時間目ぐらいからは教室の中が暑く、時折りカーテンのシールドを突破してくる初夏の風が気持ちいい。
給食の匂い漂う4時間目はお腹の虫との戦い。遠く音楽室から運ばれてくる、不揃いなアマリリスの調べ。
そしていよいよ給食の時間になって、その事件は――今朝の事件に比べたら、事件とは呼べないぐらいつまらない事件だけど――勃発した。
「あっ」
「きゃー、モモ!」
数人の女子が悲鳴を上げる。
背が高いせいじゃない。きっとナナのガサツな性格のせいだろう。給食当番でおかずのシチュー(この暑いのに、シチュー!)を配っていたナナが、川口 萌百の真っ白なワンピースに茶色いシチューをはねらせてしまった。
あとで聞いたんだけど、おたまにくっついて残ってた大きめのジャガイモを、おわんに振り落とした結果なんだって。ナナいわく、ジャガイモはお肉の次に美味しい具だから、意地悪で1個ケチッたと思われるのが嫌だったみたい。まあ悪気があったわけじゃなく、ちゃんとモモにあげようと思ってやったことなのは分かるけど……たぶん、はねることなんか想定しないで振り落としちゃったのね。
「あ、ごめん、モモ」
「もう、気を付けてよ!」
誤解のないように言っておくけど、モモは怒りっぽい性格じゃないのよ。むしろ普段は超おしとやかで、めったに怒らない子。
ただし、ナナに対しては何かと厳しかったりする。
「女子力が足りないんじゃないかしら、まったく……」
「んだよ、やっちまったコトは謝ってんだろ。後がつかえてっから、もう行けよ」
はいはい、ごめんね、って言っておけばいいのに、ナナはそういう折り合いが付けられないトコあるよね。まあ、モモもモモで、言わなくていいコト言ってるんだけど。
「だいたい、ナナはチャラすぎるからいけないのよ」
「モモがお嬢様すぎるんだろ!」
また始まった。この二人の不毛な戦い。
モモは六年生女子の平均的な背丈で、細くもなく、太くもなく、ちょっとムネがあって、ナナとは違うタイプだけどスタイルがいい。そして、ナナも見た目は可愛いんだけど、モモも誰から見たって可愛い。
その上おしとやかで成績優秀、パパは小規模経営とはいえ、会社の社長さん……そんな彼女がナナを目の敵にするのはきっと、お互いに可愛いから。
つまり、女としてのライバルね。で、ナナも負けず嫌いだから、結局こうやって、ちょいちょいケンカになる、ってわけ。
いつもなら、ちょっと言い合ってすぐ終わるし、根本的に仲が悪いってほどでもないんだけど……この日はなぜだか、モモの様子がいつもと違った。
配られたばかりのシチューを、スプーンでひとすくい。ナナに、かけ返したのだ。
「ちょっと、モモってば!」
モモの次に並んでる女子が、モモをなだめようとする。一方ナナもこれにはガマンできなかったらしく、「てめー」と言っておたまを置き、配ぜんの列をぐるりと回ってモモに駆け寄ってきた。
ナナをなだめるのは、やっぱあたしの役目ね。
「ナナ、やめなよ、ナナ」
「うっせ、ポチは黙ってろ!」
あ、ちょっとカチンときた。でも、そんなこと言ってられる状況じゃない。
背ばかり高くて細っそいナナには、あたしでも力じゃ負けないんだけど、人は怒ると普段以上の力を発揮したりするでしょ?
あたしでも、この時は止められなかった。ポチ呼ばわりされた怒りを、素直にぶつけてやればよかった。
ナナが、ついにモモをひっぱたいてしまった。
教室全体の空気が凍りつく。今までどこに行ってたのか、こんなタイミングでようやくアッキーが教室に入ってきたけど、完全に手遅れね。
「お、どうした。何があった?」
モモはすっとぼけた顔のアッキーを無視して、
「これ洗ってくるわ」
と隣の女子にシチューのシミを示し、教室を出て行った。
ナナの服は、配ぜん用の白衣のおかげで無事だったみたい。
「ナナ、モモが戻ってきたらちゃんと謝んなよね」
「やだね」
もー、面倒くさいなあっ。謝っちゃえば済むことなのにっ。
めっちゃイライラしながらも、白衣の胸元にシチューのシミを付けたまま黙って配ぜんに戻るナナ。無事クラス全員に給食を配り終え、モモも戻ってきて、それからは普通にみんなで楽しく給食を食べた。
けどやっぱり2人は口をきかず、授業とホームルームが終わってさよならをするまで、表面ばかりが平和な、そんな時間が過ぎて行った。
こういうギスギスしたのは嫌だし、モモの様子がいつもと違うのも気になる。
それに、ナナだって。付き合い長いからわかるよ。
わーっとやり合うケンカは嫌いじゃないくせに、ギスギスした空気が人一倍キライなのは、あたしよりもむしろナナの方だ。
さよならの後、あたしが日直の仕事をしているうちに、みんなそれぞれの家へ、部活へと散って行った。日直ペアの男子と二人きりになったけど、べつにロマンチックなことが起こるわけじゃなし。
ナナは予定通り職員室へ、アッキーたちの取材に行ってる。
日直の仕事を終えて、ペアの男子は「じゃあな」と帰って行った。
サッカー部の練習する声がかすかに聞こえる、ひとりぼっちの教室。
あたしはやっぱりモモの様子が気になって、しばらく自分の席に座って考えた。
どーせ謝れって言ったって、ナナはまた嫌だって言うにきまってる。
だったら、モモの態度が少し変だったのが気になるから、様子見に行くのに付き合って、とか言って無理やり家まで連れて行こう。うん、それがいい。
あたしはナナがまだ職員室にいることを祈って、教室を出た。
6年の教室がある3階から階段を下り、2階の廊下を歩いて行くと……図ったようなタイミングで、ナナが職員室から出てきた。
「じゃ、明日までに書いてくるからさ。さいならー」
そう言って職員室の扉を閉めると、ナナは大げさに驚いた素振りで、
「おおっ、なんだいたのかルル。小っちゃくて気づかなかったぜ」
とあたしの肩を叩いた。
「日直の仕事は終わったん?」
「え? うん」
なんか、ナナもちょっとテンションがおかしい。ってゆーか、普通の子みたい。
少し間を空けて、彼女はあたしの頭にポンと手を乗せた。
「モモの様子を見に行こう、ってんだろ?」
これは、びっくり。
「……あいつ、今日ちょっとおかしかったもんな」
ナナも、ちゃんと気づいてたんだ。それに、あたしが考えてることも分かっちゃってたみたい……。
身長ばっかりじゃない。この子だって、ちゃんと中身も成長してるんだわ。
って、同い年のあたしが言うのも変だけどねっ。
「分かってるなら話が早いわ。行こっ」
なんか、嬉しい。
同じ学区内だから、あたしたちの家からそれほど遠いわけじゃないんだけど、モモの家は住宅街から少し外れたところにある。
コンビニのある交差点から、今朝通った商店街には入らずに、そのまま大通りを真っ直ぐに行く。住宅街を一歩外れれば、畑や工場ばかりのだだっ広い風景。
風が吹くと、黄緑色の麦畑が波打つ。ちょっと、肥やしの匂いがする(笑)
モモの家はその一角にある。パパが印刷資材の問屋さん(詳しくはしらないけど)を営んでいて、周辺の印刷や製本の工場に資材を卸してるって、前にモモが作文で言ってた記憶がうっすらあるけど……家は、工場群からまたちょっとだけ離れた敷地に建っている。
漫画に出てくるような豪邸ではないけど、それなりに大きなお家。
周りの農家や地主さんの家に比べれば、これでも小さい方なのかな。まあ、蔵とか建っちゃってる古いお屋敷には、かなわないって感じ?
ナナがガラにもなく緊張してる様子。取材慣れしてるせいか、普段は逆にもっと遠慮してほしいぐらい、神経が図太いのに。
たぶん、モモに謝るつもりなのね。だとすれば、なんとなくバツが悪いってのは分からなくもないわ。
門の外からでも、モモの部屋の窓が見える。去年、社会科見学のレポート作りの時に、班のみんなで来たことがあるから、覚えてる。
正面から見て、2階の右の角がモモの部屋のはず。カーテンは空いてるけど、中の様子までは見えないわね。
「いくよ、ナナ」
「お、おう……」
いざとなると、なんか怖じ気づいてる感じ。
あたしの両肩に両手を乗せて、ナナがあたしの後をついてくる。ムカデ競争じゃないんだからさ。
門を入って家の玄関に向かう途中、広い庭の一角で洗濯物を取り込んでるママさんの姿が見えた。ちょうど、モモの体操着とかを取り込んでるところだ。
「あ、モモのお母さん、こんにちは」
あたしが声をかけると、モモのママは意外と俊敏にこちらを振り返って、
「あら、こんにちは」
と微笑んだ。モモに似て、可愛い(逆だけど)。
「えっと……モモは? 帰ってますよね?」
あたしが言うと、モモママは少し困った顔をした。
「それが、まだなのよ。会社の方に寄ってるのかしらねぇ」
「会社?」
「ゆうべからあの子、ちょっと機嫌が悪くてね。あんまり口きいてくれないのよ。……今日はちょうどお勉強の日だから……」
モモママが言うには、隣の家の息子さんがパパの会社のアルバイトに来ていて、一人っ子のモモは昔、兄妹のように仲良く遊んでもらってたそうな。そのお兄さんも今では彼女ができて、よそで一緒に住んでるんだって。でも、週に1回だけ家庭教師に来てくれてて、今でもなんだかんだで仲良くしてるみたい。
「それでね、何か嫌なことがあったりすると、たまに会社の方に寄って来ることがあるんだけど……今日は家庭教師の日だから、お仕事が終わってから一緒に帰ってくるんじゃないかしらね」
と、いうことらしい。
「バイトのにーちゃんが一緒じゃ、話しづらくね?」
怖じ気づいたナナには、いい言い訳ができちゃった。あたしにヒソヒソと耳打ちする、ナナのなんともいえない顔。……けど実際、そうね。
「まあ、特に大事な用があるってわけじゃないから、明日また学校で直接話します」
「そう? わざわざ来てくれたのに、悪いわねぇ」
「いえいえ、とんでもないッス。じゃ、さよなら~」
急にナナが割り込んできて言ったかと思うと、彼女は一人そそくさと門の方へ逃げてしまった。あたしもひとつおじぎをして、後を追いかける。
次の日、モモは学校に来なかった。