03.ボスキャラ戦
高い場所に特有の早い風が吹き抜けた。
ここまで足音を殺して階段を上がってきて、額に汗をかいていたことに、ようやく気づく。心地よい、風。
あたしとナナはおねーさんの立つ、正面側のフェンスに向かって、軽く小走りする。
「あ~、やっぱこっち側の景色がいちばんいいね。こっちにしよ?」
「けど、あの鳥居もカッコよくね?」
「じゃ、両方撮って後で決めればいーよ」
「そだな」
あたしとナナの小芝居が始まる。
さすがに気になるみたい。おねーさんがこちらをチラチラ見てる気配がする。
フェンス際に立って、一面の景色を見渡す……フリをして、こっそりおねーさんの横顔をチェックする。アッキーの印象どおり、若い。20歳そこそこの感じ。
「早く、ナナもこっち来なよ」
「おう、ちょい待て。いまカメラモードにすっから」
ナナはそう言って、自分のケータイをこちょこちょといじりながら、
「じゃ、アレな。おれが、担任の名前は~? っつったら、アッキー、でパシャ」
と、上手い掛け声を考え出した。
ナナがあたしの左側に立つ。
「あ、立ち位置が逆だよ」
あたしの細かい小芝居が必要かどうかは、聞かないで。
「あ、こっちか……」
面倒くさそうにナナがあたしの右側に移動して、いよいよカメラを構える。
ケータイの小さな画面に映る自分たち。このまま1枚ぐらい撮りたいけど、掛け声をやっちゃうと、アッキーたちが出てきちゃうから、まだダメ。
「あれ、これ景色ぜんっぜん写らねーじゃん」
「あ、まじだ? カメラ近すぎるの?」
「やっぱ自撮り棒持ってくりゃよかった~」
アドリブにしては、なかなか自然な会話だと思わない?
すると、その時。
「撮ってあげようか?」
なんと、おねーさんの方からカメラマン役を名乗り出てくれた。これにはさすがに、ちょっとビックリ。
「あ、まじか。ありがと、おねーさん」
フレンドリーな相手には、フレンドリーに答えるのがナナ式らしい。彼女なりに、いくつかの取材交渉テクを持ってるって、前に言ってたっけ。
ケータイをおねーさんに預けて、ナナがあたしの右に並びなおす。おねーさんはあたしたちの目の前、1.5メートルほどの所に立って、カメラを構えた。
って、ちょっとタンマ。これじゃ、まだフェンスに近すぎて、ちっとも安全じゃないよね。どうしよう……。
「担任の名前は~? って言えばいいの?」
おねーさんはすでに、スタンバイOKみたい。
瞬間、閃いた。
「あ、まって。せっかく撮ってもらうなら、あたし、あれやりたい。ほら、ナナの手の平に、小っちゃいあたしが乗ってるみたいなやつ」
「おれは小っちゃくないお前を見たコトがないぞ」
「う、うっさいな! あんたがデカすぎんでしょ!」
あたしたちのやりとりに、小さくクスリと笑う、おねーさん。すごくいい人そう。
「小っちゃい方の子が、大っきい方の子を手に乗せてる方が面白いんじゃない?」
またまたビックリ、おねーさんからの提案。
「おねーさん、頭イイね。おいルル、そうしようぜ」
「うん、そーしよう」
なんだかノリノリな雰囲気で、ナナはその場に留まる。あたしはナナから5メートルほど離れ、さらにおねーさんが、5メートルほど下がった。
当初のイメージよりも、ずっといいポジション。彼女が立っているのは、階段口の正面、数メートルの位置だ。
「あ、チビちゃんもっとこっち」
画面を覗きながら、さらりと人をチビちゃん呼ばわり……ううぅ。
そうしておねーさんの指示に従いながら、ようやく立ち位置とポーズが決まると、いよいよ、その時がやってきた。
「オッケー、じゃあ、撮るわよ? はい、担任の名前は~?」
おねーさんの呼びかけに、あたしとナナは、
「アッキー!」
と、それまでよりも大きめの声をそろえた。
満を持して、アッキーと野田先生が屋上へと上がってくる。でも、思っていたのとは違う感じ。もっとこう、タイホするー、みたいなドタバタした場面を想像してたのに……。
落ち着いて、ゆっくりとおねーさんに近づいていく。
キシー、というカメラのシャッター音が、マヌケに響く。
「一応、もう一枚撮るわね」
おねーさんはきっと、アッキーたちの気配に気づいてると思う。でも、バタバタと駆け寄ってくるわけじゃないから、あまり警戒してないみたい。
そうか、アッキーたちは場の雰囲気を察して、あえてゆっくりと出てきたんだ。逃げたり構えたりする相手より、油断してる相手の方が捕まえやすいもんね。
さすが大人。たぶん、提案したのは野田先生だと思うけど(笑)
「はい、じゃいくわよ~。担任の名前は~?」
「アッキー!」
キシー。2枚目の写メも撮り終えた、その瞬間――
彼女の右腕はアッキーに、左腕は野田先生に、ガッシリと捕まえられた。
けど彼女は、べつに驚くわけでもなく、全く抵抗もしない。
「たぶんちゃんと撮れてると思うけど、一応、見てみて」
動ける範囲でケータイをこちらに差し出す。それを見て、ナナが彼女の方に寄って行く。
「ありがと、おねーさん」
「どういたしまして」
拍子抜けするぐらい、作戦はあっさりと成功した。ゲームでも弱いボスキャラってたまにいるけど……何だろう、この人は、事態をすべて受け入れているような、全部わかっているような、そんなふうに見える。
彼女は本当に、電話で「死んでやる」と取り乱していた本人なんだろうか。
まさか、人違い? ……ううん、それならむしろ事態を呑みこめずに抵抗したり、文句を言ったりするはずだよね。
「どーする? 通報する?」
ナナの質問に、あたしはいささか困った。
「必要なさそうに見えるけど……」
やや考えて、いいコトを閃く。さすが、あたし(笑)
「119番じゃなくて、リョウちゃんを呼んだ方がいいかもね」
そう言って、ドヤ顔をおねーさんに向ける。すると、
「やっぱり……あいつに頼まれて来たんだ?」
彼女は鼻でため息をついた。
そっか。彼女はそういう誤解をしてるんだ。リョウちゃん本人に来てほしかったのに、代理人が来ちゃって、ガッカリしてるのね。
「残念だけどおねーさん、それは違うよ。あたしたちは、誰にも頼まれてないの」
「……え?」
初めて、ほんの少しだけ、驚きの表情を浮かべる。
「あなたを探したがってたのは、あなたの右腕を捕まえてるオッサンだよ」
「おいこら、オッサンって……」
アッキーは今、手が離せないからね。後が怖いけど、今ならなんでも言えるわ。
「ナナ、もっかいケータイ貸してくれる? このおねーさん、今ケータイ使えないから」
「使えないのは手じゃねーの?」
ツッコミ慣れしてない、ナナのツッコミ。
「ううん、たぶんケータイ自体、今は持ってないよ。ね、おねーさん?」
そう言っておねーさんの顔を覗きこむと、彼女はあたしを怪訝そうに睨んできた。
「ほら、やっぱり頼まれて来たんじゃない」
あ、なるほど、そーきたか。だったら――
「とにかくリョウちゃんに電話すれば、みんな解るコトでしょ?」
あたしはナナからケータイを借りて、不自由なままの彼女の右手に手渡した。ちなみにあたしは、ケータイ持ってません。
「かけて。今度は、間違えないでね」
「え……?」
おねーさんが、再び小さく驚いた。
「おねーさんは今朝、リョウちゃんに電話するつもりで、間違ってそのオッサンにかけちゃったのよ。だからリョウちゃんはこの状況を全く知らないし、いくら待っても来てはくれないよ」
「だから、オッサンて言うな!」
しばらく黙りこんだ後、彼女はひとつ、ふたつとうなずいて、
「なるほどね。どうりで待ってても来ないわけだ……」
と言って右手に握ったケータイを操作し始めた。
「やりにくい。べつに悪いことした犯人じゃないんだから、逃げも隠れもしないし。オジサマ、右手だけでも解放してくれません?」
「お、オジサマ……」
ぷぷぷ。オッサンからオジサマに、格が上がったじゃん。
「アッキー、この人の言うとおり、右手放してあげようよ」
「ああ、それもそうだな」
彼女は、決して悪い人じゃない。それに、それほど思いつめてる感じでもない。
アッキーがその手を緩めると、彼女は自由になった右手で、再びナナのケータイを操作し始めた。
ちなみにナナのケータイは、メタリックな紫色のガラケーね。
おねーさんが電話番号を押し終えると、まもなく、スピーカーから漏れるコール音がかすかに聞こえてきた。
1回、2回、3回……そして次の瞬間――
「あっ……」
と言ったのは、彼女の左腕を捕まえていた、野田先生だった。
油断してた上に、小柄な女性でもある野田先生。その手は、一瞬で振り切られてしまった。
そして、おねーさんの目の前に立っていたあたしが、逆に捕まえられてしまう。
なんでよ……!
「あたしが間違い電話をかけたっていうのが本当なら、ちゃんと謝るわ。でも、あなたたちが何者か知らないけど、あいつに頼まれてあたしを連れ戻しに来たとかだったら、マジで許さないから」
痛い、痛いっ。おねーさんに引っ張られて、あたしはフェンス際まで連れてこられてしまった。
これって、あたしは人質ってコトだよね?
事実、べつにあたしたちはリョウちゃんに頼まれて来たわけじゃないんだけど……
興奮してるから、何されるかわからない。イザこういう状況になってみると、正直、やっぱ怖い。
それにしても……リョウちゃんが電話に出ない。まさかまた間違ってアッキーの家にかけてないでしょーねっ。
「もっかいかけ直してみたら、おねーさん?」
「うん……ちょっと待って……」
人質と犯人の会話には聞こえないけど、彼女はいったん電話を切って、もういちど番号を打ち直した。
コール音が漏れる。けど、やっぱり出ない。5回、10回、15回……
おねーさんは諦めたように再び電話を切って、おもむろに呟いた。
「ダメね、やっぱり……電話に出んわ」
まさかの定番ダジャレ。ナナもアッキーも野田先生も、そしてあたしも、その場でガクリとズッコケた。
おねーさんの腕からも力が抜け、あたしはそのまま解放される。
なんてゆーか、感情と行動が直結してる。芸術家タイプなのかもしれないわね。
「もういいわ。ごめんね、チビちゃん。痛くなかった?」
結局おねーさんは、いい人だ。
「へーき、へーき。けどリョウちゃん、どこ行っちゃったんだろーね……」
あたしが言うと、ナナが不思議そうな顔で
「どこって、ケータイにかけたんじゃねーの?」
と質問しながら、てくてくとこちらに寄って来た。
「ちがうよ、ナナ。家デンに決まってんじゃん」
どうして家デンに決まってるのか? いまいち理解できてない様子の、ナナ。
おねーさんを含めたみんなが、あたしに視線を集める。
「じゃあ、ここらでいっちょお話しましょーか」