02.塔の屋上
たぶん、10分とかかっていない。野田先生の運転する車は、気づけばすでに山太郎池公園の目の前まで来ていた。
「どこかに駐車場なかったかしらね」
野田先生がキョロキョロと見回しながら、公園の外周に沿ってゆっくりと車を走らせる。
広い敷地のこの公園は、もともと「山太郎池」という大きな池だったらしいんだけど、今は埋め立てられて、小さな池のある芝生の広場になっている。……という歴史は、前にナナと一緒にたまたま調べたことがあった。
ポプラの高い木や、つつじのグリーンベルト、遊歩道にベンチ……まあ、いたって普通の公園ね。
ジョギングする人や、ラジオ体操をする集団、通勤・通学で通り抜けていく人々……まばらに人の姿が見えるけど、みんなはアレに気づいているのか、いないのか。
公園の北側の端の方に、10階建てのビルと同じぐらいの高さの塔が立っている。その塔の最上階は展望台になっていて、あたしの記憶では昼間しか上がれないことになっているはず。
ましてや塔の屋上には、一般客は上がれないはずなんだけど……
「ほら見て、アッキー、あそこ……!」
あたしは、塔のてっぺんを指差した。
「あの屋上に、人がいるでしょ。一般の人は上がれないし、何かの業者にしては、時間が早すぎると思わない?」
その小さな人影に気づいたアッキーが、窓を開けて目を凝らす。
「何者かまではよく見えないが、じゃあ、あれが……?」
「うん、おそらく、その間違い電話の相手だよ」
ようやく見つけた駐車場は、塔とは間逆、公園の南側にあった。やむを得ずそこに車を止め、あたしたちはなかなかの距離を歩いて塔へ向かうことになった。
「残念だけど、いくら待ってもリョウちゃんは来ないわよ……」
車のドアを閉め、あたしがこぼした言葉に、野田先生が反応した。
「どういうこと?」
歩きながら、答える。
「本気で死ぬつもりならとっくにやっててもおかしくないし、躊躇するなら他にも方法はあるでしょ? あんなところにただ突っ立って景色を眺めてるだけなんて、きっと本気じゃないよ。たぶん、リョウちゃんが来てくれるのを待ってるだけ。それに……」
みんなの歩くスピードが、すこしずつ早くなってるのがわかった。みんな、焦ってる。
「それに、彼女は間違いなくリョウちゃんに電話をかけたはずだった。ううん、結果として間違ってアッキーにかけちゃったんだけど。……だから、今のこの状況を、リョウちゃんは知る由もないわけよ」
ちょうど、公園の中央付近まで来た。そこには、山太郎池の名残である人工の小さな池があって、それぞれの願いを込めた小銭が無数に沈んでいるのが見える。
「でも、いくら本気で死ぬつもりがないとはいっても、なるべく刺激しない方がいいわよね。実際、何が起こるか分からないから……」
野田先生が冷静に言う。
するとそれに便乗するように、アッキーが口を開いた。
「そうだ。ここからは我々シロウトが出る幕じゃないんじゃないか? もう彼女の居場所は判ったんだ。もういちど通報して、救助隊にまかせた方が……」
「そうだよ、おれもそう思う」
ナナも乗っかってきた。けど、あたしはそれも心配なのよ。
「通報は、した方がいいと思う。でも、たとえば消防車がサイレン鳴らして近づいてきたりしたら、それこそ刺激することにならないかな……?」
「じゃあ、どうすんのさ」
ナナの不満そうな声に、あたしは改めて考えを巡らせる。
がんばれ、あたし。がんばれ、花柄の脳細胞!
「無邪気な子供が見てる前で、飛び降りたり、飛ぶ素振りを見せたりするかな……」
あたしが言うと、アッキーが少しだけ声を大にして、
「危険なことはさせないからな」
と、あたしの後頭部を小突いてきた。
時々、ごくまれになんだけど、正直、アッキーがステキに思える瞬間がある。でも冷静に考えると、他の優しい人に比べたら特別優しいわけでもないし、イケメンでもお金持ちでもないし……つきあうとか結婚するとかの話になったら、あたしはたぶん、他を探すだろう。
しつこいようだけど、野田先生はこの男のどこがいいのか、あたしにはわからない。
そして、リョウちゃんに傷つけられた彼女が、ちょっとだけ天国に近い場所でリョウちゃんを待っている理由も、イマイチわからない。
もっと大人になれば、それは解ることなんだろうか。
そうこうしているうちに、塔のふもとまで辿り着いた。
もっと近づかないと、あの屋上の人影が本当に若い女の人なのかどうかは判らないけど、不自然な時間、不自然な場所に人がいることだけは確かだ。
塔の1階部分は休憩所のようなところで、以前に来た時はベンチがあった気がするんだけど、今はない。あるのは飲み物の自販機が2台と公衆電話が1台、エレベーターが1機、あと、スタッフしか入れない扉がひとつ。
エレベーターはこの時間、動いていない。
『ご利用時間/10:00 ~ 16:30』
と書かれた立て札が、エレベーターの前にでんと立ててある。
「どーやって上ったんだろな」
ナナが右手の人差指で鼻をブタさんにする。この子がちゃんと何かを考える時の、可愛いクセだ。
「おい、裏に階段があるぞ」
休憩所の外からアッキーが声をかけてきた。後をついていくと、確かに、塔の裏側には非常階段のようなものがある。
らせんではなく、ジグザグになっている普通の階段。十数段ごとに踊り場があって、2ジグザグごとに、塔の中へ通じる扉がある。
階段の入り口は完全に封鎖されているけど、いちばん低い最初の踊り場の手すりに、脚立が立てかけられていた。
「ここからあがったのね」
野田先生がその脚立に手を掛けながら、言った。
「で、結局、どうするの?」
すると野田先生も、アッキーも、ナナも、ふっとあたしの方を振り向いて、なんだか、あたしの言葉を待っている。
みんなすっかり、あたしに何か考えがあると思ってるみたいね。
あたしは今さら、なんとなく声をひそめる。
「とにかく、彼女をフェンスから引き離そうよ。なるべく屋上の真ん中らへんに導いてやれば、ひとまず安全でしょ?」
そこまで言うと、ナナが「そうだ」と手を挙げて、
「おれとルルがまず屋上に出て、写メ撮ろーぜ。んで、自撮りのツーショットじゃ景色が写んないとか言って、おねーさんに撮ってもらうっつーのは、どうよ?」
と、授業中や学級会ではありえないようなマトモな発言をしてみせた。
「いいじゃん、それ」
「でも、本当に危険じゃないか?」
アッキーは心配性ね。
「彼女から見えないギリギリのところまでアッキーたちも来て、待機しててよ。で、もし万が一なにかあったら、すぐに助けに来て」
あたしが言うと、アッキーより先に野田先生が
「わかったわ」
と答えた。力関係の都合で、アッキーはもう何も言えない(笑)
「上手くいったら、おねーさんがカメラ構えてる隙にアッキーたちが後ろから近づいて、確保すればいいっしょ」
ナナのドヤ顔がウザイ。けどこの作戦、悪くないわよ。
「じゃあ、無事確保したら通報して、無理に階段を下りるより、屋上で救助を待ちましょう。それでいい?」
野田先生の呼びかけに、
「OK!」
あたしたちは声をそろえて、軽くハイタッチを交わす。
あたし、ナナ、野田先生の順に、まずは脚立で最初の踊り場に上がる。その間アッキーは、下で脚立を押さえる係。
野田先生が手すりを乗り越え踊り場に降り立つと同時に、
「じゃ、行くか」
とナナがボケる。
「おい、待て、こらっ」
鋭くツッコむアッキーに、野田先生が
「大きな声出さないで!」
と、ささやき声で叱りつける。
今から人命救助に向かうってのに、緊張感ないなあ……。
いちばん最後のアッキーが踊り場に上がってきたところで、あたしはひとつ、気になったことを忠告した。
「この階段、けっこう足音が響くでしょ? これ気にしてると上れないから、とにかくギリギリまでは普通に上ろ。忍者じゃないんだから、たぶん足音を聞いてもこっちの人数なんかバレないと思うんだ。だから、ナナとあたしが屋上に出たら、そこからは大人二人、物音禁止ってコトで。どうかな?」
あたしからの提案に、大人二人がうなずく。
「いいわ。それで行きましょう」
と、野田先生のモノマネをするナナの頭を、あたしとアッキーが同時にひっぱたく。
「じゃ、行こう。レッツ・ゴー!」
ささやき声で気合いを入れなおし、あたしたちは意気揚々と階段を上り始めた。
澄んだ朝の空気に、無機質な鉄の足音が響く。スズメやヒヨドリの甲高い歌声に混じって、ガガごごダララン、と重なる、四人分の足音。
「ちょっとまった。やっぱヤバくね、この足音?」
ナナが言った。あたしも、じつは思った(笑)
アッキーの革靴と野田先生のパンプスは底が固いから、足音が響きすぎるみたい。なら逆に、ナナとあたしのスニーカーなら足音を殺して歩けないかな。
何段か試してみると、ちょっとしんどいけど、以外にイケることがわかった。
「うん、ナナ。あたしたちはコレで行こ」
「えー、だりぃよ」
「じゃあ、靴脱いでハダシで行くのと、どっちがいい?」
「頑張ります。うぅ……」
そうして結局、あたしたちは高い塔のてっぺんまで、慎重な足取りで上ることになった。気持ちばかり焦って、じれったい。
今さらだけど、この塔は上から見るとたぶん正方形に近い形で、一辺が十数メートルぐらいある。
外観は白く、細かなデコボコ……よくある外壁のやつだ。
2~3分かけて、ようやく8割ぐらい上ってきただろうか。ふと見ると、階段の正面(塔の裏側)には小高い丘ってゆーか山があって、ちっとも見下ろしてる感じがしない、妙な景色だった。
やっぱり、塔の正面側じゃないと、きれいな景色は拝めないみたい。
ただ、その山の上の方にそびえ立つ大きな鳥居は、なんかカッコイイ。
そうして、うだうだ上ることしばらく。喋らず上る約束なんかしなかったのに、誰ひとり口を開かずに、やっと屋上の手前の踊り場まで辿り着いた。
先頭のあたしが歩を止めると、みんなの間に、今ごろ緊張感がひしと漂う。
ヒソヒソ声で、最後の確認。
「じゃあ、ウチらが呼ぶまで、大人組は顔出さないでね」
そう言うと、野田先生が手でOKサインを作って見せた。
「行くよ、ナナ。台本ないけど、アドリブで大丈夫だよね?」
「ああ、まかせろ」
ナナは取材慣れしてるから、臨機応変にアドリブで喋ることぐらい、お手の物だよね。
黙ってナナと拳を合わせる。そして、そっと、屋上を覗くと……
後ろ姿のボスキャラは、薄いピンクのスーツを着て、それには見合わない普通のスニーカーを履いている。ふわっふわな茶髪の女の人だった。
武器も荷物も持っていない。
ただじっと、フェンスに肘をつき体をもたせかけて、塔の正面方向の景色を眺めてる。
鉄の足音が聞こえなかったとは思えない。彼女はたぶん、あたしたちの存在には気づいてると思う。それなのに、振り向く素振りも見せない。
見た目には、飲み屋のおねーさんっぽい。酔っ払ってたら、どうしよう。子供だからって容赦なく、ぼっこぼこにされたり……しないよね、さすがに。
急に怖くなる。でも、これは人命救助なんだから。
もう、後には戻れない。やるしかない。
あらためてナナと目を見合わせ、あたしたちは、屋上へと飛び出した。