01.日直の朝は事件の匂い
あんなに楽しみだったゴールデンウィークもあっという間に終わり、6年生になって2回目の日直が巡ってきた。その日の朝――
セキレイがぴぴ、ぴぴ、と鳴きながら、波を描いて飛んでいく。その後を追うように、7時半登校を目指して軽く走る。
人影まばらな地元「夢実野商店街」を抜ける途中、ぶんぶく文具店の前で、見慣れた後ろ姿を見つけた。
タテに長い女の子。ちょっと六年生には見えない長身で、モデル並みに細い。茶髪のショートヘア、クロスとスカルのイラストが描かれた濃いいピンクのパーカーに、黒デニムのショートパンツ。
「ナナ、おはよ!」
声をかけると、彼女は1秒間ほど固まってから、ゆっくりこちらを振り向いた。
あたしの相方、兵藤 菜々(ひょうどう なな)は、むやみに肌の露出が多い美少女だ。
「よう、ポチ」
「ルルだっつってんでしょ!」
申し遅れました。あたしの名前は加賀谷 るる(かがや るる)。
ナナと同じ6年生なんだけど、じつはあたしも6年生には見えません。
ただし、彼女とは真逆の意味で。
身長124センチ。正直、よく4年生ぐらいに間違えられる、学年いちのおチビなの。
だから、ナナはしょっちゅうあたしのことを「ポチ」と呼ぶ。そのたび、あたしは「ルルだ」と返す。ボケとツッコミの役割がハッキリしてて、クラスメートからも先生からも、いいコンビだと言われる二人です(笑)
あと、ナナにはもうひとつ、大きな特徴がある。
「あ~あ、ポチがおれの犬だったらよかったのにな」
見た目はカッコ可愛いモデルでも、口を開けばこの通り。自分のことを「おれ」って呼んで、男の子みたいな口をきくの。
読者のみんな、慣れるまでガマンしてね。
「ルル今日、日直だっけか?」
「そーだよ。ナナは? 壁新聞の編集?」
「ああ。……そうそう、お前の言うとおり、昨日あの二人、デートだったんだ。バッチリ写真撮ってきたから、今日は本人たちを取材して、記事を上げねーとな」
あの二人っていうのは、かねてからウワサの若い先生。昨日の放課後、学級日誌をもらいに職員室に行ったとき、担任の先生の机の上に暗号めいたメモがあったの。
何かをメモするのにわざわざ暗号化する必要があるとすれば、たぶん内緒のデートの関係かなっていう単純な推理だったんだけどね。
解いてみたら、おそらく、っていう時間と場所が判ったから、それをナナに教えてあげた、ってわけ。
「さすが編集長! って言われる記事を頼むわよ」
「おう、まかせとけ。――って、おい、ウワサをすれば……」
あらら、本当だ。商店街を抜けて右へ曲がってすぐのところにある大きな交差点。その角にあるコンビニの駐車場に、野田先生の車が停まっている。
野田 香保里先生は4年生の担任で、あたしが言うのもナンだけど、すごく小柄な女の人。29歳、独身。
詳しくは知らないけど、あの赤いオープンカーは、日本に何台もないという外国の高級車らしい。
そして、その助手席には、アッキーの姿が見える。
「職員室に行く手間が省けた。声かけようぜ」
ナナはそう言って、あたしの返事を待たずに駆け出す。
「おーい、アッキー。早朝デートか? つか昨日の今日で……平日なのに朝帰りか?」
やらしいわね、ナナってば。ヤボなコト聞くもんじゃないわよ。
アッキーこと紅林 秋彦先生は、我らが6年生の担任。野田先生と同じ29歳の独身で、たよりない、つまらない、どこかさえない男の人。
野田先生はこの男の、いったいどこが好きなんだろう……。
「バカ、そんなんじゃない! 今、それどころじゃないんだ。お前らとっとと学校行け!」
――あれ?
普段ならあたしたちの冗談やイジメにつき合ってくれるのに、今日はなんだか、ガチね。
「アッキー、何かあったの?」
「ああ、そうだ。だから悪いが、今はお前らにつき合ってられないんだ」
やっぱり、ガチだ。
「事件の匂いがするな」
さすが、新聞委員会壁新聞編集長。ナナの嗅覚も、ダテじゃないわね。
「うるさい、遊びじゃないんだ! 人の命がかかってんだぞ!」
「えっ!?」
「エッ!?」
あたしとナナは、同時に驚いた。人の命だなんて、朝っぱらから、ガチにも程がある。
「ちょっと、野田先生、ほんとなの?」
運転席で腕を組み黙っていた野田先生に確認すると、
「ええ、本当よ」
と冷静にうなずいて、こちらをチラリと見た。
「マジか、ますます見逃すわけにいかねーじゃん」
ナナはあくまで動機が不謹慎みたいだけど、放っておけない、という点ではあたしも同じ。少しでも協力したいって、素直に思った。
「アッキー、ごめん。昨日のデートの時間と場所、アッキーのメモから勝手に推理してナナに教えたの、あたしなんだ」
あたしが言うと、アッキーは「ナニッ」と言って、アゴが少しシャクレた。
「先生たちだけで何とかなりそうなら、邪魔しないよ。子供には危険だってゆーのなら、素直に学校に行く。けど、ウチらで何か力になれるなら、協力させてくれないかな?」
そっちがガチなら、あたしもガチだ。それに、たとえ動機が不純でも、ナナは何かと使えるわよ。
「しかしだな……ほら、車も2人乗りだし……」
迷いだしたアッキーの隣で、ふいに野田先生が口を開く。
「わかったわ。車、急いで乗り換えてくる」
「ちょ、野田先生!」
いつも眠たそうなアッキーの目が、ちょっと見開いた。
「正直、手に負えなかったのよ。あのメモを解読した推理力が本物なら、もしかしたらその子を助けられるかもしれないものね」
そうこなくっちゃ。野田先生、話がわかる。
「なので紅林先生、降りて、私が戻ってくるまでに事件の概要を説明しておいてください」
「わ、わかりました」
ふたりの力関係が垣間見えた瞬間だったけど、それはこの際、置いといて……。
野田先生の車は真っ直ぐな大通りをさっそうと走って行った。教育者として当然、法定速度は守っていると信じたい(汗)
コンビニの駐車場に残されたあたしたち三人の影が、朝の空気に冷たく映える。
「ふぅ、仕方ない。じゃあ、説明するぞ。じつは今朝のことなんだが……」
いつになく(授業中よりも)真面目な顔で、アッキーが喋り始めた。
アッキーは普段、6時50分に目覚ましをセットしているという(昨夜はちゃんと家に帰ったらしい)。
ところが今朝は、聞き慣れた目覚ましとは違うベルの音で目を覚ました。アッキーの家の、固定電話。いわゆる、家デンってやつだ。
時刻は6時45分。そんな早朝に予告なく電話がかかってくること自体も珍しいけど、ケータイではなく、家デンにかかってくることなど、めったにないらしい。
不審に思いながらも受話器を取り、「もしもし?」とだけ声を発した瞬間――
「あっ、リョウちゃん!? あたし、死んでやるから! リョウちゃんのせいだから! リョウちゃんのせいだから! リョウちゃんのせいだから!」
と、大声でわめき散らされたあげく、一方的に電話は切られてしまった。
もちろん、アッキーは「リョウちゃん」なんかじゃない。つまり、間違い電話かイタズラ電話か、どちらかということになるだろう。
ちなみにアッキーの家の電話機は、相手の番号が分かるタイプじゃないらしい。
「事件そのものは、それだけだ」
アッキーがいつもの偉そうな態度で言った。
「エ、それだけかよ」
ナナのリアクションはもっともね。それだけじゃ判らないことが、まだいくつかあるわ。
まず、その電話の声を実際に聞いたのはアッキーだけってこと。こればっかりは、アッキーが感じた印象を信じるしかない。
「口調からして、相手は女の人だよね。……さっき野田先生が『その子』って言ってたけど、相手は若い子なの? アッキーたちより、年下?」
あたしからの質問に、アッキーは即答する。
「ああ、声の感じからして間違いないと思う」
「イタズラ電話だとは思わなかった?」
「とても、演技してるようには思えなかったんだ。何ていうか、鬼気迫った感じだった」
なるほど。それと、これがいちばん大事なコトなんだけど……
「その子、アッキーの知り合いってことはないの?」
そう聞くと、アッキーは腕組み鼻息をもらして、
「それなんだが……」
と、眉をひそめた。
「残念ながら、俺には若い女性の知り合いなんか、野田先生より他にいないんだ」
「うわっ、寂しっ」
「あ、なんか、ごめん」
ナナとあたしのリアクションに、優しいげんこつが飛んでくる。
ほんの少しだけ、張り詰めた空気が緩んだ。
「んで、警察には通報したん?」
珍しく、ナナが常識的なことを言う。
「ああ、もちろん。だがアレだ。手掛かりが少なすぎるから警察としても動けないとか、イタズラじゃないですかとか、言われたよ」
……でしょうね。
意地悪でも怠慢でもなく、それだけの手掛かりじゃ、警察は動きたくても動けないっていうのが当然の結論よね。
「だが、やはり気がかりでな。放っておけないだろ? 赤の他人でも、死んでやるなんて言われちゃあ……。それで、とりあえず野田先生に相談したんだ」
なるほど。でも、普通は放っておくんじゃない? 警察に通報すらしない人も少なくないだろうし、警察が無理だってのに、自分でなんとかしようなんて思う人は、なかなかいないと思う。
頼りない、つまらない、さえない男の……唯一のいいところだ。
「でも、手掛かりは意外と少なくないよ、アッキー」
あたしはそう言って、目を閉じ、ひとつ深呼吸をした。
花柄の脳細胞(笑)が目まぐるしく動き、たくさんの考えが巡る。
しばらくすると、車のエンジン音がすぐそばまで近づいてきて、あたしたちの横にとどまった。
「おまたせ。話はだいたいわかった?」
運転席の窓から、野田先生が顔を出す。乗り換えてきた大きめの車も、鮮やかな赤で、左ハンドル……。教師って、そんなに儲かるの?
「おれに聞いたって、わかるわけねーっしょ」
ナナがそう言いながら、勝手に後ろのドアを開けて、後部座席に乗り込む。
「俺が助手席でいいのか?」
アッキーがあたしを見て聞いてきた。
「いいよ。どーせあたしじゃ道案内なんかできないし」
答えながら、あたしはナナのお尻を押すようにして、同じドアから後ろの席に乗り込んだ。
「で、とりあえず作戦だけど、どうするの?」
助手席に座ったアッキーに、さっそく野田先生が圧をかける。尻に敷かれるって、こーゆーコトだよね?
「えーっと、あ~、ど、どうする?」
たぶん、1ミリも考えてない。アッキーがこちらを振り返って、バツが悪そうに言った。
「分かったこととか、気づいたこととか、気になることとか……どんな小さなことでもいいの。何か、ない?」
野田先生がルームミラー越しにあたしを見る。あたしの隣で、ナナが「ガー」といって寝たふりをする。
「じゃあ、とにかく可能性に賭けてみてもいいかな……?」
あたしが言うと、他の3人がハテナマークの目をこちらに向けた。
「説明は後。野田先生、急いで山太郎池公園に向かって!」
「ハァ!?」
「いいから、早く!」
「は、はいっ!」
ここからは、よい子のみんなには見せられないカーアクションが繰り広げられることになるんだけど、あえて。道路交通法は守っている体で、次の場面へ(笑)