王様の困惑
「このたびは大儀であった、クレイ。褒美に何でも望みを叶えてやろう」
「何でも、ですか」
いつもは決して柔和な表情を崩さないその目がきらりと光るのを確かに見て、国王は息を飲んだ。
面倒見の良い兄達と、末息子にどうしても甘くなってしまう王妃や侍女達に可愛がられて育ったせいで、この第三王子は温和な性格という印象が強い。しかしその実、この末息子こそが「蛮族」の二つ名を持つ我が王族の血を一番濃く引き継いでいると国王は密かに思っている。
事実、息子達の中で一番剣の腕が立つのもこの皇子だ。
その皇子が、武力ではなく類い稀なる交渉能力を発揮して、長年に亘る近隣国の緊張関係を和平へと導いた。
その功績は計り知れない。
その直前まで、もはやここまできては血で血を洗う戦で決着をつけるしかないと思われていただけに、急転直下のこの結末に未だに狐に摘まれた気分でいる者達も少なくない。
隣国のリブシャ国王からの親書にはクレイの働きを賞賛する美辞麗句とともに、必ず褒美を取らせるようにとの一言まで添えられていた。そのせいもあって、言われなくとも初めからそのつもりであったワイルダー公国の国王は帰国の報告で執務室を訪れたクレイに開口一番そう言った。
「では、遠慮なく申し上げます。心に決めた女性との結婚を許して欲しいのです」
「何?」
国王はその意外な一言に我が耳を疑った。
てっきり騎士団での実質的な指揮権か、そうでなければ豊かな領地を欲しがるか、はたまた放浪の旅に出たいなどと言い出すかとばかり思っていたからだ。
騎士団でのクレイの地位は既に確立されたも同然だったし、クレイが子供の頃に慣れ親しんでいた領地の屋敷はクレイに与える準備が出来ていたし、期限付きなら放浪でも遊興でも好きな国へ旅に出してやるつもりだった。
なのに、結婚の許可が欲しいだと?
結婚しろ結婚しろと口煩く言い続けてきたのに決して首を縦に振らなかったのはお前のほうではないか。
国中の美しいと言われている貴族の娘や、他国の王女からの縁談をけんもほろろに断ってきたその口がそれを言うのか?
その言葉をぐっと呑み込んだ国王は、リブシャ王国からの親書に書かれてあった、エルマ王女との婚約話は白紙に戻したいという条を思い出して今度は苦い溜息を吐く。
あの書状はこれを…クレイとリブシャ王国の娘との結婚を許可するように、ということを仄めかしていたのか。
「リブシャ王国で見つけてきた娘、と考えて良いのだな」
「その通りです」
「どんな娘だ」
そう問われてクレイは少し考え、しごく真面目な顔で答える。
「王族でも、貴族の娘でもありません」
そんなことは知っている。そういう娘がお前の興味の対象外だということは嫌と言うほど思い知らされてきた。
「身分について問うているのではない。お前がやっとその気になったのならば、この際、町娘でも村娘でも構わぬ。どのような娘に心惹かれたのか、それを問うているのだ」
戴冠式までの間、村長の娘達の住まいに身を寄せると聞いていたから、よもやという思いがなかった訳ではない。そういう意味ではこの話は想定内と言えなくもない。
結婚に興味を持とうとしないクレイがこのまま世継ぎを得ないのは実に惜しいことであるから、クレイが選んだ娘がたとえ身分が低い出自であっても、王族の姫と同じ扱いにする事は吝かではないと国王は心の底で思っていた。
とにかくクレイが身を固める決心をしたのだから目出度いことだ。第三王子であるからクレイの妃の身分について取り沙汰して騒ぎ立てる臣下もそうそういまい。
国王の新たな問いに対して更に難しい顔になって考え続けていたクレイは、ふと良い表現を思いついたとでも言いたげに急に晴れやかな表情になってこう言った。
「女だてらに剣を振るい、時には自身の信念の為に僕の心を欺き玩ぶことも躊躇わない、この上なく美しい女性です」
臆面もなくそう言ってのけるその表情は、恋する男そのものだった。
何だと。
その言葉がまだ口から出ていなかった事にほっとして、国王は咳払いをする。
「どのような美女に誘惑されたかと思いきや…。それではまるで、教養すら持たぬ野蛮な女と大して変わらぬではないか。仮にも皇子の妃になる以上は…」
「会って頂ければお分かりになると思います。優美に剣を振るう姿は、我が騎士団員にも見習わせたいほどです。強くて勇気があり、実に美しい…本当に美しい女性なんです」
珍しく国王の言葉を遮り、想い人を庇おうとするクレイの態度は、しかし国王にはどうしても好意的に受け入れられなかった。
クレイの小姓である少年が呼び出されたのは、クレイが退席してからそれほど経っていない頃だった。
この少年なら後見人となっているクレイに多大な恩義を感じている筈だから、恋の病に罹った本人よりもずっとまともな事を言うだろう、という期待があったからこそ国王は呼び出した。
いくら美しくても、無教養で野蛮な女に主が入れ揚げている事を是とする臣下はいまい。
だが。
「サラ様の事ですか」
その名を耳にしただけで少年の頬は緩む。
どういうことだ。
「美しいだけでなく、世の理を理解されている聡明な方です。料理がとてもお上手で、王子を気遣ってわざわざ我が国の郷土料理を作って下さるような優しい方で…」
国王は白けた気分で延々と続く賛辞を聞く。
これではクレイが言っている事と殆ど変わらない。
だが…少なくとも教養はあり、性格もそう野蛮でもないということか。
村長の娘ならばそう身分が低い訳でもなく、根性の悪い貴族から貶められて困るようなこともないだろう。
美人の手料理と聞いてぐっとこなかった国王ではないが、あの冷静なクレイが料理ごときで結婚を決めるとはとても思えなかった。そもそもワイルダー公国では妃殿下に料理をさせることなどない。
思っていたような答が得られなかった国王は、今度は小姓以外の者の意見も聞いてみることにした。
前騎士団長やリブシャ王国での戴冠式に警備で赴いた騎士達を質した時も同様の反応だった。皆一様にサラという娘を讃え、クレイにとってこれ以上は望めない相手だとまで言い切る者もいる。
戴冠式以降、あっと言う間に美姫として名を轟かせたエルマ王女にも引けを取らない美人であることも必ず話の中に付け加えられていた。
そして最後に必ずこう言うのだ。
「クレイ様があれほど女性に夢中になられているのを我々は初めて見ました。この先、サラ様以外にそのような女性が現れるとは思えません。これは千載一遇の機会かと」
一体どんな美女なのだ。
こうなると国王も俄然興味が湧いてくる。
日を置いて、国王は改めてクレイを呼んだ。
「ハーヴィス王国との国交が軌道に乗るまで、少なくとも一年はお前に調整役を頼みたいと思っている。その間は王都から離れることは許されないだろう。婚礼の準備など、もってのほかだ。ただ、リブシャ王国は成人した娘に対し色々な制約を設けている国だ。娘の事情は考慮に入れなくてはなるまい」
「…と、申しますと?」
既に何を言われるのかを察して表情が緩むクレイが妙に忌々しい。
「本当にその娘との結婚を望んでいるのなら、さっさとここへ連れて来て婚約の誓いでも何でも立てるがいい」
「認めて下さるのですね」
それでも尚、言質を取ろうとするところが憎らしい。やはり間違いなく、この王家の血を一番濃く引く者だ。
「何でも望みを叶えてやると言ったことを忘れたのか? あまり時間をかけると娘の気が変わるやも知れぬぞ。それに…儂もその娘に早く会いたい。会わせてくれるのだろう?」
「はい。お許しを頂けるのなら今から直ぐにでもリブシャ王国に向かいます。ありがとうございます、父上」
頷く国王にこの上なく機嫌の良い笑顔を向けて、クレイは意気揚々と国王の執務室を後にした。
国王はサラが村娘だと完全に信じ切っています。クレイもデラも、サラが精霊であることを誰にも言うつもりはありません。
そしてエリーが懸念していたほど、クレイの結婚話は難航しませんでした。リブシャ王国からの書状が効いた、ということもありますが、クレイが妻を迎えることは国王にとっても大変嬉しいことだったからです。
そしてサラに会った国王は…騎士達同様の賛辞をサラに贈ることになります。