御宅訪問は手土産付きで
――バラクシンにて――(エドワード視点)
「エドー! ちょっと出かけてくるねー」
玄関から聞こえたアリサの声に手を休め顔を出す。
「何処へ行くんだ?」
「ミヅキちゃん達を迎えに行って来るの。ついでにお買い物もしてこようと思って」
にこにこと上機嫌で話すアリサに私の口元に笑みが浮かぶ。
脳裏に浮かぶ異世界人の女性は二人が今の状態を選ぶ切っ掛けになったとも言える人だ。
色々と厳しい事も言われたが、全ては未熟な自分達を諌める言葉だった。
エルシュオン殿下も彼女の行動を予測していたのだろう。
苦言が異世界人から言われたものなら『他国の不興を買った事にはならない』。
勿論無かった事にはならないが、もしも直接王族・貴族から言われようものなら間違いなく外交に響いたことだろう。
自分達を諌める役を王に頼まれたからと言っても、その失態を外交に活かすことも可能だったのだから。
だが、エルシュオン殿下からはあくまでも『訪問の目的とミヅキが向けた言葉の解説』のみ。一方的に批難するのではなく、自分達で理解し答えを出せるよう手を尽くしてくれた。
それはミヅキも同じだった。ライナス殿下に宛てられた手紙には異世界人ならではの視点ではっきりと『教育の仕方に問題あり』だと書かれていたのだから。
また例えが的確だったのだ。
『特権階級にある者は庶民の生活を知ってはいても即座に実行できるのでしょうか?』
『彼女が批難されるならば貴族の皆様は庶民の生活を問題なく送れなければなりませんよね?』
アリサが貴族階級の作法の必要性を理解しないと言うなら『庶民の生活』を『知っている』お前達は実行できるんだろうな? と逆の発想を突きつけて来たのだ。
はっきり言ってそれは無理である。何せ貴族は身の回りの事さえ使用人に任せるのが常なのだから。
生活に伴う一般常識からして違うのだ、そもそもアリサは守護役が婚約者と言う立場になる事も難色を示していたじゃないか。
「常識さえ違う事が当然か……我々が庶民の生活に混ざれぬのならばアリサを批難することなどできんな」
こちらの要求が一方的であったと痛感する文章に王でさえ溜息を吐き自身の非を認める始末。これで下手に『できる』などと言おうものなら即座に『やって見せろ』と言って来るだろう事は明白だ。
『魔王』と言われるあの方ならば絶対に言う。それは誰もが確信していた。
少なくともアリサを批難していたバラクシンの王族・貴族はこれでアリサに強い事を言えなくなった。
誰だって自分の醜態など晒したくは無い、しかもそう言ってきたのは実績も含め色々と物騒な噂のある異世界人。
批難するのではなく疑問と言う形をとってこちらが非を認める以外無いような方法を提示し逃げ道を塞ぐとは、何と恐ろしい思考回路の持ち主か。
『怖ぇぇ……流石はあの国に認められた異世界人だ、容赦が無ぇ!』
『これ出来ずに異世界人を追及すれば馬鹿だと思われるよな? いや、それだけで済むのか!?』
誰もが胸の内で呟き、噂の真実が垣間見えた瞬間だった。魔王の保護下にあるのは伊達ではないらしい。
そもそも守護役が全員公爵家の人間と言う時点で絶対に普通じゃない。裏を返せば『それほどの家の人間でなければ押さえ込めない』と国に認められたということなのだから。
これにより多くの者が自分の視点でしか物事を判断していなかったと気付き、我々に温情を願ってくれたらしい。
実際は自己保身に走った者が半分はいただろうが、結果として今があるのだから感謝すべきだろう。
そんな事を考えつつ、今ではアリサと仲良くなったらしいミヅキを思い浮かべ「行っておいで」と言いかけ、ふと首を傾げる。
「アリサ。ミヅキ殿が遊びに来るのは数日後じゃなかったかい?」
「うん、本当はそうだったんだけどね。殿下が転移法陣を使わせてくれたんだって」
「……へぇ」
あの王子が個人的に可愛がっているとはいえ、そんな特例を許すだろうか。
『遊びに来るだけ』なのに?
思わず微妙な表情になるのは仕方が無いことだろう。あの人がそんな甘やかしを行なうなど考えられないのだから。
そしてふと脳裏を掠める『ある情報』。
……。
……いや、まさかね。
物には限度があると言うし、彼女がそんな危険な事に関わるなど周囲の者達が許す筈は無い。
「エド?」
冷や汗を滲ませ浮かんだ疑惑を振り払う。
アリサと違い個人的な実力もある人物だが、彼女は周囲にいる者達を大切にしていると聞いている。
彼等に迷惑が掛かるような真似をする事は無いだろう……多分。
「あ……ああ、何でもない。行っておいで」
「うん? じゃあ、行ってくるね!」
嬉しげに家を出て行くアリサの姿に自分の予想が杞憂で終わる事を願った。
まあ、彼女の事だからアリサが被害を受ける事だけは回避してくれるだろう。
それでも一応連絡だけは入れておくべきだろうな。
そう決めると私は手紙を送る準備をするべく、その場を後にした。
※※※※※※※※※
やって来ました、バラクシン!
数日かけて国境越えから……と思っていたら魔王様の好意で転移法陣を使わせてもらえた。
早いね! ショートカットですね! いいのかな、建前としては個人的な旅なんだけど。
今日はアリサの所に泊めて貰う予定だけど、お料理教室を兼ねてもう一泊できそうだ。
いや、料理ってさ『見て覚える』って事も重要なんだよ。説明に困る事もあるし。
元居た世界が違うというのも要因となっているんだけどね。
「ミヅキ、これから会う人物は君の友人であり異世界人なんだな?」
「うん、そうだよ。私とは違う世界から来たみたいだけどね」
「まあ……さぞ心細い思いをなさったでしょうに」
痛ましそうに呟くエマの言葉にセシルも同じような表情を浮かべる。
……あれ? 私はそんな事全然思わなかったぞ? 色々と必死過ぎて。
先生を始め周囲の人達が親身になってくれた事も大きいだろうけど、普通はそうなのか。
「あ、でも結婚してるからもうバラクシンの人間だよ」
「まあ! それならば家族がいるのですね。良かったこと」
「私もエマが居てくれたからキヴェラでもやってこれたしな。家族が居るというならば彼女も少しは慰められる事だろう」
えーと?
普通はそう言う発想なの? イルフェナでは誰も心配しなかったぞ!?
落ち込んだ事もないけどな!
「……? ミヅキは違ったのか?」
微妙な表情の私にセシルが不思議そうに問う。
「私自身が落ち込む事も無かったけど誰もそんな事は言わなかったかな。どちらかと言えば『この世界で生きていけるよう逞しく育て!』って感じで教育重視」
「ああ、イルフェナならばそうなのだろう。実際、その教育が今に活きているのだろう?」
「うん、まあそうなんだけどね。育ち過ぎたような」
「気にしてはいけませんわ。私達は今のミヅキが大好きですわよ」
どうやら二人ともこの世界においての異世界人の扱いを知っているらしい。
ゼブレストと同じく『捕獲されたら全力で抗え・敵は潰せ』という方針を推奨してくれているのだろう。
……感謝です!
つまり反省の必要は無いと肯定してくれるわけですね?
『ガンガン突き進め』と応援してくれているのですよね!?
期待を込めて二人を見れば笑顔で頷いてくれた。……友よ!
よし、この旅では私が何をしても許される。
護衛対象の許可が出た。異論は認めん。
それに多分その護衛対象達が嬉々として報復に混じる気がする。
「ところで。待ち合わせ場所は何処なんだ?」
「ん? 転移法陣を出てすぐのとこ……」
「ミヅキちゃん! 久しぶり!」
声と共に視界が埋まった。
セシルの言葉に応えを返そうとし、そのまま言葉が止まる。セシル達も呆気にとられて思わず沈黙。
理由は簡単、既に来ていたらしいアリサが抱きついてきたからだ。
「ふふ、早めに来ておいたの。待ちきれなくって!」
楽しげに話すアリサは相変らず美少女です。笑顔が眩しいね! そして同時に向けられる複数の視線。
おおう……美少女に見惚れていた男どもの視線が突き刺さる。
ふ、羨むがいい! 女同士の特権ですよ?
例外はエドワードさんだけだろうな、アリサの場合。
「アリサ、久しぶり。元気そうで何より」
「うん! ミヅキちゃんも元気そうで良かった」
だって、怪我とかしてそうなんだもの――と無邪気に続いた言葉に思わず視線を逸らす。
アリサよ、何故知っている? 心配しただけか?
怪我はしてませんよ、怪我は。大人しくはしてませんでしたけど。
ワイン被ったり貴族と一戦交えたり、騒がしいのはイルフェナでは今更です。
「そちらの二人は一緒に旅をしているお友達?」
二人に気付き尋ねてくるアリサ。抱きつかれたままだけど、とりあえず紹介しておきますか。
「セシルとエマだよ。流石に一人で行動はさせてもらえなくてね」
「あ、そっか。まだ一年経ってないって言ってたものね」
納得してくれたらしいアリサには気付かれないよう、二人に目配せする。
そう、『同行者』。異世界人のアリサならば護衛か何かだと思ってくれるだろう。
今回『一人では許されないから同行者を連れて行く』という説明をしてあるのだ、気付かれない限りそれ以上を言うつもりはない。
エドワードさんあたりは気付くだろうから、その場合は説明するけどね。
尤も今回の手土産には例の冷遇証拠映像が含まれてますが。
エドワードさんならきっと『正しい使い方』をしてくれることだろう。
一応彼はまだ貴族の筈。情報として与えておくべきだと思う。
どうせキヴェラの騒動は噂として流れているのだ、詳しく知る切っ掛けがあれば更に諜報員を動かして情報収集に努めると推測。
自己防衛に励んでください、今回守りまで手が回りません。
今回の事に興味を持ち、且つこちらの敵にならない国はコルベラへと問い合わせる筈だしね?
……逆にキヴェラの味方になるならコルベラには接触すまい。今回の事に対し『何も知らない・我関せず』な態度をとる事がキヴェラにとって最良の対応なのだから。
あからさまにキヴェラへ媚を売らなきゃ何もしませんよ?
ただし、私の邪魔をしたら敵認定。手加減しねぇぞ。
流石にあのままだと迷惑になるから、とアリサ達を促し歩きながら周囲を観察する。
……ふむ、転移方陣はいつもと変わらず使用できるし、警備の人達も変に気負っている様子は見られない。町の人達にも特に変わった様子は見られないし、警備の兵が増やされたと言う事も無さそうだ。
どうやら『王太子妃逃亡』という噂は民間にあまり伝わっていないらしい。他人事なのであまり感心が無いとも言うべきか。
と、言っても上層部は情報を掴んでいるだろうと推測。それでこの状態なのだからキヴェラ寄りではないと思っていいかもしれない。キヴェラに恩を売りたければ取引材料として捕まえようとするだろうしね。
「……それでね、ミヅキちゃんと仲良くなったの」
「見る限り今の生活は楽しそうだ、それは良い切っ掛けだったんだろう?」
「ええ! 勿論」
「人の幸せは自分に合った環境あってこそのものですわ。きっとアリサさんは貴族階級の生活が合わなかっただけなのですね」
「確かに。民間とは差があるからな、馴染むだけでも苦労するだろう」
私が周囲を観察している事を察したのか、セシルとエマが世間話がてらアリサの注意を引いてくれている。
彼女達は特権階級ながらも民間への理解もあるからアリサにとって話し易い人種だろう。仲良くなったようで何よりですよ。
「あ、ミヅキちゃん。お買い物していっていい? そ、それでね……」
何故かもじもじと言いよどむアリサ。え、買い物くらい構わないよ?
首を傾げる私にエマが笑って先を促す。
「ふふ、アリサさんはミヅキの手料理が食べたいのですって。ミヅキ、アリサさん達に手料理を振舞ったのでしょう?」
「ああ、うん……確かに作った」
あまりにも魔王様直々のお説教が気の毒過ぎて。
二人が滞在した最後の一日は少しでも気分が浮上するよう、異世界の料理にしてみたのだ。魔王様も快く承諾したあたり二人に対し何か思う事があったのじゃないかと推測。
後に事情が判明した時には『お説教の為にイルフェナに来たとは言え、少しは相手を選んでやれよ』とは誰もが思ったが。
何故イルフェナの人間でさえ涙目になる奴続出の魔王様に頼むのさ。心が折れるだろ?
魔王様が「バラクシンへの報告にも君の言葉をそのまま書いておいたよ」と言っていたので国に対しても小言めいた事を言ったんじゃないかな、あの人。勿論、私の言葉は魔王様への報告だったのでオブラートになど包まれていない。
向こうにそのまま伝えると判っていればもっと心が凍える……じゃない、心に響く文章を考えたのに。
ま、お説教常連の私としては仕方がない事と思いつつも二人に同情したのだよ。特にアリサ。
アリサの世界も此処と大して変わらないような事を聞いたからデザートとかも割と頑張ってみた。
そうか、気に入ったのか。それは何よりだ。
「いいよ?」
「本当!? ありがとう!」
もてなす側なのに『料理作ってくれ』とは言い難いな、そりゃ。
それくらいなら全然構いませんとも。つか、普通の土産は食材だから好都合です。
「じゃあ、食べたいものってある?」
「えーとね、オムレツが食べたいな」
即答。しかもそれって最後の食事に出したよね?
何処から見ても卵焼きなので違和感無く食べられると思ったが、お気に召したらしい。
「エドとね、今までの事を反省しながら食べた思い出の料理だから。ミヅキちゃん、私にお説教ばかりしていたけど私達の為に御食事作ってくれたんでしょ?」
「あ〜……まあ、説教しかして無かったね」
それ以上の会話が無かったとも言う。接触する機会も普通は無いしな。
「それで思い出したの。厳しい事を言って来る人達はいたけど、同じくらい私を庇ってくれていたって。だって、庇ってくれていたから必要な事を教えなきゃならないって思ってくれたんだもの」
「まあ、義務もあるだろうが自分の事だけを考えている輩なら関わらないだろうな」
「面倒事は避けますものね……都合のいい時だけ擦り寄ってくるでしょうし」
どうやら魔王様の説教後は周囲の人の思惑も考えられるようになったらしい。
アリサはイルフェナでは殆ど部屋に閉じ込められていたそうだから『関わらないという選択がある』ということに気付いたのだろう。
誰だって嫌われ役になりたいとは思わない。ならば『嫌われ役』を引き受けてくれた人達は自分にどんな感情を向けていたというのか。
そこまで考え付けばアリサならば悪い方向には捉えまい。何せ彼等の小言は全てアリサが困らない為であったのだから元が善良な分、後は反省一直線。
劇的に変わるわけですね。その切っ掛けが慰める為に作った料理とは……何があるか判らんね。
まあ、判り易い例えではあったのだろう。『小言を言った相手』が『自分達の為にわざわざ作ってくれた』のだから。
「だからね、ミヅキちゃんとお友達になれて凄く嬉しい。……あ」
にこにこと話していたアリサの視線が野菜を売っていた店の一箇所に惹き付けられる。
視線の先にはクリーム色した南瓜モドキ。中に種は無く外も中もクリーム色で私の知る南瓜よりも甘味の強い野菜だ。
「ん? どしたの?」
「あのね、これ私の居た世界にもあったんだ。これで作ったスープが好きだったの」
懐かしそうに話すのは今は遠い家庭の味なのだろう。何処となく寂しげな顔になっている。
異世界人のみ認識されているが、野菜や魚など様々な物がこの世界に来ているのだ。
根付かなかったものもあるだろうが、生態を変えたり他の種と混ざったりしながら存在するものも多い。
だってイルフェナで梅干作ってるもの、私。しかも騎士寮の屋上で。
つまり材料は全て在ったわけですよ、この世界に。
大きさや多少の味の差さえ気にしなければ十分代用できるのだ。
アリサの故郷の野菜も元の世界の物とだいたい同じなのだろう……少なくとも別物ではない。
「じゃ、これでポタージュ作るか」
「ぽたーじゅ?」
「えーと……スープの一種」
どうせゼブレストの土産もあるし材料的には大丈夫。
アリサの言うスープがどんなものかは知らないが、これから『新しい家庭の味』を作る事はできるだろう。
今は無理だがそのうち試行錯誤して自分で懐かしい味を再現するかもしれないじゃないか。
「ありがとう、凄く楽しみ!」
嬉しそうに笑うアリサから完全に望郷の念が消えたわけではないだろうけど。
セシル達と笑い合っている姿が楽しそうな事も嘘じゃないから大丈夫だろう。
……エドワードさんには『大事にしないと引き取りにきますよ』と言っておくけどな。
アリサだって『実家に帰らせていただきます!』という台詞を言う権利くらいあるものね?
逃げ場所は必要だと思うんだ。家族がこちらに居ない分、代わりに私が味方になっても問題無し。
この分だとセシル達も出て来るだろうから、そんなことにならないよう頑張るんだよー?
※※※※※※※※※
「クシュン!」
「ん? どうした、体調不良か?」
「いえ……そういうわけではないのですが」
鼻を啜りながらも何故か居心地の悪さを感じ、エドワードは周囲を見渡す。
自分の家でそんな事をする必要など無い筈なのだが。
「殿下、さすがにそのままの名をお呼びする訳にはいきませんが……」
「ふむ? そうだな、ライズと呼ぶがいい」
「俺はそのままで。アリサから身元が知れても騎士というだけですし」
もう一人の青年の言葉にライズと名乗る事にした人物は頷き、エドワードは溜息を吐いた。
報告だけで済ませる筈が何故こうなったのだろう?
大方、ミヅキに直接会ってみたいという理由が大半なのだろうが。
「彼女が貴方の顔を知っている可能性は低いですが、バレた時はどうします?」
護衛の騎士――リカードが主に問うが、彼の主は笑って首を振る。
「どうもしない。私は貴族のライズだ、友人の家を訪ねた先で『偶然』異世界人に会う機会に恵まれた。それ以外の何がある?」
暗に『何があっても本来の立場は公表しない』と告げるライズにリカードは沈黙する。
警戒が薄れたわけではなかろうが、それ以上は追及しない事にしたらしい。
「さて、一体どんな情報を持ってきてくれるのやら」
複雑そうな家主を他所に、青年は実に楽しげに笑った。
親猫の配慮により転移法陣でバラクシンへ。
ただし、逆にその行動で気付く人は気付きます。