後宮生活の裏事情
前話の続き。
「ところでさ、この世界の婚姻って全部こんなに物騒なの?」
ぴら、と奪ってきた誓約書を振り二人に問う。
いや、だって魔術で何らかの誓約を設けるなんて呪いに近くないか?
するとセシルはゆっくり首を横に振る。
「いや。王族や貴族……事情のある場合に限り、といったところか」
「あれ、無い場合もある?」
「ああ、勿論。王族の場合は基本的に有りだが、貴族の場合は必要としない場合も有るんだ。あまり良い言い方ではないが政略結婚が当たり前だとある程度は割り切っているからな」
「家同士の繋がりを明確にすることが重要ですからねぇ……役目を果たせば互いに干渉せずといった方達もおりますし」
つまり本人が納得していない場合や強行されるような状態の時ということだろうか。
まあ、王族・貴族なんて政略結婚が大半だろうしね。その後も役目さえ果たせばある程度遊ぶ事も許されているのだろう。
アルだって私を迎えに来た時、自分含め騎士や貴族を差し出したもんな。他の白騎士達も止めなかったし。
彼等の階級では婚姻=契約といった意味が強いに違いない。
……尤もイルフェナの騎士達を見る限り独身率は高そうだが。婚姻しても仕事大好きな彼等の理解者でない限り夫婦の仲は冷めそうだ。
シャル姉様の所は二人に共通の話題があることもあって円満なのだろう。
何故か誰も二人を羨ましいとは言わないのだが。結婚願望自体が殆ど無いのだろうか?
「じゃあ、これは王族の婚姻だからこその処置ってこと」
「それもある。私の場合は国のこともあって逆らえないが、王太子にとっては忌々しい誓約だろうな」
「王命ですのに……本当に自覚の無い困った方ですわ」
エマよ、くすくす笑いながら言っても全然困ったようには見えんぞ?
ついでに言うなら『絶対逆らえない状況だってことすら判らねえのかよ、頭の足りない男だな!?』と私の中で意訳されている。多分、言いたい事は間違っていない。
「ふうん、この紙切れがねぇ……?」
「状況によって込められる誓約は様々だな。何の対処も無く一定以上離れると吐血したり、命に関わるものもあると聞く」
「ちょ!? それ、呪いじゃね!? 何その呪縛」
「似たようなものですわ。そんな誓約が付けられるという事は『何があっても夫婦で居て貰わねば困る』ということですから」
「唯一許される別離が死別ということだろう」
「ワァ……庶民デ良カッタナ、私」
「それくらいしなければ自分の立場も使命も忘れて好き勝手なことをする方もいる、ということですわ」
うーん……非情な気もするけど対処法としては間違っていないかも。
理由があっての婚姻なのに『納得できません! 逃亡(駆け落ち)します!』なんてことをされたら国の面目丸潰れ。
賠償金や不利な条約など様々な場面で支障が出ること請け合い。
恋愛小説は恋人達が主役だからこそそういった事情を省くだろうが、国単位で迷惑が掛かる。逃亡にしても同様。
まだ相手の国の奴と逃げてくれればマシだろうが、今度は責任の擦り付け合いで泥沼展開勃発。
当事者は誰からも恨まれます。物語のように協力者は現れんぞ、普通。
「そんな誓約ならば事前に本人達に伝えられるさ。己が命を惜しむ気持ちがあれば絶対に逃げない」
「自分は大切にしますものね、そういう輩ならば」
「あー……凄く納得しました」
それ以前に自活できるとは思えないから野垂れ死にコースだろう。
連れ戻されたとしても許されるとは思えんし。
「じゃあ、セシルの誓約は?」
今回は逃亡前提だし、放置されてるから『一定以上離れると云々』ではなさそうだ。
まあ、セシル達が逆らえないからこそそういった不安はないのかもしれないが。
そう言うと二人は顔を見合わせ。
「多分……王と王太子に逆らえない、というものかと」
「確かにそう言われましたわ。面と向かって言われた場合のみ、でしょうけど」
「……? 『多分』?」
「状況的に確認しようが無いだろう?」
やや困った顔になりながら告げられた言葉に物凄く納得する。
そりゃ確認しようが無いな!
そうですねー、王太子自体ここを訪ねて来ませんよね! 王とも会う機会がないし。
もしやここまで酷い冷遇もその誓約が原因だったりします?
王太子が『どんな扱いを受けても文句を言うな』と言ってしまえば何もできませんものね。
セシルを公の場に出さないのって王に後宮の実態を問われると困るから?
「セシルだけ? 『二人とも逆らえない』とかじゃなく?」
「我々の関係は対等ではなくキヴェラの方が上だからな。誓約に縛られるのが私になるのは仕方ない」
「普通に考えれば姫様の方が逃げ出す立場ですもの」
「……王太子の方を何とかした方が良かったんじゃ?」
それが一番平和じゃね? 個人的な感情はともかく。
それに『浮気をしろ』『逃亡しろ』なんて命令されたらどうするのさ?
懸念を口に出すとエマが首を振り否定する。
「さすがにそれらを言い出す事はないでしょう。婚姻は王の決めたものですし、自分が不利になるようなことはなさらないかと」
「それに……我々が知らないだけで王太子にも何らかの誓約があるのかもしれない。憶測だが『逆らえない』とは『命令に従う』というより『反発しない』という解釈ではないかと思っているんだ」
なるほどそういう意味か。しかも事前に対策はとられている可能性があると。
よく考えればセシルが逃げたり浮気する事って王太子の恥だよね。自分にとってマイナスになるようなことを命じる筈ないか。
そもそもセシルは逃げられる状況にないから嫁いだので、妙な行動をとれば王太子に疑いの目が行くだろう。
……それを逆手にとって廃嫡を狙っているのかもしれないが。
だって逆らえない人物に『王』が入ってるんですよ?
これ、何かあった時にセシルに証言させる為じゃね?
セシルはああ言っているが王に関してはそのままの意味で『逆らえない』ことだと思うぞ?
王太子にその事を告げておけばおかしな真似はすまい。『普通』ならば。
状況的に試されてませんかね、王太子。
それに推測でしかないが。
『逆らえない』って誓約は妥協案として王太子から言い出したんじゃないか?
正妃だろうが寵姫に逆らうな、日陰者でいろ的な意味で。
でなければ後宮のこの状態はありえまい。
結果として干渉無しという状況になっているのでセシルにとっては良い事なんだけどさ。
……何故寵を競ってもらえると思ったんだ、王太子よ。
「王太子に誓約があったとしても寵姫に味方をする者が居る以上は何らかの抜け道を探すだろう。それに王太子は元々感情的になりやすい性格らしく、押さえ込まれれば何を仕出かすか」
「寵姫の事を王に反対されてから益々頑なになっているようです。今ではその事を口に出すだけで口論になるらしいですわ」
「あれですか、『反対されればされるほど燃え上がる恋に酔う自分』を否定されて頭にきてるんですね?」
「そうとも言う」
「ミヅキ、それに『立場と恋の狭間で苦悩する自分』も付け加えてくださいませ!」
エマの言葉をセシルは反対しなかった。そうか、事実なのか。
つまり王太子の方に何かすると更なる反発必至、ついでに自分の立場を捨てる事は無いと確信されてるってことかい。
王に逆らってでも貫く愛なら一番最初に王太子という立場が邪魔になると思うのですが。
……。
……。
へたれな坊ちゃんだな、おい。一人じゃ何もできないって周囲に知られてるってどうよ?
「安っぽい恋愛小説でも主人公は自力で苦難に立ち向かっていくものだと思うけど」
「あの方に期待するだけ無駄ですわ、ミヅキ」
で、結局セシルに耐えてもらう方向になったわけか。コルベラの扱いが軽いな、キヴェラ王!
だけど、今のキヴェラ王や上層部はまともなんだとも思う。でなければ周辺諸国が恐れるとは思えない。
誓約にしても立場という首輪を外す心配の無い王太子より、セシルが逆らう可能性を潰し更に利用しようとするのだから部外者としてできる限りの事はしているようだ。
干渉できなくとも『親』である以上に『王』としての立場をとる人物は無能じゃないらしい。
厄介な人みたいですね、キヴェラ王は。だからこそ疑問も残る。
……何故にあんなお馬鹿さんが育つんだろ? 重要な後継ぎなんじゃね?
領土拡大とか外交に力を入れ過ぎて幼少時の王太子の教育を誤ったんだろうか?
尤も王太子の弟二人はまとも――商人さん情報です――らしいので王太子を教訓にして教育の改善が成されたみたいだが。
意外と可哀相な子かもしれません、王太子。でも同情はしない。
私の目的は国なのです、貶めるなら彼が狙い目だからな!
寧ろそのままの貴方を応援してる! ガンガン突っ走っちゃってくださいな!
王太子様、私は自分のやりたい事が最優先の人間でございます。
今の私にとって鬼畜という評価は褒め言葉以外の何物でもありません。
僅かな憐れみを抱くことなく狙わせていただきます!
落とし所を探ってキヴェラ王と一戦交えるより確実な方を狙うのは当然!
弱点を狙うのって基本ですよね、基本。
そもそも貴方はもういい大人。まともな側近を排除したのも自分の意志。
学ぼうとすれば学べた筈なのです。その環境を周囲は整えてくれていた。
『優遇されて当然』という態度をとってきた以上は結果を受け取ってもらわなければ。
『正妃の王子が継承権優位』といった国の方針も継承順位を明確にする為のものであって、努力せずとも王になれるといったものじゃあるまい。
彼がセシルを気に入らないのも劣等感からくる部分もあると推測。だって自分が明らかに劣るもの。
小国だからこそ王族・貴族の対応一つで困った事態に陥るのだ、そうならない為にしっかり躾られるのは当然。
魔王様もルドルフもその側近達も個人であることより立場優先・常に努力の日々です。
それが普通なのだが、見下している小国の王女が認められることも許せないのだろう。
絶対に言われたと思うんだよね〜、『姫は己が役割を理解しているというのに貴方は……』って。
よし、それも突付こう。徹底的にプライドを砕いてやろう。
「……で。王太子がアホなのは判ったけど寵姫に関しては?」
王太子については証拠集めも楽だろう。折角なのでもう一人の主役・寵姫について聞いておこう。
……が。
「前にも言ったように私が持ってきた物を取り上げたくらいだな」
「後は……数日に一度、嫌がらせの食事を持ってくる侍女が居るくらいでしょうか?」
はて?
後宮ってそんなに平穏な場所だったかな?
「貴族達から贈り物とか来なかった?」
「最初の頃は来ていたな。だが、寵姫が気に入った物を取り上げると知ってやめたらしい」
「良い意味での贈り物ばかりではありませんでしたもの」
んん? 贈り物と言う名の嫌がらせも無いのか?
「寵姫本人からは?」
「ありませんわ」
おやー? まあ、ここまで差がついてると安堵のあまり無関心になっているのかもしれませんが。
もしや意外に良い人だったりする? 頭が足りないだけで。
「私はここしか知らないが君は知っているのか?」
「諸事情でゼブレストで後宮生活を少々」
「どんな生活だったんだ?」
二人とも興味津々なようです。いいぞ、簡単に話してあげよう。
面白過ぎて物語として受けるレベルだぞ? ……サバイバル的な意味で。
「えーと。前提として私には将軍含む護衛が常に三人付いている状態ね。立場的には側室筆頭。で、食事は自炊。毒殺対策で」
「まあ、事情があったのならば頷ける状態だな」
「贈り物は貴族からは全部受け取り拒否。確認はされるけど大半が毒物・虫・生き物の死骸といった嫌がらせ。内部の側室からも送られてたかな。あ、そういうことをする奴は小物ね」
「物語そのままですわねぇ」
うん、奴等も御手本どおりにやっていたと思う。そのお陰で私達から『馬鹿じゃね? 引っ掛かるかよ』と言われていたのだが。
「護衛の騎士達の仕事ぶりから暗殺者とかも居たと思う。侍女を使ってというのもあったしね。気合の入った側室になると自分の手を汚さず取り巻きを使って殺そうとしたり、堂々と毒殺しようとしたり」
「「……」」
「茶会を催して席が無い、なんて苛めに始まり陰口・殺気は当たり前! そもそも武器になるような物を後宮に持ち込んでる時点で『何しにきやがった、お前』と呆れる事多数。愛憎どころか愛なんて無い、あるのは獲物を狩る欲望と殺意だけ、という感じ」
ちなみに。
セイル達が引っ付いてる状態でそれなので護衛の騎士が居なければもっと凄まじい事になったと思われる。
何せセイルを付けた理由が『死んだら外交問題に発展!』というものなのだ……宰相様、貴方の予想は何処まで凄まじいものになっていたんでしょうね?
「そ……それは大変だったな」
引き攣りながらも労わりの言葉をかけてくるセシルに笑みを返し。
「大丈夫、私自身がダメージ付きの罠みたいなものだから」
「「え゛」」
「殺るか殺られるかの状況な以上、負ければ只では済まないよ。最終的に全員が家ごと処罰されてる」
「つまり勝ち残ったと」
「正しくは『生き残った』だね」
「何て頼もしい……! 是非仲良くして頂きたいですわ!」
エマは大絶賛している。そうか、こっちのタイプなのか。
ええ、仲良くしましょうね! 多分、楽しい旅になると思うよ?
ただセシルは苦笑している。
「状況が明らかに違うな。……こう言っては何だが、エレーナ殿が私に辛くあたるのも仕方が無いように思うんだ」
「何で?」
「恋人にいきなり妻ができたんだぞ? しかも自分はどう頑張っても妻になれないんだ」
「ん〜? それ、どういうこと?」
実はこれも不思議だった事の一つ。子爵家でも貴族出身だから側室になるには問題ないよね?
ただ、セシルの言い方だと何か問題があるようだ。
「この国が小国を侵略する形で大きくなったのは知っているだろう? 実際、生粋のキヴェラ人と他では差があるんだ。彼女の家は元は侵略された国の貴族だからこそ寵姫にはなれても妻にはなれない」
「言い方は悪いですが寵姫は『お気に入り』や『愛人』という意味だと思えば判り易いと思います。側室は妻の一人という解釈をしますから、彼女は無理なのです」
寵姫さん、中々に不遇の人なようです。キヴェラ優遇は貴族でも変わりないみたいですね。
セシルも自分の意志で嫁いで来たわけじゃないから彼女に対し思う事もあるのだろう。
「それに……」
不意にセシルは言い澱み、躊躇った後に口にする。
「彼女の言葉は厳しくとも感情が伴っていない気がするんだ。気の所為かもしれないが」
「姫様は騎士団に所属しておられましたから殺気や悪意には敏感ですものね」
「嫌味な言葉だけってこと?」
私の言葉にセシルはこくり、と頷く。
「だから彼女は恋人が好きなだけかもしれないんだ。私に対しては八つ当たりといった感じだろうか」
「確かに私と殺りあった連中とは違う気がするけどね」
彼女達はもっとギラギラしてた。もし寵姫が同じならば放置などせず徹底的に嫌がらせをしているだろう。
それとも何か事情があるのだろうか。
よく判らんなぁ……そうなると王太子が寵姫と結ばれる為には自分の立場を捨てなきゃ無理ってことになる。
でも二人にその選択肢は無いっぽい。
「まあ、彼女の事は置いておいて。私達は自分の目的を果たす事に専念しましょ」
とりあえず疑問を頭の隅に追いやって私はそう締め括った。
身近な王族が基準の主人公にとって王太子は評価低し。
キヴェラ王の思惑はほぼ主人公の推測どおり。ただし、色々と予想外の事態が起きてます。