アロガンシア公爵家の人々 其の一
「今は伯爵位を得て家を出ているが……そいつはアロガンシア公爵家の長男だ」
「は!?」
衝撃の事実に、思わず固まる私。その当人は、面白そうに私を眺めている。
「あの盆暗夫婦の長男!?」
「いや、アンタ正直過ぎでしょう!」
玩具……もとい、サイラス君が即座に突っ込むが、否定の言葉は口にしなかった。
「うん、ルーカス様の言っていることは事実だよ。宜しくね?」
私の反応に怒るでもなく、青年……ブラッドさんは楽しげに挨拶をしてきた。
私の両手をしっかりと握っている――前足を掴まれた猫、と言われた!――ことさえ除けば、非常に友好的な態度と言えるだろう。
改めて、目の前の青年に、じっくりと目を向ける。
整った顔立ちや、シンプルながら高級感漂う素材を使った衣服などを見ても、高位貴族らしさが窺える。
それだけでなく、ルーカスに対する気やすい態度から見ても、彼が幼馴染的な立ち位置、もしくは信頼できる側近らしいことは確実だ。
気になる点があるとするなら……ルーカス達がブラッドさんの登場に驚いていたことだろうか。
先の一件でも彼の姿は目にしなかったので、ブラッドさんはルーカスから離れた配下の一人だったと思うのだけど。
……が。
私が一番疑問に思ったり、驚いているのは、そんなことではなく。
「……。本物? マジで?」
これに尽きた。
いやいや、だってさぁ……アロガンシア公爵夫妻って、か~な~り『アレな人達』だぞ?
長男ということは、次男に家督の相続権を譲るまでは、この人が跡取りだったはず。
そうなると当然、両親と過ごす時間というものが長くなってくる。……あの夫妻にまともな子育てやら教育なんて高度なもの、できたのか!?
「……お前が何を考えているか何となく想像がつくが、こいつは正真正銘、アロガンシア公爵家の長男だ」
「ということは、この人も……」
疑いの眼で、ブラッドさんを見る。だが、そんな私に向けられたのは、更なる否定の言葉。
「あの両親を先に知っていると信じられないかもしれないが、こいつはまともだ」
「ルーちゃん、希望的観測は要らないよ? いくら私が部外者だからって、誤魔化しは良くない」
「事実だ!」
「ああ、先妻のお子さんか何か? 半分しか血を受け継いでないなら、納得できるかも」
「いや、あの両親の子だぞ」
「……。亜種? 遺伝子の神秘? 突然変異でまともなのが生まれちゃった?」
「疑いたい気持ちは十分過ぎるほど理解できるが、お前もいい加減にしろ!」
いい加減にしろ、と言う割に、疑う私の気持ちも理解できるらしい。
「亜種って……」
「突然変異……いや、確かに気持ちも判りますけどね……」
私の言い分に、ヴァージル君とサイラス君は生温かい目を向けてくる。
いーじゃん、いーじゃん、ルーカスでさえ『言い過ぎ』とは言っていないんだから!
「くっ……あはは! いや、すまない。予想以上に楽しい子だね、君」
「笑う前に、手を放せや」
「うーん……まあ、嫌われては元も子もないからね。今はいいか」
そう言って、ブラッドさんは手を放してくれた。笑いながら、だが。
……。
おい、『今はいいか』ってなんだ、『今は』って!
あと、笑い過ぎて涙目になってなくね? 涙が滲むほどツボに入ったんかい!
ジトっとした目をブラッドさんに向けるも、彼は未だに肩を震わせている。
そんな私達の様子を目にしたルーカスは溜息を吐くと、口を開いた。
「お前はあの公爵夫妻やリーリエを最初に目にしたから信じられんだろうが、アロガンシア公爵家は本来、文武両道の家系だ」
「マジで!? ってことは、あの公爵の方が亜種だったか!」
「亜種って、お前な……まあ、公爵だけならば、そこまで酷くはないはずだ。少なくとも、領地経営において悪政は行なっていない」
ルーカスは呆れながらも、アロガンシア公爵家について情報をくれる。
ほほう、それが本来のアロガンシア公爵家なのか。やはり、側室……いや、王妃候補を輩出するだけはあるらしい。
文武両道の家だからこそ、ブラッドさんは帯剣していたのだろう。護衛が居らずとも、自衛できる程度には強いのかもしれない。
「魔導師殿が疑う気持ちも理解できるよ。さすがに、私でもリーリエの一件には思うところがあったからね」
漸く笑いが収まったらしいブラッドさんが、『納得』とばかりに頷く。
「あの両親に求められた役割は血を残すことだし、愚かな姿を見せ付けることも、先代の存命時には求められていた。ただ……それ以降も愚かなままであれば、王家とて何もしないわけにはいかない」
「確か……王子達と共に教育されたんでしたっけ?」
「うん。だから、私と弟は公爵家の人間ではあるけれど、王家寄りなんだ。私はルーカス様、弟は第二王子殿下の側近という立ち位置に居たからね」
なるほど、王家はアロガンシア公爵家の兄弟を、王子達の幼馴染兼未来の側近にすることを望んでいたのか。
確かに、それならばこの気安い態度にも納得できる。と言うか、下手をしたら、ヴァージル君よりも親しげに見えるんだもの。
「……父はね、『個人としてならば』良い人なんだと思うよ」
一人納得していた私に、ブラッドさんが本音の見えない笑みを浮かべたまま話し出す。
「領地経営は真面目にこなすし、致命的な失策もしない。そうだね……『可もなく、不可もなく』といった感じかな。予想外の災害がなければ、現状維持は可能と言うか」
「ああ、毒にも薬にもならないんですね」
「うん。優れた手腕を発揮することも、画期的な改革を行なうこともない。……その才がない。悪事は働かないけど、良い方向に傾くこともないんだ」
それはある種の才能だろう。天秤をどちらにも傾けず、一定を保つ……変化を起こさない。領民達とて、穏やかに暮らしていけるのだろう。
ただし、『何事もなければ』。
ブラッドさんとて言っているじゃないか……『予想外の災害がなければ』と。
多分、アロガンシア公爵は想定外のことを解決する能力に乏しいのだろう。強国キヴェラにおいて、安定した領地を持っているならば、それでも現状維持くらいはできそうだ。
『悪事を働かない』と言うより、『その能力や気概がない』。本人も事なかれ主義と言うか、変化を望まないのかもしれないが。
「あれ? じゃあ、何で今みたいな状態に?」
野心がなく、凡庸……そんな人物がどうして、問題を起こしているんだろう?
当たり前の疑問を口にすると、ブラッドさんは困ったように苦笑した。
「父はね、優先順位がつけられない人なんだと思う」
「優先順位がつけられない……?」
何だ、それは。
「きっと、父にとっては家族を守っているだけなんだと思う。愛する家族の願いを叶えてやりたい、守ってやりたい……という感じかな」
「いや、駄目じゃん!」
速攻で突っ込むと、『だよねぇ』とブラッドさんも深く頷いて同意した。
いやいや……いくら家族が大事だからって、公爵としての判断ができないってどうよ?
ただ、ブラッドさんから聞いたアロガンシア公爵の性格を前提にすると、現状にも納得できてしまう。
戦狂いの目を逃れるため、アロガンシア公爵は長い間野放しだった。
そこに問題のある王女が降嫁し、勘違いに拍車がかかったんじゃないのか。
アロガンシア公爵は『無能を演じていた』のではなく、『素でその状態だった』。
そこに自分第一の我侭王女が妻になり、更には誰も注意しなかったことで、『その判断が正しい』と認識してしまった。
あの夜会でも、公爵夫人はルーカスを甥として扱っていたものね。夫人が昔からその状態ならば、アロガンシア公爵が妻寄りの思考になってもおかしくはない。
だって、王家ですら注意しなかったから。
キヴェラ王の叱責とて、夫人が『お兄様から叱られた』程度の認識だった場合、そう認識してしまう可能性もゼロではない。
夫人はずっとそう思っていただろうし、処罰されないんだもの。そんな人なら、そりゃ軽く考えるか。
「普通は『それが見逃されていたのは、特殊な状況だっただけ』と気付くんだけどね、王女だった母があの状態だから……」
「長年、その状況が許されていたこともあり、公爵もそれが当然と思い込んだ、と」
「多分ね」
「次点で、自分に求められたものが『種馬』、『戦狂いに目を付けられない無能者』だと認めたくないのかもしれませんが」
「うーん……そっちだと更に救いがないなぁ。足掻くことすらしていないし」
「ですよねぇ。まあ、どちらにしろ、そんなのが親だってのは嫌ですけど」
「それは全面的に同意する」
……。
あの、アロガンシア公爵って、やっぱり亜種だと思います。
つーか、ただのボンクラじゃね!?
黒猫『アロガンシア公爵って、ボンクラなんじゃ』
長男『否定はしないよ』
なまじ長い間注意されなかったので、それが正しいと思い込んだ悪例。
それが必要だったと判っているため、注意をしない王家や周囲も悪かった。
でも、主人公には無関係。黒猫、理解は示せども、お馬鹿さんは嫌い。




