聖人様とモーリス君 其の六
ブレソール伯爵は僕を睨み付け、警戒心を募らせているようだった。だが、そんな彼の表情の中にも、僕を侮る感情が見え隠れしている。
先ほど彼も口にしたように、僕の方が圧倒的に地位が低く、年下ということからきているのだろう。
「どうされました? お顔の色が優れないようですが」
「ふ……ふん! なに、随分と生意気な口を利く若者が居ると思ってね」
「おや、それは興味深い」
「……何だと?」
クスリと笑いながら返すと、ブレソール伯爵は怪訝そうな顔になった。
「だって、僕のことをそう判断するということは……『僕が口にしたことは事実』、もしくは『探られたくないこと』と言っているようなものじゃないですか」
「な!? 勝手なことを……っ」
僕の発言が気に障ったのか、ブレソール伯爵は益々、視線を険しいものにした。
だけど、僕は怯まない。いや、『仕掛けた以上、ここで怯んではいけない』。
まずはブレソール伯爵の『こいつには何もできない』という思い込みを崩さなければならないのだから。
そうでなければ、僕が何を言っても食いついてはくれまい。
所詮は戯言と、切り捨ててしまえるだけの身分差がある。
「僕はただ、『誰でも得られる情報』を口にしただけですよ? ……まあ、多忙な聖人殿からお話を聞くためには、紹介状が必要かもしれませんが」
「む……」
反論できず、ブレソール伯爵は黙り込む。いくら彼でも、これは否定できなかったらしい。
何故なら、僕は『嘘を吐いていない』。
冗談抜きに、僕が口にしたのはその程度のことであり、過剰に反応すれば、余計に探られるだけであろう。
……が。
実のところ、これが僕の立ち位置を曖昧なものにしてくれるのだ。
『紹介状』にどのような内容が書かれていたのか、僕は口にしていない。
聖人殿が多忙なのは事実なので、『話を聞きたいから、予定を空けてもらいたい』という内容でも間違いではない。
ただ、教会が財政難であることも事実であるため、『寄付をするから、バラクシンの騒動について教えてもらいたい』という可能性もある。
これはミヅキさんから聞いた情報があるからこそ、思いついた『罠』。
『先の一件で、教会派貴族は【聖人様が行動できる人であること】を知っている』
『こう言っては何だけど、教会って政治的要素とは無縁のはずなのよ。……普通はね』
『ところが、それを破ったのが【教会派貴族達】』
『貴族と癒着していた奴らが叩き出されたと言っても、【彼らの痕跡や、貴族達が知られたくない情報まで破棄されたかは判らない】』
『要は怖いのよ。聖人様がそれを【どう使うか】が判らないから!』
『探りを入れてくる連中の半分くらいは、これに該当するはずだよ。煽る時にでも使ってみたら?』
先ほどからの反応を見る限り、ブレソール伯爵はこれに当て嵌まっているのだろう。
だから……『僕が怖い』。
正確には『ガニアの王族の手駒である(かもしれない)僕に、聖人殿が余計なことを教えかねないから』。
これが一般の信者、もしくは教会の住人というだけであったら、ろくな情報はないに違いない。
精々が、『教会は腐敗した者達を追い遣り、王家と和解した素晴らしい出来事』程度の認識のはず。
しかし、当事者であり、王家との交渉の場にも赴いたという聖人殿は『それ以上のことを知っている』。
……ミヅキさんは『聖人様は敬虔な信者ではあるけれど、それ以上に教会に暮らす人達の守護者なんだよ』と言っていた。
それは裏を返せば、『最優先にすべきもののため、善良とは言い難い選択をする可能性がある』ということ。
聖人殿が悪とか、欲に満ちた人というわけではない。
守るべき者達のため、泥を被る選択ができるだけ。
だが、これは教会に対して後ろ暗いところがある者達にとっては脅威であろう。
これまで教会に対し、好き勝手してきたこともあり、聖人殿が報復紛いの行動に出る可能性もあるじゃないか。
ブレソール伯爵はそれを十分に理解できているからこそ、『シュアンゼ殿下の紹介状』を持つ僕を放置できないのだ。
少なくとも、僕の目的を探り当てるまでは安心できないに違いない。
まあ……煽りまくった結果、僕の命が危うくなる可能性も否定できないけど。
ただ、それはミヅキさんが対策してくれたらしいので、今はそれを信じて、僕はすべきことをやるだけだ。
「貴方は自国のことだけで手一杯のようですけど、他国も馬鹿ではないんです。それに……『あのようなこと』が大々的に行なわれた以上、情報の流出は不可避と見るべきでは?」
「ふん、我が国の愚物が魔導師の怒りを買っただけだ! あいつの言いなりになるなど、陛下も何と情けない……!」
当時を思い出したのか、ブレソール伯爵は随分とお怒りのようだ。だが、僕にとってはチャンスである。
「不敬罪、ですね」
「は?」
にこやかに告げると、怪訝そうな表情になるブレソール伯爵。
そんな彼に対し、僕は上機嫌を装って更なる煽りを。
「僕は他国の貴族ですよ? その僕の前で、バラクシン王陛下を『情けない』と貶めるなんて……。しかも、『言いなりになった』と言いましたよね? バラクシン王陛下は魔導師に従順だったのですか」
「……! いや、待て! そ、それは言葉のあやであって……そこまではっ」
はっとして、慌てて否定してくるブレソール伯爵。だけど、僕は止まらない。
「うーん……いくら教会派貴族であっても、さすがに拙い発言ですよね。だって……」
「当時、貴方はどれほどのことができたんですか?」
「な……に?」
「だって、バラクシン王陛下に対して、『情けない』なんて言えるんですよ? 当然、ご自分はそんな風に思われない行動をとれたんですよね?」
「ぐ……」
そう返されるとは思っていなかったのか、ブレソール伯爵は黙り込む。
傍で僕達の遣り取りを見ていた聖人殿が、僕に向けてこっそりと首を横に振った。
……。
ああ、この方、何もなさらなかったんですね?
自己保身からなのか、状況を覆すようなもの――有益な情報や証拠など――を持たなかったのかは判らないけど、少なくとも、誰かを批難できるような立場ではないらしい。
事前に用意してもらった情報の中に、ブレソール伯爵に関する記述はなかった。
それを踏まえると、『ほぼ何もしていない』と思われたのだが、聖人殿によってそれが確定となった。
つまり、先ほどの暴言は完全に八つ当たり。
何らかの理由があるならば大目に見てもらえることがあるかもしれないが、これは流石に拙いだろう。他国の人間である僕に愚痴ることで、意図的に貶めたようにも見えてしまう。慌てるはずだ。
しかも、今は教会派貴族達の力が大きく削がれていると聞く。最悪の場合、仲間に切り捨てられることもあるのかもしれない。
――しかし、僕にはブレソール伯爵を思い遣って、遠慮なんかしている余裕はない。
「ああ! ご安心ください。紹介状を頂いた手前、僕はシュアンゼ殿下への報告に嘘は吐けません。しかし、殿下は僕如きの報告だけで事実と認識するような真似はなさらないでしょう。きっと、『きちんと裏を取る』でしょうし、場合によってはバラクシン王家にお伺いを立てるでしょう。特に険悪な関係ではないのですから」
「王家に……確認……」
「ええ! バラクシン王陛下は温厚な方と聞いていますが、ご自分の悪評を放置するような方ではないでしょう。ああ、激怒するという意味ではないですよ? そのように思われる要因を精査し、ご自分に非があれば、謝罪されるのではないのでしょうか?」
事実、バラクシン王陛下の評判は良い。ただし、『王太子時代から、教会派貴族と渡り合ってきた方』という意味で、だが。
僕も詳しくは知らないが、バラクシンの教会派貴族はあまり評判が宜しくない。
まあ、いくら教会の始まりが王族であり、有力貴族達が集っていると言っても、堂々と王家を批判する貴族が他国から良く思われるはずはないだろう。
これで王家に問題があるならば別だが、バラクシン王家に問題があると聞いたことはない。
少し前まで側室に問題があったようだが、ミヅキさんが『それ、教会派貴族から無理矢理捻じ込まれた奴。馬鹿過ぎて、教会派貴族も頭を抱えてた超不良物件!』と大笑いしながら教えてくれた。
……何故、そんなことまで知っているのか気になるところだが、民間人であるミヅキさんが知っているくらいなので、バラクシンではあまり隠されていない情報だったのだろう。
先ほど僕が言ったように、バラクシン王陛下は温厚な方だと他国にさえ知られているくらいだ。問題行動があれば即、教会派貴族がばら撒くに違いない。
それがないなら……『側室を除いたバラクシン王家に問題はない』ということになる。
僕は勿論、それを予想していながら、先ほどの言葉を吐いた。
あれを言い換えれば、『王に問題がなければ、ブレソール伯爵が故意に王を貶めている』と証明される。
また、その後の流れでブレソール伯爵も調べられるだろうから、何か後ろ暗いことが出てくるかもしれない。
ブレソール伯爵はそれを悟り、慌てたのだろう……『王家にブレソール伯爵家を調査させる機会を与えてしまった』と!
「大丈夫ですよ。何もなければ、罰せられることはないのですから」
できるだけ優しく、安心させるように微笑んで告げる。
「他国の王族からの言葉ですから、いい加減な調査にはならないでしょう。きちんと、調べてくれますよ」
――その結果、宜しくないものが暴かれるかもしれませんけどね?
最後に囁くように告げると、ブレソール伯爵は己の未来を予想したのか、がっくりと項垂れた。
……聖人殿、良い笑顔で親指を立てるのは、『まだ』止めた方がいいですよ? 項垂れているとはいえ、ブレソール伯爵に気付かれるかもしれませんし。
黒猫『(徐に数枚の紙を取り出す)』
小父さんA『それ、俺達がついでに持って来たやつだよなぁ?』
小父さんB『それをどうするつもりだ、お嬢ちゃん』
黒猫『燃え尽きたゴミを引き取ってもらう予定だから、手土産に』
小父さんA『どこにだ』
黒猫『え、王城♡ って言うか、お土産としてくれたの、小父さん達でしょ!』
小父さんA『そりゃ、お嬢ちゃんの遊び相手なら調べるだろ』
小父さんB『その過程で、見過ごせない情報が出てきちまったらなぁ……』
小父さんA&B『お嬢ちゃんに教えるよなぁ?』
黒猫『感謝ー♪』
商人の小父さん達は黒猫の性格を判った上で、渡しています。
主人公、モーリス君の教官として、きちんと後始末をする気でした。
※魔導師34巻が8月12日に発売予定です。




