聖人様とモーリス君 其の四
――教会・客室にて(モーリス視点)
――その男が部屋に入った瞬間、聖人殿の纏う空気が変わった気がした。
「ふん。相変わらず質素な部屋だ」
ノックと共に部屋の扉が開き――聖人殿は入室の許可を出していないのに、だ!――、案内役の男性を押し退けるようにして、一人の男性が部屋に入ってくる。
身に着けている物からも、彼が貴族であることが窺えた。どうやら、この人が『教材』らしい。
文句と共に部屋をじろじろと眺めていた男性は僕に気付くと、嫌そうに顔を顰める。
……何だ、この人は。
それが僕の素直な感想だった。聖人殿や教会に対し、あまりにも態度が悪い。
寄付で生活が成り立っている教会なのだ、贅沢なんてできようはずがない。
そんなことは誰だって判るだろうに、この人は貶めずにはいられないとばかりに、次々と教会を侮辱する言葉を吐く。
曰く、「寄付に縋り、辛うじて生き存えることができる者達の巣窟」。
曰く、「愚かにも、寄付によって養ってやっていた我々に牙を剥いた恩知らず」。
曰く、「貧しいからこそ、今度は王家に媚びたのか」。
教会とそこに暮らす人々を貶めることが生き甲斐とでも言うのか、次から次へと暴言を吐いていく男の姿に、僕は唖然とするばかりだった。
……。
……。
ああ……そうか。これが聖人殿が話してくれたバラクシン、そして教会が抱える『事情』。
恥でしかないことであっても、事前に僕に教えておかなければならないと判断した『理由』。
聖人殿とて、僕にそんなことを言いたくはなかっただろう。だが、これほどあからさまな悪意をぶつけてくる人が相手では、確かに、それなりに事情を知らなければ反論なんてできまい。
だって、普通は遠慮と言うか、言葉を濁す程度に留める。
僕という『部外者』がここに居るのだから。
そして、思い出すミヅキさんの言葉。
それを聞いた時、僕はそんな状況になることが信じられなくて……ただただ、困惑していたのだ。
だが、今となってはミヅキさんが正しかったことが判る。
少なくとも、この男性貴族が聖人殿にさえ『怒らせても問題ありません』と言われてしまうような、ろくでもない人であることは確実だろう。
『大丈夫! 馬鹿が頑張ったところで、元から悪い頭じゃ程度が知れる』
『だって』
『状況判断すらできず、言って良いことと悪いことの区別がつかないんだもの』
……。
ええ……本当に貴女の言った通りですね、ミヅキさん。
幼い頃からマナーなどを躾けられる貴族だからこそ、ミヅキさんの言葉を事実と思えませんでしたが、今となっては僕の方が愚かでした。
いくら僕が甘ったれた考えの持ち主であっても、常識くらいは持ち合わせているつもりです。
あの時は信じなくてごめんなさい。確かに、常識を持たない輩というものは存在します。
何とも言えない気持ちを抱えたまま、溜息を飲み込む。そして、ひっそりと男性貴族を観察した。
どうやら、彼は今の教会……それも聖人殿を嫌っているらしく、とにかく聖人殿を貶めたくて仕方がないようだった。
ただ、対する聖人殿は最低限の言葉で受け流してしまっているため、男性貴族は不機嫌になっていく。
しかし、当然のことながら、それだけで済むはずはない。言われた方とて、感情があるのだから。
どうして気付かないのかと思うほど、聖人殿が男性貴族に向ける目が冷たいのだ。
だが、男性貴族は全く気付かない。聖職者だからこそ、そして寄付に縋らなければいけない状況だからこそ、聖人殿が自分に逆らえないと思っているのか。……実に不快である。
そんなことを考えていると、唐突に男性貴族が僕の方を見た。
これまで話し掛けて来なかったので、無視をしていると思っていたのだが……どうやら聖人殿に相手にされなさ過ぎて、標的を僕に変えたらしかった。
「おい、さっきからそこに突っ立ている奴! どこの令息か知らないが、お前もそう思うだろう!?」
じろじろと僕の服装を眺め、裕福な民間人か下位貴族と判断したのだろう。賛同を求めるかのように、僕に言葉をかけてきた。
ただし、その態度に含まれるのは『あからさまな見下し』。
僕を自分より下と判断し、自分に従えと言わんばかりの、横暴な態度!
……。
聖人殿やミヅキさんが『教材』と言っていた意味が判ります。
僕はこの人を黙らせればいい……んですよね?
確認するように聖人殿に視線を向ければ、小さく頷く聖人殿。……その目がどことなく面白がっているように見えたのは、気のせいということにしておきます。
「おい! 聞いているのか! 返事くらいせんか!」
黙っている僕に業を煮やしたのか、声を荒げながら男性貴族が迫ってくる。
そして、僕は。
「ええと……まず、貴方がどなたなのかも僕は知らないのですが」
「なに?」
「恐らく貴族階級の方であると推測はできますが、その、貴方の態度があまりにもありえませんし。判断できません」
――だって、普通は名乗るくらいするでしょう?
苦笑しながら告げると、怒りか羞恥心のためなのかは判らないが、男性貴族の顔が赤く染まった。
「僕は現時点では男爵子息ですが、近いうちに当主になります。ええ、下位貴族であることは変わりませんし、高位貴族のような上級の教育を受けてもいません。ですが、その……そんな『一般的な、最低限の教育』を受けた僕から見ても、貴方の態度はありえませんよ?」
「き、貴様……!」
「お年も僕より上でしょうし、若輩である僕に指摘されるなんて『みっともない』じゃないですか。ですから、黙っていたのですが……」
申し訳なさそうに、それでも目には軽蔑を込めて男性貴族にそう返す。すると、聖人殿も深々と溜息を吐きながら会話に交ざってくれた。
「申し訳ありません。我が国の恥を晒しました」
「聖人殿は悪くないですよ! あの方が部屋に入ってからの暴言はあまりにも酷いですし、まるで『聖人殿や教会が逆らえないからこそ、言いたい放題している』ように見えましたから」
「……教会が寄付で成り立っていることは事実ですし、私が必要以上に声を荒げてしまえば、ここに暮らす者達の生活が脅かされるかもしれませんからね。仕方がないことです」
「く……っ」
二人揃って、男性貴族による言動が有り得ないことだと口にする。男性貴族もさすがに頭が冷えたのか、言い返してくることはないようだ。
……。
いや、『事実だからこそ、言い返せない』のだろう。だが、この場合、聖人殿にだけでも謝罪を入れておくべきなのだ。
聖人殿は暗に、『脅迫されている』と告げている。
そして、僕はその現場を目撃した『証人』。
聖人殿から聞いた話――王家と和解し、ここに訪ねて来てくれる王族もいる――が事実ならば、男性貴族の暴言はとても拙いはず。
教会派貴族の傲慢さが浮き彫りになるだけでなく、何かを企んでいると受け取られても不思議はない。
寧ろ、そこから話を広げて、王家から男性貴族に調査の手が伸びるかもしれないじゃないか。
「チッ! 私はブレソール伯爵だ! 男爵子息如きが偉そうに……」
嫌そうに、けれど自分の優位性を示すかのように、男性貴族が名乗る。そうか、それならば僕も『それなりに』自己紹介をしなければ。
「初めまして、ブレソール伯爵。ブレイカーズ男爵家が嫡男、モーリスと申します」
「ブレイカーズ男爵……? 聞いたことがないな。爵位を買ったか、功績によって爵位を得た元民間人と言ったところか?」
嘲笑し、弱小貴族と言わんばかりに見下してくるブレソール伯爵。だが、僕の自己紹介の真価は次の言葉にこそあるのだ。
「ご存じなくても仕方ないかと思いますよ? 僕はバラクシンの貴族ではありませんから」
「ああ、それで聞いたことがなかっ……」
「本日は、ガニア第二王子であらせられるシュアンゼ殿下の紹介でこちらに来ましたので。……報告の義務があること、ご了承ください」
「な!?」
苦笑しながら頭を下げれば、『ガニアのシュアンゼ殿下』という言葉に反応したのか、ブレソール伯爵は顔面蒼白になった。
まあ、当然だろう。王族の紹介で聖人殿を訪ねていた僕の前で散々、暴言を吐き続けたのだから。
だが、仕掛けた僕も心臓がバクバクと音を立てるほど緊張している。
いくら『シュアンゼ殿下の紹介』と言う建前が事前に用意されていようとも、僕が男爵子息であることは事実なのだ……爵位が上の相手であるということは変わらない。
それなのに、僕は先ほど『常識がない』(意訳)と指摘した。
それも駄目な子を見るが如く、苦笑を浮かべて……!
ブレソール伯爵も内心、パニックを起こしているのだろうが、僕だって慣れない『勉強』に必死になっているだけだ。
……ついつい、その元凶とも言うべきミヅキさんを思い出し、遠い目になりかけるほどに。
ほ……本当に、本当~に大丈夫なんですよね!? 僕は責任なんて取れないんですが!?
「……大丈夫ですよ」
僕の心境を察したらしい聖人殿が、ひっそりと肯定してくれる。
優しく微笑んで頷いてくれる聖人殿の目が、何だか面白そうに僕を眺めている気がするのも……気のせいですよ、ね?
※※※※※※※※
――一方その頃、別室では。
「おお! ついに始まったか。やっちゃぇ~♪」
「お嬢ちゃん、この声の主がさっき言ってた奴なのか?」
「うん! 証拠を兼ねて記録してるし、私も参戦こそしないけど、聞いているからね」
魔道具を通し、魔導師ミヅキと商人達が彼らの会話を聞いていた。
当たり前だが、彼らにも報告の義務がある。あまりにも酷い暴言や拙い内容が聞けてしまった場合は、速攻でイルフェナの親猫ことエルシュオン殿下に報告され、彼を通してバラクシン王家へとチクる予定であった。
この時点で『教材』に明るい未来はない。
何だかんだ言ってもミヅキ達は他国の人間なため、バラクシン王家に動いてもらった方が問題はないのだ。
ただし、そのバラクシン国王一家はもれなく家族愛が強く、教会に暮らす末っ子夫婦に構いたくて仕方がない。
そんな愛情深い一家に、教会への脅迫じみた暴言を聞かせたらどうなるか?
「お嬢ちゃんは相変わらず、性格が悪いよなぁ」
「えー? 愛情深い一家が、末っ子夫婦から感謝される機会を作っているだけですって」
「結果的にはそうなんだけどよ、いくらクズでも教材にして遊ぶなよ」
「あれは正当な反論でしょ! 私が出て行ったら、あんなものじゃ済みませんよ」
「「止めとけ!」」
即座に商人達からストップが入るが、ミヅキは笑っている。
と言うか、ミヅキ自身が愛情深い親猫からスパルタ教育を受けたため、貴族を教材扱いすることに何の疑問も持たないのだ。
ある意味、親猫が戦犯であった。しかし、彼はミヅキを純粋に案じただけであって、悪意など欠片もない。
それが悪戯じみたものになるのは偏に、ミヅキ自身の性格が多大に影響しているのだろう。
モーリスはある意味、最高の鬼教官と人脈を得ているのであった。
親猫『クシュンッ!』
白騎士『風邪ですか? エル』
黒騎士『ミヅキが何かやらかして、誰かがエルに助けを求めてたりしてな』
親猫『止めてくれないかな!?』
イルフェナは本日も平和です。




