聖人様とモーリス君 其の三
――教会・客室にて(モーリス視点)
ミヅキさんが去った後、僕は聖人殿――この呼び方でいい、と言われた――から『説明』を受けていた。
そして。
『すでに終わったこと』でありながら、未だに情報収集を試みたり、何らかの思惑を抱えた貴族達からの接触がある理由も。
曰く――教会は貴族からの寄付により運営が成り立っているため、完全に過去と決別したわけではない。
勿論、あからさまな癒着をしていた者達は排除済みであり、すでに王家との和解も済んでいる。
だが、教会を利用しようと企む貴族達は、『寄付が必要とされる限り、自分達を切り捨てるはずがない』と思い込んでいるらしい。
「実のところ、すでに対処はされているのです。その方法と言いますか、策を考えたのはミヅキなのですが」
……。
ミヅキさんは民間人だったはず。なのに何故、そういったことに関与しているのだろうか?
疑問に思うも、聖人殿は曖昧に微笑むばかり。……どうやら、教えてくれる気はないらしい。
「この国の貴族達は大きく分けて二つの派閥に分かれています。ですが、教会派貴族と言っても、信仰を大切にしてくださる真っ当な方達も居る。ただ……力や財を持っている者達ほど、長らく王家と対立してきたのです」
「王家への反逆とは見られなかったのですか?」
「……教会の始まりと言いますか、教会派貴族の頂点に立つ者もまた、王家の方だったのです。情けない話ですが、王位争いに負けた王族が信仰を利用して力を持った……という始まり方をしておりますので」
「ああ……」
「それだけでなく、飢えた信者達を庇護したことも事実ですからね」
なるほど、それでは反逆とは言えないのかもしれない。
当の王族本人は教会の頂点に立つことで信者という『数』を得、彼の派閥の者達はそのまま貴族として権力争いに身を投じたのか。
「民を信者という形で得ている上、名目上は政とは無縁の聖職者。当時の王家としても、彼を潰すことができなかったのでしょう。その当時の形がそのまま続いてしまったことから、バラクシンは王家派と教会派に分かれて対立してきました」
「それで、その教会派貴族と呼ばれる人達も力を持っていたんですね」
「ええ。もっとも、欲に塗れた教会派貴族達は徐々に力を失っていくでしょうが」
「……?」
「ふふ。彼女は本当に賢く……恐ろしい」
意味深に笑う聖人殿は何だか怖かった。だが、その発言はそれ以上に恐ろしい。
聖人殿の言う『彼女』とはミヅキさんのことだろう。どうやら、ミヅキさんが考えた『策』とやらは、まだまだ続いている模様。
……。
一体、何をしたんですか!? ミヅキさん。
以前の襲撃の時のことといい、そろそろ『民間人』は無理がありませんかね!?
「ええと……僕が聞いてはいけないような気がするので、詳しく聞くことは控えますね」
「賢明です」
満足げに頷く聖人殿。そんな彼の姿に、僕は自分の選択が正しかったことを理解する。
それに、一つ気付いたこともあった。
こんな話をする聖人殿は……聖職者と言うよりも、政に携わる貴族のよう。
勿論、教会の運営を担っている一人ではあるのだけど、何と言うか……失礼な言い方をするならば、『裏のある貴族のよう』。
客人でしかない僕が知らないことがあるのは当然だけど、聖人殿は……『慈悲深い、穏やかな聖職者』というだけではない雰囲気を持っている。
僕がそんなことを考えていると、聖人殿は察したのか、何故か、満足気に微笑んだ。
「君の予想は合っていますよ。私はね、守るべき者達を第一に考えると決めたのです。きっと、君もそうでしょう。ですから、彼女は君をここに連れて来た。……君が目指すべき姿を見せるために」
「それはっ!」
「君が誠実で善良な人であることは、これまでの会話から窺えます。ですが、それだけでは駄目なのでしょう?」
「……はい」
「賢く、強かにおなりなさい。君の真実は心許せる者達だけが知っていればいい。……それくらいの覚悟がなければ、時には守れないこともあるのです」
聖人殿の表情は穏やかだが、その言葉はとても重かった。
聖人殿は苦労してきたのだろう。『現在』に至るまで、どれほど悔しく、不甲斐ない思いを抱えてきたことか。
そんな経験の一部を、ミヅキさんに頼まれたとはいえ、僕に授けてくれるのだ。その心に報いたいと思う。
「ありがとうございます。その言葉を実践できるか判りませんが、努力してみます」
情けないことを言っているとは思うが、聖人殿に嘘は吐きたくなかった。
だからこそ、今の僕にできる精一杯の言葉で誓う。……僕は『守られていた者』から『守る者』になるのだから。
「そうそう、君にバラクシンのことを色々と教えた理由なのですけどね」
「……ん?」
不意に、聖人殿の声音が微妙に変わる。
「これからここを訪れる君の教材……もとい、教会派貴族ですが。彼は間違いなく、君の前で教会の不祥事やバラクシン王家の不甲斐なさを口にすると思うのですよ」
「……は? あの、僕は他国の人間なのですが」
普通、そんなことは言わないような。
そんな考えが顔に出たのか、聖人殿は大きく頷いた。
「ええ、自国の恥など他者に広めるものではありません。ですが、彼らは『聖人』などと呼ばれる私を貶めようとするあまり、そのようなことすら気付いていないのです」
本当に愚かですよね――などと微笑みながら口にする聖人殿は、何だか怖かった。
「ですから、予備知識として君に話したのです。事実を知らなければ、反論すらできませんからね」
「ああ……そういう目的でしたか……」
「教材にする以上、反論ありきでしょう。大丈夫ですよ、奴らはしぶといですし、傷つく心など持っていません」
「え゛」
あまりな言い方に唖然とするも、聖人殿はいい笑顔で僕の肩を叩く。
「彼女が出てくることに比べたら、君の反論など、春風の如き優しさですよ。あの人、社会的に殺す方向で考えてますからね。手加減してその程度ですから、殺る気になった時は遺言状でも制作すべきです」
……。
あの、それって、笑顔で言うことじゃないんじゃぁ……?
「頑張りましょうね」
「は、はい」
※※※※※※※※
――一方その頃、教会居住区では(ミヅキ視点)
事前に通達した通り、教会に住むお子様達+αが一室に集っている。
当然、そこにはアグノスも居た。
「ミヅキ、今回は何をするの?」
「ん? 一度、教会に住む人達の健康診断をしようと思って、頼んでおいたんだよ」
「ケンコウシンダン?」
「お医者様に悪いところがないか診てもらおうね」
以前も思ったけれど、教会の人達に金銭の余裕はない。つまり、食べていくだけで精一杯。
医者に掛かる機会なんてないだろうし、そんな余裕もないだろう。
で。
教会にアグノスを預けたこともあり、ゴードン先生に『一度、教会の人達全員の健康診断をしてもらっていい?』とお願いしていたのだ。
何せ、教会は今後暫く、教会派貴族からの寄付の減額が予想される。
そうなると必然的に、様々なものが削られていくだろう。その最たるものは『食』だと予想できた。
ただでさえ、教会の人達って質素な生活をしているんですが?
これ以上削ったら、栄養失調まっしぐらじゃね?
このようなことを騎士寮面子にも相談したところ、実際に教会の人達に接したことがあるアル達からも『ありえる!』という言葉が出てしまった。
騎士寮面子は私同様、教会派貴族どもを信用していない。ただ、数年かけて徐々に力を削いでいく必要があることも理解できている。
結論・アグノスのこともあるし、私達が助力しよう。
……教会が一時的に商人達からそっぽを向かれたことって、騎士寮面子のせいだしね。
うん、あの時は『教会』という一括りだったせいとはいえ、本当~に申し訳なかった。
巻き添えを食らった善良な信者さん達、マジでごめんなさい。
そんなこともあり、皆も協力的。魔王様含め、罪悪感があるせい……と言えなくもない。
そんなわけで、今回はゴードン先生の出張健康診断なのです。まずは子供達からですよ♪
……そして。
「よぉ、お嬢ちゃん。頼まれたものはこれで良いのか?」
「うん、あってるよ。感謝!」
今回、ガニアからこちらに来た私には手土産なんてものは用意できないので、ゴードン先生の護衛を兼ね、毎度お馴染み商人の小父さん達に色々と持って来てもらった。
「お古の絵本や教科書とは、考えたな」
いつもの援助物資に加え、今回は騎士寮面子から提供してもらったお古の本を持って来てもらったんだよね。
学ぶ機会がないなら、作ればいいじゃない。最初は絵本でも、そのうち文字の多い本を読むべく、頑張るかもしれないじゃない……!
教科書などは新品だと問題になるかもしれない――学校に通えない平民とかいるかもしれないので――が、あくまでも『寄付された中古』なので問題なし。
何か言われても、『自分が幼い頃に使った物で、子供達が学べるかもしれないと思ったから』という言い分で通してやる。
なに、専門書とかじゃないのだ。絵本や子供向けの教科書の古本くらい大目に見たまえ。
一応、毎回、どんなものを援助物資として持って来ているかは、バラクシン王家に伝えてある。
そこで止められない以上、特に問題視されない物ばかりなのだろう。
……。
『子供達に勉強を教えるフェリクス達、とか微笑ましいですよね』とは言ったけど。
『将来、孤児院を経営するなら、良い経験になるかも?』とか、今回言ったけどな……!
何かそのうち、レヴィンズ殿下が剣を教えに来そうな気がしなくもない。『騎士を目指す子がいるかもしれないじゃないか!』とか言って。
ま、まあ、そこから始まる家族喧嘩――彼らは全員、フェリクス達を構いたいのだ――には責任持てないけど。
そんなことを考えていると、荷物を教会の人達に渡し終えた小父さん達が何やら腕捲りをしていた。
「さて、俺達もやるとするか」
「あれ、まだ何かあったっけ?」
首を傾げると、小父さん達――彼らも翼の名を持つ騎士達の一員です――は顔を見合わせて、得意げに笑う。
「なに、本があるなら、本棚が必要だろう?」
「先生に診てもらっているうちに、さくっと作っちまおうと思ってな」
……。
そう言えば、そこまで考えてなかったわ。そうか、だから木材なんか持って来てたのか。あれは組み立て前の本棚だったのね。
さすがだー! とか思っていた私に、小父さん達は生温かい目を向ける。
「だからって、余計な本とか差し入れるんじゃねーぞ」
「健全な教育のためだもんな?」
「……」
BでLな本の制作に携わっていること、バレてましたか。しかも、その口調だと内容まで把握していると予想。
だ、大丈夫! 教会にそう言うものを好む人が居ない限りは持ち込まないから!
伯父さんA『あの子の世界の娯楽って、どうなってるんだ……』
伯父さんB『娯楽の幅が広いよなぁ……』
遠い目になりつつも、親猫には言わないでいてくれる、優しい人達です。




