聖人様とモーリス君 其の一
――バラクシン・教会にて
「ようこそ、教会へ」
「こちらの要求を受け入れてくれて、感謝するわ」
穏やかに微笑みながら迎えてくれた聖人様に、軽く片手を上げて挨拶する。
対して、モーリス君は困惑を露わにしながら、私と聖人様の遣り取りを眺めていた。
ですよねー。この繋がり、意味判らんよねー……!
そもそも、私はモーリス君に『今日は実戦してみよっか♪。大丈夫、大丈夫、ほどよく力を削がれている奴が相手だから!』と告げている。
それなのに、連れて来られた先は『教会という、権力闘争とは無縁の場所』。
……。
うん、それが一般的な認識なんだわ。バラクシンという国の在り方が特殊なだけで。
モーリス君も『バラクシンは宗教色が強い』とか『教会派という派閥がある』程度は知っているだろうけど、教会そのものに権力などがあるとは思っていないのだろう。
ある意味では、その認識は正しい。いや、『本来ならば、正しい』。
……教会上層部に貴族と癒着している奴が居なければ、今も無縁だったかもしれん。
聖人様とて、私と関わる前に何もできなかった――内部の腐敗をどうにもできなかった、という意味で――のだ。
それは偏に、聖人様が政や権力とは無縁な『敬虔な聖職者』であったせい。
欲に染まりまくった連中に、『聖職者という立場にある者のくせに、貴方達は自分の行ないが恥ずかしくはないのか!』と言ったところで、聞くわけがない。
奴らに効く(※誤字に非ず)のは、権力か賄賂といった類のものであ~る!
ぶっちゃけ、お貴族様を相手にする時と大差ない。
……いや、あいつらも貴族に比べて権力とか、地位的な物はないけどさ? その代わりと言うか、奴らは非常に排除し難い立ち位置に居たのだよ。
言い方は悪いが、貴族ならば『陥れられて失脚』とか『冤罪で投獄』とか『財政難で没落』という形に追い込むことができる。
しかも、それらは『貴族にとって、割とあること』なので、周囲もそれほど問題視しないというか、珍しいものではない。
ところが、『地位ある聖職者』の場合は、こういった手が使えない。
一般的に、聖職者とは『政とは無縁の人』なのである。
神を信仰し、清く、正しく生きる人なのである。
そもそも、教会の財産は聖職者の個人資産ではなく、教会の運営資金。
一般的な認識はこんな感じと思われる。
つまり、よっぽど明確な証拠というか、大半の信者達からの訴えでもない限り、罪に問うのはかなり難しい。
宗教的にアウトなことをやらかせば破門とかにできるのかもしれないが、下っ端信者達ですら難色を示すレベルのあからさまなやらかしでもない限り、厳しいだろう。
聖人様(と私)によって叩き出された連中は、その所業が一部の信者にバレていただけでなく、私によって現場を押さえられたことが大きい。
ぶっちゃけ、言い逃れができない状況&聖人様爆誕というコンボが決まった。
元から人望がある聖人様だからこそ、説得力も抜群です。
神の奇跡(笑)を多くの信者達が目にしたこともあり、一気に『欲に染まり、信仰を汚した者達の排除は神のご意志だ!』となったわけです。
神を信じる敬虔な信者達の純粋さと、私の策が嚙み合ったゆえに、奴らの排除を望む声が一つの大きな流れになったのだ。
その演出やシナリオ担当は私でしたが、何か問題が?
誘導ではありません、信仰を守るためのお手伝いです……!
ただ、そこまでしなければ奴らの追い落としは難しかった。
教会の運営は寄付、それも貴族からの寄付に頼っているところが大きいので、どうしても貴族と癒着している奴らの発言力が強くなる。
それに、聖人様やまともな大人達が奴らの所業を苦々しく思おうとも、排除してしまえば、繋がりのあった貴族から報復される可能性とてあるじゃないか。
……警告のため、子供達が犠牲にされたかもしれない。私が悪く捉え過ぎとかではなく、割とマジに。
聖人様がいくら慕われていても、身動き取れなかったわけですね! 善良な聖職者だからこそ、犠牲者が出るようなことは望むまい。
まあ、その後、私という協力者を得た聖人様はこれまでの恨みを晴らすが如く『盛大にはっちゃけた』(意訳)ので、『時には行動を起こすことも重要』と学んだようだが。
……私が魔王様に説教されたことなんざ、些細なことさ。
で。
モーリス君も例に漏れず『聖職者=善良で権力とは無縁』という認識をしていたらしく、首を傾げる展開になったわけですな。
確かに、先の一件を知らないと、私との繋がりは不思議かもしれん。
「あの……ミヅキさん? 僕は練習のためにここに来た……んですよね?」
「そうだよー」
「教会でそんな状況になることって、あるんですか?」
モーリス君の当然の疑問に、聖人様は苦笑気味。
教会の運営を考えればそんなことは言っていられないけれど、普通の人はモーリス君のように考える。
もしくは……聖人様も内心、『そうだったら良いのに』と思っているのかもしれない。それが理想でしかないと判っていたとしても。
「教会という『組織』である以上、上層部や纏める立場にある人は『ただ神への敬愛を胸に抱いていればいい』とはならないんだよ」
「え?」
「理想や神への愛で腹は膨れない。生きている以上、生活するために必要な物がある。……信者達だって生きているんだよ。だからこそ、彼らの生活を守る人達も存在する。たとえ泥を被ったとしても」
「!?」
聖人様を前にしながらも、そう言い切ってしまう私。その言葉に驚いたのか、モーリス君は聖人様を振り返る。
そして、聖人様は。
「……彼女の言う通りですよ」
穏やかな口調ながらも、聖人様の言葉が重く響く。
「君は近い将来、当主となると聞いています。それは君に背負うものができることであり、同時に、守る覚悟を決めなければならない」
「……」
「ただ暮らしているだけならば、自分のことだけを考えていればいい。ですが、これからは優先順位をつけなければならないでしょう。自分が泥を被ろうとも、意に沿わぬ選択をしようとも、君は……その背に庇った者達を守らなければならないはず」
「……はい。ええ、そうです。僕は博愛主義者ではいられません。誰にでも手を差し伸べられるほど、僕に力はない」
「それが判っていることが重要です。無差別に手を差し伸べれば、守りたいものを守れないだけでなく、君が潰れますからね」
聖人様の言葉を、モーリス君は静かに聞いている。人との対話に慣れているだけあって、聖人様の言葉はすんなり胸に響くようだ。
「個人として優しいことは良いことです。ですが、当主としてそれが正しくない時もあるでしょう。選択の果てに、君を傷つける言葉を吐かれるかもしれません。それらを背負い、君は生きていくのでしょうね」
――それが『君の選択』ですから。
「賢くなりな、モーリス君。権力も、武力もないなら、君自身の言葉と情報が唯一の武器だよ。後妻さんだって、手を貸してくれるでしょう」
「ミヅキさん……」
「争うことを避ける、降りかかるかもしれない火の粉を回避する、牽制する……遣り方は様々だよ。だけど、君自身が愚かなままなら、多くの人を巻き込んでブレイカーズ男爵家は没落するでしょう」
「……っ」
「君の状況は聖人様とよく似ている。だから、ここに連れて来たの。……判る? 他家の当主ならば、最初からそれなりに権力があるだろうけど……君にはない。だから、『自分とはスタートラインすら違う』という言い訳をすることができる。でもね、『君同様に何もなかったのは、聖人様も同じ』なんだよ」
「……。恐ろしくはなかったのですか?」
「ふふっ。私は愛すべき者達を守ると決めました。そして、手を貸してくださる方もいたのです。その幸運は私にとって力となり、同時に枷となりました。……望めなかった未来が見えたのです。必死に足掻こうというものですよ」
モーリス君は目を伏せ、黙って聖人様の話を聞いていた。聞きながら、自分の状況と照らし合わせ、考えているようだった。
……そんなモーリス君の姿を生温かい目で見ながら、私は『覚悟を決めた聖人様のあれこれ』(意訳)を思い出している。
聖人様……頼むから、聖人無双のことだけは黙秘でお願いね?
あれはか~な~り特殊な条件下のものだし、モーリス君には多分、必要ないから!
……。
多分。
灰色猫『置いて行かれた……orz』
従者『主様は【教材】に顔を知られている可能性がありますからね』
灰色猫達はお留守番。




