その頃の『彼ら』
――深夜・某子爵の館にて(元襲撃者視点)
「……」
睨むように報告書に目を通す青年の表情は、その心境が現れているかのように険しい。
だが、それも当然のことだろう。状況が予想以上によろしくないのだから。
何せ、青年が追い落とす予定の『敵』はとても身近に存在する。
はっきり言うなら、その『敵』は青年の父親なのだ。
「……。やっぱり、そう簡単にはいかないか」
溜息を吐いて、報告書をテーブルに放り投げる青年に疲労の色は濃い。だが、それでも諦める気が全くないのは、その視線の強さから知れた。
「焦らないことだ」
思わず、そう告げる。まるで助言のようだと内心、苦笑するも、予想外だったのは青年も同じだったらしい。
一瞬、驚いた表情をすると、僅かに笑みを浮かべ、「判っているさ」と返してきた。
「あいつがこの家の当主である以上、大きな動きはできない。自己保身から、私を除籍しかねないからね」
「……」
それが一番の問題点であることは俺にも判っている。青年がこの家の当主となることを目指すからこそ、それだけは避けねばならないのだ。
青年が無能というわけではない。
『敵』の立場が強過ぎるのだ。
立場が強いと言うか、当主の持つ権限が大問題だった。
いくら実の息子であろうとも、現当主が『否』という判断を下し、除籍してしまえば、家を継ぐ権利どころか、貴族ですらなくなってしまうのだから。
ただ……そうなってしまった暁には、この家の没落は確定であろう。
何故なら、青年がこの家の当主となり、彼の男爵家の力となることが交換条件となって、王族への不敬を不問にできる……という密約が交わされているのだから。
と、言うか。
他国の公爵家への不敬もあり、この国の王族からの取り成しは必須だった。他国の高位貴族である以上、そう簡単に『なかったこと』にはできないのだ。
いくら愚かな野心家とはいえ、さすがにそんな状況で襲撃を企てる真似はすまい。
単純に運がなかったと言うか、壮絶に予想外な面子があの家に居たことが問題なのだ。
自国の王族も十分に問題だが、あの王子様は『少々』訳ありだ。そこを突けば、様々な事情からこちらの味方をしてくれる貴族達も居るだろう。
本人に原因があるわけではないが、あの王子様の失脚を狙う輩も居るのだ……足を引っ張る要素になるならば歓迎、ということだろう。
あの王子様の能力が未知数だからこそ、本格的に力を持つ前に潰しておきたいと考える奴らが居ることを俺は知っていた。
……しかし、他国にまでそんな事情を押し付けられるはずもなく。
今回ばかりは、あの王子様の温情に縋るしかないのだろう。当事者たる公爵子息が何も言わなかったところを見る限り、すでに話はついているようだった。
そこまでを思い返し、俺は遠い目になる。本当にヤバい奴は民間人を装っているあの女なのだから。
あの中で最も無害そうな女こそ、色々とヤバい噂のある魔導師なのだ。
『誇り高き断罪の魔導師』と言われている反面、悪い噂も数多い『化け物』。
俺達とて、最初は全く気が付かなかった。人質にされても恐れないのは、単に、王族や高位貴族の友人だからこそ慣れているのだろう、と。
いや、ある意味ではそれは正しかったのだろう。だが、予想外だったのは魔導師のその性格!
嬉々として俺達を甚振り、恐ろしい悪夢を見せる魔道具の餌食にし。
『甚振る方法はまだ沢山あるけど?』と笑顔で告げてくる外道。
俺達は悟った……『この魔導師、マジでヤベェ!』と!
……よく考えれば、予想できることだったのだ。魔導師が普通ではないことなんて。
異世界人であろうとも民間人。王族や貴族が一目置く(意訳)ならば、『それなりの理由』があるはずであろう。
おそらくだが……あの魔導師は『善悪ではなく、国や家を選ぶ者達』に理解がある。
その上で彼らに交渉を持ち掛け、共犯者としてきたのだろう。そうでなければ、凶悪犯なり、愉快犯なりで指名手配くらいはされているはず。
それなのに、そういった話は聞いたことがない。
寧ろ、『善』のイメージが強い噂ばかりが流れているのも、権力者達が彼女を共犯者にしやすいように意図されているのではないか。
つまり、『善のイメージが強い魔導師』と『善人』はイコールではない。
『(遣り方はともかく、結果として)国の憂いを払う魔導師』(意訳)が正解と思われた。
そして、そんな奴に喧嘩を売ったのが、この家の当主。
王子様からの提案は冗談抜きに、この家が存続するための温情である。
まあ……そのための条件が些か厳しいのも否定できない。
青年が先ほど口にしたように、『除籍されてしまえば何もできなくなってしまう』のだから。
同じ館に住みながら、青年は隠密行動に徹しなければならないのだ。
それに加えて、現当主の頭がどれほど残念だろうとも野心家である以上、ある程度の自己保身は考えているだろう。
それらを搔い潜って証拠を手にし、隠居へと追い込まなければならないのだから、青年にとっては中々に厳しい道なのかもしれない。
最後の手段が、『不幸な事故』に遭ってもらうことだろう。ただ、これは周囲に疑惑を持たれる可能性もあるので、青年もあまり選びたくはないようだった。
……ただ。
あのろくでもない魔導師もそこは考えていたらしく、手助けをしてくれる気はあったようだ。
「……さっきな、こんなものを渡されたんだが」
「え?」
徐に紙束と何かが記録されているらしい魔道具を差し出すと、青年は一瞬、呆けたような表情になり。
「これは……?」
訝しげな表情のまま受け取ると、手にした紙に書かれた内容に目を通して。
「な……!?」
驚愕の表情のまま、凄い勢いで全てに目を通し始めた。
そんな青年の姿に、『そうなるよな』と内心、全力で同意しつつも見守るに留めた。
俺が手渡したのは『この家の当主が過去に犯した不正の証拠』。
どう考えても、その手の仕事に慣れた――それも凄腕の仕事であろう。妙に整った顔立ちの男は俺を青年の味方と知っていたのか、接触するなり、これらを渡してきたのだ。
ご丁寧にも、魔道具には不正に携わる現当主と共謀している者達が密談する姿が収められており、言い逃れができないものとなっていた。
勿論、それらの裏取りをする必要はあるだろう。しかし、手探りで見つけ出すのと、断罪までの道筋が整えられているのとでは難易度が全く違う。
「一体、どこでこれを……」
「……。あの女の伝手らしい」
「女……? ああ、ミヅキさんか!」
『私が魔導師ということは、まだ秘密♪』と脅迫……いや、きつく言い含められているので、それだけを伝えた。
嘘は言っていない。言っていないのだが……正直に言うと怖過ぎる。
あの女が魔導師ならば、その伝手は各国に及ぶ。
一体、誰に『お願い』したのだろうか。
「私だけでは頼りない……とでも思ったのかな。君達を付けてもらっているのに、複雑だ」
「仕方ないさ。あいつらにも目的がある。これもその一環なんだろう」
そう、あいつらの目的はブレイカーズ男爵家の問題解決であって、この家の問題には無関係だ。
だが、あいつらがこの家の次期当主……青年を巻き込むならば、助力する可能性もゼロではない。
寧ろ、ここまでした以上、青年が『協力者になりたくない』と言っても逃がしてもらえないだろう。哀れなことである。
「感謝は……今ではないな。私が無事に『仕事』を終えたら、報告を兼ねて挨拶に行く。そこで改めて、感謝を告げようか」
思わぬ援護射撃を心強く思ったのか、どことなく嬉しそうに青年が口にする。
その素直さに、『こいつもやっぱり、あの情けないお坊ちゃんと血の繋がりがあるな』と思いつつ、頷いておく。
青年のこういった一面は少々、不安になるが、嫌いではない。裏社会に生きているからこそ、こんな領主が居ても良いと思えてしまう。
誘導しているのがあの連中というのが、果てしなく不安ではあったが。
まあ、青年が良い子でいるうちは大丈夫だろう……多分。
「感謝します。必ずや、期待に応えて遣り遂げてみせます……!」
決意に満ちた言葉を、青年が小さく呟くのを耳にしながら。
俺は何とも言えない気持ちのまま、秘かに溜息を吐いた。
※※※※※※※※
――同時刻・イルフェナ王城・エルシュオンの執務室にて
「……というわけで、任務完了だ。後は本人の頑張りに期待しよう」
「ご苦労様」
クラウスが親猫……もとい、エルシュオンに事後報告を行なっていた。
信頼する部下達の仕事ぶりを疑ってはいないのか、エルシュオンも満足そうである。
「ここまで助力したのです。まさか、無駄にはしないでしょう」
それほど無能ならば、必要ないですよね――などと、微妙に物騒なことを付け加えつつも、アルジェントも楽しげだ。
エルシュオンもアルジェントの発言には同意できるのか、諫めることなく、苦笑するのみ。
黒騎士達のお仕事とは、ガニアの某子爵の不正の証拠を掴むこと。
なお、黒猫から新たな『おねだり』がきたわけではない。
「そう言うものではないよ、アル。規模こそ違えど、彼……あの家の次期当主はかつてのキヴェラ王と同じ状況だ。『気付かれずに、追い落とせるだけの証拠を手にする』なんて、君達のような手駒が居なければ難しいだろう」
「しかし、それなりに彼を支持する者は居たはずですが」
「能力の問題だよ。いくら賛同者が居ても、証拠を掴めなければ意味がない」
微妙に次期当主の支持者を無能扱いしているエルシュオンだが、彼にそんなつもりは欠片もない。
エルシュオンの基準はイルフェナ、もしくは己の直属の騎士達であるため、手駒に求めるものが割と厳しいのである。
つまり、ミヅキへの教育も『ちょっと厳しいけれど、できないことはない』程度の認識だった。
スパルタ教育の真の戦犯は、エルシュオンの周囲の者達だったりする。
「ミヅキなら遣り遂げると思うぞ? あいつは基本的に単独行動だからな」
「ですよねぇ。我々も助力こそしますが、立ち回るのはミヅキですし」
「俺達も目立ちさえしなければ、いけると思うが」
「まあ、我々はエルの騎士として覚えられている可能性がありますからね。公爵家の人間ということもあり、厳しい監視を付けられた状態での裏工作は難しいかもしれません」
エルシュオンのフォローも空しく、白と黒の騎士は『そこまで難易度高いか?』という認識だ。
これにはエルシュオンも苦笑するしかない。彼自身、そう思っているのだから。
「この助力を『期待』と取るか、逃げ出さないための『脅迫』と取るかは、彼次第。まあ、監視だけは怠らないようにしようか。少なくとも、今回のシュアンゼ殿下の『課題』には、彼の家が必要なようだし」
「なくても困らないが、あった方がいい……という程度だと思うぞ? あの方は意外といい性格をしているようだしな」
「クラウス、正直過ぎないかい?」
「事実だろうが。彼はミヅキと『仲良く遊べる』んだぞ?」
「「……」」
クラウスの身も蓋もない発言に、エルシュオンとアルジェントも沈黙する。
彼らの黒い子猫は非常に腕白であり、悪戯好きなのだ。その所業を知っていると、黒い子猫の同類は立派に脅威である。
「ま、まあ、『今は』まだ害がないから」
「そうですね。それに……シュアンゼ殿下の立場上、あの方には強くなってもらわなければ」
「テゼルト殿下があのままならば、少々、頼りないしな」
「「クラウス……」」
「事実だろう。善良と言えば聞こえはいいが、あれでは貴族連中との化かし合いには向かん」
エルシュオン、アルジェントと微妙にフォローを口にしたのに、クラウスが叩き落す。
魔術師は研究職という一面があるゆえか、歯に衣を着せぬことが多々あるのだ……ミヅキほど馬鹿正直ではなくとも、ズバッと言い切ることも珍しくはない。
なお、そこに悪意という名の娯楽要素をぶち込んでくるのがミヅキである。
自己中外道な黒猫は、敵を陥れることに罪悪感など『全く』抱かない。
「とりあえずは様子見だね。ミヅキ達も動いているようだし、もしかしたら化けるかもしれないからね」
そう締め括り、エルシュオンはこの話題を終わらせる。
彼にとって重要なのは助力した青年ではなく、シュアンゼの課題でもなく、己が庇護下にある黒い子猫なのだから。
――親猫と猟犬達は本日も平常運転。金色の親猫の過保護の下、黒い子猫は伸び伸びと遊んでいる。
青年『遣り遂げねば……!』
元襲撃者『まあ、頑張れ』
何だかんだと見守るポジションになってきた元襲撃者。
対して、イルフェナ勢は安定の過保護。
主人公は勿論、知りません。




