お勉強開始 其の四
「……」
テーブルの上に、ぐったりと上半身を俯せるモーリス君は無言である。
マナーなんてガン無視な状態だし、もっと言うなら、彼の正面には王族であるシュアンゼ殿下と、他国とはいえ公爵子息のヴァイス。
何のことはない、モーリス君は疲労困憊・お疲れモードなのであ~る。
勿論、体力的に……という意味ではない。
ただ、これまで交渉やら腹の探り合いといったものとは無縁だった『お子様』にとって、『王族や高位貴族相手の会話』というものは、非常に疲れるものなのだろう。
また、モーリス君は割と真面目な性格をしているため、まだまだ会話を楽しむ余裕なんてものもない。
結果として、潰れました。精神的に限界です。
さり気なく、お茶を淹れてくれるラフィークさんの優しさが身に沁みますね!
「まあ、今日始めたばかりだからね。少しずつ慣れていくしかないだろう」
そう言いつつも、灰色猫なシュアンゼ殿下は優雅に紅茶を楽しんでいる。
モーリス君に対し、色々と注意や忠告をしていたはずなのだが、こちらは全く疲れていない模様。
……。
これまでの状況を顧みる限り、慣れてるんだろうな。
間違っても、『過保護に育てられた箱入り息子』じゃねぇ。
「気負い過ぎることと、気後れしがちな態度を取る場合があることに気を付けなければならないが、初めはこんなものだろう」
ヴァイスも初日のモーリス君は及第点くらいに思っているのか、厳しい言葉を掛ける気はないようだ。
なお、ヴァイスがこんなことを言っているのは、『狙われた場合を想定しているから』。
ヴァイスが社交界に出始めた頃や騎士として勤め始めた頃なんて、サロヴァーラ貴族達の全盛期だったはず。
そんな中に、王家派筆頭の公爵子息が放り込まれれば、どんな扱いをされるかは容易く想像がつく。
多分、ヴァイスも親や兄達から『貴族達から探りや攻撃を受ける』(意訳)と教えられ、それなりに準備や覚悟もしていたはず。
それでも、それなりに精神的にくるものがあったに違いない。それを乗り越えたからこそ、今のヴァイスがあるのだから。
だって、ヴァイスは最初から私に付いて行けたんだぞ?
イルフェナ勢のあれこれ(意訳)にも、冷静に対処できてたんだぞ……!?
もうね、どんな目に遭ってきたかが何とな~く判ってしまうのですよ。
サロヴァーラ貴族達の暴言、無茶な要求、理不尽な扱い各種に耐えられるだけの精神が備わっていなければ、近衛騎士なんて辞めていただろう。
事実、ヴァイスの部下達の話を聞く限り、心が折れて辞めたり、家族のことを盾に取られて『見て見ぬ振り』(意訳)をした人達もいたらしい。
そして、いくら理由があったとしても、王家が力を回復した途端に和解……とはいかないのが辛いところ。
事情を察していようとも、一度貼られた『裏切者』というレッテルが簡単に剝がれることはない。
今後は徐々に和解なり、適切な距離を置いた上でのお付き合いなりをしていくしかないだろう。
そんな状況を知っているヴァイスとしては、モーリス君にそれらの現実を教えた上で、精神的に強くなってもらいたいのだと思う。だから、厳しいことも言う。
私としてはファクル公爵への対策のような感じだったけど、意外とヴァイスは適任だったようだ。
モーリス君も何となくは察しているらしく、文句を言ったりすることもなく、真面目に学んでいる。
……ただ。
私が担当する『敵』に対する遣り取りが、物凄く疲れると言うか、精神的なダメージに繋がってしまうのだ。
『貴方、男爵家でしょ。身の程を知らないの?』
初っ端から、こんなセリフを笑顔で吐いた途端、モーリス君は固まった。
王族、高位貴族とくれば当然、次は様子見というか、探りを入れてくる連中に目を付けられることになる。
その場合、絶対に言われるだろう、この台詞。モーリス君自身もその自覚があるせいか、非常に反論し難いのだ。
『お声を掛けていただいたからと言って、調子に乗るんじゃないわ』
『ああ、お父上はご立派だったのに……。お父上ほどの手腕があれば、ねぇ?』
『成人し、家督を継いだと言っても、まだまだ子供ね。拙いマナーや退屈な話も、そのうちマシになるのかしら?』
他にもこんなセリフを次々に吐いたところ、モーリス君はあっさりと撃沈した。厳し過ぎたらしい。
……が。
これらのこと、もしくは近いものを、モーリス君は『必ず』言われるだろう。
理由は簡単、私が言われたからだ。
民間人のよく判らない奴が、王族や高位貴族と親しくしているだけでも嫉妬を向けられ、時には忠誠心から警戒される。寧ろ、それが『当たり前』。
同じく、大して重要でもない土地の新米当主が王族や高位貴族に声を掛けられれば、嫌でも目立ってしまうだろう。
……もっとも、私は仕掛けてくる連中を『遊び相手』や『玩具』扱いしていたが。
いや、だって、基本的に『お前、気に入らねーんだよっ!』って言いたいだけだしねぇ?
『調子に乗るな』と批難されれば。
『じゃあ、今後は話し掛けないよう言ってきますね!』と笑顔でチクリに行き。
『民間人如きが何様だ』と言われれば。
『その民間人にお仕事を依頼したのは、この国の王ですが。ちなみに満足いく結果を出せたみたいです! ……。あれ、貴方は任されなかったので?』と不思議そうに尋ね。
『魔導師といっても、常識を知らない小娘が』と蔑まれれば。
『この国の貴族達が、その立場に恥じない行動を取っていれば、私は呼ばれてないんですよ。嫌ね、現実を理解できない馬鹿って』と蔑み返し。
『生意気だ、黙っていろ!』と叱られれば。
『判りました! 口を開きません』と素直に頷き、その後の会話は全て筆談。理由を問われれば、素直に暴露。それ以外も心の赴くままに暴露。喋らなきゃいいんでしょ?
以上、私が嬉々として行ってきた対処の一部。媚びる必要がないので、遣りたい放題です。
当たり前だが、叱責されたり、恥をかいたり、泣いたのは相手の方。負けるのが嫌なら、喧嘩なんて売るな。
……ということを、モーリス君にも話したところ、『そこまで素早い切り返しができるか不安です』と言われてしまった。
ただ、『言葉の揚げ足取りで乗り切る』ということは理解してくれたようなので、今後に期待であ~る。
「まあ、初めはこんなものだよ。後は場数を踏めば何とかなるって」
「……努力します」
モーリス君を突きながら慰めれば、ぐったりと顔を伏せたまま、意外と前向きな答えが返ってくる。
そんな彼の姿に、私達は顔を見合わせて苦笑した。どうやら、私達の遣り方に戸惑いこそすれ、反発する気はない模様。
「今日はここまでだね。大丈夫、そのうち慣れるよ」
シュアンゼ殿下の宣言で、本日のお勉強は終了。慣れないことをした疲労はあるものの、私が渡したフローチャートは手にしたままなので、遣る気だけはあるのだろう。
大丈夫、経験を積めばそれなりにできるようになる。そして、最終的には『喧嘩を売ったら危険』と思われるくらいになるがいい。
モーリス(ぐったり)『……(貴族同士の遣り取りって怖い……!)』
灰色猫『慣れれば楽しめるよ?』
黒猫『ねー?』
三人組『……(それは特殊な例なんじゃ……?)』
微妙に間違った解釈のまま、教育されていきます。
※来週の更新はお休みさせていただきます。ゴールデンウィークですね~。




