小話集38
小話其の一『その後のモーリス』(モーリス視点)
「君達にとっての『優しい伯父さん』が近々、隠居するかもしれないよ」
シュアンゼ殿下から告げられた『事実』――彼は王族なので、悪戯に不安を煽るような嘘は吐かないだろう――は、僕の胸に冷たく響いた。
だが、隣で溜息を吐く家令の姿に、それが予想されたことだったと気付く。
伯父から明確な悪意を向けられたことはない。
だが、それが作られたものだったと、『今』の僕には判る。
……父の右腕だった家令から見ても、伯父は信頼できる人物ではなかったのだろう。
ただ、ほんの一年くらい前までの僕では、即座にそれを否定していたに違いない。
おそらくだが、疑わしい人物達はそれなりに居たのだと思う。だが、僕と妹が警戒心を抱く前に、優しい言葉と態度で絡め取られてしまって。
そんな状況では、いくら家令のことを家族同然に思い、信頼していたとしても、反発しかしなかったに違いない。
寧ろ、もっと最悪な結果を招きかねなかったじゃないか。
家令の忠告を信じられなくて、伯父に直接問い質していたらどうなった?
最悪の場合、事故を装い、家令は消されてしまったかもしれないじゃないか。
何せ、脅迫目的――殺すことが目的ではない、とシュアンゼ殿下達は言っていた――で裏社会の人間を雇い、我が家に送り込むくらいだ。
遠縁とは言え、爵位を持っていない家令を葬ることなど、容易いに違いない。
そこまで考えて、僕は改めて自分の愚かさ、幼さを痛感する。
僕は無意識に、『血縁を疑う』ということを避けていた。
父の生前から交流のある伯父なのだから……と!
貴族社会はある意味、血統重視の世界とも言えるので、血の繋がった者同士が後継者の座を巡って争うなど、珍しくないじゃないか。
『血縁だから疑わない』のではなく、『血縁だからこそ、最も警戒すべき存在』なのだ。
そんな『当たり前のこと』にすら、気が付いていなかった。……両親という『身近な大人』を亡くしたことにより、保護者のように慕っていたから。
まるで亡くした両親の代わりのように、『優しくしてくれた伯父』に懐いたのだ。
今にして思えば、それも伯父の策略だったのだろう。貴族社会を生きてきた伯父にとって、無知で愚かな子供達を懐かせるなど、容易かっただろうから。
僕は正真正銘、甘ったれた『お子様』であり、『愚か者』だったのだ。
使用人であっても、すぐ傍に信頼できる大人達が居たというのに……!
「珍しいことじゃないでしょ、貴族なんだから。この家は最初から狙われていた。君は……君達は傀儡にされかかっていた。これまではギリギリのところで後妻さんが抗い、使用人達が一丸となって防いでくれていた。だけど、当主になれば、君はその事実と向き合うことになる」
ミヅキさんの言葉が重く圧し掛かる。僕が目指した当主という立場は、爵位の違いによる差こそあっても、『誰か』を背に守る存在になることだと、改めて突き付けられた。
シュアンゼ殿下達、特にサロヴァーラの高位貴族であるヴァイスさんの視線が厳しくなるのも当然であろう。
あの国がどういう状況だったのかは、僕だって知っている。そんな国において、王家派筆頭とも言える公爵家がどれほど慎重に立ち回って来たのかは、想像に難くない。
第一、いくら四男とは言え、公爵子息であるヴァイスさんは騎士となり、王家の皆様を体を張って守って来たじゃないか。
これらは予想でしかないけれど、概ね正しいと思っている。敢えて口にしないのは、ヴァイスさんにとってはそれが称賛されるべきものではなく、『当たり前のこと』だから。
僕とヴァイスさんとでは、立場も、状況も、全く違う。だけど、秘めた覚悟はとんでもなく差があった。
ヴァイスさんにそうさせたのは王家への敬愛であり、忠誠であり、公爵家の一員としての矜持だったのだろう。
「守られている時間は終わるの。今度は君が抗い、守る側になる番だよ」
本当に、その通り。情けないことに、僕は本当の意味で『守る側になること』を理解していなかった。
だからこそ、伯父の失墜にこれほどショックを受けているのだろう。判っていたつもりでも、僕一人では伯父を切り捨てられたか怪しい。
情けなさに俯きそうになるも、ミヅキさんの声が辛うじてそれを思いとどまらせた。
『この程度のこと』……そうだ、『この程度のこと』なのだ。強がりであろうとも俯かない。それが今、僕が示せる精一杯のこと。
……しかし、事態は僕にとって想定外の方向に進んでいたらしく。
どうやら、かの家は従兄弟の頑張り次第で没落を免れるらしい。
……。
……。
ええと……一体、どういうこと……?
『王族や他国の公爵家の人間を襲撃したから、処罰なしは有り得ない』って、言ってませんでしたっけ?
いくらシュアンゼ殿下が王族であろうとも、そんな『例外』を作ってもいいのかな!?
しかも、僕は今後、ミヅキさん達にしっかりと教育を施されることが決定されていた。
「当然でしょ? 馬鹿は痛い目を見ないと、『手を出したら拙い』って気付かないもの。いくら言葉を尽くしたところで、嘗められてたら無意味だよ」
「だよねぇ。その言葉には本当に同意するよ。どれほど立派な言葉や正論だろうと、価値のない相手からの言葉だと思っているから、『全く』意味がないし」
「本当に。あのような連中が高位貴族に居るだけで、国の評価が下がり続けたと思うと、悔しい限りです。言葉で通じないのですから、実力行使という名の追い落としで理解していただくしかないでしょうね」
……何やら、聞いてはいけないことを聞いてしまっている気になるのは、何故だろう。
しかも、最終目標はミヅキさん曰く『仕掛けてきた奴には十倍返し』。
あの……どうして、民間人でしかないミヅキさんがそういった状況に慣れているんですか……?
さすがに見かねたのか、義母が間に入ってくれたけれど、どうやら、ミヅキさんは既に教育方針どころか、実習の場まで用意してくれているらしい。
いくら何でも、ここまでしてもらって『やりたくない』とは言えない。いや、言ったところで無駄な気がする。
初めから決定事項として伝えているようだし、僕に拒否権はないのだろう。
……。
犯罪者にならない程度に、宜しくお願いします……。
※※※※※※※※
小話其の二『ある少女の疎外感』(マリアベル視点)
「君達にとっての『優しい伯父さん』が近々、隠居するかもしれないよ」
唐突にシュアンゼ殿下から告げられた言葉、その内容に私は……咄嗟に否定の言葉を返すことができませんでした。
ここ一年ほど、お兄様から伯父達が味方どころか敵なのだと告げられてはいましたが、私はそれを素直に信じることはできませんでしたから。
だって、ずっと優しい伯父だったのです。
それが懐かせるための策だと聞いても、すぐには信じられません。
だけど、お兄様はそれが事実だと信じている……いえ、『理解している』ようでした。
それもまた、私は不思議で仕方ありません。
いくらシュアンゼ殿下が王族であり、ヴァイス様がサロヴァーラの公爵家の人間だったとしても。
……何故、ああもあっさり『伯父の策略だった』と信じることができるのでしょうか。
兄は素直な性格をしておりますが、それでも親族を無条件に疑うことはしないでしょう。
しかも、それがずっと親しく付き合ってきた伯父ならば、なおのこと。
ですが……。
ええ、兄のそんな性格を知っているからこそ、私もそれが事実だと認めざるを得ませんでした。
勿論、ただ無条件に信じたわけではありません。我が家への襲撃、それが脅迫目的だったと聞き、信じざるを得ませんでした。
同時に、とても恐ろしくなったのです。
もしも私が襲撃の際、この家に居たら……私は狙われていたかもしれません。
兄に対する警告ならば、私に傷を負わせることが最善ですもの。
……。
ええ、判っています。私は卑怯で、臆病な人間なのでしょう。
自分に火の粉が降りかかるかもしれないという恐怖から、私は……シュアンゼ殿下達の言葉を信じたのですから。
いえ、『信じた』というより、『選んだ』と言った方が正しいのかもしれません。
ここで頑なに伯父を信じようものならば、私は彼らにあっさりと見捨てられる気がいたします。
皆様にとって重要なのは『ブレイカーズ男爵家の存続』。
そして、兄であるモーリスが『新たな当主となること』。
この二つなのです。そこに私は含まれておりませんでした。
これは私の気のせいではありません。何故か、義母……彼女のことは認めているような様子なのに、私に対しては厳しい言葉を向けるだけ。
特に、ミヅキ様……ミヅキさんは、私へと容赦のないことを並べてきました。
『貴女にはいる? 貴女自身を評価してくれる人が』
『貴女自身の能力や功績を認め、一族に加えたいと望む家がある?』
……私は答えることができませんでした。
貴族の令嬢として、どのような相手であっても、当主が決めた相手と婚姻する。
それは貴族の義務であり、当たり前のことなのです。ですから、私の縁談もお兄様が探してくると思っておりました。
その時は何も問わず、黙って嫁ごう……と。
ですが、そんな未来はないと、ミヅキさんは言うのです。お兄様には妹の縁談の世話をする余裕も、伝手もない、と!
それだけではなく、あのふしだらな義母が、無価値と遠回しに言われたばかりの私よりも価値があると言うじゃありませんか。
『今は詳しく言わないけれど、貴女が嫌っている後妻さんはこの家において最大の功労者だよ。だから、それを認めた人が私達へと話を持ってきた』
『貴女が認めないのは勝手だけど、私は事実しか言っていない。今、私達がここに居ることがその証明だね』
……信じられませんでした。
ですが、確かに、お兄様やこの家の使用人達に、王族を動かすだけの伝手があるとは思えません。
……。
事実……なのでしょう。私が信じたくなくとも、シュアンゼ殿下達はお兄様が当主になることを助けてくださっています。
王族が男爵家のために動くなんて、普通ではあり得ないことですもの。
伯父様の今後を聞いた後、お兄様や使用人達、そして義母さえも、シュアンゼ殿下を始めとする皆様が語る『今後』を、真剣に聞き、時には意見を述べておりました。
そんな光景を見ながらも……私は皆に交じれません。
同じ部屋に居るというのに、疎外感ばかりが募るのです。同時に、ミヅキさんの言葉を思い出しておりました。
『皆が必死になって、家を守ろうとしている。ねぇ、貴女は……『何をしてきた』の?』
私は……何をしてきたのでしょうか?
お兄様に頼るのではなく、私自身は……何ができるのでしょう……。
兄『は……犯罪者にならない程度で、お願いします……』
妹『……(皆に交じれない……)』
台詞では慌てていても、きちんと考えられていたモーリス。
とりあえず、主人公達の教育を受ける気はあります。
対して、困惑&疎外感感じまくりのマリアベル。(※同じ部屋に居た)
教えを請うたり、相談したければ、自分で動くしかありません。
まだ彼女は動いていないため、主人公達も放置気味。
なお、モーリスはヴァイスを騎士として扱っているため『さん』付け、
マリアベルは貴族として見ているので『様』付けです。




