足りなかった覚悟
――マリアベルが去った部屋にて(モーリス視点)
「……宜しかったのですか? あのようなことを言って」
座ったまま黙り込む僕に、家令が案じるような声音で問いかけてきた。対して僕は……何も言えなかった。
いや、正確には『返す言葉が見つからなかった』と言った方がいいだろうか。
言葉にしてしまえば決意が揺らぎそうな、僕の弱い心。妹に対し、厳しい決断をする場合もあると匂わせたばかりなのに。
父の跡を継いで当主になると決めたのに、僕は本当の意味で、そのことを理解していなかったのだろう。
優しいばかりでは家も、領地も守れない。時には厳しい決断をする冷酷さとて、当主には必要だったのだ。
「……僕がすべきことを自覚するのが遅過ぎたんだ。今更、どうにもならないよ」
「……」
無言で目を伏せる家令とて、本当は判っているのだろう。この家の状況、家を立て直すことの難しさ――僕はそれらを甘く見過ぎていたんだ。
「シュアンゼ殿下やミヅキさんが言っていることは正しいよ。寧ろ、第三者……この家に無関係な人達だからこそ、冷静に物事が見えるんだろうね」
僕が態度を改めたせいか、家令を始めとする使用人達との信頼関係はできていると思う。
信頼されている、期待されている、一丸となってこの家を存続させようと頑張っている……そう言い切れる。
だけど、それだけじゃ駄目だった。
過ぎた時間は戻らないのだから。
「僕はシュアンゼ殿下が……王家が関わってくれると知ってから、どこか楽観視していたんだ。今考えると、とても失礼なことなんだけど……『王家が動いてくれるならば大丈夫』と、無意識に思い込んでいた」
シュアンゼ殿下のお立場が微妙なものであろうとも、あの方は紛れもなくこの国の第二王子である。
その地位が、その人脈があるならば、大丈夫だと……思い込んでいた。
「マリアベルにはああ言ったけど、あの方達と話す度、僕も厳しい言葉を向けられてきた。いや、厳しいと言うよりもただの事実かな? だけど、その度に不安は増していった」
甘ったれた考えを見透かしているとばかりに、あの二人は厳しい言葉を向け、僕自身に考えさせてきたのだ。
今だからこそ、思う……もしも、僕がそのことに気付くことなく、甘ったれた考えをしていたならば。
――僕は切り捨てられていただろう。それこそ、一欠けらの情を見せることなく。
どちらにせよ、そんな状態になるようでは当主になったところで長くは持つまい。そこから新たな当主と立てるよりも、初めから僕を飛ばした方がこの家が受けるダメージは少ないはずだ。
「怖いよね……『気付かなければ手遅れになっていた』なんて! だけど、王家はくだらないお家騒動に労力を割く必要はないんだ。そもそも、王家が一々出て来ることなんてない」
国の政に影響が出るような高位貴族ならば、問題の鎮静化に動くことはあるだろう。
しかし、ブレイカーズ男爵家は末端貴族もいいところ。その跡取りであるはずの僕の言動を顧みても、わざわざ王家が動くはずもない。
だって、その当事者達が必死になっていないじゃないか。
誰だって、馬鹿らしく思うだろう。
「あの人は本当に頑張ってくれたんだ。そんな姿がファクル公爵の興味を引き、この『幸運』を引き寄せてくれた」
女性貴族として、いや、民間人の女性であったとしても、義母の行動は自分を貶めるものに映ることだろう。
事実、彼女の評判は宜しくない。致命的なまでに落ちていないのは、彼女の行動の真意を理解する者達が居るからだ。
「シュアンゼ殿下達、あの人の行動に拍手喝采だって言ってた。自分を犠牲にしてでも家に尽くし、守る……はは、当事者である僕達はその片鱗すらないのにね」
「モーリス様……」
「今だから判るよ……あの人がしてきたことは本当に、本当に凄いことだったんだ」
元高級娼婦という肩書きがあるだけでも立場がないのに、それを思い起こさせるような行動を取ってなお、潰されない。
そこに気付けば、奇妙だと思うだろう……『悪意を向けてくる者達よりもずっと、義母の立場は弱いのに』!
「シュアンゼ殿下達のようにそこに気付いた人達から見た僕は……さぞかし不甲斐ない、情けない跡取りだったろう。僕達の周りに『優しい親族』以外の人達が居ないのは当然の結果だった」
亡き父や母と付き合いがあった人達だって居たはずだ。だけど、僕達が家やその財産を狙う者達と懇意にしていたら、部外者が口を出せるはずはない。
と言うか、昔はそれでも苦言を貰えていた……と思う。あれだって、僕達を案じるゆえの言葉だったはず。
「……だけど、僕は気付いた。そして当主となることを選んだ。だから……優先順位は『当主となり家を継ぐこと』と『家を立て直すこと』。その妨げになるならば、マリアベルを切り捨てるよ」
決意を込めて口にする。先ほど、マリアベルはシュアンゼ殿下達にもはっきりと言われていた。
これで『知らなかった』は通らない。少なくとも、シュアンゼ殿下達や今回、シュアンゼ殿下が関与してくださったことを知る者達はそういった目で見るだろう。
「大事な妹だ。両親亡き後、僕が守ると決めた……守りたかった子だ。だけど、僕はマリアベルを最優先にできない。だから、さっきもマリアベルにはっきりと告げた」
『【子供だから】で済ませていい問題じゃなかった。誰かに頼ろうとも、僕達自身が必死になる姿を見せなければならなかったんだ。だから、僕達には家を狙うために擦り寄ってくる親族しか残らなかった』
ここまで言って何も変わらないならば……マリアベルに良い嫁ぎ先など見付からないだろう。
嫁ぎ先を探しても、義母を引き合いに出し、断りの言葉を告げられる可能性が高い。……実際には、マリアベル自身に原因があるというのに。
だが、そんな言葉をこれまで信じてきてしまったのが僕達なのだ。その結果、僕達は貴重な時間を無駄にした。
「正直なところ、シュアンゼ殿下達がどんな形での決着を目指すのか判らない。だけど、受け入れられない提案をされた時に『否』と言えるだけの姿を見せていなければ、反論の余地なく僕も切り捨てられるだろう」
そんな予感がする。不安要素しかない家を潰すこととて、この国を守ることに繋がるのだ。
シュアンゼ殿下は王族……個人的な感情がどうあれ、そういった厳しさは兼ね備えているだろう。
「僕は精一杯、抗ってみせるよ。そうでなければ、父上達やお前達に申し訳ない。だけど、僕一人では無理なんだ。だから、力を貸してくれ。共に抗ってくれ」
「勿論でございます。正直なところ、貴方様のことは『旦那様の遺されたご子息』という認識をしておりました。ですが、そのお覚悟があるならば大丈夫でしょう。……一日も早く『ご当主様』とお呼びできる日が来ることを願っております」
「……っ……ああ……ああ、勿論だ! これからも情けないところを見せるだろうけど、宜しく頼む」
「はい」
家令の微笑みが、かつて父に向けていたものと重なる。……今まではどこか庇護対象に向けるような笑みだった。それはきっと、僕を主と見ていなかったせいもあるのだろう。
だから、当面の目標は彼らに……この家を守り、仕えてくれる者達に主として認められることだ。
それができた時こそ、僕は父上が見ていた景色を共有できるのだろう。
モーリス、本当の意味で家令に認められる。
漸く、『頼りないお坊ちゃん』から『頑張る当主候補(予定)』にランクアップ。




