その後の彼ら ~モーリス達の場合~
――シュアンゼ達が去った部屋にて(マリアベル視点)
シュアンゼ殿下達がこの部屋を去って、私は……漸く、肩の力を抜くことができました。
シュアンゼ殿下は王族だからと高慢な態度を取られる方ではありませんし、ミヅキ様も民間人だからなのか、言葉も態度も気安いものでした。
彼らの言葉や態度だけを捉えたならば、それほど緊張することはないのでしょう。
いえ、一般的な高位貴族や王族の方を前にする時よりもずっと、身分差による恐怖――絶対に不興を買ってはならない方も居ます――は遠かったと言えます。
ええ、それは事実なのです。嘘偽りない私自身の本音だと言い切れます。
ですが……何故か、私はあの方達がとても怖かったのです。
私自身の至らなさ、未熟さ、凝り固まった思考を指摘してくる言葉は確かに、耳に痛いものばかり。
それらはお兄様や使用人達の言動に反発する一方で、私自身が薄々感じてきたものでもありました。
『後妻への反発から、目を曇らせている』
そう言われても、仕方がないではありませんか! 綺麗事を言うのは部外者だからでしょう!?
元高級娼婦というだけでも信じられないのに、あの人の噂は聞くに堪えないものばかり。その噂が彼女だけを指すものだったとしても、彼女のせいで、お父様や家が貶められていくなんて耐えられません。
誰だって、好き好んでそのような職業を選ぶはずはない。そうしなければならなかった理由があるのだと、私にだって予想がつきます。
ですが、それが自分の義母になるとなれば……受け入れられる人の方が珍しいのではありませんか?
第一、彼女は父が亡くなった後は監視が緩んだとばかりに、奔放な生活を送っていると聞いています。だからこその悪評、でしょう?
そう、思っていました。
シュアンゼ殿下達と話す前までは。
『貴女が嫌っている後妻さんはこの家において最大の功労者だよ。だから、それを認めた人が私達へと話を持ってきた』
ミヅキ様の、あの言葉。
それはこれまで聞いてきたあの人の噂とは真逆の評価であり、私を混乱させるのに十分な威力を持っていました。
だって……あの人がやってきたことは、女性として恥ずべきことのはずでしょう?
貴族の後妻になろうとも娼婦としての生活が忘れられないのかと、多くの人達に嘲笑されてきたではありませんか。
それなのに……それなのに、ミヅキ様だけでなくシュアンゼ殿下すらも、あの人を高く評価している様が窺えた。
何より、隣に座っているお兄様が否定してこない。
ここ一年ほどはどのような心境の変化があったのか、お兄様が変わられたとは思っていました。
その変化の一つに『あの人を嫌う私を嗜める』というものもあったのです。
理由を聞いても、はぐらかすばかりで……お兄様も、家令も、私の望む答えをくれませんでした。
……。
いえ、私に向けられた家令の目は……どことなく厳しいような気がしました。いつも穏やかで、私達が間違ったことをしても優しく諭してくれる、身内のような人なのに。
それだけではなく、使用人達が時折、厳しい目を向けて来るようになった気がします。それもここ一年ほどの変化でした。
「……殿下達の言葉は厳しかったか、マリアベル」
掛けられた言葉に意識を戻せば、お兄様が私へと顔を向けています。
その表情が安堵と辛さを混ぜ合わせたような、微妙なものであることを不思議に思う間もなく、お兄様は続けました。
「ここ一年、僕はお前に言葉を尽くしてきたつもりだ。……ほんの一年。これまで何年もお前と似たり寄ったりな考えをしていたくせに、ほんの一年前に意見を変えた僕の言葉には意味がなかったか?」
「そ、それ、は……」
お兄様の言葉は事実でした。お兄様とて、一年ほど前までは私と同じような態度をあの人に対してとっていたはずです。
それが、何があったのか……お兄様は唐突に考えを変えてしまった。そして、私を諫めてくるようになったのです。
「だけど、お前もこれで判っただろう。……『これまで間違っていたのは僕達の方だ』と!」
「……っ」
お兄様の言いたいことは判ります。ですが、ならば何故……とも思えてしまうのです。
「ならば! どうして、私がその理由を尋ねても答えてくれなかったのです!?」
気が付けば、そんな言葉が口から飛び出ていました。ですが、私の素直な気持ちでもあります。
私はお兄様よりも年下で、まだ子供で。それでも、私とてこの家の一員と思ってくださるならば……何故、口を噤むのか。
そう言いつつ睨み付けた私に、お兄様はどこか辛そうに……けれど、はっきりとその理由を口になさいました。
「お前が信頼できないからだ」
「え……」
「僕でさえ、自分の考えを変え、色々なことを考えて反省し、漸く、その一端を教えてもらったに過ぎない。……感情優先の言動が多く、あの人への反発が先に来るお前に告げたところで信じまい。寧ろ、それを他者へと漏らしかねないじゃないか」
「お、お兄……様」
あまりにもはっきりと言い切られ、私は言葉を失いました。
……私とお兄様は仲の良い兄妹だと思っています。お母様が亡くなり、お父様さえも亡くなってしまった時。
いつも寄り添ってくれたのは、『同じ立場にある』お兄様でしたから。
ですが、今回告げられたのははっきりとした『拒絶』。
その言葉の刃は、想像以上に私の心を切り裂いたのです。私に唯一残された家族からの言葉は、本当に耐えがたいものでした。
「いいか、マリアベル。今度こそ、真剣に考えるんだ。シュアンゼ殿下はお優しい方だが、厳しくもある。……あの方がファクル公爵から頼まれたのは『ブレイカーズ男爵家のこと』であって、『私達のことではない』のだから」
「え? それは、どういう……」
「……この家の敵、もしくは障害となるならば、切り捨てられる可能性もある、ということだ」
「な!?」
あんまりな言葉に声を上げれば、お兄様は情けない、とでも言うように項垂れました。
「僕達は父上が亡くなってから、真剣にこの家を盛り立てようと考えてきたか? ……行動してきたか? 何もしていないだろう? そんな姿は第三者の目にはどう映っている?」
「で、ですが……私も、お兄様も、まだ子供だったではありませんか」
「『子供だから』で済ませていい問題じゃなかった。誰かに頼ろうとも、僕達自身が必死になる姿を見せなければならなかったんだ。だから、僕達には家を狙うために擦り寄ってくる親族しか残らなかった」
「あ……」
そこまで言われれば、お兄様の言いたいことが判りました。同時に、先ほど交わしたシュアンゼ殿下やミヅキ様の言葉が脳裏を過ります。
「考えるんだ、マリアベル。そして、これまでの自分を反省しなさい。幸い、お前が素直さを見せたことが良かったのか、即排除とはならなかったようだ。だが、それも今後の行動次第だろう。……僕も同じだけどね」
跡取りであるはずのお兄様も同じ。それはとても重い言葉でした。同時に、家令や使用人達が一切の言葉を発しないことに気が付きます。
……彼らは『使用人』であり、いくら私達が信頼していても、そこには『主』と『使用人』という明確な違いがあったのです。
親身になってくれようとも、私達の責務を肩代わりすることはできません。それが私達『主』に課せられた義務なのです。
『誰かに頼ろうとも、僕達が必死になる姿を見せなければならなかったんだ』
先ほどのお兄様の言葉が、きっと全てなのでしょう。
私達は……私は。家を守ってくれている者達にとって、主としての姿を見せて来なかった。
だからこそ、私には伝えられなかったのだと。
兄『もう後がないんだよ、妹よ……っ』
妹『何故か、あの人達が怖かった。反省、大事』
兄、とりあえず安堵しつつも、妹に警告する。
モーリスの予想は大正解。妹はマジで首の皮一枚で繋がっただけ。
妹は何故、自分には説明されないのか理解しました。
それだけでも大きな前進です。




