もう一つの舞台裏
――とある一室にて(後妻視点)
「……そう、ありがとう」
「いえ……」
シュアンゼ殿下達の集っている部屋で交わされる会話を伝えてくれた侍女――勿論、普段はこんな真似などしない――にお礼を言う。
しかし、彼女の顔色は酷く悪かった。報告を受けた私も彼女と似たようなものだろう。
「まさか、あのような人脈があるなんて……」
ついつい、溜息が零れてしまう。脳裏に思い描くのは足の悪い第二王子……王弟夫妻の一人息子であったシュアンゼ殿下のこと。
こう言っては何だが、彼は身体的な理由の下に公務などを行なっておらず、王族としての価値をあまり認められてはいなかった。
はっきり言ってしまうならば、貴族達にさえ軽んじられる存在だったのだ。
これで実の両親である王弟夫妻の従順な駒であったならば、まだ扱いは良かったのだろう。
しかし、当のシュアンゼ殿下は国王夫妻に我が子同然に育てられたこともあり、どちらかと言えば王弟夫妻とは敵対する姿勢を見せていた。
そんな姿もまた、王弟夫妻の不興を買ってしまった一因なのだろう。『出来損ないのくせに、邪魔をする役立たず』……そんな風に言われていたことを知っている。
気の毒だとは思う。生まれながらの障碍は彼のせいではない。
だが、それだけだ。僅かな同情を向ける者は居たかもしれないが、彼のために動こうとする者は居なかった。
運が悪かった、政敵に陥れられた、爵位に見合うだけの才覚がなかった……そんな理由で没落していく家とてあるのだから。
言い方は悪いが、『よくあること』なのである。
王族として生まれたにも拘らずそんな状況に陥ることは珍しいのかもしれない――最低限、政略結婚の駒としての使い道があるため――が、両陛下が実子のように可愛がっているので、悲劇の王子というわけでもないだろう。
華奢な体に優しげなその容姿もまた、シュアンゼ殿下を軽んじる要素になった。『良くも、悪くも、何もできない王子』と。
私自身そう思っていた。本人に接したことすらないのに、愚かにも。
彼の評価が激変したのは、王弟殿下達が断罪されたことが原因だ。
その断罪劇の最中に彼が見せた覚悟や言葉は、これまでの印象を変えるほどの威力を持っていたという。
勿論、その断罪劇はシュアンゼ殿下が主体ではない。状況を整えたのは異世界人の魔導師だったと聞いている。
元々はシュアンゼ殿下の足を治すため、テゼルト殿下がイルフェナに交渉し、魔導師を派遣してもらった……らしい。
そこでどこをどう間違ったのかは判らないが、王弟殿下達は魔導師に敵認定を受けたのだ。
どうやら、王弟殿下は魔導師の派遣を、国王派の力とするため……と解釈してしまったらしく。色々とくだらないことをした模様。
つまり、あの断罪劇はほぼ王弟殿下の自業自得ということなのだろう。
半ば、自滅に近い形での敗北だったのだ。
そもそも、何故、見知らぬ人物に喧嘩を売るのだろうか? 少なくとも、魔導師は王族の傍に居ることが許されるような状況だったというのに。
魔導師であったことは偶然だろうが、それにしたって『見知らぬ者』ならば、『他国の者』という可能性に想い至ると思うのだが……。
まあ、ともかく。それによって王弟夫妻は処罰を受け、彼らの派閥は崩壊するに至った。
私はその場に居たわけではないが、誰も魔導師の断罪に口を挟めなかったと聞いている。
派閥に属する者達も色々と遣らかしていたようなので、そういった意味でも戦々恐々とする日々なのだろう。いつ、魔導師の断罪が自分に向くか判らないのだから。
ただ、私にとってはそんな状況が有利に働いた。誰もが己のことで手一杯だからこそ、下位貴族、それも男爵家の当主問題なんて、誰も気にしない。
私達にとっては予想外の幸運である。
しかも、私のしていることを『正しく』理解しているらしい方に興味を持っていただけた。
まさか、ファクル公爵様に興味を持っていただけるとは……これを幸運以外の何と呼べばいいのだろう?
だが、そこからの展開はよく判らない。何故か、『シュアンゼ殿下を派遣し、事態の収束に当たっていただこう』なんてことになるのだろう?
勿論、それが有難いことには変わりない。変わりないのだが……そのシュアンゼ殿下は公務の経験もなく、こういったことも初の経験のはずで。
それが判らないファクル公爵様ではないというのに、あの時、彼は……酷く楽しげにこう言ったのだ。
『うむ、そなたの不安も判るぞ。まあ、実績は皆無な方であるからなぁ』
『だがな、あの方は聡明よ。実の親であろうと、国の害となるならば切り捨てる』
『そもそも、実の親より疎まれたのは【思い通りに動かぬ】という意思表示ゆえ』
『何より、魔導師の共犯者となれる方よ。無様な姿は見せぬであろう』
どこか楽しげに語るファクル公爵様の目には、シュアンゼ殿下への確かな信頼が見え隠れしていて。
だからこそ、私は素直に感謝する気になったのだと思う。気紛れでも面白がっているわけでもなく、ブレイカーズ男爵家のことも案じてくださったのだろう、と。
「……奥様、大丈夫ですか?」
「え? ……っ、え、ええ、大丈夫よ。少し考え込んでしまっただけ」
沈黙してしまった私に、先ほどの侍女が心配そうに声を掛けてくる。
自分も顔色が悪いというのに、私を……阿婆擦れと言われても仕方がないことをしている私を認めてくれている彼女の姿に、弱気な様は見せられないと背筋を伸ばした。
「……やはり、ファクル公爵様が勧められるだけはあるわね。傍仕えや子飼いらしい護衛だけでなく、ご友人らしいあのお二人も侮れないわ」
「……」
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。あの方達は『ブレイカーズ男爵家の問題を解決する』ということに関しては、きっちり仕事をしてくださるみたいだもの」
それが『シュアンゼ殿下の功績を作るため』であっても。
こちらが余計なことをしない限り、モーリスが当主となれるよう尽力してくださるに違いない。
「逆に言えば、余計なことをした場合が怖いわね」
溜息を吐きつつ先ほどの報告を思い出せば、侍女も同じ心境になったのか、顔を強張らせた。
「じょ……冗談ですよ、ね?」
「……いいえ。おそらく事実だと思うわ」
『私達は【ファクル公爵からの課題のために協力する】のであって、【ブレイカーズ男爵家のために行動するのではない】。ファクル公爵がどんな言い方をしたかは判らないけど、その認識で合ってるはずだよ』
立場が判らぬ女性が紡ぐ言葉は……『切り捨てる可能性がある』ということを暗に語っていて。
これ以上の助力を望むならば、自分達を利用しようとする『敵』として排除するのだと、明確に示していた!
先ほどの顔合わせの際、咄嗟に、それ以上の会話を思いとどまったのは英断だろう。余計なこと……いや、迂闊なことを言えば即座に、『彼女』は牙を剝いたに違いない。
高級娼婦としての経験上、こういった勘は当たるのだ。『言って良いこと・悪いこと』を即座に判断できなければ相手を不快にさせてしまうのだから、必然的に培われていく。
貴族や力のある商人が客だからこそ、娼婦の人生を歪めることなど容易い。先輩達からの助言もあり、怒らせることは怖かった。
シュアンゼ殿下達はきっと、この『怒らせてはいけない人』に該当する。
あの三人がその筆頭だが、他の人達も『面倒見が良いだけの人』ではあるまい。
「幸いにも、モーリスが当主となるまでは助力してくれるみたいね。欲をかかず、それだけを感謝しましょう。……他の人にも伝えてくれる? 彼らを利用するような真似はするなって」
「はい! ……正直なところ、私も少し怖かったのです。悪意はないように思えるのに、味方とも思えなくって」
「ある意味、それは正しいものね」
「それだけでなく……その、ミヅキさんとシュアンゼ殿下はこの状況を楽しんでいるように見えてしまって。普通ならば、怒るべきだと思うんです。モーリス様や私達にとって、この一件は人生を左右するようなものなのですから。だけど……」
「だけど?」
「何故でしょうか……あの言葉の数々が本心だと思えてしまって。そして、冷静になると、それも仕方ないと思えたんです。あの方達は本当に部外者ですし、これ以上甘えようと……利用しようとする自分に気付いて、落ち込みました」
それは彼女達が彼らから学ぼうとしたことも影響しているだろう。寧ろ、それを許し、快く付き合ってくれたのだから、私達に情けを掛けてくれていると言えなくもない。
「……助力してくださることは有難いわ。だけど、それがなくとも結果を出せるよう頑張りましょう」
「はい! そうですね、これまでだってやってこれたんです。もう少し……もう少し頑張らなければ」
決意を新たにする侍女に微笑み、頭の片隅で『客人達』のことを思い浮かべる。
侍女が『怖い』と感じたのも、無自覚の甘えを見透かした彼らなりの『警告』。
全てが上手くいきかけたからこそ出てしまった『欲』を感じ取ったからこそ、私達に改めて突き付けたのだろう……『我らは都合の良い道具などではない』と!
だからこそ、彼らが居なくとも遣り遂げられるようにしなければ。それを成し遂げた時がきっと……本当の意味で、私達が認められる時なのだろう。
やっぱり聞かれていた解説&舞台裏。
こっそり聞いていた侍女は当然慣れていないので、ガクブル。
その後、後妻の誘導によって、助っ人に甘えないよう決意。
ブレイカーズ男爵家のブレインにして保護者、後妻さん。




