『彼女』の覚悟 其の一
――ブレイカーズ男爵家の一室にて
「……」
言葉もなく、その人は固まっていた。『彼女』がそうなった理由は――
「やあ、お帰り。お邪魔してるよ」
帰宅した『彼女』を、本来ならばここに居るはずがない人間――シュアンゼ殿下が出迎えたからである。
これで物々しい警備とか、護衛の騎士達が居たならば、『彼女』は訝しく思いつつも、それなりに心の準備ができたことだろう。
……が。
私達は少人数でここに来た上に、護衛と言えるのは元傭兵の三人組だけ。
最初から同じ部屋に居るだけでなく、どう見ても騎士には見えないのである。まさか、王家の人間が滞在しているとは思うまい。
驚愕のあまり、うっかり『意図的に流した、噂通りの仮面』――所謂、男性関係が華やかな元娼婦、というやつ――が剥がれてしまっても、不思議はない。
そんな彼女の姿を、私達はどこか微笑ましく見守っている。
いや、マジでごめんねー? 驚いたでしょ?
あの爺さんのことだから、絶対、何も言っていないだろうし。
おそらくだが、『ブレイカーズ男爵家に助っ人を送った』程度のことしか言っていなかろうな、ファクル公爵は!
そうでなければ、どのような用事があろうとも速攻で帰って来るはずだもの。助っ人として派遣された王族を放置なんて、ありえないし。
なお、現在は悪乗りした灰色猫なシュアンゼ殿下からの『お誘い』(意訳)により、この一件には私とヴァイスも参戦中。
シュアンゼ殿下だけでも吃驚なのに、サロヴァーラの公爵子息様とイルフェナ在住の異世界人の魔導師まで揃っているのだから、倒れても不思議はない気がする。
まあ、私とヴァイスは未だ、『シュアンゼ殿下の友人』としか教えないけど。
切り札になるような驚きは、最後にとっておくものさ!
「……っ」
完全に予想外だったのか、『彼女』――後妻さんは未だに硬直中。そんな彼女を、ブレイカーズ男爵家の人々は気の毒そうに見つめている。
と、言うか。
彼らもすでに通った道なので、後妻さんのこの反応も予想できているのだろう。さり気なく後妻さんの背後に侍女が控えているのは、卒倒した時に支えるためと予想。
「そんなに驚かなくても」
「いや、普通は驚くでしょうが!」
「そうかなぁ? 王族とは言っても、私は影が薄いからね? それほど気にする必要はないと思うけど」
「ある意味では事実だけど、ここ男爵家。普通は王族なんて来ないでしょ」
こそこそと会話をする私達に、三人組は生温かい目を向けてくる。
「あんた達も自分の感覚がおかしいことを自覚しろよ」
「イクスさん、シュアンゼ殿下の場合は仕方がない気が」
「ロイの言いたいことも判るけどよ、殿下の場合は周りがおかしいだけで、この人の反応は真っ当だろうが」
以上、イクス、ロイ、カルドの順のお言葉である。……カルド君、どうやらシュアンゼ殿下の状況を随分と『正しく』認識できている模様。
……。
どうやら、相変わらずシュアンゼ殿下は貴族達に軽んじられているようだ。最低限の礼儀は踏まえているだろうけど、やはり、国王一家に対するものとは差があるのだろう。
シュアンゼ殿下やラフィークさんもそれは判っているだろうけど、今は仕方がないと割り切っている節がある。
と、言うか。実のところ、シュアンゼ殿下はそれを利用する気、満々だ。
その方が『色々と』(意訳)動きやすいので、暫くはそのままでもいいと思っているのだろう。
三人組よ、君達の上司は見た目に反してかなり強かだ。
傷つく振りをして、こっそり罠に嵌めるくらいはやってのける奴と知れ。
「ミヅキ、何か言いたいことでも?」
「……三人組が善良だなって」
「ああ、君は真っ黒だもんね?」
「黙らっしゃい、灰色猫!」
自分だけ良い子になるでない! お前、纏う色は白系統でも、腹の中は真っ黒な灰色猫じゃん! 白いの、見た目だけじゃん……!
ジトっとした目を向けると、にこやかに笑って返される。……反論する気はないようだ。自覚ありかよ、チッ! ダメージにならん。
「……お二人の遣り取りも、彼女を混乱させている一因のような気が致しますが」
「「あ」」
苦笑したラフィークさんの指摘に、揃って声を上げる。ちらっと後妻さんの方に視線を向けると、彼女は驚愕ゆえか、先ほどよりも更に一歩下がっていた。
「あ~……すまないね。彼女はミヅキ、こちらはヴァイス。二人とも私の友人だよ。丁度、私を訪ねて来てくれたから、手伝ってもらうことにしたんだ」
裏なんて欠片もありません……な表情で、さらっと嘘を混ぜるシュアンゼ殿下。なるほど、『最初から遊ぶつもりで誘った』のではなく、そういう風にするわけね?
勿論、お付き合いしますとも! 私も、ヴァイスも、そういったことには比較的慣れているので、困惑なんて表に出さず合わせますよ!
「私はミヅキ。魔法関連の対策として同行してるよ」
「ヴァイスだ。シュアンゼ殿下とは個人的な友人であり、今回は完全に私用扱いだ。よって、家名を名乗ることは控えさせてもらおう」
「そ、そうですか」
名乗りつつ、『シュアンゼ殿下のお友達として付いて来ただけです!』とアピールすると、後妻さんの表情が少しだけ和らいだ。
おそらくだが、私達の立場を魔術師や騎士として捉えたのだろう。シュアンゼ殿下は未だに足が不自由なので、気安い友人にサポートを依頼したように見えるだろうしね。
そう、サポート。そう思うのは『ある意味では』正しいのですよ……。
たとえ、ちょっとばかり普通ではないことが起こったとしても。
私やヴァイスの保護者(※ヴァイスの場合は女狐様)が無視できない存在だとしても。
全て、『些細なこと』なのです! 私達は保護者公認でお友達の所に遊びに来ただけ! ですからねっ!
……何てことを、馬鹿正直に言うわけにはいかないので。
『今は』貴方達の勝手な思い込みのままにしておいてください。黙っているのはこちら側なので、気にしなくていいですよ。
そんな私達の姿に何を思ったのか、後妻さんの表情が微笑ましげなものを見る目に変わった。
「随分と仲が宜しいのね」
「……ああ、仲良くしてもらっているよ」
そう返すシュアンゼ殿下に、私は笑みを深めることで同意を。
ええ、仲良しですよね。手に手を取ってアホ貴族どもに反撃したり、王弟夫妻を追い落すくらいに仲良しだと自負していますとも。
ヴァイスとて、サロヴァーラ貴族達の猛攻(笑)を共に耐えた過去がある。
端から見れば『魔導師に巻き込まれた不幸な騎士』だろうとも、我らの間では『共に抗った戦友』さ。
……。
そういうことにしておいてくれ。多分、魔王様や騎士寮面子の認識は違うような気がするけど。
「さて、本題に入ろうか。……貴女の行動はファクル公爵の興味を引き、その関係で私達はここに来た。そこまではいいかな?」
「……ええ。予想以上のことが起きて未だ、混乱しておりますけど」
仕切り直して話し始めたシュアンゼ殿下に、後妻さんや周囲に居た人達の表情が変わる。
彼女達はこの家のために行動してきた人達なので、その話題に関しては恐ろしく真剣だ。
「今はそれでいいよ。ただね、勘違いしないで欲しいのだけど。私達はあくまでも『モーリスが当主になるために助力する』のであって、それ以降のことは関与しない。判りやすく言うなら、『私達の滞在中のことは対処してあげるけど、今後を見据えているなら、自分達が困難を乗り越える力を身に付けなければならない』ということだね」
優しげな表情とは裏腹に、厳しい言葉を告げるシュアンゼ殿下。しかし、これは必要なことなのだ。
ブレイカーズ男爵家はシュアンゼ殿下の子飼いでも、庇護対象でもない。ここに居るのは、『ファクル公爵の働きがあってこそ』。
そのファクル公爵を動かしたのは後妻さんなので、ある意味では彼女の功績だ。ただ、逆に言えば、『それだけ』とも言える。他力本願というか。
「幸いにも、ここ一年でモーリスも目が覚めたようだ。優先すべきものが『家』ということも理解できている。それを踏まえて、貴女に問いたい」
そこまで言うと、シュアンゼ殿下は後妻さんに探るような目を向けた。
「貴女が優先すべきものは……最優先にしたいものは『何』かな? それによって、こちらもやり方が変わってくるのだけど」
シュアンゼ殿下の問いに、後妻さんは軽く目を見開き。暫く迷っているような表情をした後、ぎゅっと目を閉じて……次にシュアンゼ殿下と向き合った彼女は、覚悟を決めたようだった。
「私は……私が最優先にしたいものは……」
この一件の発端にしてMVPな後妻さん登場。
帰宅した直後に灰色猫の洗礼を受け、実はちょっと気絶しかけた。
しかし、それが普通の反応。貴族達の灰色猫への扱いがおかしかっただけ。
勿論、灰色猫は大人しくないので、ばっちり弱みは握っていたり。
※活動報告に魔導師33巻のお知らせがあります。




