決意の言葉と決別の予感
――シュアンゼ達が去った後の部屋にて(モーリス視点)
予想外だった襲撃も、シュアンゼ殿下達が対処してくれて。
襲撃犯達は彼らに引き摺られ、別室へと連れられて行った。今後、尋問なり、交渉なりをするつもりなのだろう。
そこまでを認識し、漸く、一息吐く。緊張が解けた途端、今更ながらに震えが来た。
『自分達のせいで迷惑を掛けてはいけない!』という想いのみで行動したとはいえ、僕は荒事に慣れてはいない。
はっきり言ってしまえば……怖かったのだ。ミヅキさん達は平然としていたけれど、先ほどのことは紛れもなく『命の危機』だったのだから。
「……宜しかったのですか」
家令が複雑そうな表情のまま問い掛けて来る。
「『妹を切り捨てる』と……その覚悟があると、あの方達の前で口にしてしまって」
「……」
家令の言いたいことは判っている。そして、彼が僕達兄妹を案じてくれていることも疑ってはいない。
それでも……それでも、僕には先ほどの言葉を取り消そうという気持ちはなかった。
「そうだね、後悔はするだろう。だけど、それ以上に……僕自身に対しての情けなさの方が強いかな」
「それは……」
「だって、そうだろう? 僕が最初から次期当主となる自覚を持ち、本当の意味で努力していたら……他の道だって選べたはずなんだ」
どれほど優しい言葉で取り繕ったところで、それは事実なのだ。その道を閉ざしてしまったのは、僕自身の未熟さと甘ったれた考えゆえ。
「あの子が僕の説得に応じないのも、当然の結果だろうね。だって、僕自身、ほんの一年程度前まではあの子と同じだったんだから。いや、寧ろ、今の僕のことを裏切り者とすら思っていても不思議はない。義母に対しての考え方を変えてしまったのだから」
妹の反発はある意味、当然とも言えた。自分の味方だったはずの兄が突然、考え方を変え、説教めいたことを言って来るのだから。
「説得力がないことは判っていた。反発も仕方ないと思っていた。だけど……ほんの少しだけでもいいから、考えてみて欲しかったんだ。自分の将来にも関係があることなのだから」
「……」
僕の言葉を、家令は黙って聞いている。それはまるで、僕に言葉を吐き出させてやりたいという、気遣いの様に思えてしまって。
情けないと思いつつも、僕は言葉を続けてしまっていた。いや、きっと誰かに聞いて欲しかったのだ。
「あの子が少しでも自分の将来を真面目に考えていたら。この家がなくなったり、乗っ取られた場合のことを考えたりしていたならば。……状況の拙さに気付けたはずなんだ。それだけじゃない、自分に何ができるかを考えることだってできたはず」
だけど、妹は考えを変えた僕を批難するばかりで。
どこまでも子供じみたその考えに、僕は失望を隠せなかった。
「僕はこの家を失くしたくはないし、父上の跡を継ぎたいと思っている。だけど、それは僕一人で成し遂げられることではないし、何もせずにやって来る未来でもない。妹とて当事者の一人だというのに、それがまるで判っていないんだ」
気付いた時は自分勝手にも憤り、そして……それが『ほんの少し前の自分と同じ』だと気付いた時には茫然とした。
だからこそ、理解できてしまった。
家令や使用人達が僕に何も告げないのは当たり前だったのだと。
『当主になる』という夢を語るくせに、自分では何もしようとしない『子供』。そんな輩に、どうして義母の真実など話せるだろう?
下手をすれば、迂闊に誰かへと情報を漏らし、義母の計画を潰しかねないじゃないか。あの人は……何も言わずに、僕が当主になれるよう尽力してくれているというのに。
「僕がすんなり当主になれたとしても、妹の縁談を用意できるほどの伝手はない。考えずとも判るだろうに、あの子はそれを責めるんだろうな」
「……」
苦り切った顔で、家令は俯く。その可能性が高いと、家令も理解できているのだろう。
しかし、成人したばかり、当主になったばかりの僕に一体、どんな良縁が結べるというのだろう? 精々が、学園の友人達に打診する程度だろう。
「縁を結ぶ旨みのない男爵家、頼りない当主……あの子が自分の価値を高めて誰かの目に留まらない限り、良縁はないだろうね。そこに気付いて、学生でいる間に、自分で相手を探すべきなんだ。きっと、それが一番確実な方法だろう」
通常、縁談は親が決めて来る。もしくは、他家から申し込まれる。
だが、そのどちらも我が家にはないだろう。それを妹は『ふしだらな義母のせい』ということにし、自己を顧みることはない気がした。
「一応、あの子にはまだ少しだけど時間がある。だから、良い嫁ぎ先を見付けたければ、自分で頑張るしかない。今回のことが落ち着いたら、僕はあの子に家の状況と共に、そう告げるよ」
必要に迫られない限り妹の名を口にしないのは、僕なりの決意の表れ。決別する覚悟すらあると言ったくせに、それが揺らいでしまいそうだから。
だけど、不幸になって欲しいわけじゃないんだ。だから、僕だってできる限りのことはするつもりだし、あの子にだって頑張ってもらいたい。
「僕は家を選ぶ。妹であるあの子を切り捨てても、そのことを批難されても、このブレイカーズ男爵家を選ぶよ」
「……。それでしたら、私どもも誠心誠意、お仕えいたしましょう。それが貴方様の覚悟に対する、我らの誠意なのですから」
「ありがとう。……その忠誠に精一杯応えたいと思う」
力強く頷くと、家令や傍で話を聞いていた使用人達が深々と頭を下げた。
きっと、これが僕の当主への道の第一歩。ずっと家を守り続けてくれた者達に対する誠意が、情けない僕の背を押す力となる。
『お兄様!』
今よりもずっと幼い妹が、僕を慕ってくれたその姿が、不意に脳裏を過った。
けれど、僕の決意は変わらない。その声に、懐かしい思い出に惑わされることは……ない。
だから、暫くは遠い昔の家族の思い出に蓋をする。どれほど胸が痛んでも、僕はもう決めてしまったのだから。
……これが時間を無駄にしてきた僕達への罰なのだろう。どのような未来が待っていたとしても、僕はこの胸の痛みを糧にしていきたい。
※※※※※※※※
――後日、イルフェナにて(エルシュオン視点)
「へぇ……少しはまともになったみたいだね」
ミヅキからの手紙――報告書ではなく、あくまでも『手紙』である――に目を通し、私は口角を吊り上げた。
「おや、もしや先日の一件ですか?」
「ああ。どうやら、若き当主は妹を切り捨てる覚悟があるようだよ」
「おやおや……実行できると良いな」
問い掛けてきたアルに言葉を返すと、それを聞いていたクラウスがどこか面白そうに口にする。
その言葉が辛辣と言うか、全く信じていないように聞こえるのは、私の気のせいではないだろう。アルとて、苦笑している。
「君達、全く信じてないね?」
少しだけ呆れながら問い掛けると、二人は顔を見合わせ――
「信じるだけの要素がありませんから」
「甘ったれた子供の覚悟など、どれほどの重みがあると言うんだ」
「容赦がない言葉だね」
揃って言い切られた。対する私とて、ミヅキの手紙をそのまま信じてなどいない。
だって、ミヅキは『己が見聞きしたものだけ』を書いたのであって、ミヅキ自身の考察は含まれていないじゃないか。
アル達を『容赦がない』と言ったが、それは彼らが厳しい現実を知っているからだろう。
『覚悟』だけでどうにかなるなら、イルフェナで没落する家はない。
必要なのは『言葉』ではなく、『実績』なのだから。
そもそも、ミヅキ達とて彼の言葉を信じているか怪しい。
ミヅキにしろ、シュアンゼ殿下にしろ、ヴァイス殿にしろ、生温い生き方などしていないのだから。
……いや、少し違うか。
そんな生き方なんてしていれば、今頃は生きていまい。其々が異なるとはいえ、あの三人が置かれた状況とは、そういったものだった。
特にミヅキは『飼い殺される』という選択肢を最初からすっ飛ばした――私の下に来た時は既に、魔導師となっていたため――ので、同情なんてしないだろう。
あの子は魔導師と名乗っている以上、無能であることを許されない。
イルフェナ所属ということも含め、周囲がそれを認めまい。
……まあ、『大人しくしていろ』と言ったところで無駄だったので、ミヅキの人生に『温い生き方』なんてものは存在しないのかもしれないが。
ミヅキに欠片でも自己愛や保身なんてものがあったならば、災厄呼ばわりは避けられたかもしれないね。
そんなものは儚き夢でしかないけれど。
野良本能全開の馬鹿猫だからね、うちの子。
「と……とりあえずは様子見……ってことじゃないかな。そもそも、シュアンゼ殿下がファクル公爵から頼まれたのは『男爵家のこと』であって、そこに住む者達のことではないのだから」
ミヅキの所業を思い出し、遠い目になりかけた私は、慌てて話を元に戻す。
今は彼の男爵家のことを話している最中であり、お馬鹿な黒猫を思い出している場合ではない。
「ふむ、それでは『とりあえず当主に就任させればいい』ということなのか?」
「多分ね。だって、あのファクル公爵が延々と面倒を見させると思うかい?」
「……。ないでしょうね。あの方は少々、状況を面白がって暗躍することがありますが……甘やかすことはしないでしょう」
「だよねぇ」
アルの言葉に、大いに頷く。そんな優しさあふれる人物ならば、シュアンゼ殿下にこんなことなどさせないだろう。
つまり、ブレイカーズ男爵家は新たな当主の就任が『終わり』ではない。そこからが『始まり』なのだ。
まあ、両親を亡くしていることには同情するが、当主となることを目標にしている以上、それも『よくある困難の一つ』でしかない。
もっと困難な状況に置かれる者も居るだろうし、我が国に至っては『功績で爵位を得ても、その後、三代続いて何の功績もなければ爵位を失う』という法がある。
ゆえに、爵位を剥奪されたくない者達は足掻くのだ。それを知っていれば、この案件も大して難しいものには思えなかった。
「まあ、今後の頑張り次第だろうね。何かあれば、ミヅキが伝えてくるだろうし」
「期待せずに報告を待っていよう」
「まあまあ、クラウス。どれほど足掻いてくれるか、楽しみにしていましょう」
クラウスを宥めるアルとて、大して期待はしていないのだろう。ただ、ミヅキやシュアンゼ殿下が徹底的に教育を施す可能性もあるので、可能性がないわけではない。
そう、教育を施す可能性がないわけではないんだよね……。
……。
その場合は、人格改造にまでいかないことを願うばかりだ。
頼むから、明らかな犯罪行為だけは止めてくれ。
「ああ、そうだ。これをクラレンスに渡してほしいってさ」
一緒に送られてきた封筒に、二人の視線が集中する。
「義兄上に、ですか?」
「……うん」
訝しげなアルに言葉を返すも、私とて嫌な予感しかしない。
「何でも、サロヴァーラで罪人相手に魔道具を使った時の報告書、と書いてある」
そう告げた途端、二人の表情が一気に綻んだ。
「ああ! あれを使ってみたのか!」
「義兄上も導入を検討していましたし、実例があるのは助かりますね」
「……。一応、聞いておくけど……何に使う気なのかな?」
先ほどとは打って変わって楽しそうな二人にドン引きしつつも尋ねると、二人は上機嫌のまま答えてくれる。
「拘束された罪人への実用化が期待されている、悪夢を見る魔道具についてだな」
「尋問しても粘る人は居ますし、この世界にオカルト文化がないせいか、これを使うと意外と簡単に口を割るようになるんですよね」
「いや、それって、ミヅキが元の世界で好んでいた『ホラー』とかいう怖い経験じゃ……」
「義兄上も大絶賛でしたから、問題ありませんよ。怪我もしませんし」
「無駄な時間を取られずに済むからな」
「……」
『近衛の鬼畜』と言われているクラレンスが大絶賛……いや、確かに、無駄な時間を取られることが減るのは良いことなのだろうけど。
……。
……。
本当に大丈夫なのか、それは。
情けないながらに、きちんと覚悟を決めていたモーリス。
使用人達も漸く、モーリスに付いて行く覚悟をした模様。
そして、相変わらず辛辣なイルフェナ勢。
自国のこともあり、そう簡単に信じてくれません。
当然、興味は魔道具>(越えられない壁)>モーリス。




