野心家、傍観者、そして鬼教官
――とある貴族の館にて
「いいか、今回は脅す程度で構わん。重要なのは『狙われている』という意識を持たせることと、依頼主を悟らせないことだ」
「ああ、判っている」
いらいらとしながら指示を出す男に、相対した男は半ば呆れながらも返事をした。
苛立っている男が貴族であるのに対し、返事をした方はどうにも粗野な雰囲気が漂う。第三者から見て、かなり奇妙な組み合わせであった。
……『通常』ならば。
所謂『権力者』という者は、どうしても仄暗い部分がある。結果を重視する故に、綺麗事ばかりを言っていられないからだ。
……が、前述した二人の場合は明らかに『ヤバいお話』であり、彼らがこれからやろうとしていることは犯罪行為なのである。
「まったく……余計な手間を掛けさせおって!」
苛立たしげに呟く貴族の男に、依頼を受けた男はひっそりと溜息を吐く。仕事を依頼された身ではあるが、彼もまた多くの部下を持つ者。ぶっちゃけ、目の前の貴族に呆れ果てていた。
話を聞く限り、子供の懐柔に失敗したのは男が愚かだったせいであろう。子供の成長は早いので、幼い頃のまま、従順であるはずがないじゃないか。
第一、貴族の義務として学園に通っているならば、様々な情報を得る機会に恵まれているはず。
そんな状況になれば、子供とて大人の企みに気付くだろう。今回のことは完全に男の自業自得であり、子供の成長を見誤ったゆえの失敗なのだ。
それでも大事な依頼人であることは変わらないので、プロである男も余計なことは言わないが。
『仕事』という接点を除けば、彼らは全くの他人同士。しかも、選民意識に溢れるお貴族様にとって裏社会の人間など、『利用してやる』という意識が強い。
信頼関係など、皆無であった。
繋がりは『仕事』と『報酬』。それだけである。
ここで彼らに信頼関係があったならば、裏社会の男は多少なりとも助言してくれたのかもしれない。
こう言っては何だが、裏社会は中々に厳しい世界であるため、その中で組織を率いるような輩は、それなりに情勢を読む術が長けている。
そういった要素も成り上がるためには必要な才能なので、時には『手を引く』と言う選択を取ることもあった。臆病ではなく、それは『必要な撤退』。
危ない橋を渡る以上、当然、危険は覚悟の上。それでも仕事を受けるのは、釣り合う旨みがある場合のみ。
危険と常に隣り合わせゆえに、己に対する過剰な自信や驕りは身を滅ぼすと知っているのだ。
そんな一人であるこの男もまた、時には手を引くことも必要だと理解できている。そもそも、今は時期が悪い。
王弟夫妻の所業が明らかになり、結果として、彼らの派閥は崩壊した。
ゆえに……『今は多くの貴族達が探り合っている状態』。
派閥のトップが拘束されようとも、彼らはその身分を未だに失ってはいないのだ。そして、罪に問われたのはほぼ王弟夫妻のみ。
派閥に属していた高位貴族を新たな頂点として派閥を形成するのか、それとも国王派に膝を折るのか。貴族……特に王弟の派閥に属していた者は己が立場を確保すべく、慎重に動いている。
家の今後を左右する時だからこそ、他家に関わっている場合ではない。
だが、依頼主たる男はそんなことにも気付いていなかった。
『襲撃』や『脅迫』といった仕事だけでなく、情報収集も重要なのだ。貴族ではないが当然、裏社会の男はそれに気が付いていた。
だからこそ……この依頼主に呆れている。『貴族のくせに、そんなことも判らないのか』と!
「いいか、失敗は許さん」
「……」
一つ頷き、静かに依頼を受けた男は部屋を出ていく。背を向けていた依頼主はその姿に満足すると、新しい酒をグラスに注いだ。
……が。
この時、彼らが話をしていた部屋の外には、『とある人物の手の者』が潜んでおり。
その人物は室内で行なわれた会話を、即座に彼の主へと伝えたのだった。
「やっぱり、愚かなことをするのですね……父上」
使用人の大半は現当主に不安を感じており、中にはすでに次代を見据えて『主』を当主の息子に変えた者も居る。
だからこそ、彼はこの館で父親たる現当主が行なう企み――と言うにはお粗末なもの――を即座に知ることができていた。
「しかし、依頼を受けた者も私の存在に気が付いていたようですが……」
「彼にとっても、父の価値など『その程度』なんだろうね」
「ああ、なるほど」
納得したように頷く『配下』に微笑みつつも、彼は内心、父親へと見切りをつけていた。
そもそも、仕事を依頼した者からさえも軽んじられている節がある。あれではこちらの情報を取引材料にされる可能性もあるだろう、と。
そう思うと同時に、今回のことが父親を切り捨てる決定打になるとも彼は思っていた。
あれほど言ったのに、軽率な行動を取るのだ。
そのような愚か者など、今後は不要であるというのに。
「……同じ派閥の者からの助力を期待できない以上、諦めるべきだったんですよ」
届かない呟きは、父親への呆れ。
以前の様に王弟の派閥が健在であったならば、派閥に属する家が増えるということもあって、爵位が上の者達の助力が得られたかもしれない。
しかし、今はどの家もそんな余裕などなく、彼の父親の企みは自分だけで成さねばならなくなってしまった。
その時点で、諦めるべきだったのだ。そもそも、懐柔しそこなった『あの子』はともかく、彼の男爵家の使用人達の結束は固いので、これまで突き崩せなかった以上、下手なことをすべきではない。
「『あの子』も動いているみたいだし、今回の一件は向こうにとっても切っ掛けになりそうだね」
「宜しいのですか? こちらもそれなりに傷を負うことになると思いますが」
「もう父上は行動してしまったからね。……こちらも一人の当主の愚かさに巻き込まれるわけにはいかない。だから、私は『関わらない』。父とは違うと、証明しなければならないから」
現当主の愚かな行動だけでなく、彼が父親を当主の座から追い落すこともまた、この家の醜聞となるに違いない。
だが、それでも息子である彼自身が内部告発を行なうことによって、世間には良い印象を与えることができる。それも事実なのだ。
「さあ、お手並み拝見。最初の試練を乗り切れるかな?」
どこか楽しげに従兄弟達の奮闘を期待しつつ、彼は従兄弟達へと思いを馳せた。
※※※※※※※※
――ブレイカーズ男爵家にて
「……」
「ミヅキ、さっきから何を読んでいるんだい?」
無言で送られてきた手紙を読んでいたミヅキに、シュアンゼが問いかけた。
イルフェナにはすでに事情を説明してあるため、転移法陣を使って送られて来た『手紙』がただの文面であるはずもない。
シュアンゼはそれを理解しているため、問いかけたのだ。『何か気になる情報でもあったのか』という、真意を込めて。
「んー……何かね、数日以内に襲撃があるみたい」
「へぇ? それはまた、随分と絞り込まれているね?」
『襲撃がある』ならばともかく、『数日以内に襲撃がある』とは随分と正確な情報だ。
シュアンゼとしてはそこが気になったのだが、即座に『そういや、最初からこの家のことを伝えていたんだった』と思い出す。
ブレイカーズ男爵家を調べれば当然、狙っている輩にも辿り着く。
まして、その調査を依頼をしたのはイルフェナの黒騎士達。
ミヅキ的には『騎士寮面子』『職人』程度の認識をされている人々だが、彼らはちょっとばかり普通ではない人達なのである。
良く言えば『天才』と言えるのだろうが、『天才と何とかは紙一重』を地で行く皆様でもあるため、褒められるよりも恐れられることが多い。
なお、ミヅキはそんな騎士寮面子から期待の新人扱いをされている。
ミヅキも彼らの同類なのだ。魔王殿下の傍には災厄レベルの生き物が一杯。
「まあ、ブレイカーズ男爵家のことを伝えていた以上、ある程度は絞り込める状態だったんでしょうね。そこに加えて、王弟の派閥の崩壊。残ったのは、『優しい血縁者』だけってことじゃない?」
「だろうねぇ。今はどこの家もどう動くことが最善か探っている状態だろうし、私の立ち位置も曖昧だ。この状況において他家のことに構っている暇はないと思うよ」
「普通はそう考えるだろうね」
つまり、『この状況で動く=愚か者』。
言葉にせずとも、二人の認識は見事に一致している。なお、この二人は馬鹿が嫌いなので、自分達が関わらなければ、放置した挙句に記憶の彼方……という事態もありえたり。
「しかし、襲撃は予想されていました。魔導師殿は一体、何を考え込んでいたのですか?」
二人の話を聞いていたヴァイスも参戦してくる。彼としては予想されていた襲撃であったため、ミヅキが考え込んでいることが不思議だったのだろう。
それはシュアンゼも同じらしく、視線でミヅキに答えを促してくる。……どこか楽しそうなのはご愛敬。
「いやさー、折角の襲撃じゃない? だったら、どう襲ってもらうのが一番危機感を抱かせるかなって」
「ああ、そういうこと」
「なるほど。確かに、今後があるかは判りませんし、貴重な機会かもしれませんね」
「いや、アンタ達も何を納得してんだよ!?」
納得の表情で頷く二人に対し、傍に居たカルドが盛大に突っ込んだ。
傭兵を生業としていたカルドとしては、『襲われないようにする』とか『襲われても、どう守るか』といった方向性で考えることが当然だ。
しかし、この鬼教官殿――カルド達三人はミヅキに鍛えられた過去を持つため、呼び名は未だに『教官』だ――はそれを利用し、この家の住人達に危機感を植え付けたいという。
しかも、残る二人もそれを否定せず、良い機会のように話していた。
善人とは言わないが、基本的にあの三人組は面倒見が良い。
一般的な良心を持つカルド君としては、見過ごせなかったのだろう。
……が。
彼が教官と呼ぶ魔導師はにこやかに微笑むと、獲物を狙う猫のように目を細めた。
「この程度、返り討ちにすることは容易い。だけど、それじゃ意味がないのよ」
「あ?」
意味が判らん! とばかりに首を傾げるカルドに、シュアンゼが笑いながら補足する。
「脅しの意味合いが強い襲撃なんだろう。確かに、『私達にとっては』この程度の襲撃は今更だし、何でもないだろうね」
「でもよ……この家って、私的に雇っている護衛とかいないだろ」
「そうだよ。だから、私達は良い機会だと思うんだ。『私達が居るならほぼ確実に守られるけど、危機感だけはしっかり植え付けられる』からね」
ブレイカーズ男爵家の使用人達とて、これまでこの家を守ってきた。だが、それは言葉での遣り取りであって、明確な被害が出る襲撃とは別物だ。
何事もないならば問題なかろうが、ミヅキにもたらされた情報は『数日以内に襲撃がある』というもの。
それは今後、この家の乗っ取りやモーリスの懐柔を諦めない者達からの『攻撃』があることを意味していた。
「魔導師殿はそういった事態に慣れさせようとしているのだ。新米の騎士とて、襲撃に慣れないうちは戸惑い、パニックを起こす者も居る。だが、この家には守ってくれるような存在がない。ゆえに、この家の住人達は冷静に対処することを学ばなければならない」
ヴァイスが冷静に諭すと、さすがにカルドも納得しかけ……ふと首を傾げる。
「この家の奴らって、迎撃手段持ってるのか?」
「ううん。多分、『ない』!」
「な!?」
「だけど、それでも何とかしなきゃならない状況なの。だから、『今、ここに居る私達を利用する』っていうのがヒント」
「ミヅキは今回だけは守ってくれるつもりなんだよ。だから、今後をどうするか、どうやって凌ぐかってことは、この家の住人達が解決すべき課題なんだ」
「幸い、この家にはシュアンゼ殿下や魔導師殿、そして私が居る。王族であるシュアンゼ殿下は勿論だが、『私や魔導師殿が他国の人間』という情報を魔導師殿はモーリスに与えているだろう?」
「それを踏まえて、私達と交渉するのが今回の課題ってわけ。ま、危機感を根付かせて、今後の襲撃に対する術を考えて、私達と交渉する……っていう、三段構えのイベントだね」
次々に話すミヅキ達に、その内容に、カルドの顔が盛大に引き攣った。
「悪魔か、あんたら……! この鬼教官ども、素人相手に何を画策してやがるんだ!?」
「私達は永遠のお守じゃないの。期間限定。成長の時は今しかなかろうが」
「自分達を基準に考えるんじゃねぇ!」
――そんなカルドの叫びも空しく、数日後、襲撃という名のイベントは発動する。
愚か者は変わらない。しかし、傍観者は冷静です。
そして、鬼教官のスパルタ教育開始。
襲撃犯は素敵な教材。




