其々の夜
――とある貴族の館の一室にて
「まったく、今になって遣る気を出すとは……!」
苛立ちを隠そうともせず、男は酒を呷る。
「優しい言葉で懐かせ、『頼りになる親族』を演じてきたというのに、無駄でしたね」
「煩い! まだ失敗してはおらん!」
「はいはい……まあ、僕としてはどちらでも良いんですけど」
「お前、それでも私の息子か!」
「危険を冒して男爵家を狙わずとも、やっていける程度の器用さは持ち合わせているので」
青年は肩を竦め、憤る父親を前にしても全く臆した様子はない。
その理由として考えられるのが、青年自身の言葉――『危険を冒して男爵家を狙わずとも、やっていける程度の器用さは持ち合わせている』というもの――なのだろう。
それは父親の方も判っているのか、悔しそうにしながらも反論はしなかった。
情けないことだが、この父親は家を盛り立てる才に乏しい。はっきり言ってしまえば、息子が優秀でなかった場合、没落一直線だったと言えよう。
「そもそも、僕は手を引くべきだと言いましたよね?」
口調をどこか厳しいものに変え、青年は父親を見据えた。
「く……」
「父上は初手を誤った。本当にあの男爵家を手に入れたいならば、懐柔すべきは男爵夫人の方だった」
「しかし、あれは元娼婦で……」
「高級娼婦、ですよ。しかも、没落した家のご令嬢。……学がなく、それしか生きる術がなかった庶民とは違う。彼女は『生きるために覚悟を決めた者』だ。肝の据わり方が違うんですよ」
――貴方よりも、ね。
実のところ、この青年。己の父親に心底、呆れているのであった。
青年の父親は生まれも育ちも下位貴族であるせいか、自身にろくな功績などないにも拘らず、やたらと自尊心が高い。
いや、『貴族であること』しか取り柄らしきものがないので、自分より下と判断した者を見下す傾向にあるのだ。
……が。
貴族だからこそ、民間人の働きを必要とするものなのである。ぶっちゃけ、『お世話をしてもらう側』なのだから。
貧乏貴族ならばともかく、身の回りのことをする使用人が居る。
領地を支えるのは領民であり、主な収入源は彼らからの税。
口にする物や、身に着ける物を作っているのは職人や業者であり。
何より、それらを家にもたらしてくれるのは、民間人である商人達。
怒らせれば、生活の破綻待ったなし!
弱小貴族の生活なんて、そんなもの。
「今からでも遅くはありません。本当に『優しい親族』を目指したらどうですか?」
「く……お前は何も判っておらん! あの頼りない小僧に任せるより、私が纏めて管理してやった方が上手くいく!」
「ただの家の乗っ取りというか、裏で操るというだけじゃないですか。多分ですが、あの子はもう騙されてくれませんよ。頼もしい使用人達だっているのだから」
「煩い! 協力する気がないなら、お前は黙って見ているがいい!」
そう言うなり、憤りのままに足音を響かせ、男は部屋を出ていった。対して、青年は隠そうともせず呆れた目を向ける。
「……それが可能な当主ならば、今頃、我が家はもっと栄えているでしょうが」
はっきり言って、彼の父親に亡き男爵のような才はない。生前の男爵に対し、父親が劣等感を持っていたことも、青年は知っていた。
そこで父親と同類に育つようなら、この家は危なかったかもしれない。
同類にならなかったのは偏に、危機感を覚えた母親が己の父――青年の祖父――に相談し、『遊びに行く』と称して実家に向かわせ、教育してもらったからである。
没落するのは『家』なのだ……つまり、全員が一蓮托生となる。
妻が己の夫に危機感を覚えたとしても、何の不思議もない。まして、跡取りである我が子が居るならば、尚更に。
結果として、青年は父親と同類にはならず、それなりに優秀な子に育った。現在では、当主である父親の仕事を手伝いつつ、迂闊なことをしないよう見張る日々である。
危険を冒す必要はない。
今ならば野心を隠し、『親切な親族だった』ということにできる。
賢い青年は男爵夫人の活躍を察し、そう提案したのであった。家が下位貴族――男爵家である――だからこそ、危ない橋は渡るまい。
父親は男爵夫人のことをただの阿婆擦れだと思っているようだが、青年は彼女を『正しく』評価しているつもりだった。
家を没落させないため、そして事業のために重要となるのは『様々な情報』。
それらを手にし、自分より格上の貴族達を手玉に取る女が、ただの阿婆擦れのはずはない。
父親は彼女の立場やその行動から軽視することを止めなかったが、青年は彼女を『何の後ろ盾もない個人』として見ていた。
その結果、彼女の行動は決して無視できないものだと判断したのだ。
杞憂ならば、何の問題もない。
しかし、懸念が事実だった場合、破滅するのはこちら側。
「父上……僕は警告はしました。だから、もしも貴方が野心のままに行動して失敗した時は、遠慮なく切り捨てさせていただきます」
誰に向けるともなく呟く青年の表情は、薄らと笑みを浮かべているというのに、酷く冷たい。
しかし、それが貴族として正しい判断なのだろう。守るべくは『個人』ではなく『家』なのだから。
いくら当主であろうとも、一人の愚か者の野心に巻き込まれることだけは避けねばなるまい。
「さて、どうなるか」
どこか楽しげに青年は呟く。彼の従兄弟にあたる少年がどこまで足掻き、当主となってみせるのか……それにほんの少しだけ期待しながら。
……が。
そんな賢い青年ですら、予想不可能なことはあるもので。
最強義母様がとんでもない縁を築き、誰が聞いても吃驚な人々が、彼の男爵家の当主就任問題のために動いているとは、予想できなかったのである……!
後に、青年はこう語る。『何事も最悪の事態を想定して動くことは重要だ』と。
※※※※※※※※
――一方その頃、ブレイカーズ男爵家では。
「お邪魔しまーす♪」
「世話になるよ」
「滞在を許可していただき、感謝する」
「こちら、主様のお立場を証明するものです。お受け取りください」
その『誰が聞いても吃驚な人々』+αがブレイカーズ男爵家を訪れていた。
「……」
当たり前だが、明かされた彼らの立場に家令を筆頭に使用人達は固まった。先触れもなく突撃されたことは勿論だが、第二王子が来るなど超予想外。
しかも、シュアンゼには側仕えらしい人物が一人と護衛らしき者達が三人だけ。しかも、騎士ではない。
何より、奇妙なのは残りの男女二人だった。気安い態度から見ても、残る二人は友人か何かと思われるのだが……ブレイカーズ男爵家の使用人達には判断ができない。
「あ、あの、その、大変申し訳ないのですが、当家では大したおもてなしができないかと……」
代表するかのような家令の言葉に、彼らを混乱に陥らせた王子様はにこやかに笑う。
「ああ、気にしなくていい。動きを悟らせないために先触れを出さなかったこちらが悪いのだし、そもそも客としての滞在が目的ではないからね。最低限で十分さ」
「は、はぁ?」
困惑を露にする家令に、王子様は更なる爆弾を投下。
「男爵夫人の働きを評価したファクル公爵からの『お願い』でね? 私がこの家の当主の面倒を見ることになったんだ。その一環だよ」
『え゛』
あまりの事態に、家令達は今度こそ言葉を失う。確かに『シュアンゼ殿下と会う機会があり、厳しい言葉を掛けられた』とは聞いていたが、まさか、本人が来るとは思うまい。
そもそも、ガニアに於けるシュアンゼは『足が悪く、表舞台に全く出て来なかった第二王子』というもの。
それも最近のものであり、以前は『王位を狙う王弟の一人息子』という肩書きであった。当然、その姿を知る者も少ない。
彼らの驚きをよそに、シュアンゼは楽しそうに笑う。
「明日にはモーリスが学園から帰って来るよね。詳しい話は彼を交えてしようか」
その言葉に、シュアンゼに同行していた護衛らしき三人――ミヅキの教え子たる三人組――は明日からのことを想い、同情と哀れみを込めた視線を彼らに向けた。
鬼教官、始動。
モーリスは卒業に向けて最後の追い込み中。帰ったら鬼教官が待っている。
なお、野心家な親族の息子は非常に冷静な目を持っているため、
場合によっては味方になる可能性あり。
一番ヤバい状況なのは『優しい親族』な皆さん。




