その行動は遅過ぎて
――ガニア王城・ある一室にて(男爵家嫡男モーリス視点)
「さて、君の話を聞かせてもらおうか」
穏やかに話し始めた人物の様子に、少しだけ緊張が和らぐような気がした。
目の前の男性の身分を考えれば、そのように思うことはないのが普通。しかし、彼――第二王子となったシュアンゼ殿下からは、高位貴族にありがちの傲慢さが感じられなくて。
その華奢とも言える体躯と優しげな表情もあり、秘かに安堵してしまう。気安さこそないが、責められているようには見えなかったから。
本来ならば、僕のような男爵家の跡取り程度に時間を割いてもらえるはずはない。
この一時は偏に、義母とファクル公爵のおかげなのだから。
男爵家の当主であった父が亡くなって数年、いよいよ僕は爵位を継ぐ。しかし、ろくな後ろ盾もなく年若い僕では到底、まともに社交をこなせるとは思えない。執務だって微妙だ。
……執務だけならば父の代から仕えてくれている家令が居ることもあり、何とかこなせるだろう。暫くは不慣れであっても、徐々に慣れていけるはずだ。
ただ、社交だけは問題だった。他家との仲を取り持ってくれる父はすでに亡く、学園の同級生達とて漸く、家の仕事を手伝い始めたばかりだろう。
僕には圧倒的に人脈が足りないのだ。もっと言うなら……頼れるような大人が居ない。
親達の繋がりがそのまま、子供達にも受け継がれることが大半なのだ。知り合いが皆無とは言わないが、父が生きていた頃のような付き合いが継続しているはずもなかった。
そう思うと同時に、義母に対しての申し訳なさが胸を過る。僕が子供じみた反発をしている間、あの人は自分にできることを全てやって、僕が当主となれるよう尽力してくれていたのだから。
この機会とて、義母の働きを認めていた人が居てこそのもの。
僕だけだったら、絶対に用意できない機会であったろう。
「……お初にお目に掛かります。この度、ブレイカーズ男爵家を継ぐことになりましたモーリスと申します」
少しだけ震える声で、それでも宣言とも取れる自己紹介を。相手は王族なのだ、名乗った以上、それを偽りになどできようはずもない。
『僕』が『ブレイカーズ男爵家を継ぐ』。当主となり、陛下に忠誠を誓う臣下の一人となってみせる。
そう名乗ることで、僕自身も後戻りはできなくなった。そう在るための努力を惜しまぬという、誓いでもあった。
「ふうん……?」
シュアンゼ殿下にもそれが伝わったのだろう。どこか面白そうに僕を眺めている。
対して、殿下の背後に居る二人は少しも表情を変えなかった。軍服のような服装の女性と、服装こそ一貴族のようだが、腰に剣を携えた男性。
状況から察するに、二人は殿下の護衛なのだろう。この一時はファクル公爵のご厚意で捻じ込まれたものと聞いていたから、正規の騎士は使えなかったのかもしれない。
女性の方は僕とあまり年が変わらないように見えるが、シュアンゼ殿下同様に静観の姿勢を保っている。
対して、男性の方はどことなく厳しい表情だ。僕に向ける視線の厳しさからも、良い感情は抱かれていないだろう。
「僕は数年前に亡くなった父の跡を継ぎ、当主となります。ですが、先代当主であった父が亡くなって数年……僕も学園を卒業したばかり。図々しいとは思いますが、後ろ盾となってくださる方の必要性を感じているのです」
「自分一人では力不足だと?」
「……っ、……。……は、い。はい、その通りです。家を継ぐ予定の友人達は現在、執務を執り行っている父親の補佐という形で、暫くは学ぶそうです。ですが、僕にはそれがありません。未熟さを自覚するからこそ、そのままでは駄目だと思ったんです」
情けないことを言っている自覚はある。しかし、それが僕自身の素直な感想だった。
「親族達が居るだろう?」
「そ、それは……っ」
「私もね、少しは調べているんだよ。ここ一年ほどはともかく、それまでは割と親しくしていたんじゃないのかい?」
微笑んだまま指摘してくるシュアンゼ殿下に、思わず息を飲む。それは事実だったから。
だが、『ここ一年ほどはともかく』と言われたように、今は以前ほど親しくしていない。
……いや、こういった言い方は正しくないか。
『ある事実』に気付かされてからは、僕自身が親族達を避けている。元々、学園生活を送っていたこともあり、親しいと言ってもそれほど親密な付き合いはない。
だから、『卒業に向けての勉強が忙しい』と言ってしまえば、向こうもあっさりと引いた。……その程度の付き合い、なのだ。
僕は一度、深く息を吐く。恥であろうとも、全てを話す。それが殿下に対する誠実さであり、当然のことなのだから。
シュアンゼ殿下はきっと、僕がこれまでどのように過ごしてきたかをご存じなのだろう。だからこそ、僕自身の口から告げねばならないのだ。
「僕と妹は元から父の後妻……義母への反発がありました。母の記憶があることもありますが、没落した家の令嬢とはいえ、元高級娼婦という事実が受け入れられなかったんです。……それが生活のためであろうとも」
今考えると、何て傲慢な考えだったのか。政略結婚が常の貴族ならば、援助のために婚姻を結ぶことだってあるというのに。
それを身売りと言われてしまえば、それまでだ。家のために望まぬ婚姻を結ぶ者と、生きるために形振り構わず足掻く者。それほど差がないように思えるのは、気のせいではない。
『義務』という言葉に守られているだけで、王族や貴族の婚姻は非情だ。
時には当人の人権を無視してでも行なわれるのだから、綺麗事で済ませるには無理がある。
「少なくとも、義母は妹達を守りきったんです。令嬢として生きていたなら、それはきっととても辛いことだったはず。……何の苦労も知らない僕が見下していいはずがない」
「立派だねぇ。……で? 君がそれに気付いた切っ掛けは?」
「情けない話なのですが……実家に帰った時、あまりにも現実が見えていない僕の言葉に怒った家令に泣きながら叱られたんです。『貴方は何故、私達があの方を慕うのか疑問に思わないのか!』と。……よく考えれば、その通りなんです。もしもその言葉を否定するなら、僕はこれまで仕えてくれていた使用人達の忠誠すら疑うことになる」
父の言葉があったから、父が妻と認めていたから……という理由だけだったら、そんな言葉は出ないだろう。義母が噂通りの人だったら、使用人達とて嫌悪したはずじゃないか。
だが、家に帰る度に感じるのは、義母に対する使用人達の気遣い。嫌悪どころか、何もできない自分達を恥じるような素振りさえあった。
「義母が体を張って家を守り、僕が当主となる未来を繋いでくれた。それを知った時、不意に疑問が湧いたんです。僕に優しくしてくれた親族達は……義母の献身に気付かなかったのか、と」
親族達の口から聞く義母は『噂通りのあばずれ』。しかし、義母の醜聞を口にする反面、親族達は彼女に何もできなかった。
普通に考えて、おかしな話である。第一、実家の家令達からは親族達が家のために援助をしたなど聞いたことがなかったし、僕が当主に成るために必要なことを学ばせたりはしなかった。
「それからこれまでのことを考えて……親族達は僕に優しい言葉を掛けるだけだったと気付いたんです。懐柔しようとしている、とも言えるかもしれません。義母はどれほど僕達に反発されようとも、学ばせようとしました。反発心を利用し、言葉巧みに誘導して。……少なくとも、今、僕が辛うじてであっても当主として立てるのは、そういった教育があったからなのだと」
『あらあら……学校で学ぶだけで済むなら、誰だって当主に成れるわね。それとも、男爵家の当主ってその程度で十分だと思っているの?』
『お父様は立派だったのにねぇ。ほらほら、睨む暇があったら、家令にお父様がやっていた仕事でも教えてもらいなさいな。少しはお勉強になるでしょう?』
どこか馬鹿にしたような口調、煽るような表情。だけど、それらは僕の子供っぽい自尊心を大いに刺激し、見返すために努力をするようになっていた。
確かに、義母が取っていた方法は褒められたものではないし、素直に父の後妻として受け入れられるかと言われれば、戸惑ってしまう。
しかし、きっと義母にはそれしか方法がなかった。自分の身を危うくする、その危険性すら理解した上で格上の貴族達を手玉に取り、家を守ってみせたのだ。
自分の評価や命さえ顧みない、その献身。
その一途さはファクル公爵すら動かし、僕にこの機会を作ってくれた。
「愚かだったのは、僕達なのです。反発心から目を曇らせ、呑気に学生をやっていられることすら、義母が与えてくれたものだと気付けませんでした。だからこそ、今度は僕自身が足搔きたいと思ったんです」
全てを言い終えて、ほっと息を吐く。僕がどう見られようとも、僕自身の考えは言葉にできたはずだ。
……が。
その直後、僕は予想外の言葉を受けて硬直する羽目になる。
「あのさ、君が情けな~い嫡男だってことは知ってるし、凄いのは後妻さんということなんて、今更なの。皆、知ってるの。反省だけなら、誰だってできるでしょ」
「え゛」
シュアンゼ殿下の背後に控えていた女性がさらりと口にした、けれど僕にとってはとてつもなく痛い言葉によって。
嫡男君、緊張の一幕になるかと思いきや、あっさり撃沈。
ヴァイス『(一応、反省はできたのか。それだけ、だが)』
シュアンゼ『(なるほど、煽って誘導しろと)』
主人公『(お前の懺悔はどうでもいいから、結果出せ)』
苦労人達による面接(仮)の始まりです。




