とある公爵はほくそ笑む
――ファクル公爵邸・ファクル公爵の私室にて(ファクル公爵視点)
「ふむ、適切な人選……と言ったところか」
届けられた報告書を読みつつ、口元が綻ぶ。報告書に書かれていた内容は、ここ最近のシュアンゼ殿下の動向だ。
つい先日、王城にあるシュアンゼ殿下の部屋が随分と騒がしいと思ったら、彼は他国の友人達を招いたらしかった。
だが、その『招いた理由』が、気楽な友人同士の戯れ――なんて可愛らしいものであるはずもなく。
「私が与えた課題を、殿下は『正しく』理解していたようだな」
思い浮かぶのは、とある男爵家の当主就任騒動。……いや、『騒動』というほど騒いでいないし、そもそも先代当主が事故死したのは数年前のことだった。
それが何故、今更問題になるのかといえば、ここ数年は当主不在のままであったことが最大の理由であろう。
正統な後継者……嫡男は男爵家に居た。
だが、あと数年は学園に通わなければならない年齢だった。
普通は近い親戚が一時的に当主代理なり、爵位を預かるなりして、その数年を凌ぐ。
……が。
この男爵家はどの派閥にも属していなかったことから、所謂、『家の乗っ取り』という危険に晒されていたのだ。
当たり前だが、その乗っ取りを画策したのは亡くなった当主の血縁関係者。言い方は悪いが、貴族階級には珍しいことではなく、『よくあること』として放置される。
……いや、『放置』というのは少し違うか。
正確には、『その権利を持つ者達以外が干渉できない』、もしくは『干渉することが好ましく思われない』ということだろう。
貴族階級は特に醜聞を嫌う傾向にある。くだらない噂とて、それを嘘と証明しなければならない場合があるほどに。
ゆえに、この案件はあくまでも『男爵家の問題』なのだ。……当事者達に加担する者達が居たとしても、それは暗黙の了解なのである。
しかし。
当の男爵家は父親が後妻を迎えていたこともあり、どうにも子供達にはその危機感が薄かったように思う。
「父親が生きていたならば、何の問題もなかったろう。学園を卒業後、父親について領地経営を学び、後を継ぐ日に備えるのだからな。だが……」
子供達は後妻が元高級娼婦ということもあり、その反発の方が強かったのだ。
冷静に考えれば、何の問題もない――財を食い潰すといった、問題行動も見られない――後妻のことなど気にせず、ただただ、後を継ぐことと家を守ることのみを考えるべきだろう。
……しかし、家の乗っ取りを画策する親族どもは狡猾であって。
その反発心に付け込み、巧みに自分こそが味方だと、残された子供達に吹き込みだしたのだ。
「社交を知らない年齢にも拘らず、狡賢い大人達を相手にしなければならなかったことは気の毒に思う。……しかし、家を継ぐならばその程度の者達の甘言に惑わされてはならん」
厳しいことを言うようだが、その一言に尽きる。第一、そのような状況にある者は男爵家の子供達だけではない。
寧ろ、男爵家という下位貴族であるならば、高位貴族達の家督争いよりも『様々な意味で』温いのだ――この程度で音を上げるならば、やる気のある親族に家督を譲った方がいい。
そういった意味でも、シュアンゼ殿下への課題には最適だった。これまで表舞台に立ったことがない彼でも何とかなるだろうと。
そもそも、私は『このような状況に持ち込んだ後妻を評価した』のであって、『男爵家の未来に興味はない』のだから。
体を張って必死に家を守り、亡き夫の願いを叶えようとする彼女の姿勢に興味を抱き、嫡男が当主に就ける年齢までは現状維持に助力した。
ただ、逆に言えば『それだけ』なのである。その後も彼の男爵家の後見になるつもりはないし、面倒を見るつもりもない。
一言で言えば、『今度は嫡男が意地を見せる番』なのだ。
守られていた時間は終わりを告げるのだから。
「シュアンゼ殿下とて、足搔いた一人。そして、今後は表舞台に立つためにもより足搔かねばならん。その手腕を周囲に示し、貴族達が彼を見極めるためにも、この案件は手頃だろう」
……ただし、少しばかり意地の悪い案件である自覚もあった。
王族であろうとも、シュアンゼ殿下はこれまで表舞台に立ったことがない。実績が全くないのだ。
唯一、知られていることと言えば、実の親である王弟夫妻の味方ではなかったことくらい。
いくら国王陛下と王太子であるテゼルト殿下への忠誠を示したとはいえ、『敵にならない』という認識をされただけであろう。
しいて言うなら……イルフェナの魔導師との繋がりが唯一の利点と言ったところか。
ただ、あの魔導師は友人であろうとも頼るばかりの輩に甘い顔などしない可能性が高いので、シュアンゼ殿下自身が足搔くことが必須と思われた。
「嫡男に現実を教えようとも、シュアンゼ殿下だけでは説得力に欠ける。まずはそこをどうするかが問題だろうよ」
社会に出ていた大人達ですら、シュアンゼ殿下を『国王一家に守られた存在』と認識していたのだ。未成年であった嫡男の認識など、精々が『王族の一人』程度だろう。
もしくは『王族という身分に守られ、陛下に忠誠を誓うことで処刑から逃れた者』。どちらにしろ、『力のない王族』という認識は変わるまい。
後妻への反発に目を曇らせていた嫡男が、彼をどう見るか。
その認識を変えることが出来ねば、シュアンゼ殿下の言葉は嫡男に届くまい。
「殿下が未だ、ろくな外交ができない状況にあると知っていて、随分と意地悪なことをしていると判っている。だが、だからこそ! 力試しには最適なのですよ」
事実、シュアンゼ殿下には『どのような手段も問わない』と伝えてある。どうやってこの案件をこなすか、そしてどのような決着を目指すのかも、シュアンゼ殿下に丸投げだ。
しかし、今後のことを考えるならば……『そのくらいできてもらわねば困る』。
今のままでは、彼の価値は魔導師との繋がりということのみであり、シュアンゼ自身が評価されることはないのだから。
そして、嫡男にも同じことが言えた。
これまでただ守られていただけの存在だからこそ、これからは違うのだと証明せねばなるまい。
「どのような決着を選ぶのか。どうやってそこに導くのか。それが二つ目の問題よな。まあ、あの殿下は見た目に反して相当逞しいようだし、不安はないが」
ついつい、口元に笑みが浮かぶ。思い描くシュアンゼ殿下の姿は華奢で優しげではあったが、その性根はまさに我が孫……ファクルの系譜のもの。
これまでの環境がそうさせたのかは判らないが、泣き寝入りなどしない性質であろう。第一、あの魔導師と共闘できるような輩が大人しいはずはない。
それでも手駒というか、貴族達の認識を変えるような出来事は必須。この案件がどう活かされるかは、シュアンゼ殿下の手腕に掛かっている。
それに。
当のシュアンゼ殿下は、既に問題解決に向けて動き出しているのだ。
「先日のイルフェナ行きにも驚いたが、どうやら独自の繋がりを作れたようだ。いやはや……あの魔導師が接点になったとはいえ、他国の『友』を得てこようとは」
今回、魔導師と共に招かれたサロヴァーラの青年。あれは確か、サロヴァーラの王家派筆頭のエヴィエニス公爵家の四男だったはず。
自国の王族が苦労していることもあり、その目は割と厳しかったと思うのだが、どうやってか友人関係を築くことに成功したらしい。
「いやはや、的確な人選と言えど、彼の嫡男は大変だろう。魔導師も、エヴィエニス家の若造も、結果を出すことの重要さを知っている。あの嫡男のこれまでを知れば、甘ったれたお子様にしか思うまい」
寧ろ、私自身もそう思っている。成人までただ守られていただけならば、あまりにも危機感がなさ過ぎる。
学園に通っていたのだから、多少の人脈や情報程度は持っていなければ拙かろう。それすらないならば、彼は一体、学園卒業後にどうやって当主の仕事をこなすと言うのだろうか。
「さて、楽しませてくだされよ」
これも一つの未来への布石。そして同時に、王家とファクルの血が混ざった者への期待であることは言うまでもない。
条件的には似ているシュアンゼと嫡男。
しかし、足搔いたシュアンゼには忠臣と頼もしき友が居る。
ある意味、嫡男にとってシュアンゼは最悪の相手です。
嫡男は行動を制限されていたわけじゃないので、言い訳が通用しません。




