灰色猫からの招待 其の五
灰色猫なシュアンゼ殿下が私達を呼んだ理由は理解できた。と言うか、今回の案件――嫡男と話をする、ということに関して――には最適な人選だったわけだ。
ま、まあ、シュアンゼ殿下の状況を正しく知っていた人なんて、ほぼ居ないだろう。寧ろ、貴族で知っている奴は皆無じゃあるまいか。
だって、『あの』ファクル公爵とて、シュアンゼ殿下が私と『楽しく遊び始めた』(※とてもマイルドな表現に変換)ことで、シュアンゼ殿下の本性を知ったみたいだし。
嫡男君はあまり積極的に情報収集を行なっていたようには思えないし、まだまだ社交に不慣れな立場だろう。
そうなると、『実の親である王弟夫妻に見捨てられながらも、国王一家に守られた存在』という認識になっている可能性・大。
ある意味、これも間違いではない。間違いではないのだが……シュアンゼ殿下はそこに『守られつつも牙をむく時に備え、できる限りのことはしていた』というオプションが付く。
当たり前だが、馬鹿にはできない。
『誰にも利用されないこと』が大前提だからね?
そもそも、シュアンゼ殿下の立ち位置が判らなかったのは貴族達も同じ。だから絶対に、それなりに探りに来たとは思うんだ。
それを全てかわしたからこそ、私が王弟と揉めた時に有能な協力者たり得たわけだ。
だって、貴族達が当初、私を甘く見て対処が後手になったのって、『何の情報もない部外者』という認識をしていたからだし。
現在のシュアンゼ殿下は少しだけその評価を見直され、『意外と冷静な目を持っていたかも?』程度には上方修正が成されているだろう。
……しかし、逆に言えば『それだけ』だ。
精力的に動き始めた一番最初の出来事がハーヴィスの一件なので、ガニア的にはまだ何の功績もない状態である。
そもそも、ハーヴィスの一件では部外者のような扱いだったので、情報収集狙いだったとしても、それを知るのは国王一家のみ。
嫡男が裏を読み取れるような子でなければ、こういったことを予想できまい。
そして、そんな子ならば誰かに守られずとも、男爵家は安泰だ。
……しかし、ファクル公爵は今回、後妻さんへのボーナス&シュアンゼ殿下への教材としてこの一件を持ち込んだ。
ここから予想できることなんざ、一つしかあるまいよ。
結論:嫡男の危機意識及び、手持ちのカードはほぼゼロ。
「……一応、聞いておくけど。シュアンゼ殿下的にはその嫡男をどうしたいと思ってる?」
『面倒な……』と思いつつも、一応は尋ねてみる。
シュアンゼ殿下の味方……と言うか、恩を感じる貴族が一人でもできるのは喜ばしい。
まあ、どちらかと言えば、『今回の案件におけるシュアンゼ殿下の対処』の方がファクル公爵的には本命だろう。
なにせ、後妻さんの行ないはそれなりに注目されていたはずだ。ならば、後妻さんがそこまでして守りたかった『男爵家の今後』も同じはず。
男爵家の血を持たない後妻さんは男爵家の仮の当主に成ることどころか、当主の選定に関わることすらできない可能性が高いので、嫡男が後を継ぎたかったら、自分が頑張るしかない。
現在の男爵家の不安定な状況は偏に、後妻さんの頑張りを認めていた人々――その筆頭がファクル公爵だろう――の温情だ。
その温情が嫡男にまでもたらされるかと言えば……『否』だろうな。さすがにそこまで甘くはあるまい。
で。
そうなると、温情をかけていた人々が注目するのは『ファクル公爵に対処を任されたシュアンゼ殿下がどう動いたか』という一点に尽きる。
これが上手くいけば、他の貴族達もシュアンゼ殿下の評価を上方修正するに違いない。もしくは今後、様々な案件を持ち込んで能力を見極めようとするか。
超大穴で『嫡男が見事に当主になってみせる』という可能性もなくはないが、そんな子ならば、わざわざシュアンゼ殿下の教材にはされまい。
今回の案件、試されているのは十中八九シュアンゼ殿下の方だ。少なくとも、ファクル公爵は間違いなくこっちのはず。
「うーん……正直なところ、私には『男爵家の当主として、どの程度の才覚と覚悟が必要か』は判らないんだ。なにせ、傍に居たのがテゼルト……この国の王太子だからね」
「ああ、それは……」
「さすがに比較対象が悪過ぎるわ」
そりゃ、シュアンゼ殿下も困るだろう。いくら何でも、一国の王太子と男爵家の嫡男では責任の重さが桁違いだもん。
ただ、シュアンゼ殿下はこれまで全く歩けなかった。ゆえに、嫡男の比較対象になりそうな輩が居ないのか。
「彼が飛び抜けて優秀とか、何らかの判断要素があれば良かったんだけど……」
そう言いつつも、シュアンゼ殿下からは困っている様が見て取れた。思わず、ヴァイスと顔を見合わせる。
『学校のお勉強、もしくは成績』ではなく、『領地経営とか親族相手の立ち回り』といった方面の判断要素に欠けるのだろう。確かに、困るか。
「後妻殿が頑張り過ぎたこともあり、彼の評価は通常よりも厳しいものになりそうですね」
「そうなんだよね。だけど、厳しくし過ぎても潰れるだけ。下手をすれば、私が彼を潰すためにわざと厳しい目で見た……なんて思われる可能性もあるだろう」
「匙加減が難しいねぇ」
ここがイルフェナならばともかく、ガニアに実力至上主義的な風潮はない。寧ろ、嫡男の状況を考えると……周囲は『とりあえず、当主に成れる程度の能力があればよし』くらいの判断をしそうだ。
しかし、シュアンゼ殿下にとっては貴族達からの評価を上げるチャンスである。ここは何らかの成果を上げておきたいところだろう。
これは私やヴァイスにとって都合が良いことでもあった。ガニアに有能な友人がいるならば、今後の役に立つこと請け合い。
しかも、王族。そんな存在が私やヴァイスに好意的ならば……北ではそれなりに重宝しそうだ。
北は異世界人が軽んじられる傾向にあるし、サロヴァーラ王家はこれ以上、他国に頼ることは避けたいだろう。
しかし、『北の大国の第二王子と仲良し』という事実があれば、状況が変わってくる。
私は勿論だが、王家派のヴァイスにとってはかなり使える要素だ。『サロヴァーラ王家がガニア王家に頼る』ならば借りを作ることになるけど、『シュアンゼ殿下が友人であるヴァイスの味方をした』ならば、『友人のために動いただけ』という言い分が通る。
判りやすく言うと、私とルドルフの関係に近い。動いたとしても、互いに『貸し借り』という認識をしていないしね。
ふむ。……ここは一つ、『シュアンゼ殿下にとって最良の形』という方向で動いておくか。
「提案! 『嫡男のために動く』のではなく、『シュアンゼ殿下のために嫡男を利用する』という方向で私は動きたい」
しゅた! と手を挙げて提案すると、二人は一瞬、呆気に取られた表情になり。
「……確かに、その方が納得できますね」
ヴァイスはなるほどと頷いた。対して、シュアンゼ殿下は困惑気味。
「ええと、その、そう言ってくれるのは嬉しいんだけど。具体的に言ってくれるかい?」
「とりあえず、嫡男は教育する方向で! その教育課程で本人の資質を見て、やる気があるなら今後も課題を与えつつ実績作り。最低限、当主の仕事程度が無難にこなせるようになれば、後妻さんの希望は叶ったことになる」
まず一つ。後妻さんが注目を集めていた上、ファクル公爵直々の『宿題』なのだ。最低限のラインはクリアした、ということにしておきたい。
「そんなことをしていれば、シュアンゼ殿下に接触してくる貴族が出るはず。この際、この案件は『シュアンゼ殿下が貴族と接点を持つため』と割り切ろう」
「つまり、嫡男を餌にすると?」
「身も蓋もない言い方をすると、そうなる」
馬鹿正直に言うと、シュアンゼ殿下は生温かい目を私に向けてきた。
「それ、嫡男の出来が悪かったらどうするの。そこまでする労力と釣り合わなくないかな?」
「とりあえず、後妻さんも諦めがつくと思う」
ぶっちゃけますと、後妻さんの願いが一番厄介だと思います。こちらもそこまで面倒を見る必要はないと思うので、もしもの場合は有能な嫁を見繕えば責任は果たせたと思う。
「嫡男がお馬鹿なことをしても、一年程度はフォロー推奨。この場合、嫡男への期待は下がるけど、シュアンゼ殿下の評価は上がるでしょ」
「なるほど。魔導師殿はシュアンゼ殿下に、エルシュオン殿下のような役割をしろと言いたいのですね?」
「あそこまで甲斐甲斐しい保護者になる必要はないよ。ただ、『後妻さんの頑張りを認めたファクル公爵からお願いされた』と公言したら……?」
「……。王族である私が目をかけたのではなく、あくまでもファクル公爵からの依頼だと判断されるだろうね」
「嫡男を勘違いさせないためにも、現実を突き付けなきゃね」
そもそも、嫡男は誰かに何かを言われるまでもなく、死に物狂いで頑張るべきだ。安易に、後ろ盾が居ることに甘えてもらっては困る。
「上手くいけば、その努力する姿勢と結果を評価してもらえるよ。嫡男にとっても悪い話じゃないし……」
「私もファクル公爵からの課題はクリアしたことになるわけか」
「とりあえずはね。何か言われたら、『王族の後ろ盾があることに甘えてもらっては困るので』とか、『当主に成る以上、他家から認められなければ困るでしょう?』とでも言えばいいんじゃない?」
正直、その程度で良いと思うんだ。何事も線引きって必要だもの。
もしも嫡男が大化けしたら、その時はまた考えれば良い。シュアンゼ殿下が魔王様みたいな甲斐甲斐しい親猫になる必要などあるまいよ。
「そのあたりが妥当でしょうね。与えられること、守られることを当然と思うようでは、どのみち潰される未来しかありません」
「だよねぇ」
ある程度の予想をしたのか、二人とも私の提案に割と賛成のようだ。
勿論、これは嫡男を見捨てることも視野に入れた提案なんだけど、その場合も『嫡男の自業自得』ということで決着がつく。
「とりあえず、一回は会って話そうか。それで今、ミヅキが言ったことを提案してみるかな」
「聞いた時の反応も含め、すでに審査は始まっていると気付くかな?」
「そこまで丁寧に教える必要ありませんよ。当主となるならば、今後は自らの判断が明暗を分けるのです。いつまでも学生気分では困ります」
意外と厳しいヴァイスの言葉に、私達は苦笑するのみ。
さて、嫡男よ。私達の方針は既に定まった。後は本当~に、君次第だぞ?
嫡男のためにシュアンゼが尽力するのではなく、利用するのはシュアンゼの方。
それならば主人公達も協力的。
見知らぬ奴相手に、色々と心を砕くはずがありません。
ウィルフレッドや親猫と化した魔王殿下が例外だっただけ。
※魔導師は平凡を望む32巻が発売されました。
詳細や特典SSについては活動報告か公式HPをご覧ください。




