灰色猫からの招待 其の二
シュアンゼ殿下の『お願い』。
唐突な話題に、ヴァイスは困惑を隠せないようだった。……当然かな。私にしろ、ヴァイスにしろ、権力とか特権めいたものはないのだから。
私の場合、人脈という武器こそあるけれど、シュアンゼ殿下は先日の一件で彼らと交流していたはずだ。
つまり、『魔導師の持つ人脈』を利用したいわけではない。
ヴァイスの場合、その生まれこそ公爵家ではあるけれど……本人も口にしているように、その立ち位置は『近衛騎士の一人』。
言い方は悪いが、権力的なものは期待しない方がいい。これはサロヴァーラのこれまでの状況と、エヴィエニス公爵家が王家派ということに起因する。
王家派の貴族って、圧倒的に数が少なかったんだよねぇ……ゆえに、配下というか派閥に属する貴族達があまり居ない。
その一方で、派閥は王家への忠誠心で固まっていた節があるため、結束力は馬鹿にできないだろう。
……が。
他国にも影響を与えられるかと言われれば、残念ながら『否』である。
今後は国の中核を担うことになる可能性は高いが、『現時点では』所詮、他国の貴族という認識が大半だろう。
一応、『エヴィエニス公爵家の一人』という肩書きはそれなりに――あくまでも『他国の公爵家』という意味で――使えるかもしれないが、ヴァイスの存在が他国でも無視できないものかと問われれば、首を傾げてしまう。
ぶっちゃけ、現時点では軽く見られる可能性の方が高い。
これは偏に、これまでのサロヴァーラの状況が原因なのだが……そんなことはシュアンゼ殿下とて理解しているだろう。
シュアンゼ殿下とて、『歩けない』とか『親である王弟夫妻に見限られた子供』という扱いをされていたのだから。己の経験として、彼はそれを『知っている』。
悲しいかな、爵位や血筋だけが高貴でも、力なき存在は軽く見られてしまうのが常なのだ。
魔王様が恐れられていたのは王族という立場や生まれ持った威圧の他に、無視できない実績があったからなのであ~る!
だからこそ、魔王様は私自身に力を付けさせることを選んだわけですね! 『世界の災厄』と呼ばれる魔導師という肩書きがあっても、実績がなければ『自称・魔導師』(笑)くらいの扱いだろうし。
で。
それらのことを確認とばかりに一通り話してみた。反論しなかったヴァイスとて、私と同じ認識をしていると推測。
……。
うん、私達にできることってマジで少ないわ。『お友達であるシュアンゼ殿下の所に遊びに来た』という状況だからこそ、尚更に。
「勿論、それは判っているよ」
対して、シュアンゼ殿下はにっこりと笑う。
「どちらかと言えば……君達だからこそ、対象者への言葉に説得力があるというか」
「「?」」
意味が判らず、私とヴァイスは揃って首を傾げる。
う、うん? 誰かへの説教とか苦言を言って欲しいとか、そういったことかい?
「話を聞いてもらえば理解できると思うよ。……情けないことだけど、これはある意味、我が国だからこそ起こったことでもあるんだ」
「あ~……あの国を二分する勢いの兄弟喧嘩関連?」
それしか思い浮かばん! とばかりに尋ねると、シュアンゼ殿下は溜息を吐きながら深く頷いた。
「そうだよ、正確には……それを利用した者が居た、という感じかな」
「……内部に?」
「うん。まあ、それ自体は別にいいんだ。『彼女』は……本当に頑張っただろうからね」
そう言うと、シュアンゼ殿下は事情とやらを話し始めた。
「ある男爵家のことさ。その家には妻を亡くした男爵が居た。子供は息子と娘が一人ずつ。まあ、特に裕福でもない男爵家だ。他国に影響がある家でもない」
「つまり、そこそこ裕福な平民程度ってこと?」
「そのくらいの認識で良いと思うよ」
なるほど。言い方は悪いけれど、『気が付いたら没落してました』ってこともある程度の家か。
ならば何故、シュアンゼ殿下預かりの案件になるというのだろう? そこが判らん。
「やがて、男爵は後妻を迎えた。彼女は高級娼婦でね、まあ、それなりに反対もあったんだけど、男爵は気にしなかった」
「その、失礼ですが、娼婦に貴族としての生活は厳しいのでは?」
遠慮がちに口にするヴァイス。彼の性格的に、娼婦という職業を蔑むつもりはないのだろう。まさに言葉のままの意味で疑問に思った模様。
……。
言いたくはないが、お貴族様には選民意識が強い者が多い。個人的な意見になるけど、どちらかと言えば下位貴族にその傾向が強いように思える。
これは『貴族』という立場に拘っているから。ぶっちゃけて言うと、貧乏貴族よりも裕福な暮らしをしたり、資産を持っている商人の方が力を持っている場合もあるのだ。
ただ、それでも彼らは『民間人』という扱いなので、身分差というものが存在する。
婚姻によって互いに欲しいもの――貧乏貴族は資金援助、裕福な民間人は貴族との結びつき――を得る場合があるのは、珍しいことではない。
「彼女は没落貴族の令嬢だったんだ。だから、男爵夫人としての礼儀なんかは何の問題もなかった。そもそも、妹達を養うために選んだ職業だったらしい」
「ああ、それなら大丈夫そう」
「ですが、周囲からの目は厳しい。幸せになれる可能性は低いです」
安心する私とは逆に、現実的な意見を口にするヴァイス。彼自身が貴族だからこそ、お貴族様の性格の悪さを知っているのだろう。
シュアンゼ殿下もそれはもっともだと思ったのか、一つ頷いた。
「うん。だけど、彼女にはその覚悟があったんだ。義理の息子や娘に毛嫌いされても、夫である男爵とは仲睦まじかったし、嫌味も上手くかわせていたんだ。……だけど、数年後に男爵が事故死してしまった」
理解ある夫の死、か。夫以外に味方が居なければ、後妻さんはさぞ、大変だろう。下手をすれば無一文で追い出されても不思議はない。
しかし、男爵家の不幸はそれだけで済まなかったらしい。
「息子が爵位を継承できればよかったんだけど、年齢的に無理だったんだ。当然、親族達が家の乗っ取りを企てて来る。そこで彼女は一つの賭けに出た」
『私は娼婦時代に培った技を活かし、様々な家の情報を握りましょう。そして、それを武器にこの家を守ります』
「軽んじられていたからこそ、彼女の思惑は見事に成功した。……どちらの勢力に属することもなく、どちらにも情報を与える者。国王と王弟が揉めていたからこそ、彼女は『利用できる存在』だったんだ。そうして上手く立ち回って時間を稼いだ」
「凄いじゃん! それ絶対、馬鹿にはできないでしょ」
「うん、私もそう思う。だって、よっぽど上手く立ち回らなければ消される可能性があるし、そもそも有益な情報を得られないからね」
あれですね、『遊べる女と思わせて、実は凄腕スパイ』っていうやつ。
ある程度の価値を見出されるまでは冗談抜きに命の危険が伴うし、周囲からの蔑みだって酷いだろう。だけど、彼女の価値が理解できれば生きていて貰った方がいい。
男爵夫人という立場とて、貴族を相手にする以上は必須だ。家だって潰せまい。
ただ、それが可能かと言われれば……強力な後ろ盾でもいない限り、不可能な気が。
「ですが、この国はそこまで待ってもらえるのでしょうか? 通常、当主が何らかの事情で死亡した場合、息子なり、遠縁なりが暫定的に当主の座に収まると思うのですが」
これなのよね。ヴァイスのご意見、ごもっとも!
家の乗っ取りが可能なこの状況。子供達を引き取る・子供達の保護者となるという名目で乗り込んで来られると、気が付いたら、爵位はそちらに……なんてことに成り兼ねない。
後妻さんの家は没落しているようだし、手助けしてくれるような存在とて居ないだろう。『元娼婦』という職業が邪魔をして、好意的な人間が少ない気がするもん。
……が。
シュアンゼ殿下は微妙な表情になって、生温かい目で私を見た。
……? おい、その表情はどういう意味だ!?
「一応、特例自体は存在したんだよ。ただし、後ろ盾になる貴族が必要だけどね。……居たんだよ。それが可能な協力者と言うか、強力な後ろ盾が」
「おや……そのような方がいらしたのですね」
そりゃ、凄い。思い切った選択をした奴が居たものだ。
「彼女がこの計画を思いつき、家を守ろうと思った時、本当に偶然らしいんだけど……ある大物貴族が家を訪れたんだ」
「へぇ……」
「ちなみに、その人物は『ファクル公爵』という」
「おい」
思わず、突っ込む。ヴァイスはファクル公爵の性格までも知らないのか、首を傾げていた。
ああ……そりゃ、シュアンゼ殿下も微妙な表情になるだろうよ。
あ の 爺 さ ん 一 体 、 何 を や っ て る ん だ ?
……しかし、納得もできてしまう。
後妻さんの覚悟に興味を持ったならば、『遣り遂げて見せろ』くらい言いそう。
そもそも、その時点では国王派VS王弟派の真っ最中。女の身で、それを利用しようというのだから……まあ、興味は抱くだろうね。
言いそう。超言いそう、あの人。
敵味方関係なく、そういう気合の入った人が好きそうだもん!
「あ~……それで納得できた。ファクル公爵が『情報を得るために利用できる』とか言い出したんですね?」
「それだけじゃないよ。実際に、彼女は有効活用できたんだ。周囲に自分の価値を認めさせたのは、彼女自身の努力だよ」
「でしょうねー」
なるほど、だからこそ相手をした貴族の奥方達に睨まれることもなかったのか。
元から娼婦云々と見下していただろうし、関係を持つ目的がはっきりしている。
自分が迂闊なことを言わなければ良いだけ、とでも思っていたんだろうな。……最初は。
ところが、後妻さんは凄かった。
情報を聞き出す術が優れていたのか、得た情報を組み合わせて活かすことに長けていたのかは判らないが、『どちらの派閥にとっても無視できない存在』に成り上がってみせたのだろう。
しかも、その後ろ盾らしき存在が王弟派の大物『ファクル公爵』。
賢く、覚悟を決めた女と、その決意を面白がったファクル公爵の戯れによって、男爵家は守られたのか。
「ほんの数年で跡取りが成人し、家を継げることも幸いした。期間限定とはいえ、便利な存在だろうしね。しかも、息子と娘は義母を毛嫌いしている上、彼女は元娼婦……後から何か言い出したところで、潰せる自信があった。そういったところが特例の適用を認めた理由の一端でもあったと思うよ」
「……後からどうにでもできる、と思ったのでしょうね。裁判を起こしたところで、元娼婦では印象が悪い上に、証言の信憑性も問われるでしょう」
「しかも、相手は貴族。勝ち目はないわね」
ヴァイスが苦々しく口にしたことに頷きつつ、私は肩を竦めた。あまり言いたくはないが、これが身分差……現実なのだから。
「だけど、それさえも彼女の計画だったとしたら?」
「「は?」」
「彼女は最初から、嫡男に家を継がせるまで家を守れれば良かったんだ。しかも、子供達は義理の母である自分を毛嫌いしている。『真っ当な嫡男が家を継いだ直後、ふしだらな義母が叩き出される。そうして、男爵家はかつての平穏を取り戻す』……ここまでが彼女の計画だったんだよ」
「やるじゃん!」
「そこまで覚悟されていたとは……!」
思わず、声を上げる。いやいや、そこまでやったら凄いじゃん! 後妻さん、マジで才女じゃあるまいか?
同じように感心していたヴァイスだが、ふと疑問の声を上げた。
「……シュアンゼ殿下のお話ですと、彼女の計画はほぼ成功したのですよね?」
「うん。嫡男は成人し、もうすぐ家を継ぐよ。そして、彼は漸く、彼女の計画を知った」
「それでは何が問題なのでしょう? こう言っては何ですが、男爵夫人が表舞台から退場し、今後は何の力も持たないならば、捨て置くだけでは? それに言い方は悪いですが……最悪の場合、消されることも覚悟されていたのでは?」
「うん、彼女はその覚悟をしていた。そして、それでも良かったんだ」
「ええと……じゃあ、何が問題なの?」
すでに彼女の計画はほぼ終了し、その後のことも本人が納得済み。
ならば一体、私達に何をしろって言うのさー?
事情は判ったけれど、呼ばれた意味が判らない二人。
なお、この案件がシュアンゼ預かりになった原因はファクル公爵。
主人公達は使えるものを全て使って願いを叶えた男爵夫人に拍手喝采。
実は、そういったところもこの二人が呼ばれた要素の一つだったり。
※一月に魔導師は平凡を望む32巻が発売されます。
詳細や特典SSについては活動報告か公式HPをご覧ください。




