人形の選択
ゴードン医師の言葉に、その問いかけに、私は混乱してしまった。
私が……人形? ずっと『先生』と一緒に暮らしてきたし、数こそ少ないけれど、他の人達とも関わってきた私が!?
……。
……だけど。
確かに、私は食事をしたことがない。『先生』は『自分は魔術師だから、魔力補給のためにも必要』と言っていたから、魔術師ではない私には不要と思っていた。……思い込まされていた。
眠りさえも『体を横たえ、目を閉じて疲労を取る行為』としか教えられていないじゃないか。きっとこれらは『人間ならば当たり前の行動』なのだろう。
ああ、だけど。『先生』が居なくなってから、少しだけ違和感を感じ始めていたんだ。そもそも、この会に呼ばれたこと自体、私にとっては有り得ない事態だったのだから。
『先生』は国に仕えるような立場ではなかった。勿論、助手の私も同じく。
唐突な呼び出しと、『七不思議の会』とやらへの参加要請に驚くばかりだったけれど、普通に考えればおかしなことであろう。
そもそも、エルシュオン殿下はこの国の第二王子で、たやすく会える方ではない。
ならば、最初から『何らかの目的があった』と考えるべきじゃないか。
そして、エルシュオン殿下に纏わる噂――『魔力が高過ぎて、無意識に威圧を与えてしまう』が事実である以上、私の態度は明らかにおかしいだろう。
何せ、私は『エルシュオン殿下の威圧を感じない』。
威圧が生き物の本能に訴えるものであるならば……『平然としていること』は明らかにおかしいのだ。
勿論、今この部屋に居る人達の様に、『慣れて平気になった』という人達も一定数は居るだろう。
だが、私はそれに当て嵌まらないのだ……確かに、『命なき者』である証明だ。
「私は君に委ねたい。君自身のことという意味もあるが、君は自分で考えて答えを出すことができるようだからね」
現実を突き付けられて沈黙する私に、ゴードン医師の言葉は不思議と優しく響く。
それは私に向けられている視線の数々に、嫌悪感といったものが含まれないせいもあるだろう。
そもそも、私という存在は『ある種の奇跡』と言ってしまえる状況なのだ……魔術師という立場から見て、喉から手が出るほどに欲しいと思われても仕方がない。
だが、そんな心配なんて不要だった。
向けられている視線はどれも私の選択を見届けるためのものであって、大半が私を気遣う色を滲ませているのだ。
それらは決して、私を追い詰めるものではない。寧ろ、案じてくれている。
そこに気付いた時、私は言い様のない感情が沸き上がるのを感じた。それを言葉に表すならば『喜び』だろう。
だが、それは私自身を案じてくれたから、という意味だけではないことにも気付いてしまった。
『あ……』
その瞬間、ぴたりとパーツが嵌ったように思考がクリアになる。
そう、そうだ、私は……この『七不思議の会』で話を聞き、登場する者達へと想いを馳せてきた。それらは全て、私が答えを出すための布石だったのだろう。
アルジェント殿の話では、『世の中には不思議なことがある』という『事実』を知り。
クラウス殿の話では、『魔術師は身勝手な者が多い』という『困った現実』を思い知らされ。
双子の話からは、『神にも等しい者の存在』を感じ取り、同時に『人の欲』の恐ろしさを学び。
エルシュオン殿下の話からは、『人の認識が及ぼす影響』について知った。
そして、魔導師殿の話は……『どれ程優れた技術があろうとも、解明できないものが存在する』ことを示していた。
『私という存在は……決して、夢物語で済まされるものではなく。同時に、存在することである一定の人の興味を引いてしまうのですね……?』
「理解が早くて何よりだ。……惨いことを言うようだが、あいつが君に『死』を望むだけのことはあるのだよ」
『ですが、【先生】は私のことを研究成果として報告はしませんでした』
「それがあいつの選択だろう。簡単だが、とても重い選択だったと私は思う。野心があり、好奇心の塊のような魔術師が、家族の情を選ぶとはね」
ゴードン医師は苦笑しているが、私からすれば、申し訳ないやら、嬉しいやらである。
『先生』はそんなことなど、一度も口にはしなかった。口にはしなかったが……おそらく、私はとても守られていたのだろう。
クラウス殿の話、その懸念が事実ならば、『先生』が魔術師としての栄誉を取ったとしても不思議はない。寧ろ、魔術師らしい行動だと言える。
だが、『先生』は……正義感からではなく、『個人的な我侭』という感情の下、私という存在を世間から隠したのだ。
「君という存在が非常に稀有なものであることは、あいつが誰より理解できていた。奇跡、神秘、魔術の可能性……どんな言葉にも当て嵌められるだろう」
『異世界人がもたらしてきた技術があるからこそ、この世界の住人達は私の存在を完全に否定することはないのですね?』
「ああ。……言いたくはないが、君のようなケースが過去に存在した可能性も否定できないのだよ。ただし! ……そんな記録は残されていない」
『……』
記録が消された可能性がある、と言わんばかりのゴードン医師の表情に、それらが表に出せない結末を迎えた可能性があると思い至る。
『存在を闇に葬られる』ということは、必ずしも悪意からのものではないからだ。寧ろ、今後のことを想定し、『その事実をなかったことにした』と考えた方がしっくりくる。
だからこそ、『先生』は私に最期を望んでくださったのか。
闇に葬られ、存在そのものを否定されるのではなく、命としての終わりを、と。
『私は……【先生】のご好意を無駄にしたくはありません。そう思っていることは事実です』
私の呟きに、皆が息を飲んだ気配がした。……ああ、本当に優しい方達だ。さすがは『先生』が私のことを託しただけはある。
そんな彼らの優しさを裏切るような、申し訳ない気持ちにもなってしまうのだけど。……同時に、これだけは譲れないのだと、その選択の裏にある私自身の気持ちを知っていて欲しかった。
『ですが、それは【先生】のお気持ちを無駄にしたくないという意味だけではなくて。……私自身の我侭からの選択なんです。私は……【先生】から与えられるもの全てが欲しい。最後に向けられた愛情も、その苦悩も……人形には有り得ない【死】というものすらも』
強欲、と言ってしまえるだろう。呆れられるのも仕方がないのかもしれない。
だけど、私はそう思ってしまった。自分に向けられた愛情を知った時、その裏で『先生』が犠牲にしたものを知りながらも、私は……嬉しかったのだから。
「いいじゃん、それが貴方の選択なんだから」
ひらひらと手を振りながら、魔導師殿が笑う。
「異世界人である私ですら、この世界のルールに従う謂れはないのよ。まあ、そこは自己責任なんだけどさ。だけど、貴方は人間であることよりも、命ある人形としての最期を望むわけでしょ?」
『はい』
「だったら、それでいいじゃない。人形に善悪なんて誰も求めないわよ。そもそも『自我を持たないこと』が当たり前なんだもの。後のことは『製作者の魔力が切れました』とでも言っておけばいいんだし、貴方が製作者至上主義だったとしても、誰も文句なんて言わないって!」
『え゛』
軽い口調で後押しする姿勢に絶句すると、クラウス殿がジトっとした目を魔導師殿に向ける。
「ミヅキ、一応、彼の存在は魔術師達にとって貴重な事例なんだが」
「クラウス、煩い。魔術師としてのプライドがあるなら、自分で作ってみなよ。……まあ、あんたは人型を模した魔道具の制作を禁じられているけど」
「く……!」
「自業自得ですよ、クラウス」
「そうだね、生ける非常識のミヅキがいるからいいじゃないか」
「……」
何があったかは知らないが、クラウス殿は人型を模した魔道具の制作を禁じられているようだ。
その代案が魔導師殿というのもよく判らないが、彼らの間では話がついているのだろう。クラウス殿もそれ以上のことを言うつもりはないようで沈黙している。
「それでは、君はあいつが望んだように、最期を望むと」
『ええ、ゴードン医師。それに……その方法もどうやら、探す必要はないみたいなんですよ』
「何……?」
ゴードン医師は怪訝そうな顔になるが、こればかりは説明に困る。
『私が人形であることを自覚し、同時に《【先生】から与えられた命を持つ者》ということを受け入れたせいでしょうか……先ほどの選択をした時から少しずつ、意識が曖昧になってきているんです』
それでも彼らには……私と『先生』のためにこの場を作り上げてくれた優しい人達には、言葉を尽くしたい。
そんな気持ちが、私を饒舌にさせている。
『人の死がどのようなものかは判りません。ですが、私は間違いなく幸せに死ねるのでしょう。【先生】が向けてくれた愛情を知り、我侭でしかない選択さえも後押ししてもらった。これ以上の幸せがあるのでしょうか』
人形には過ぎる幸せだ。勿論、私の記憶には楽しいことばかりではなかったけれど、それを踏まえて、人は『幸せな人生』というのではなかろうか。
本心から、そう思う。己の存在が奇跡と言われても困惑するばかりだが、『先生』からの愛情の賜と言われれば、素直に喜んでしまうのだから。
……そんな私に、魔導師殿は更なる幸せを授けてくれたのだ。
「貴方の先生って、本当に凄い人なんだねぇ」
『え?』
「だって、今回の舞台裏を知らなければ、人形だと思えないもの。盲目的に制作者を慕うのではなく、慕うだけの理由がある。それに加えて、与えられるならば、死すらも嬉しく思う強欲さ。それって、間違いなく人間の思考じゃない。それ、人形にそこまで慕われた先生が凄いってことでしょ」
『……!』
魔導師殿は、私への餞別に偽りを口にしているようには見えなかった。元より、自分に素直な魔導師殿のことだ。本心からの言葉なのだろう。
その称賛に……『異世界人の魔導師』と恐れられ、実力を認められている人物からの言葉に、私の顔には満面の笑みが浮かぶ。
『先生』、お聞きになられましたか。
貴方は魔術師達が憧れる魔導師から見ても、凄い人だそうですよ!
『……っ、ええ! ええ! 【先生】は本当に、本当に凄い人なんですよ!』
それだけ口にした途端、私の意識が急速に消えていくのを感じる。力が抜け、椅子に座っているのも難しくなっていたのだろう。
崩れ落ちる体を、傍に居た騎士が支えてくれたのを感じるも……もう口が動かない。
『まったく、仕方のない奴だ』
……消え失せる意識の中、かつてよく聞いた『先生』の呆れたような、それでいて少し嬉しそうな声が聞こえた気がした。
彼は『幸せな人形』だった。今はただ、その『事実』が残るだけ。
※番外編やIFなどは今後、こちら。
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※『平和的ダンジョン生活。』も宜しければ、お付き合いくださいね。




