後日談 其の十『彼女の居場所』
――ハーヴィス謁見の間にて(ハーヴィス王妃視点)
アグノスの起こしたエルシュオン殿下への襲撃事件、そして我が国の者達が画策した様々なこと。
それらを踏まえ、話し合われたらしいイルフェナ側の最終決定を伝えるため、イルフェナはレックバリ侯爵を使者に見立てて来た。
それを聞いた時は正直、血の気が引いた。ある程度の覚悟があったとはいえ、まさかレックバリ侯爵が送り込まれてくるなんて……!
その報告を聞いた際、私同様に……いや、それ以上に宰相の顔色が悪かった。
宰相はこの国で最も他国の情報を持っていると言っても過言ではない。その彼からすれば、レックバリ侯爵の名は相当に恐ろしいものに思えただろうから。
つまり……『イルフェナは本気で怒っていた』ということ。
老齢であり、現在は若い者達の育成に力を入れていると聞いていたレックバリ侯爵だが、その影響力や実力が衰えたなんて聞いたことはない。
本人は『老いた者だからこそ、すでに決着がついている楽な仕事を任されまして』などと笑っていたが、実際には逆だろう。
明らかに、『おかしな真似をするな』と言わんばかりの、イルフェナからの牽制ではないか……!
……。
だが、それも仕方がないと思えてしまう。何より、私自身がそう納得できてしまっているのだから。
アグノスのことだけではなく、イルフェナは『ハーヴィスという国』を信頼していないのだ。もっと言うなら、『ハーヴィス王陛下を信頼していない』。
確かに、アグノスが仕出かしたことは大問題だ。だが、大元を辿れば、原因は若かりし頃の陛下の我侭とその後の対応だと判る。
当の陛下はずっとアグノスが起こした事件だけに目を向け、アグノスの行動を『何故、こんなことを』と嘆いていたが。……本当に、それだけだった。
アグノスの父親としての嘆きや、王として事件に向き合わなければならない不安はあっただろうが、自分が原因である可能性など欠片も考えていなかった。
精々が『王妃や宰相、もしくは彼らの周囲の者達の苦言を聞かなかったこと』程度の認識だったはず。それとも、亡くなった最愛の方への申し訳なさか。
とにかく、陛下は第三者のような認識をしていたのだ。そうでなければ、多少なりとも今後の身の振り方――自死や退位といったもの――についての話をされるはず。
陛下としては『父親として、それ以上に王としての責任を感じている』と言ったところか。
己の愚行、その罪を自覚しないからこそ、『自責の念や娘と向き合わなかった後悔がない』。
それらの感情が全くないとは言わないだろうが、『己が全ての元凶である』といった言葉は口にされなかった。
……認めてしまえば、最愛の方の願いを踏み躙ったのが自分だと自覚してしまうゆえに、できなかったのかもしれないけれど。
溜息を飲み込み、目の前の光景に意識を向ける。レックバリ侯爵はイルフェナ王より賜った書を読み上げていた。
「――以上になります。これでこの一件は終わり、ということで如何ですかな?」
「随分と温情をかけてもらえたようだが」
「まあ、ハーヴィス側の諸事情とアグノス殿のやらかした事を考えれば、甘過ぎると思うのが当然でしょうな」
イルフェナからの使者であるレックバリ侯爵は深く頷きながら、陛下の言葉に同意した。
……が。
レックバリ侯爵は僅かに目を眇めると、呆れたような表情になって肩を竦めた。
「アグノス殿……ああ、今後は『アグノス』と呼ばせてもらおうかの。まあ、そちらもご存じの通り、アグノスは魔導師預かりとなっておる」
「あ、ああ、そうだな」
「当初こそ、必要な躾と教育を施す過程で色々と喧嘩になったようじゃが、そのうち――」
『は?』
レックバリ侯爵がもたらした予想外の言葉に、私や陛下を含めた数名――口にせずとも、驚きの表情を浮かべた者もいた――が、思わずといった感じに声を上げた。
『喧嘩』。今、レックバリ侯爵は『喧嘩』と言わなかっただろうか?
アグノスが魔導師様と喧嘩をした?
あの、周囲の望んだ姿を演じることに慣れた子が?
と言うか、口答えをしたのか!? あの恐ろしい方に!?
血の気が引いていく。『喧嘩をするアグノス』という姿も予想外過ぎて想像できないが、あまりの怖いもの知らずさに言葉がない。
陛下などは魔導師様に散々痛い言葉を向けられたせいか、顔面蒼白だ。この分では、アグノスの命の危機とでも思っているのかもしれない。
「む? おお! ミヅキの言動が少々、凶暴と言うか乱暴ゆえ、アグノスのことが心配になりましたかな?」
「え、ええ。その……『誰かと喧嘩をするアグノス』という状況も予想外なのだけど、まさか、魔導師様を恐れずにそのようなことをするなんて」
考えられる可能性としては、『癇癪を起こしたアグノスを魔導師様が諫めた』ということ。
だが、その場合はアグノスが一方的に暴れるだけなので、『喧嘩をした』という表現にはならないような。
そんな私の考えを見抜いたのか、レックバリ侯爵は苦笑しながら首を横に振った。
「いや、違いますぞ。本当に引き取られたばかりの頃は知らんが、アグノスは癇癪をほぼ起こさなかったと聞いております」
「え、ですが……」
慣れない環境というだけでなく、あの子は情緒が育っていない。ならば、自分の言葉が上手く伝わらず、幼い子のように感情を爆発させることだってあるのでは。
どれだけ優秀で、幼い頃から教育係に厳しく躾けられようとも、個人の感情が消えるわけではない。
寧ろ、『成長と共に、感情を表に出さない術を身に付ける』のだ。それが王族や貴族としての嗜みであり、平民との大きな違いであろう。
感情を表に出すことは、相手に自分の情報を与えるようなもの。特に、焦りなど見せてしまったら、相手はそこを突いてくるだろう。
アグノスの場合、表面的な部分にせよ大きな問題を起こさなかったのは、彼女が『皆が望んだ【御伽噺のお姫様】を演じていたから』に過ぎない。
……そういったことが身に付いていたわけではないのだ。だからこそ、時に癇癪を起こしたのだろうと私は思っている。
「ミヅキは『アグノスは幼女と思って接すればいい』と言っておりましたな」
「……え」
混乱する私の耳に、レックバリ侯爵の声が届く。それは不思議と優しい響きをしていた。
「『たとえば、十五歳だと【躾がなってない】と呆れるけど、【精神年齢幼女な十五歳児】だと考えれば、躾次第で何とかなると思える』とな。まあ、体は年齢通りの成長をしておるじゃろうし、多少しばいても大した怪我にはならんのじゃろう」
「え゛」
今……『しばく』とか聞こえたような……?
「『犬や猫でも、駄目なことは理解できる頭を持っている。寧ろ、私は叩いて躾けられている! 大丈夫、異世界一年目の私ができたことを、アグノスができないはずはない』とも言っておりましたな」
「そ、それは……確かに……」
とてつもなく説得力のある言い分だ。魔導師様が優秀だとしても、この世界のことは一から学ぶことになるのだから。
それどころか、『アグノスにできないはずはない』と言い切ってしまっているあたり、完全に幼子の教育をしている保護者だ。寧ろ、私達よりもずっとアグノスに向き合ってくれたと思えてしまう。
「アグノスもなぁ、自分のために色々と覚えさせようとしてくれていると判るのじゃろう。……あの子はそういったことに敏い。周囲の大人達の望んだ姿を演じてしまえるのですからな」
「「……」」
レックバリ侯爵の言葉に棘はない。ただ事実を口にしているだけだ。
だが、私と陛下は思わず無言になってしまう。言い換えれば、『誰も魔導師様のように、アグノスと付き合ってこなかった』と言われているようなものなのだ。
「まあ、暫くは騒々しかったようじゃが、そのうち魔導師――ミヅキにすっかり懐きましてな。多少の不満を感じても、言い聞かせたことは守ろうとするのですよ。その分、叱られればしょげておりましたが」
「まあ……」
微笑ましい。素直にそう思える。思わず浮かんだ笑みをレックバリ侯爵に見られたが、構うものか。
あの子は……アグノスは。ちゃんと幸せに過ごしているじゃないか。喜んで何が悪い。
私が開き直ったことを察したのか、レックバリ侯爵は苦笑しつつも追及しないでいてくれた。寧ろ、どこか嬉しそうに目を細めている。
「まるで、雛鳥のようでしたぞ。まあ……ミヅキは黒猫なので、猫に躾けられる雛鳥、といったところかの」
「ふふっ、そう……そう、ですわね。ですが、あの子は良き保護者を得たようです。猫ならば生きる術だけでなく、自分の身を守る術も教えてくれるでしょう」
それは確信だった。あの魔導師様ならばきっと、アグノスがこれから生きるために必要なことを身に付けさせてくれるに違いない。
……が。
何故か、レックバリ侯爵は微妙な表情で押し黙った。
「あ~……ま、まあ、そこは安心して良いと思いますぞ。ミヅキの遣り方、という点のみ不安じゃが、あそこまで破天荒にはならんじゃろうて」
「そ、そうですか」
……確かに。魔導師様は少々……いや、かなり破天荒と言うか、凶暴と言うか、容赦がなかった気がする。
ただ、これまで王女として育っていたアグノスに同じことができるとは思えないので、アグノスに合ったやり方を見付けてくださるだろう。……多分。
「そうそう! アグノスのことを案じている方達もいるだろうと、ミヅキが暮らしている騎士寮の騎士達がこんなものを作ってくれましたよ」
そう言うと、懐から何かを取り出す。あれは……何かの魔道具、だろうか?
「これにはアグノスの様子が収められておりまして。先ほど申し上げたような、微笑ましい姿が記録されておるのじゃが」
「アグノスの!? あ……も、申し訳ございません」
思わず、身を乗り出してまで反応してしまった私に、レックバリ侯爵は首を横に振り、『気にしていない』と示してくれた。
「いやいや、貴女様はアグノスのことを『娘のように思っている』と口にされておりましたからな。娘を案じる母の姿なればこそ、微笑ましいと思うだけですよ」
「そう言っていただけると、ありがたいですわね」
「ご安心を。イルフェナの者達とて、好意的に受け取るでしょう。……さて」
そう言って、レックバリ侯爵は陛下へと顔を向けた。
「ここで映像を流したいのじゃが……許可を頂けませんかな」
「……っ、あ、ああ! 是非、見せてくれ!」
即座に許可を出す陛下に、内心、溜息を吐いてしまう。レックバリ侯爵が一瞬、見せた顔を見ていたならば、陛下にとって良いことではないと察するだろうに。
勿論、私はレックバリ侯爵が見せてくれる映像が、彼の言葉のままのものであると思っている。だが、だからこそ、陛下や一部の者にとっては毒となる可能性が高かった。
アグノスは確かに、幸せに暮らしているのだろう。『ハーヴィス以外』で。
長年暮らした場所や人々との別れですら、あの子は悲しむ素振りを見せなかった。
つまり……『ハーヴィスにはアグノスが惜しむものが存在しない』。
それを突きつけられるだけだというのに、陛下は『アグノスの状況を知ることができる』としか思っていないに違いない。未だに後悔を抱える陛下にとって、それは耐えがたい毒でしかないだろうに。
私と同じことを思ったであろう宰相も苦い顔だ。勿論、本当に善意の可能性もあるため、批難することなどできないが。
そうしている間にも、準備は成されていく。やがて、浮かび上がった映像は――レックバリ侯爵の言葉が事実だと、誰が見ても納得できるものだった。
魔導師様や騎士達に勉強(?)を見てもらうアグノス。何かおかしなことを言ったのか、魔導師様が手にしている紙を丸めたものでポカリと叩かれていた。
だが、不満そうにしながらも、アグノスは魔導師様の言葉に耳を傾け、騎士達に助言を求める。
そして正解を見付けたのか、嬉しそうに声を上げると、確認した魔導師様に頭を撫でられ、満面の笑みを見せた。
ある場面では、魔導師様や料理人達に交じって、料理の手伝いらしきことをしている。
それはまるで民間人の子が、親や姉に交じってお手伝いをしているようで……とても微笑ましい。
料理人達から礼を言われ、時にはからかわれ、アグノスの笑顔が絶えることはなかった。
時には魔導師様と喧嘩をするようで、アグノスが泣いている。だが、それは癇癪ではなかったらしく、『ミヅキと一緒に居る!』と駄々を捏ねているようだ。
魔導師様の服の裾を掴んで泣く様は幼子のようであり……同時に、魔導師様を慕っていることが見て取れた。
おそらくだが、これがレックバリ侯爵が言っていた『雛鳥』なのだろう。
他にも様々な場面が収録されているらしく、アグノスは様々な表情を見せていた。そんな姿に、私は心から安堵する。
何も持たずに国から放り出されれば、その行く末は悲惨だ。まして王女ならば、生きて行けるかすら怪しい。
だが、そんな心配など不要だった。王女でなくとも、アグノスという個人を見てくれる人達に囲まれ、あの子は笑えているじゃないか。
ああ……良かった。あの子は、アグノスは、幸せに暮らしているのだ。
そんな想いが胸を占める。泣いたり、喧嘩をしたとしても、それがきちんとあの子の情緒を育てる糧になっているじゃないか。
何より、映像のアグノスとハーヴィスに居た頃のアグノスは別人のよう。
寧ろ、映像のアグノスを見た後では、『確かに、演じていたのだな』と納得できてしまう。
「良かった……あの子には王女としての立場も、この国の人間も必要なかったのですね。寧ろ、枷でしかなかったのでしょう」
陛下がびくりと肩を跳ねさせるが、それが正直な感想だ。予想通り、陛下は傷ついたような顔になっているけれど、『愛娘』と言っていた以上、耐えてもらおうじゃないか。
「血の繋がりが全てではありませんからの。現に、ミヅキは何くれと面倒を見てくれるエルシュオン殿下を慕っておる。周囲からは『猫親子』と言われるほど、仲が良いのですよ」
「ええ……ええ、ええ! そうでしょうね。この映像が撮られたのはイルフェナ……エルシュオン殿下が滞在を許可してくださったのでしょう?」
「はい、勿論」
「ふふっ、あの方が特定の子に甘いというのも想像できませんが……イルフェナでの遣り取りを見る限り、納得してしまえるのですよ。私も……アグノスとあのような関係が築けたのかしら」
「どうでしょうなぁ……貴女様は『王妃』ですから。下の者の手本とならねばならない以上、うちの殿下のようにはいかない部分も多いじゃろうて」
否定ともとれるレックバリ侯爵の言葉は何故か、優しかった。対して、陛下に言葉をかけることはない。
……おそらくだが、彼もまた、アグノスを見守ってくれる一人なのだろう。己の後悔のみを見せる陛下に対し、怒っているのかもしれなかった。
もしくは、これがイルフェナからの報復なのか。元凶である陛下と一部の者達だけに効果のある、そんな『毒』。
様々な想いを抱えながら言葉を交わす間も、映像は進んでいく。いつしか、映像にはアグノスが映っていた。魔導師様が撮っているのか、話しかけられたアグノスは嬉しそうだ。
やがて、私と宰相は同時に声を上げ……同じように微笑んだ。
「あら……」
「おや」
『ハーヴィスで思い出す人? うーん……はっきり言うと、あまりいないわ。乳母はもう亡くなっちゃったし、お母様は記憶にないし、他の兄弟達とはろくに会ったことがないもの』
『でもね、王妃様と宰相のおじいちゃんのことは好き』
『だって、あの人達は一度も、私に【お母様の望んだ姿】を求めなかったもの』
『それって、【私を見てくれてた】ってことでしょう?』
『え、お父様?』
『お父様が大事なのはお母様と、【お母様のお願い】であって、私じゃないもの』
……どうやら、陛下にとどめを刺したのはアグノスだったようだ。子供は思った以上に、周囲の大人達を見ていたらしい。
これが魔導師様の影響と言うか、教育ならば……よくやったと褒めてやりたいものだ。
※最後のアグノスの言葉の舞台裏。
黒猫「ちょ、皆、これ見て(笑)」
黒騎士「でかした。採用しよう」
※10月に『魔導師は平凡を望む 28』とコミック『平和的ダンジョン生活 2』が発売されます。
詳細は公式HPにて。
※番外編やIFなどは今後、こちら。
https://ncode.syosetu.com/n4359ff/
※Renta! 様や他電子書籍取り扱いサイト様にて、コミカライズが配信されています。
※『平和的ダンジョン生活。』も宜しければ、お付き合いくださいね。




